「……要するに友達になりたい、ってこと?」
「じゃあ、またね。今日はありがとう」
「次はお酒じゃなくて〜、なんか、あれ、タコパとかしようね! 陽向ちゃんも楽しめるやつ!」
「はいはい、分かったから。気をつけて帰りなね」
ただでさえ陽気な人間なのに、アルコールが入って更にテンションが高くなった美紀に少々引きつつ、玄関で手を振って見送る。
今日は陽向もいることだし、美紀もこんなだから駅までついて行こうかと思ったけれど、丁重にお断りされた。ここまで来ておいて、その短時間を嫌がられるのか、と勝手にその行動の意味を解釈して傷ついてしまう。実際のところ、気を遣っただけかもしれないし、別の理由があるかもしれないが。
「……ふぅ」
考えても仕方ない。一つ息を吐いて、気持ちを切り替える。とりあえず、空き缶やら何やらで散らかったテーブルの上を片付けるとしよう。
無心で袋にゴミを投げ込んで、グラスを流しに運ぶ。いざ洗おうとして、ふと、自分がいつも使っている、そしてこれからも使うものを、由唯が使ったのかと認識して、視線が吸い寄せられる。
そのとき、チャイムが鳴った。
「……っ、はい!」
何もやましいことはないけれど、呼び鈴に心臓が早鐘を打つ。焦りで何も考えずにドアを開けて、防犯意識の低さを瞬時に反省した。
しかし幸か不幸か、そこに立っていたのは不審者などではなく、先ほどまでこの家に滞在していた人物。
「っ、ゆ、ひな、……由唯。忘れ物?」
「まあ、そんなところ」
驚き過ぎて、咄嗟にどちらで呼べばいいか分からなくなりながら問いかける。もう由唯と呼ぶべきではないという気持ちと、陽向と呼ぶことへの躊躇が戦って、後者が勝利を収めた形だ。
目の前に立つ美人は、相変わらず感情の読み取れないキレイな笑みをたたえていて、返事とともに私の横を通って家に上がる。閉まる扉の鍵をかけ、慌ててその後ろについていった。
「何忘れたの? 片づけてて特に何も見当たらなかったけど──」
「晴香」
突然立ち止まって振り向いた由唯にぶつかりそうになって、急ブレーキで少しよろけそうになるけれど、そんな私の腕を由唯が掴んだ。その手は、バランスがとれた状態になっても離されず、困惑と緊張が私を襲う。たまらず、自分から由唯に話しかける。
「な、なに?」
「……なんでやめるの?」
「え?」
「推し活。やめちゃうんでしょ?」
「やめちゃう、って」
なんだ、その言い方は。やめろと言ったのはそっちだろうが。なんでそんな惜しいような言い方をするのか。引っかかるけれど、スルーして疑問に答える。
「なんでもなにも、由唯が一番分かってるでしょ。理由なんて」
「それって、私が言ったから?」
「……それは違う、とは言えないけど」
本人からファンをやめろだなんて言われていなければ、今でも変わりなく現場に通って、応援していたのは間違いない。けれど、ファンだからって言われたことを何でも鵜呑みするわけではない。極端な話、命にかかわるお願いなんて聞くわけないのだから、あくまで己の決断なのだ。だから、直接言われたことはきっかけに過ぎない。
「とにかく、さっきも言ったけど私が自分で決めたことだし、なんでもいいでしょ。それに由唯の望みも叶ったんだし、いいじゃん別に」
「……私はファンをやめて欲しいってだけで、推し活やめて欲しいとまでは言ってないけど」
「それ何が違うの? 同じことじゃん」
じゃあ、応援は鬱陶しいからやめろ、でも金は寄越せ。そういうことになるんじゃないか。そんな人間だとは思いたくないけれど、そういう風に捉えてしまう。眉をひそめてしまって、慌てて由唯が釈明する。
「いや、ごめん。晴香が推し活、私のせいでやめるって言うならそれは違うと思っただけ」
「だからさ、何が違うの? 由唯は、私にどうなって欲しいわけ?」
流石に、いい加減にはっきりさせたい。そんな苛立ちが思った以上に声に乗ってしまって、我ながら驚いてしまう。由唯の方も一瞬固まって、少し言葉を探すように視線を彷徨わせた。
「私は……。私は晴香に応援してもらってること、好きだって言ってくれること、本当に嬉しいし、誇りに思ってる」
「誇り、って」
そんな、大げさな。
私はそんな大層な人間ではない。けれど、いつものファンへ向けるアイドルとしてのリップサービスにしては、仰々しい物言いだし、表情も真剣そのものだった。
「本当だよ? 晴香がいたから、晴香がそう言ってくれたから、アイドル続けてる。……って、言ったって信じられないだろうけど」
「じゃあ、なんで」
そう思ってくれているとして、それが本当だとして。ならなおさらどうして、ファンをやめて欲しいだなんて言うのか。
「ファンをやめて欲しいのは……、私が晴香と対等になりたいって、思っちゃったから」
「それって、どういう」
「さっき言ったでしょ? 考えが似てるって。アイドルとファンは普通に仲良く友達になんてなれない、その通りだと私も思う」
アイドルがファンとのつながりをプライベートで持つだなんて考えられない。そこには明確に越えられない一線がある。その価値観が、私と由唯の間で一致していた、ということらしい。
「だから、応援は嬉しいけど、それ以上にファンをやめて対等な関係を築きたいの」
「それって。……要するに友達になりたい、ってこと? 私と」
「……」
自惚れた発言だっただろうか。一瞬で後悔が始まる。由唯も私の言葉を聞いて黙りこくってしまったから、余計に気まずさが募る。
「ごめ、今のなし──」
「そっか、うん。そうだ、そうだよね」
「えっ?」
焦って取り消そうとしたのに、同時に由唯が何事か納得したように頷き出した。
「今の晴香にとってはさ、友達って美紀ちゃんだけなんだもんね」
「まあそう、だけど」
「私は美紀ちゃんとは違って"お客さん"だし」
「……なんか、根に持ってる?」
珍しく感情がこもっていた気がして、その言葉には棘を感じた。けれど、すぐにそれは隠されて見えなくなる。
「まさか、扱いに差があるのは当然だよね。付き合いが違うんだし」
「まぁ……」
由唯はニコニコと朗らかな笑みを浮かべているけれど、むしろ底しれない恐ろしさを感じた。話す内容に同意していいものか。逆鱗に触れてはいないだろうか。
「っていうかそもそも、晴香が好きなのは"美城由唯"であって、"岡城陽向"は、私のことは好きじゃないもんね」
「そっ、んなことは……」
「あるでしょ」
否定は遮られて、有無を言わさぬ様子だった。でも、言われて考えてみれば、確かに私は由唯のことはともかく、陽向のことは好きとも嫌いとも言えない。……だって。
「それは、陽向のことは何も知らないんだから。好きとか嫌いとか、それ以前の問題じゃん」
相手のことを知りもしないうちから、好き嫌いなんて評価しようがない。いや、できなくはないかもしれないが、そんなものに大した価値も信憑性もないだろう。
「じゃあ、知ろうって気持ちとか興味、持ってくれるの? 私に」
「──そりゃあ、もちろん」
でもこれは、"岡城陽向"と"美城由唯"が同一人物だからこその興味であって、その二人を別人格として捉えていそうな彼女から望まれていることとは、少しズレているような違和感があった。
けれど、陽向を知らないことには、その差もつけられない。だから、私には頷くことしかできなかった。
「なら知ってもらえるように、友達って言ってもらえるように頑張るね」
「……え。私が、なんていうか、認める的な立場なの?」
こういう立場に差がある場合は普通、友達と言っていいのか悩むのは下の私の側であって、上の由唯が決定権を持つのではないか。戸惑いを素直に表現すると、当然とばかりに由唯は言い放った。
「そりゃそうでしょ。私は友達って言ったけど、違うって言ったのは晴香なんだし」
思い出すのは、由唯と美紀との初対面のときのこと。友達かと問われて、由唯は即答で肯定した一方で、私は答えを濁したのだ。
「違うとまでは言い切ってないけど」
「それこそ、同じことでしょ」
「……」
何も言い返せない。あのとき素直にそういうことにしておけば、こんな面倒なことにはなっていなかったのだろうか。……いや、関係性の呼び名をどうこうしたところで、結局他のところは何も変わらない以上、同じ展開を迎えていたように思える。
「とにかく、これからよろしくね。晴香」
「……うん。よろしく、──陽向」
ファンをやめて欲しいの次は、友達になって欲しいとくるなんて、まるで都合の良い妄想のようだ。
まだ嬉しさよりも戸惑いの方が大きいけれど、自分の人生において大事な人物とのつながりが途切れず続いてくれることに、安堵の気持ちもあった。
「じゃあ、今度こそ帰るね。お邪魔しました」
「あ、うん。気をつけて……」
玄関まで見送って、扉が閉まり切るギリギリで外に出て呼びかけた。
「やっぱ送るよ、ちょっと待って」
「え? 流石に道覚えたから、大丈夫だよ」
「そうじゃなくて。危ないでしょ、夜に一人は」
「……その理屈で言ったら、私ももう一回駅からここまで晴香送り届けなきゃいけないよ」
「いや私は、全然、大丈夫だし」
「ふふっ。なにそれ」
それは、よく見るキレイに作られた笑みではなくて、自然に出た笑いのようで、ドキリとする。
「嬉しいけど、本当に大丈夫だよ。ほら、晴香はお酒入ってるし、晴香が一人で夜道歩く方が怖いからさ」
「でも」
「いいから。ほら、戸締まりしっかりね。あと、簡単にドア開けちゃダメだよ」
グイグイと背中を押されて、家に戻される。粘るように振り返ると、陽向は目を細めて私を見つめていた。
「本当にありがとね。そういうなんだかんだ優しいとこ、大好きだよ。……おやすみ」
完全に虚を突かれて、呆然と見送る。
なんだ、今のは。
去り際にああいうことを言うなんて、ズルいじゃないか。特典会ではいつものことと言えばそうだけれど、テンション感というか、質感が違い過ぎた。へなへなと力なくしゃがみ込む。
これから一体どうなっていくのか。何も分からないけれど、とにかく今のこの胸の高鳴りは、しばらく治まりそうになかった。




