調合75
ジークフェルドは壁伝いにゆっくりと、しかし、1歩1歩進んでいく。
決意は揺るがないようだった。
私はレメリスに一番近い出口を聞き出し、そこに、協力を頼める者を呼ぶように頼んだ。
レメリスは、頷き、涙を拭いて言った。「殿下を、どうか、よろしくお願いします。」
続いて、レメリスに、シャルロッテ宛に事情を説明する封書鳥を飛ばしてくれるよう頼み、ジークフェルドと私は、建物から外に出た。
出口には、先程の御者と、もう一人、初老の男が待っていた。
「兄上に見つからぬうちに出たい。」
2人は、ジークフェルドの言葉に小さく頷き、周りを注意深く窺いながら、私たちを馬車へと誘導した。
箱型馬車にジークフェルドと男、そして私が乗り込むと、御者は、静かに扉を閉めた。
馬車が動き出すと、ジークフェルドは、男が15年前に犠牲になった教育係のヘルムートの父親であること、そして側仕えの女性レメリスが、やはり犠牲となった従者リヒトの母親であることを、私に告げた。
「正直、唯の一度もお恨み申し上げなかった、と言えば嘘になります。私と妻は、息子と、そして待ちわびていた義娘を失ったのですから。」
男は、ぽつりと言った。
「しかし、15年。殿下が、時として、私共家族よりも深くヘルムートを想い続けてくださったことを、やはり、知っているのです。」
「私は幸せ者なのだ。皆に大切にされて。それは、この身に宿る魔力故だと、それが唯一つの理由だと思っていた。だから、ヘルムートの言葉を理解することができなかった。」
気が付くと、ジークフェルドは、傷だらけの時計を握りしめていた。
「“力を持つ”ということは、“それを抑え込むための力を余分に必要とする”ということだ、と。決して、得をしている、ということではない。だから、周りを頼ってよい、と。」
私は、真面目過ぎると、ヴォルフガングが言っていたことを思い出した。
「魔力もさして多くは持たず、仔細を知らされず、周りの思惑に振り回され続けたエル、……陛下の方が、余程、気の毒なはずなのに。あの日の、エリーチェ殿や、シャルロッテ殿、グラン殿と語らう姿は、羨ましい、としか思えなかった。」
ジークフェルドは、事件が起こる前、ずっと、多くの人に囲まれ、頼りにされながら、独りぼっちだったのかもしれない。
「もっと早くに、ヘルムートの言葉を理解できていたならば、助けてほしいと言えたなら、……失わずにすんだのかもしれない。」
ザラの中心、円形広場の周囲を囲んで建っている建物の1つが、王城騎士団の管理下にあると、男が言った。
「おそらくは、陛下は、そのバルコニーに出られるおつもりでしょう。」
円形広場の少し手前で、馬車を停め、男は、ジークフェルドにフード付きのマントを身に付けるように言った。
私たちは、静かに馬車を降り、御者を残して、なるべく、道の端の日陰に入るように歩いた。
既に、円形広場とその周辺は人で溢れかえっている。
そして、ざわめきの中、所々に、人々の口にする言葉の切れ端が、耳に入ってきた。
「なぁ、あの若僧陛下が、お出ましになるって?」
「何なのかねぇ? 大体、まだまだ、ノイヴィセント5世陛下は十分にお若い。お体が悪いわけでもなかったんだろ?」
「大丈夫なのかねぇ? あまり頼りにならなさそうだけど。」
皆、勝手なことを言う。
突然、広場の中から声が上がる。
「見ろ! あそこだ。」
円形広場に面して建つ建物の1つ。そのバルコニーに人影が見えた。
「皆、よく集まってくれた。ルドルフである。本日、この場に集まってもらったのには訳がある。皆に頼みたき儀ができた。」
エルリッヒの声が、広場に向けて降りてきた。
エルリッヒは、ガタパライムの数が急激に増え、遂に、危険域に達したこと、過去に同様な状況から大洪水が引き起こされたという記録があること、ガタパライムの動きを鈍らせるために解毒水と無属性の魔力が有効であると判明したこと、しかし、結局は、物理攻撃が必要であるため人手が欲しいことを語った。
「私の力が至らぬばかりに、すまないと思っている。しかし、今、このまま無為に過ごすことはできぬ。どうか、皆の力を貸して欲しい。ガタパライム討伐に参加して欲しいのだ。」
エルリッヒは、ゆっくりと、その頭を下げた。
しん、と静まり返った広場のあちらこちらに、困惑の空気が漂っている。
駄目だったのか?
と、その時、私の耳に、聞き覚えのある声が響いてきた。
「陛下! ルドルフ2世陛下! 私、グラン=ソアレムは、討伐に参加させていただきます。」
すると、広場のあちこちから、声が上がり出した。
「私も! 参加いたします。」
「陛下! 頭をお上げください。」
「私も!」
「皆、ガタパライムなんぞに、滅茶苦茶にされるわけにはいかんぞ! 急いで準備だ!」




