難関
幾度の挫折と荒波を乗り越え、ついに大坂への上陸を果たした津軽為信。しかし、その眼前に立ち塞がったのは、豊臣政権の辣腕であり、生真面目な男――石田三成でありました。
大坂城の一画、遮るもののない端正な書院にて、為信と沼田祐光は身を固くしていた。
平伏する二人の前に、一人の若き奉行が書状を携えて現れる。石田治部少輔三成である。その目は冷徹で、一切の私情を挟まぬ光を宿していた。
「津軽右京亮(為信)殿とお見受けします。遠路はるばる大坂への参着、大義であります。」
三成の声は、淀みなく、しかしどこか突き放すように響いた。
「ははっ。関白殿下にお目通り叶う日を、今か今かと待ち侘びておりました。」
為信が頭を下げると、三成は手元の書状に目を落としたまま、淡々と言い放った。
「そう焦られよ。殿下は小田原征伐を控え、日々多忙を極めておられる。そもそも、津軽殿。貴殿が南部氏と争い、その領地を切り取った件、畿内では『惣無事令』に背く不届きな振る舞いとの声も上がっておるのだ。直談判など、もってのほか。」
横で聞いていた祐光の背中に、冷たい汗が流れた。
(何という実直さ、そして融通の利かなさ……。付け入る隙がまるでない!)
祐光は必死に声を絞り出した。
「治部少輔様、我が主・為信は、決して殿下に仇なすつもりはございませぬ! 陸奥の地を平定し、殿下の天下統一に臣従せんがため、こうして命がけで参上した次第。どうか、殿下へのお取り次ぎを……!」
三成は書状を閉じ、冷ややかに二人を見つめた。
「口先だけなら、どの田舎大名も同じ。殿下を動かすには、相応の誠意が必要だ。……して、津軽殿。殿下への献上品は何を持参された? 黄金か、名刀か、あるいは天下に聞こえた名物か?」
「それは……。」
祐光の言葉が詰まる。
津軽は長年の戦火で困窮しており、京の公家や大坂の耳目を驚かせるような贅沢な名物など、何一つ存在しない。仮に金銀を積んだところで、この謹厳実直な石田三成という男が、そんなもので態度を翻すとは到底思えなかった。
万策尽きたか――。重苦しい沈黙が書院を支配する。
その時、為信がぽつりと、なかば自嘲気味に呟いた。
「……うちには、鷹くらいしかありません。」
「……何?」
三成の眉が、ピクリと動いた。
為信は頭を掻きながら、どこか開き直ったように言葉を続けた。
「いや何、我が故郷の津軽は、寒風吹き荒れる何もない地でしてな。お見せできる名産などございません。ただ、厳冬の空を鋭く舞う、気高い鷹だけは、どこに出しても恥ずかしくない見事なものが捕れます。それくらいしか、お持ちできるものがありません。」
その瞬間、三成の瞳の奥に、これまでにない奇妙な灯火が宿った。
じっと為信を凝視する三成。祐光は「無礼を働いたか。」と肝を冷やしたが、三成の口から出たのは、思いもよらない熱を帯びた言葉だった。
「……津軽殿。今、鷹と言われたか」
「は? はあ、まあ、鷹ですが……」
「その鷹の羽色は? 尾羽の斑の入り方はどうだ。まさか、陸奥名産の『白鷹』か!?」
三成が、それまでの冷徹な態度をかなぐり捨て、ぐいと身を乗り出してきた。
実はこの男、大坂城下でも評判の、筋金入りの鷹・鷹狩狂だったのである。
「え、ええ。混じり気のない見事な白鷹にございます。据えの仕込みも、我が家臣が直々に叩き込んでおりますゆえ、人の言葉を解すかのように賢く……。」
「素晴らしい……!」
三成の顔に、今日初めての、そして子供のような満面の笑みが浮かんだ。
「鷹狩は単なる遊びではない。鳥の動きを読み、地形を察する、いわば兵法の極み! 優れた鷹を育てるには、地への愛着と並々ならぬ辛抱強さが必要だ。それほどの鷹を育て上げる津軽殿が、不忠の者であるはずがない!」
あまりの豹変ぶりに、祐光は呆気にとられて開いた口が塞がらない。
先ほどまでの険悪な空気は霧散し、三成はまるで長年の戦友に接するかのように、為信の手をがっしりと握りしめた。
「津軽殿、いや、為信殿! その鷹、ぜひともこの三成が殿下へお取り次ぎいたそう。いや、殿下のみならず、この三成の分もぜひ一羽、所望したい! じっくりと津軽の鷹の素晴らしさについて、夜通し語り合おうではないか!」
「ははは、治部少輔様がそれほど喜んでくださるなら、いくらでもお連れいたしますぞ!」
為信は、かつて蝦夷地で番兵を騙しおおせた時と同じ、ぬけぬけとした、しかし最高に不敵な笑みを浮かべ、祐光に視線を送ったのでありました。




