好きになったのはいつ? sideクリストフ
ある日の夜。
エマは、湯汲みをして身なりを整え、クリストフの寝室を訪ねようとしていた。
コンコン。
恐る恐るノックをすると、中から優しい声が聞こえる。
「はい、誰かな?」
「クリストフ様、エマです」
そう答えた瞬間、室内からガタガタ!っと何かが崩れるような大きな音が聞こえてきた。
「えっクリストフ様!?大丈夫ですか!?」
「ちょ、ちょっと待ってね。大丈夫、大丈夫だから…」
室内からクリストフ様の声が小さく聞こえ、しばらく待っていると、ゆっくりとドアが開かれた。
「エマ、おまたせ。こんな夜にどうしたの?」
「すみません、クリストフ様。どうしてもお話したいことがありまして…」
「話?」
少し驚いたような声を出すクリストフ様。
ただ、すぐに切り替えて
「とりあえず、冷えるし部屋に入って」
そう言って室内に促された。
部屋へ入ると、どうやらエマが訪ねてきたとわかったときに準備してくれたような、湯気の立ったホットミルクが二つ、机に置かれていた。
「よかったら飲む?」
「わぁ!いただきます」
「火傷しないように気をつけてね」
「もう、クリストフ様ったら。子供じゃないんですよ」
「うん、いや、それはもう当たり前にそうなんだけどね…」
どこか落ち着かない様子のクリストフ様。
エマは、ホットミルクを一口飲み、そんなクリストフ様の方に体を向けた。
すると、彼は驚いたように二人がけのソファの反対端まで体をのけぞらせた。
「えっ、ク、クリストフ様?」
「いやごめん。違う、あの、ちょっと反射的にね、びっくりして」
他意はない、他意はないから…とつぶやきながら戻ってくるクリストフ様。
私も小さく深呼吸をして、改めてクリストフ様の方を向く。
「実は、どうしても言いたいことがあって」
「…それは、今じゃないとだめなものということ?」
「え、えぇ、そうですね…?」
「なるほど…わかった。エマ、教えて?」
「はい!」
少し身を乗り出した私とは反対に、少し緊張の面持ちをするクリストフ様。
「…あの、クリストフ様が私を好きになった日を教えてほしくて!」
「なるほどね、でもそれは式後でも───…ん?僕が、エマを好きになった日?」
クリストフ様は見たことないようなお顔で目をパチパチと瞬きしていた。
「はい。え、クリストフ様、今、なんて言いました?」
「は〜なるほどね、なるほど…。なるほどね…」
「???」
「いや、気にしないで。エマを好きになった日か…」
「はい!今日実家に帰っていたんですが、そこで昔の日記を読み返していたら、クリストフ様のことを好きになった日のことが書いたページがありまして…」
「そっか、そういえば今日はグレゴリオ家に帰る予定だったね」
「はい!そこで、反対にクリストフ様はいつ私のことを好きになったのか、気になってしまったんです」
「なるほどね…」
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正直に話すなら、明確に、この日から好きになった、と言う日はなかったと思う。
気がついたら彼女は“幼馴染の妹"ではなく、たった一人の大切な女性という枠になっていた。
でも、強いて言うなら、あの子が"あいつの小さな妹"ではなくなった日がある。
あれは確か、当時通っていた貴族学校の課題の件でノードに用事があって、グレゴリオ家を訪ねた日のことだったと思う。
当のノードはその日、何故か高熱を出して臥せっており、ご両親も仕事でおらず、家にはグレゴリオ家に使えるメイド達と幼いエマだけがいた。
と言っても確か、エマも10歳は超えていたと思う。
『お前、風邪とかひくんだな』
『俺は、クリスと違って案外人間なんだよ…。あんまり長居しないほうがいいぞ、移っても困るし』
『別に僕も人間だけど、まぁそうだね…また治った頃に来るとするか』
軽口を叩くくらいの元気はあったノードと軽く会話をし、部屋をあとにしようとしたとき、背丈に似合わない大きなバケツを抱えたエマが室内に入ってきた。
『げっ、エマ!そんな大きいバケツを持つなって何度言ったら…ッゴホッゴホ』
『あ!お兄様、あんまり大きな声出さないで!風邪なんだから寝てなきゃだめよ!』
エマはそう言って、バケツの中からタオルを取り出し、細い小さな腕でタオルを絞ってノードの頭に置いた。
バケツと同じくらいの背丈のエマが、ノードを必死に看病している姿は、微笑ましく、なんだか大きく見えたことを覚えている。
『エマが看病してるの?』
『あっクリストフ様!ご挨拶遅れてすみません。お久しぶりです。はい、今日はお父様とお母様のお仕事の関係で、家に人が少ないので…』
『別に看病なんていらないって言ってるのに』
『そうやってずーーっと文句を言ってるから下がる熱も下がらないの!黙って寝て!』
『ふふっ、エマの言う通りだ。改めて、僕もそろそろお暇するよ』
『あ、では、外までお送りします!』
考えてみると、エマが言ったとおり、この日、エマと会うのはなかなか久しぶりだった。
玄関まで案内したくれたエマは、僕の記憶の中にいた彼女よりもとても大人びているように感じたのだ。
女の子の成長は早いとはよく言ったもので、恐らく、この日が初めて、彼女が"妹"ではなく一人の女の子として意識したと思う。
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きっかけとは人それぞれで、こんな話、他の人間が聞けば、ただの他愛のない幼馴染との会話の思い出だろう。
ただ、僕はこの日、明確に彼女を"女の子"として意識したのだ。
まぁ、本当に好きになった日を挙げるのであれば、デビュタントできれいなドレスを着た彼女を見た日だったかもしれないし、グレゴリオ家の旅行に混ぜてもらって二人で買い物をした日かもしれないし。
…やっぱりわからないな。
エマが段々と僕の日常に溶け込み、そうであればあるほど存在が自然になっていき。
だからこそ手放したくないと思って、結婚を申し込んだのだから。
(でも、どれもこれも若干変態臭いな…)
そもそも、風邪を引いた友人を差し置いて、その妹に気を取られているのは如何なものなのか。
年齢差もあるし、結婚前に下手なことを言って気持ち悪がられても困る。
今更婚約破棄なんて認める訳がないが。
「…」
「クリストフ様?」
「…明確に好きになった日、っていうのはないかもなって思って。エマが僕の日常にずっといて、その空気が大切で…からいなくならないでほしいと思って、結婚を申し込んだんだよ」
「なるほど…?」
エマはなんだか難しそうに首を掲げた。
「でも、エマのことは大好きだよ、本当に。…誰よりもね」
「私も、クリストフ様が大好きです。…なんだかやっぱり、クリストフ様は大人ですね」
そう笑うエマに、ちょっと悪戯心が芽生えるのは仕方ないことだと思う。
「…逆に、エマはいつ、僕のことを好きになったの?」
「え!?」
「僕に聞いたんだから、今度はエマの話を教えてくれる?」
「え、え、え……!」
そうして見る見る顔を真っ赤にしたエマは、急にソファを立ち上がり
「ま、まだ許してください!!」
「あ、ちょっと」
あっという間に部屋から飛び出していった。
感情表現が乏しい自覚のある自分と違って、普段あんなにストレートに好きだと言ってくれるエマなのに。
彼女の照れた真っ赤な顔を思い浮かべながら、クリストフは少し冷えたホットミルクの入ったカップを片付けるのだった。
「あ、というか、言いそびれたな…。エマに、夜に薄着で男の部屋を訪ねちゃだめだよって」




