90 控えめにしたつもりが……
後部座席を前方に倒し込んで荷室とフラットな状態を作り出した上で空間拡張の術式を施す。
ただし、実際には後部座席の半分は起こした状態で使用するのだけど。
寝るのはお姫様だけで付き添いの侍女であるアンナは座らなきゃいけないからね。
そうなると座席は横向きに回転させられるようにした方が無理な姿勢をさせずに済むか。
ただ、その場合は単純に空間拡張するだけだと脚の置き場が確保できない。
これは内部空間の変形で対応しよう。
この自動車はゴーレムの亜種なので難しい話ではない。
問題があるとすれば、サクサクと作業を進めてしまうとオリビアやアンナにドン引きされかねないことか。
10才児が熟練の魔道具職人顔負けの仕事をしたんじゃ無理もない。
という訳で普段の何倍も時間をかけて作業する。
終わる頃には驚いていた皆も復帰して落ち着いているはずだ。
そちらのあれやこれやを丸投げした姉には後で愚痴られるかもしれないけれど。
そうならないように心の中で手を合わせておいた。
お手々のシワとシワを合わせてシワ寄せになりませんように。
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車から降りてハッチバックドアを閉める。
「終わりましたー」
軽い調子で言ってみたのだけど反応は芳しくない。
時間をかけすぎてしまったかと思ったのだけど。
「何をしていたの?」
姉に聞かれて詳しいことは何も言ってなかったことに気付かされた。
「ベッドを運び込むために空間拡張の追加付与がメインですかね。あと後部座席の調整です」
他には荷室の振動抑制と荷物がズレないようにするための術式付与なんだが様子見のために伏せておいた。
過剰に騒がれるのは好きじゃないのでね。
そう思っていたのだけど妙に静かだ。
誰も何も言わないし考え込んでいる風にも見えない。
気のせいでなければ誰も彼もが唖然としている気がする。
「えーっと、どうかしました?」
恐る恐る姉に声をかける。
それを切っ掛けにして再起動したエレオノーラには深く嘆息されてしまった。
解せぬ。俺が何をしたというのか。
本来なら数分で終わる作業を何倍も時間をかけたのだから、この反応は心外だ。
「あのねえ……」
心底、呆れたと言わんばかりに溜め息をつかれる。
続けざまにですか。
余程のことをやらかさない限り、こういう反応はされないよな。
慣れているはずの姉がこうなんだから。
それでも何故なのかが分からない。
空間拡張は馬車にも施されていたのだから不可能な術式付与ではないはずだ。
念のため馬車ほど広くはならないようにしているんだけどな。
もしかして、その説明を端折ったせいで派手にやらかしたと誤解されてしまったのだろうか。
……なんとなくだけど違うような気がする。
ただ、他に思いつくようなことは何もない。
「空間魔法なんてホイホイと施せるようなものじゃないのよ」
ちょっと怒ったように言われてしまった。
うちの護衛たちも、それが常識だと言わんばかりにウンウンとうなずいている。
「えー……」
前例があるから安心して使ったというのに裏切られた気分だ。
「でも、馬車は空間拡張が使われていましたよ」
一応は反論してみたものの……
「こんな短時間で仕上げられるようなものじゃないのっ」
物わかりの悪さに苛立ちを見せたのか怒られてしまいましたよ。
「それなりに手こずったと思うんですけど?」
そう言ったら全員に目を見開かれて驚愕されてしまった。
これは数分で終わらせていたら、もっと大仰なリアクションが見られたかもしれない。
時間をかけておいて良かった。
まるで足りなかったみたいだけど。
「普通は何ヶ月もかかるから中断のできる儀式魔法でするものよ」
「あー……」
それは驚かれる訳だ。
時間をかけたつもりが、まるで足りなかったのだから。
とはいえ、このままでは目立ちすぎてしまう。
「そこまでのものでしょうかね?」
なんとか少しでも流れを変えようと本当は大したことではない方へ持っていこうと試みる。
他人はそれを悪あがきと言うのだろうけど。
「確かに繊細で面倒な術式ですけど集中力を切らさなければ月単位で時間をかけるようなものではありませんよ」
「なんですって!?」
「今回の作業は言うなれば針に糸を通す作業を連続で続けるようなものです」
姉を初めとする面々は今ひとつピンとこない顔をしている。
たとえ話が上手くなかったのは分かるが他に思いつかなかったのだから仕方ない。
「儀式魔法で空間系の術式を施すのは、糸の端を大勢で持って穴に通そうとするようなものかと」
難易度を逆に上げてしまっている訳だ。
「そうやって何百本もの針に糸を通すとなれば効率的とは言い難いですよね」
「そうね。言いたいことは分かったわ」
姉は呆れ顔で溜め息をついた。
「でも、それが本当のことであると証明することはできるの?」
疑いが残るから問われているのではない。
真実を告げても信じる者がほとんどいなければ嘘になってしまうと姉は言いたいのだろう。
「今この場で空間拡張の術式を施したなんて言わなきゃ別に証明する必要もないと思うのですが」
「それはそうだけど……」
歯切れの悪さを見せながら姉は横目でオリビアに視線を送る。
見られていることに気付いたオリビアは一瞬だがギョッとしてたじろいだ。
「今の私が誰に話すというのです?」
硬い表情で問われたものの答えを求めているという風には見えない。
下手をすれば追っ手を差し向けられる立場だと言いたいのだろう。
「仮に今が平時だとして──」
そう前置きして話を続けることからも、それは明らか。
「騎士見習いの私が発言したところで内容が荒唐無稽すぎて誰も信じてはくれません」
その言葉には重みがあった。
多くの人は広く信じられているものを簡単には否定できないものだからね。
それでも地球は回っている、だっけ。
あれと似たような状態になると言いたいのだろう。
もっとも、オリビアに地球サイドの知識はないのだけど。
「そうかもしれないわね」
姉も反論することなく素直に認めたようだ。
「とにかく、ここを離れましょう」
話に区切りがついたと見て俺はそう呼びかけた。
あまり悠長にしていると何が起きるか分からないのだし早急に動くべきだろう。
偵察用の使い魔を送り込まれたら馬車を置いて離れようとしていることも無駄になりかねない。
「そうね。無駄話をしている場合ではなかったわ」
真っ先に反応したのはエレオノーラであった。
後は姉の指示によってお姫様がベッドごと車に乗せられ……
その際に空間拡張の状態を目の当たりにした、うちの護衛たちは思っていた以上に驚きを見せていた。
それでも動揺していたのは短い時間だったと言える。
隊長であるダッジが指示を出せば即座に反応していたからね。
「車は姉さんが運転してください」
「どういうこと?」
そう問いつつ目では「運転はシドの方が上手いでしょうに」と語る姉。
「バイクは誰が運転するんです?」
俺がそう聞くと、姉はハッとしていた。
失念していたことに気付かされたというところか。
ただ、姉が運転するなら気をつけねばならないことがある。
眠っているお姫様を気にして車の速度が安定しない恐れが出てくるからだ。
「バイクで僕が先導しますので距離を取って追ってください」
これで姉も少しは運転しやすくなるだろう。
読んでくれてありがとう。
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