88 エレオノーラ、弟との通話で振り回される
「シドの身に何かあったの?」
半透明でありながら猫の姿をしたリスタに問いかけた次の瞬間。
「あー、アー、聞こエますカ?」
リスタが人語を話し始めた。
「猫が喋った!?」
いや、これは猫ではない。シドの使い魔のスライムだ。
それでもスライムが喋るなど前代未聞である。
猫のように鳴き声を発することもないというのに。
そうと分かってはいても動揺したせいで混乱している。
リスタの話し声がシドのそれによく似ていたからだ。
「どうなってるの!?」
動揺している場合じゃない、落ち着け。
己に暗示をかけるように何度も心の中で唱える。
「アー、あー、これでどうですか? ちゃんと僕の声になっていますよね」
リスタが猫の姿のまま我が弟の声を完璧に模倣してしまった。
何がなんだか分からない。
「あ、もしかして僕の声だから逆に混乱しましたか?」
うなずいて返事をするしかできなかった。
情けない。
「これは僕の喉を再現しているからできる芸当です」
猫の姿をしているが相手は自在に姿形を変えることのできるスライムだ。
部分的な形状変更はお手の物ということか。
「だから、こういうこともできるんですよ」
などと私の声で喋ってくれたおかげで呆然とさせられてしまった。
「ああ、すみません。余計に驚かせちゃいましたね」
すぐにシドの声に戻すが、そういうことではないのだと言いたい。
「何かあったの? 合流が困難になったとか?」
完全には平静さを取り戻せていないせいで、思いついたことをつい問いかけてしまった。
しかしながら、こちらの声が向こうに届くとは考えにくい。
スライムはこちら側にしかないのだから、こちらと同じような真似はできないはずなのだけど。
「合流自体はできましたよ」
普通に返事が来た。
一瞬「どういうこと!?」と思ったものの、リスタはシドと念話でつながっている。
つながっていない私とは声という出力の手間が余分に必要になるだけで、私の声をシドに音声で伝える必要はない。
もっとも、向こうに人がいる場合はシドが独り言を喋っている怪しげな状態に陥っていることだろう。
絵面を想像するだけで不安感が増してしまうが自分にはどうしようもない。
ならば余計なことは考えずに話を聞くことに専念した方が良さそうだ。
「ただ、少しばかり移動手段を確保したい状況になりましてね」
何かトラブルがあったみたいね。
「魔物にでも襲われて馬が走れなくなったの?」
「僕が追いついた時に護衛たちが戦闘に巻き込まれていたんですよね」
リスタがシドの声で語る事実は想定をはるかに上回っていた。
「どうやら王家の馬車が謎の一団に襲われる瞬間に通りがかったようでして」
謎の一団ってなに?
魔物なら魔物と言うはずだから人間の集団ということよね。
しかも王家の馬車を襲撃していたということは、隊商の積み荷を狙った盗賊などではないのは明白。
ただ、金持ちの馬車に見えたから人質を捕まえる目的で襲撃したということもないではないのか。
もっとも、それならば謎の一団とは言わないだろう。
一体なにがどうなっているのか皆目見当もつかない。
そのせいか、頭の中ではクエスチョンマークが飛び交っているというのに疑問を口にすることができずにいた。
「当面の脅威は取り除きましたが──」
その後に続く言葉と合わせて危険な状況は脱していることだけは把握できた。
もっとも、襲撃犯の正体は不明なままだし、その黒幕については何も分からないままである。
ひとつだけハッキリしているのは絶対に面倒事になるということ。
襲われていたのが王族で呪われてもいたとなれば単発の襲撃で終わるとは思えない。
当家がその事情に巻き込まれるのは確実だろう。
なんの縁もゆかりもない相手であったなら、かかわらずに帰還しろと言っているところだ。
それが無理な相談であるのは言うまでもない。
王族を見捨てるような真似をすれば反逆罪に問われかねないからだ。
シドもそのあたりを懸念してこのような想像だにしなかった手段で報告してきたのだろう。
魔法に魔道具製作にと多才でありながら大人顔負けの配慮もできる。
本当に10才児だろうかと何度思わされたことか。
まるで大人と子供が入れ替わったかのよう。
そんな荒唐無稽な話はあるはずもないのだけど。
あるいは前世の記憶を残したまま生まれ変わったのだとしたら似たようなことになるだろうか。
それでもシドはシド、誰がなんと言おうと私の弟だ。
「それで報告だけではないのよね」
シドから聞いた話では王女殿下を当家で保護する以外の選択肢はないだろう。
とはいえ領主代行の権限のないシドではその判断を勝手に実行へ移すことはできない。
故に──
「我がミューラー家で王女殿下を保護します」
私が宣言する必要がある。
そこから先は保護という目的のために迎え入れる準備を進めるのみ。
「そちらには馬車を引く馬を送るわ」
「それには及びません」
予想外の返事がリスタの口から出てきた。
「書庫の前に止めたままになっている自動車を引き寄せます」
「は? どういうこと?」
我が弟の突拍子のなさは何度も見聞きしてきたが今回のは極めつけである。
シドが魔法を使うつもりなのは分かるが魔法陣もなしに転移させるのは不可能だ。
座標の指定は遠隔でも可能かもしれないが魔力の供給がされないのがネックになる。
それに転移対象を視認できない状態で正確に位置を把握し術式を起動させるのも至難の業と言えよう。
しかしながら、シドは平然と言い放っていた。
そんな方法があるなら見てみたいものだ。
「本当にできるの?」
「リスタがいれば可能ですよ」
「あっ」
それは盲点だった。
シド単独では不可能なことでも念話で意思疎通ができる相棒がいるのであれば転移魔法の難点が払拭できそうだ。
部外者に転移魔法を見られてしまうことを除けばだけど。
「だとしても大丈夫なの? 余人の目もあるでしょう」
この問いかけには、しばし沈黙の間があった。
シドならば即座に転移魔法のことだと理解したと思うのだけれど。
これならストレートに転移魔法と言った方が良かったかもしれない。
よくよく考えると自分の声はリスタを介して念話で届けられるのだった。
直接シドに届くのでないなら変に配慮しなければ良かった訳で。
言い直そうと思ったところで──
「姉さんが思っているほど魔力は食いませんよ」
想定の範囲外な返事が来た。
さすがのシドも何を問われたのか分からなかったのだろうか。
自分が同じ状況に置かれたなら同じように誤解してしまうかもしれないので責められない。
声だけで意思の疎通をしている弊害なんだと思う。
やっぱり目を見て話さないと伝わらないものがあるのね、などと考えていると──
「なんだったら姉さんも来ますか?」
シドがとんでもないことを言い出した。
「ちょっと、シド! そんな負担が増すようなことをして大丈夫なの!?」
「何も問題ありませんよ。魔力の消費量に関しては、ね」
「え?」
「ちょっと特殊な方法なんで不安に感じるかもしれませんけど心配無用です」
我が弟はやけに自信満々だ。
こういう時のシドには、こちらの想定を超える何かがある。
信じてみるのも一興かもしれない。
読んでくれてありがとう。
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