73 魔力が確保できてもね
エレオノーラは諦観を感じさせる表情で嘆息した。
「シドは本当に底が知れないわね」
そりゃあ見せてないからね。
とはいえ姉の想定する底はそこまで深くないと思う。
見せているのが素人が素潜りできる程度の深さだとすれば、姉の頭の中にあるのは深く潜る海女さんくらいじゃなかろうか。
……たとえが微妙だったかな。
何倍かの差はあるにせよ姉の想定は常識の範囲内ってことだ。
実際はもっと深さがあると知ったら、どんな反応をすることやら。
「そういうことにしておきますよ」
俺の返事に呆れまじりで苦笑されてしまった。
「けど、召喚して大丈夫なの?」
「大丈夫とは?」
何が聞きたいのか分からず聞き返してしまった。
「とんでもない距離を転移させられたのは私にも分かるわよ。なんだか蒸し暑いし、かなり南方に来てしまったのは間違いないわよね」
そう、密林の中にいるとはいえ気温の変化が顕著だった。
跳ばされた直後から体感していたけど、俺からは何も言わなかっただけだ。
嫌でも距離を実感させられるということを考慮してなかったのは迂闊だったかな。
少なくとも姉を心配させてしまっているし。
「テイムしてつながりができているから召喚しても、そんなに消耗しないですよ」
この説明で一応は納得したのか、あれこれ言われることは無くなった。
そんな訳で、さっそくリスタを召喚することにする。
光魔法で魔法陣を展開し──
「我の求めに応じ馳せ参じよ! 汝、リスタ」
それっぽく詠唱した。
別に必要はないんだけど姉が見ているし気分の問題だ。
あと、テイムしていることを強調するのに名前で呼ぶのはアリだと思ったのもある。
光の魔法陣がさらなる光に埋め尽くされていく。
それだけ召喚に必要な魔力量が多いということなんだけど密林の中とはいえ結構な目立ちっぷりだ。
改良が必要だな。
今の状態で帰還すると騒ぎになるのは明白だからね。
などと考えている間に光が収束していきリスタが姿を現した。
いつもよりもずっと大きいサイズで。
しょうがない。ガルフを飲み込んでいるせいだ。
おかげでエレオノーラが飛び退って身構えたほどである。
「ちょっと、シド! スライムじゃないっ」
「そうですよ。テイムしているんだから何も問題ないですよね」
「本当に大丈夫なんでしょうね。バカを飲み込んでいるようだけど」
姉は構えを解いたものの警戒感は大きく残したままで聞いてくる。
「魔力を吸い続けるのに最適な状態になっただけですよ」
最初は影を縫い止めながら体を触手状に伸ばして捕縛し魔力を吸っていたけど効率が悪いので飲み込んだ訳だ。
「それにしても、ずいぶんと溜め込んだなぁ。これなら帰還のための魔力は確保できそうですよ」
もっとも、その場合ガルフはただでは済まないとは思うけど。
今でも白目をむいたような状態だからね。
おそらく生命力まで吸い出されてカラカラに干からびた状態になってしまうんじゃないかな。
そうなれば人間なら即死は確定だけどバンパイアであるコイツはかろうじて息がある状態で持ちこたえるだろう。
なんの手当もなく放置するのであれば全回復には何日かかるかな。
魔力はともかく生命力はバンパイアといえど枯渇寸前まで行けば容易には自己回復できないだろうし。
もちろん介抱なんてする訳がない。
むしろ回復させないよう能力の封じ込めを行うつもりだ。
常人にも及ばぬくらい弱体化することになれば拘束する必要もなくなるだろう。
ただ、今は魔力の吸い出しに利用するので処分は保留である。
転移で屋敷に帰還できたら即刻というところだね。
「魔力が確保できても、肝心の転移魔法陣が描けるの?」
当てにしていた訳じゃないけど姉は空間系の魔法の知識が乏しいようだ。
「そっちの方は問題ないですよ」
「まさか!? あんな短い時間で魔法陣を見て覚えたというの?」
一瞬ではあるもののエレオノーラが何を言っているのか分からなかった。
少し考え込んで俺たちが跳ばされた魔法陣のことを言っているのだと気付いたけどね。
「あれは注ぎ込んだ魔力の量だけ遠くへ相手を転移させるだけなので参考にできませんよ」
「このバカ、本当に私たちのこと殺すつもりだったのね」
蔑んだ目をガルフに向けた姉は改めてランダムで転移させられたことを実感したようだ。
そして、視線を俺の方へと戻す。
「じゃあ、どうやって魔法陣を?」
「前に空間系の魔法について書かれた本を読んだことがあるんですよね」
口から出任せ、嘘も方便であるのは言うまでもない。
他にそれらしい言い訳を思いつかなかったので仕方のないことなのだ。
「本当に本の虫よね」
「でも、すんなり帰れる訳じゃないですよ」
「魔力の問題でしょ」
言わずともわかっていると言いたげなエレオノーラだったが、それだけじゃないんだよなぁ。
「それは時間が解決してくれますよ。リスタ……テイムしているスライムがバンパイアから吸い出して溜め込んでいる最中ですからね」
「今もなの?」
「もちろん。途中でやめたら回復しちゃうじゃないですか。相手は魔物ですから人間より回復力ありますよ」
「そうだったわね」
ガルフが人でなくなったことを思い出した姉は表情を渋らせる。
「バカな奴。一生、人間扱いされなくなるということくらい考えなくても分かりそうなものじゃない」
「脳筋に理屈は通じませんよ」
「……確かに」
少し間を置いて姉は肯定の呟きを漏らしたかと思うと嘆息した。
それが合図であるかのように渋面から能面のような無表情へと切り替える。
「魔力が問題じゃないなら、何があるの?」
「思い出してください、姉さん」
「何を?」
「僕たちがトラップで強制転移させられた時の魔法陣の大きさを、です」
「あ……」
ここが密林の中だということを姉はようやく思い出したようだ。
「せめてこの泉と同じくらいの広さがないと話にならないんですよね」
俺がボヤくと姉もしばし黙り込んでうつむくが、不意に何か気付いたらしくハッとして顔を上げた。
「こういうのはどう?」
そう言うとエレオノーラは魔法を使い始めた。
すると泉の水がサーッと霜を帯びていき水面が薄く凍り付いていく。
「却下ですね」
「即断してくれるわね。氷が薄いというなら厚くはできるのよ。でないと魔法陣の上に乗ることもできないし」
「氷を厚くするのがダメだと言っているんです」
「どういうことかしら?」
怪訝な表情で聞いてくるエレオノーラ。
矛盾していることを言っている俺の言い分が理解不能なのは無理からぬことだ。
「姉さんが魔法で凍らせた場合、その氷が完全に溶けるまでどのくらい時間がかかるでしょうね」
俺の問いかけた内容が意外だったのか姉は面食らっていた。
ただ、魔力がこもっているから普通の氷とは違うというのは姉も分かっている。
「これだけ熱い所でも数日はかかるんじゃないかしら」
少し考えてからそう答えた。
何か問題があるのかと言いたげだ。
「転移するときに余った魔力が氷に流れ込んだらどうなります?」
「え、どういうこと?」
「これだけの距離を転移するなら余裕を見て魔力をチャージしないと事故が起きかねないんですよ」
「あっ」
ようやく姉も行き場を失った余剰魔力がどうなるかということに気付いてくれたようだ。
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