67 認識にギャップあり
その後は後部座席から聞こえてくる聞くに堪えないオッサンの悲鳴が連続した。
直線で加速しては悲鳴、ジャンプしては悲鳴、コーナーで横Gに振り回されては悲鳴。
この状況になることを狙っていたとはいえ大の男が肝の小さいことだと思ってしまう。
「これは御機嫌ね!」
エレオノーラのように楽しめとは言わない。
せめてゴーレム職人のエドガーのように歯を食いしばって耐えられないのかとは思うが誰しも言うにはばかる弱点があるものだ。
俺も苦手なものはあるから偉そうなことは言えないが今はこの状況を利用させてもらおう。
徹底して走り込んでやろうと思ったのだけど早々にヨハンが失神してしまったので全開走行タイムは終了となった。
呆気ない幕切れである。
減速しコースの外へと出て最初に車を停車させていた場所まで戻ってきた。
メインスイッチをカットしてシートパッドを押し上げる。
連動させるように操作したので残りの座席のシートパッドも追従するようなタイミングで自動的にロック解除して外れた。
「はい、お疲れー」
そう言って外に出たのだけど護衛たちが遠巻きにして俺たちの方を見ていることに違和感を覚えた。
SUV車に乗る前と今では明らかに空気が違うというか何故かドン引きされてしまっている。
「何故?」
「それはそうでしょうとも」
俺に続いて降車してきたエレオノーラが苦笑している。
「誰が見ても異次元の走りだったじゃない」
「異次元て、そんな大袈裟な」
「何処が大袈裟なものですか」
姉は大真面目な顔で俺の言葉を否定した。
護衛たちの引きっぷりと俺自身の認識との差異に困惑しているせいで少しばかり気圧される格好になってしまう。
「シドは馬車とは比べものにならない走りをこの車で見せつけたのよ」
そう言われてもピンとこないのだが、姉の表情を見る限りでは冗談を言っているとは思えないんだよなぁ。
「一緒に乗っていた彼らほどの──」
途中で言葉を句切りながら姉は車の方を見た。
未だに車から降りてこない職人たちの方に視線を向けているな。
「衝撃は受けていないにせよ常識を覆したのは間違いないわね」
約2名の悲鳴に次ぐ悲鳴、しかも悲鳴を上げていたうちの1名は最終的に耐えきれず失神した。
外から見ている分にはそこまでの刺激はないはずだ。
しかしながら裏を返せば常識を覆すだけのインパクトはあったということなのだろう。
馬車よりずっと速い乗り物が自在に走り回っていた訳なのだから。
そう考えればドン引きくらいはするのか。
車というものが当たり前になってしまっている自分には今ひとつ実感が湧かないのだけど。
「僕の感覚が麻痺しているわけですか」
「そういうことになるわね」
姉はようやく気付いたのかと言わんばかりに苦笑する。
「でも、これくらいしないとアレには堪えなかったんじゃないかしら」
アレというのはボッシュの弟子であるヨハンのことだな。
完全に伸びてしまっており自力で再起動するのは時間がかかりそうだ。
「さすがに失神するのは想定外でしたよ」
SUV車の全開走行は俺が考えていた以上にショッキングだったことを思い知らされたさ。
もしかするとトラウマになるやもしれん。
ただ、そうなったところで罪悪感は微塵もわいてこないだろうけどね。
「そのくらいの方が都合がいいんじゃないかしら」
姉も俺と同じ心境のようだ。
というより、エレオノーラの怒りに俺が弟として同調したと言うべきか。
俺自身はヨハンから直接的に何かを言われたわけではないからね。
ただ、自分の美意識とプライドを何よりも優先して注文通りの仕事をしない奴に同情の余地はない。
デタラメな馬車もどきを作ってくるような輩だからね。
その上、姉を怒らせたとあれば許すことなどないのは至極当然というもの。
誰だ? シスコンとか言う奴は。
「そうは言いますけど、いつまでも車の中で失神したままというのも困るんですけどね」
「あら、シドは優しいのね」
「は!? 何処がです?」
「叩き出せば済む話でしょ」
「姉さんは乱暴なことを言いますね」
「そうかしら? 怪我人じゃないんだし、か弱い子供でもないじゃない」
「目を覚ましたら子供に戻っているかもしれませんよ」
「何をバカなことを……」
俺が冗談を言ったと思ったのかエレオノーラは笑いながら否定しようとした。
が、俺が冷めた目をしているのを見て途中まで出ていた言葉を引っ込めてしまう。
そして「まさか、そんなことはないわよね?」と目で問いかけてくる。
「当人が許容できないくらいショックな出来事があると記憶を失ったり精神が子供に戻ったりすることがあるそうですよ」
俺の言葉を受けたエレオノーラが目を丸くさせている。
「先に言っておきますが前に読んだ本の受け売りなので詳しいことは分からないですよ」
適当なことを言って予防線を張っておく。
下手に食いつかれて根掘り葉掘り聞かれるなんて面倒くさいことにはなってほしくないからね。
「ならば、なおのこと本に書いてあったことが事実か確かめないといけないわね」
「好きにしてください」
そう言ったところで鍛冶職人の親方ボッシュとゴーレム職人のエドガーが車から降りてきた。
「ハイコー!」
親方は車に乗らなかったもう1人の弟子であるドワーフの青年を呼びつける。
「へいっ、親方!」
弟子はダッシュで駆けつけると直立した。
「ヨハンが伸びやがった」
「へあっ!? あの何事にも動じないヨハンさんがっすか?」
飛び退きそうな勢いで仰け反ったハイコーが両眼を大きく見開いている。
この弟子にとってSUV車が走った際の衝撃はそこまで大きなものではなかったのか。
それともヨハンが動じるはずはないという信頼がとてつもなく厚いのか。
いずれにせよハイコーが思っているほどヨハンのメンタルは強くないのは既に証明されている。
今までは動揺してもポーカーフェイスで誤魔化していただけだろう。
「フン」
ボッシュが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
未だにその認識かと言っているかのようだ。
親方はずっと以前からヨハンの内面まで見抜いていたんだろうな。
「ヨハンを引きずり出せ」
そう命じたボッシュの目は冷めていた。
いかなる心境かは本人のみぞ知るところだ。
何を思い何を憂えているのか聞こうとは思わない。
知ったところで意味はないし、この後の結果も変わることはないだろう。
姉に無礼なことを言わなければ少しは考えたかもしれないが。
とはいえ、与えられた仕事を真面目にこなしていないから考えるだけで終わったかな。
「了解っす!」
返事をしたハイコーが最敬礼よりも深く腰を曲げて上半身を車の中へ突っ込ませる。
一瞬なにがしたいのかと思ったが、どうやら車に乗り込むのはNGだと思っているみたいだ。
もちろん禁止した覚えはない。
遠慮することはないと言う前にズボッと体が引き戻された。
無理な姿勢で力んだのが良くなかったのだろう。
バランスを崩した上に勢いが余り、まるで柔道の巴投げのように後ろに転がってしまう。
結果として引っ張り出されたヨハンの体が勢い余って宙を舞うこととなった。
落下後のダメージは推して知るべしというものである。
あれなら叩き起こさずともヨハンは目を覚ますんじゃないかな。
読んでくれてありがとう。
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