175 苦い結末
「ぬぅん!」
振り向きざまアーカスが横なぎに斧剣を振るう。
今度こそ斬られたと思った瞬間、キンッと澄んだ金属音がすると同時にシドくんの姿が消えていた。
間合いを少し外すように後ろに避けていたようだ。
消えたと思ったのは残像だったのか。
振るった剣ならともかく体ごと残像を残すなど、にわかには信じ難い。
しかも身じろぎすらしていないかのように姿勢は変わっていなかった。
低く腰を落としてアーカスに対し半身で構えつつ重心はやや後ろ寄りになっている。
どっしりとしたこの構えでどうしてあのスピードが出せるのか理解できない。
アーカスは耳に届いた声を頼りに見舞ったはずの必殺のなぎ払いがまたしても空を切ったことが信じられないようで固まってしまっている。
単にそれだけのことだと思っていたのだけれど……
不意に上から何かが落ちてくる。
それは彼らから少し離れた石畳の上に落ちると金属音を出して跳ねた。
「何が起きた?」
シューバ様の発した疑問は私の疑問でもあった。
上から金属片が落ちてくるなどあり得ない。
照明でさえ埋め込み式の魔道具を用いているため訓練場の天井には吊り下げられているようなものは何もないからだ。
「見えなかったか」
ミューラー伯爵が呟くように言った。
「アルよ、お主には見えたのか」
ギョッとした表情でシューバ様が問う。
「ああ。シドが剣を抜き放って斧剣の先端を切り飛ばした」
「馬鹿な!? 剣は鞘に収まっておるぞ」
「抜刀術と言うそうだ」
「なんと……。一瞬で剣を抜き放って切っただけでなく鞘に収めたというのか」
「その通り」
伯爵の肯定の言葉を耳にしたシューバ様は呆然とした顔で頭を振る。
気持ちは分かる。早技どころの話ではないのだから。
シドくんは本当に子供なのだろうかと言いたくなってしまった。
……あれこれ見てきた身としては今更感が強い気がするので何も言わなかったけれど。
「あり得んぞ! こんなことがあって良いはずがない!」
アーカスがようやく身じろぎしたかと思えば現実が受け入れられずに吠えていた。
ある意味あの男らしいと思う。
「覚悟しろよ、ガキ! 今度こそ地獄を見せてやる!」
現実を受け止め切れずに吠えるアーカスに憐れみを覚えてしまう。
いくらパワーで上回ってもスピードで圧倒されてしまってはどうにもならない。
技で対抗できれば覆す可能性があるかもしれないのだけれど、この男にそれを期待する方がどうかしている。
案の定、左右の斧剣を滅多矢鱈に振り回し始めた。
ここにまでブンブンと風切り音が聞こえてきそうなほどだ。
もっとも聞こえてくるのは数回振り回す間に1回あるかないかの短く澄んだ金属音のみ。
もちろんシドくんはアーカスの攻撃を無駄のない動きで回避し続けている。
よほど意表を突かないかぎりアーカスに逆転の目は残されていないとしか思えない。
そして、詰みが現実となるのも時間の問題な気がする。
そう予感させるのは訓練場にいくつも散らばっている金属の小片。
すでにアーカスが右手に持つ斧剣は半分ほどの長さになっていた。
「愚か者め。力めば力むほど無駄に消耗するだけだ」
シューバ様が顔をしかめながら言った。
その言葉通りアーカスのスピードはみるみる落ちていき息が荒くなり始めている。
「ふざけるなあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
不意にアーカスが吠えた。
決定的な隙を見せたにもかかわらずシドくんは手を出さず間合いから退く。
と思ったら……
「なっ、何あれ!?」
あまりにも予想外な出来事に驚きと混乱に満ちた声が思わず湧き出してしまった。
アーカスの体が一瞬にして膨張したのだ。
服を引き裂き現れたのは人の肌ではなかった。
一目で獣のものと断ずるしかない短い毛に覆われた体。
そして斧剣を取り落とした手から伸びた長く鋭い爪が鈍く光っている。
「魔物になっただと!?」
シューバ様も思わずといった感じで声が大きくなっていた。
対してミューラー伯爵やレイチェル殿下たちは表情を険しくさせながらも落ち着いている。
「ここでもですか」
「あの者もラビッシュ子爵の息がかかっていたのでしょう」
決闘が始まってからずっと無言だったレイチェル殿下が嘆息しながら言い、伯爵が追随するように語った。
「アル! お主、何を知っておるっ」
シューバ様が詰め寄りそうな勢いで伯爵に問う。
「人を魔物に変えてしまう薬がある。残念だが、ああなってはもう元には戻れない」
険しい表情ながらも淡々と答える伯爵。
信じ難い話だったけれど現実に起きた事実を目の当たりにすれば疑う余地はない。
問題はそれを受け入れられるかどうか。
「情けない。なんと情けない奴だっ。ここまで親不孝者だったとはな」
絞り出すように吐き出したシューバ様は歯が割れてしまうのではと思えるほど強く噛みしめている。
けれども双眸に宿る光は迷いを感じさせない力強さがあって親としての情を振り切るつもりなのだと確信させられた。
悩む間もない決断ではあるけれど、だからこそシューバ様はこんな日が来ることを予感していた気がする。
「良いのか?」
不意に頭上から声がした。
意外な声掛けに思わず上を見てしまう。
そこにはシドくんの使い魔が細長い体をフヨフヨと浮かせていた。
確かタッちゃんと呼ばれていたはず。
精悍な顔つきからは想像できないような可愛らしいネーミングである。
「ワシに言っておるのか?」
「この場に覚悟を決めねばならぬ者など他にいまいて」
呆気にとられながらもシューバ様が答えるとタッちゃんはさも当然と言わんばかりの返答をした。
「元に戻すことはできんのだろう?」
「左様。あれは体だけでなく魂までも人ならざるものへと変えてしまっておる」
ギリと音が聞こえてきそうなほどの歯噛みを見せるシューバ様。
「つまり、もはやワシの子ではないということだ。あれが魔物であるなら犠牲者が出る前に始末せねばならん」
絞り出すような決心の声に裏腹な感情を見せられた気がした。
それでもシューバ様は揺るがない。
迷うことなく踵を返し訓練場の出口へ向かおうとする。
「待つのだ。今さら武器を取りに行ったところで間に合わぬぞ」
シューバ様の足がピタリと止まる。
それと同時に変身が終わったらしい熊のような巨躯の魔物へと変貌したアーカスが獣の雄叫びを上げた。
もはや人語を話すこともないのか。
いや、感傷に浸っている場合ではない。
あれと対峙しているシドくんが真っ先に狙われるのは間違いないのだから。
近くにいるはずの兄は情けないことに驚愕したまま固まっている。
いつもは沈着冷静な兄リーアルがああなってしまうほど現実離れしているのは確かなのだけれども今は動いてほしいと願わずにいられない。
自分も声が出せなくなっているというのに。
いや、だからこそかもしれない。
「我がやろう。しかと見届けよ」
言うが早いかタッちゃんが光をまとい矢すらも追い抜かんばかりの速さで飛んでいった。
ちょうど熊のごとき魔物がシドくんに襲いかかったところで逆に腕と脚を切られて動けなくなったタイミングだ。
タッちゃんが魔物の周囲をぐるりと巡ると少し遅れて魔物はがくりと膝をつき、そして訓練場の床に倒れ伏した。
何が起きたのかは分からない。
けれどもアーカスが事切れたことだけは確かなようだ。
かくして決闘は終わりを迎えた。
けれども後味の悪さだけがいつまでも余韻のように残り続けていた。
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