174 親の目は
「アルは知っているのか」
シューバ様がミューラー伯爵に問いかけた。
ずいぶんと砕けた感じというか馴れ馴れしい雰囲気を感じるのは名前の呼び方からしても気のせいではないだろう。
我が国の貴族同士であるなら顔見知りであっても不思議ではないけれど、より親しい間柄に見える。
シューバ様のことは幼い頃からよく知っていると思っていたのだけれど明らかに未知の交友関係だ。
「何をしているのかだけはな。到底真似はできんが」
今の伯爵の発言に交友関係で感じた以上の驚きを禁じ得ず、思わず声を漏らしてしまうところだった。
魔法の大家と言われるミューラー伯爵をして真似ができないとは質の悪い冗談にしか聞こえない。
しかも魔法を行使しているのは伯爵の血縁とはいえ年端もいかない少年なのだ。
シドくんを侮るつもりはないけれど自分に置き換えて考えると信じ難いの一言に尽きる。
「信じられるか? あれは極限までバフとデバフを同時にかけているのだ」
「は? 意味が分からぬ。そんなことをして何になると言うのだ」
「加速と思考鈍化を組み合わせると、わずかな時間で疲弊させることができるそうだ」
伯爵の説明は簡潔でわかりやすくはあったものの理解ができるかは別問題だ。
加速の魔法は一般的なバフだと言えるがデバフの思考鈍化は好き好んで使う者は少ないはず。
それだけ効果が薄いと思われている魔法である。
私もそう信じていた者の1人だけれどシドくんは違ったらしい。
「とても信じられんな。魔力の無駄遣いではないか?」
シューバ様の仰るとおりだ。
加速でスピードは上がっても体力は増強される訳ではないから消耗が早まるのは分かる。
けれども、それは動いてこその話。
思考鈍化で動きを封じては意味がない。
「言ったはずだぞ、極限までと」
「限度があるだろう」
言いながら呆れたように溜め息をつくシューバ様。
「そんなものはシドのデタラメぶりを体感すれば青天井だと思い知らされるさ」
ミューラー伯爵は意に介さず淡々と語る。
「大きく出たな」
「大きくはない。シドからすればこの程度は造作ないことだ」
「言いおるわ」
シューバ様が苦笑した。
「そろそろ魔法の効果が切れるぞ」
「もう、か? バフやデバフにしてはやけに短いぞ」
「それだけ大量に魔力を消耗しているのかもしれません」
訝しむシューバ様を見てつい口を挟んでしまう。
「ふむ。それはあるかもしれぬな」
「そうではない。シドが加減しているのだ。そうでもしないと命にかかわりかねんからな」
その否定に私たちは思わずギョッとした目でミューラー伯爵を見やった。
「嘘だろう?」
冗談も休み休み言えとばかりにシューバ様が驚愕をあらわにしている。
が、私は違った。
最上位のアンデッドと言われるリッチと対峙して無傷で追い払ったシドくんを見ているからだ。
彼ならそれくらいは平然とやってのける気がする。
いや、気がすると言うよりも確信があると言うべきか。
「貴様っ! 何をしたぁっ!?」
不意に離れた場所から怒号が飛んできた。
アーカスが怒りにまかせて吠えたのだというのはすぐに分かった。
けれども何か様子がおかしい。
癇癪を起こしたにしては肩で息をして疲労困憊しているようにしか見えないのだ。
これがミューラー伯爵が言っていた魔法の効果……
「まさか、これほどとはのう」
シューバ様も目を丸くさせている。
顔面の大半を覆う髭の下ではきっと頬を引きつらせていることだろう。
「許さん! 許さんぞぉっ!!」
再びアーカスが吠えた。
疲れ切っているのが見え見えなので迫力不足なのは言わずもがな。
「大人と子供が入れ替わったみたいだな。情けなくて見ておれんわ」
シューバ様は苦々しい顔で吐き捨てるように言った。
成人した身内が子供相手に醜態をさらしているのだから無理もない。
学園でのアーカスを知る身としては、まだ猫を被っている方だと感じるのだけど。
卒業して少しは丸くなったというよりもシューバ様の前だから無意識のうちに抑制しているのだと思う。
もしもシューバ様がいなくなったりしたら……
考えたくもないけれど、最悪の事態が待ち受けているのは想像に難くない。
無意識とはいえ抑えが効いていることのなんとありがたいことか。
そんなことを知る由もないシドくんは意に介する素振りも見せず平然と応対している。
距離があって聞き取りにくいけれど挑発しているのは確実だ。
それを証明するかのようにアーカスが怒気まじりの殺気を増幅させはじめた。
怒りが疲労をねじ伏せ突撃するのも時間の問題であろう。
その勢いが決して侮れないのは学生時代に何度か目撃していたので知っている。
少なくとも私では正面から受けきるのは無理だ。
受け流しを選択しても半端な技では弾き飛ばされかねない。
子供であるシドくんであれば、かすっただけでも危険なのは火を見るよりも明らか。
だからこそ機先を制する必要があると考えていたタイミングで不意にシドくんが魔法を使った。
淡く光る球をアーカスにぶつけたのだ。
けれども吹き飛ぶことはおろか傷のひとつも負ってはいない。
「え?」
むしろ逆だった。
光が消えると息切れしていたはずのアーカスの肩が上下しなくなっていたのだ。
「治癒魔法か。お主の息子は何を考えておる」
困惑した様子のシューバ様がミューラー伯爵に問いかけている。
私も同感だったけれど伯爵がこれに答えられるのだろうかという思いも同時に感じていた。
「完全勝利に決まっている」
それを聞かれると予期していたかのような即答ぶりだった。
考えることも迷うこともなく、その言葉にあるのは自信に満ちた確信のみ。
「完全勝利だと!?」
「そうとも。シドの初手は言わば警告だ。油断すれば即終わらせるとな」
「それは分かるが回復させる必要がないだろう。うちの馬鹿息子でさえ困惑しているぞ」
シューバ様が言ったとおり、アーカスが何が起きたのか理解できないようで棒立ち状態で立ち尽くしていた。
明らかに隙を見せているにもかかわらずシドくんは未だに剣を抜かずに悠然と待ち構えている。
いつアーカスが我に返ってもおかしくないというのに。
「ただ決闘に勝つだけでは意味がないのだ。お前の息子は潔く負けを認めるような玉か?」
「いや」
不機嫌さを隠すこともなくシューバ様が答えた。
「アレは負ければ仕返しを考えるだろうな」
「だから完全勝利で心を折るのだ」
そんなことができるのだろうか。
ミューラー伯爵の言いたいことは分かる。
体調も万全で油断もしていない状態の相手を完膚なきまでに叩きのめせば、そういうこともあるかもしれない。
あのアーカス相手に手も足も出ないと思わせるような勝ち方ができればの話だけれど。
「今度こそ動くぞ」
伯爵の言葉で再び私たちの意識が対峙する2人へと向いた瞬間、アーカスが一気に距離を詰めた。
ドワーフでは考えられない瞬発力だ。
「死ねえっ」
殺意を乗せた左右の斧剣がほぼ同時のタイミングで縦横に振るわれる。
これも速い!
並の相手では身構えることすら許されず深手を負わされていただろう。
が、しかし……
「何だとぉ!?」
斧剣は空を切り勝利を確信していたであろうアーカスが驚愕の声を上げる。
「遅い」
静かな声でシドくんが喋った。
この距離だとエルフでなければ聞き取れないようで決闘の立会人である他の方たちの耳には届いていないようだ。
「こっちだ、イノシシ野郎」
いつの間にかシドくんはあの男の背後に回り込んでいた。
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