173 始まったはずなのに
「アルブレヒト様、本当によろしいのですか?」
「何がかな、リーリエ嬢」
気が気ではなかった。
いくらなんでも子供が大人と決闘だなんて正気の沙汰とは思えない。
しかも、シドくんの相手は学生時代に暴力沙汰ばかり起こしていたアーカス・タルネーなのだ。
自分も在学中に些細なことでアーカスがケンカを吹っ掛けるのを見たことがある。
向こうとは学年が違ったので頻繁に目撃するようなことはなかったけれど噂は絶えなかった。
今日の態度を見る限り卒業しても変わりはないようだ。
とても危険だと言わざるを得ない。
「何がって!?」
一瞬、絶句してしまった。
「こんなの馬鹿げています。大人と子供ですよ」
自分の息子が大怪我をするかもしれないというのに、この人は一体何を考えているのだろう。
「決闘のことなら心配は無用だ。少なくともうちの息子はな」
「えぇ……?」
「左様。腕力馬鹿のワシの息子では勝てる見込みなど微塵もなかろう」
私が困惑している間にシューバ様がアルブレヒト様に同意する発言をした。
ますます訳が分からなくなる。
逆ではないのか。
「分からぬか?」
シューバ様に問われるが混乱した頭ではとっさに答えが出てこない。
「お主は頭が固いのう。先入観にとらわれすぎなのだよ」
「と言われましても」
「リーリエも剣のたしなみはあるだろう」
「それは……、無い訳ではありませんが……」
「ワシの息子の構えを見てどう思う?」
「構えと言われましても……」
まだ決闘は始まっていない。
シドくんが入念に体をほぐしている最中だ。
それを見て急かすように苛つくアーカスをこの決闘の審判を引き受けた私の兄リーアルが押し止めている。
「どのような状態であれ武器を手にして即応できる体勢を取っておらぬ時点で終わっておる」
「それは、まだ始まっていませんし……」
「開始の合図を待って構えておるようでは素人よ」
「いくらなんでも……。シドくんは準備中じゃないですか」
「そう思うか? ならば、あの者に斬りかかるつもりで見てみるが良い」
意味不明なことを言われてしまったが、何もしないと答えは永遠に分かりそうにないのでシューバ様の言うとおりにしてみることにした。
「っ!?」
斬りかかるイメージをシドくんに向けただけで金縛りにあったような感覚にとらわれた。
間合いにまったく踏み込める気がしない。
無理に距離をつめようとすれば、どうなるかが読めないのだ。
隙があるようでいて本当にそこに打ち込んでも大丈夫なのかという薄気味悪さがある。
誘われているという表現がピッタリかもしれない。
本当に子供なのだろうかと思わせるものをシドくんから感じる。
この感覚は剣の師匠に本気で稽古をつけてもらっている時の息苦しさに近い。
子供に達人の気配を感じるなど自分はおかしくなってしまったのだろうか。
しかし、そこで我に返った。
私はシューバ様に促されてこうしていたのだ。
つまり、自分だけが見た目に惑わされ本質を見抜く目を曇らせていた。
歯がゆい悔しい情けない。
そういう思いばかりが己の中を埋め尽くさんばかりに湧き上がってくるが、今はそんなものにかまけている場合ではない。
余計な情報は排除してありのままを見る。
シューバ様の仰るようにアーカスは話にならないのは疑う余地もない。
重心のバランスが悪いせいで体に無駄な力が入っている。
あれでは踏み込むにしても踏ん張るにしてもワンテンポ遅れるはず。
いや、あの頭に血が上った状態では周囲が見えていない。
対峙する相手しだいで反応はさらに遅れるだろう。
その相手となるのがシド・ミューラー。
齢10才と聞いているが今は年齢を排して考える。
隙がないだけではなく体をほぐす動きひとつにも無駄がない。
何気なくやっているように見えて次の瞬間に何があろうと対処できるであろうことがうかがえる。
体格差が大きくなければ間違いなく彼の勝ちだろう。
しかしながら細く小さな体では、その体格差こそが越えがたい壁になってしまう。
ドワーフは背丈こそ子供と変わらないけれど体を縦方向に押し縮めたのではないかと言われるほど肉付きがいい。
シルエットだけを見るなら肥満体と誤解されることもあるかもしれないが、何処もかしこも筋肉だ。
その証拠に人間の力自慢が軽くあしらわれてしまうほどのパワーを誇る。
力では太刀打ちできないのは確定情報なので技かスピードで対抗するしかなくなってしまう。
けれどもシドくんの肉付きから瞬発力とスタミナには期待できそうにない。
技で補うにしても限度がある。
長期戦になれば不利になるのは間違いないだろう。
短期決戦でアーカスの隙を突くのが最も勝率が高いと見た。
幸いにも馬鹿はシドくんを舐めてかかっているので油断させておけば勝機はある。
「始まるぞ」
シューバ様の声掛けで我に返ると、いつの間にか両者が対峙していた。
それだけ深く思考の海に沈んでいたみたいね。
程なくして兄の合図で決闘が始まった。
私の予想通りならシドくんは一瞬で間合いを詰めるはず。
「なっ……」
シドくんは動かない。
体格で確実に負けている彼が勝機を見出すとしたらスピードしかないはず。
それなのに速攻を仕掛けないのは明らかに初手の選択を間違えている。
しかも腰に差した細長く反った剣を抜くことすらしていない。
「何をしているの」
思わず声が漏れ出てしまったのだけどシューバ様に笑われてしまった。
「見て分からぬか」
「え?」
「少年は魔力を練っておるぞ。普通はもっと隠すものだが牽制するつもりかな」
「あ」
言われて初めて気がついた。
確かにシューバ様の言う通りシドくんはバレても構わないとばかりに堂々と魔力を練り上げている。
「決闘ということに意識を引っ張られて見ていませんでした」
「武器だけで勝負するとは誰も言うておらん。そもそも屋内の訓練場を使う時点で魔法ありきであろう。少年の初手は間違いなく魔法だ」
シューバ様の言う通りだ。
屋外での決闘になっていたら見学者に被害が及ぶ恐れがあるため攻撃魔法は使用禁止になっていただろう。
そのことに言及されていなかったのは天井と床と壁に仕込まれた防御結界の効果で魔法が大幅に減衰するためである。
ここは自分の家だというのに、どうして結界のことを失念していたのか。
情けなくて際限なく落ち込んでしまいそうだけれど今は決闘を見届けなければ。
「少年の魔法が速いか馬鹿息子の踏み込みが速いか見物だな」
「シドくんはすでに魔法を使っています」
今は魔力の流れに注視しているから分かる。
「ほう。ずいぶんと自信ありげだな、嬢ちゃん」
魔力の練り込みを見逃さなかったシューバ様も何の魔法を使っているのかまでは見抜けないようだ。
「上位アンデッド相手に見えない攻防をしているところを目の前で見ていますから」
「目に見えるものだけが魔法ではないということか。どんな魔法を使っているのか興味深いな」
「それよりも変だと思いませんか」
「睨み合ったまま動かんのは分かっておるよ。少年はともかくアレが様子見などする訳がないからな。何故かまでは分からんが」
「それこそがシドの使っている魔法だ」
私がシューバ様とやり取りをしている間ずっと黙していたミューラー伯爵がボソリと呟くように語った。
「あれが? あの状態が魔法だと?」
シューバ様が怪訝な表情を見せながら疑問を口にするがもっともな話だと思う。
どんなに目を凝らしても変化があるようには見えないのだから。
けれども私は知っている。
似たような光景を目撃したのはつい最近のことだ。
相手は人間ではなくアンデッドだったけれど。
読んでくれてありがとう。
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