164 いらだつ男
「何故だ!? 何故、誰もいないんだっ?」
もぬけの殻となっている地下牢を見た男の怒声が地下空間に木霊する。
「ジジイがガキをさらってきていたはずじゃなかったのか?」
男の問いかけに答える者はいない。
付き従う者がいないわけではない。
男から数歩下がった位置に直立不動で並び立つ2人の従者とおぼしき者たちが。
にもかかわらず質問に答えないのは彼らがその答えを持ち合わせてないというのもあったが、それ以前の問題だった。
彼らに与えられた役割は男の護衛のみ。
男が危険にさらされるか男の命によってのみ能動的に動くことを許される存在だ。
だが、奴隷という訳ではない。
そもそも彼らには己の意識が希薄なのだ。
男に付き従うだけの人形と言われても違和感を感じないほど生気のないうつろな目をしているのが何よりの証しである。
横たわっていれば死んでいると思われても不思議ではないほど微動だにしないのも、そのためだ。
「くそっ、ジジイの奴め! エルフどもを屈服させるために人質にするんじゃなかったのかよ」
悪態をつき愚痴を漏らす男の顔は醜く歪んでいた。
「おまけに断りもなく姿をくらましやがって」
ある日、突然いなくなった。
いつものことだと思って特に反応しなかったが、数日待っても帰ってこない。
何かおかしいと思い屋敷の中をくまなく調べたが手がかりは何ひとつなく、最後に訪れたのがこの地下牢であった。
「……まあ、それは俺が自由に動けるようになったから都合がいいがな」
などと言いながらも機嫌の悪さは変わらぬままだった。
男がジジイと呼ぶ存在の行方が不明なままだからだ。
遠くに行ったことだけは間違いないものの心当たりすらないのでは、いつ帰還するのかも見当がつかない。
帰ってくれば再び己の意識が奪われてしまうことは過去の経験からも明白。
それは男にとって真綿で首を絞められるに等しい恐怖があるのだ。
無理やり停止させられていた意識が復活した瞬間の安堵と再び奪われてしまうことへの恐れ。
意思を奪われるのは無に帰すに等しい。
例え死んだとしても、この恐怖は味わえるものではない。
死は肉体を失うだけだというのはジジイの研究で判明している。
その肉体を魔法的に処理して魂と結合させることでジジイは死を克服した。
それだけに留まらず男もジジイの手で永遠を手に入れたのだが、それは身内として優遇されている訳ではなかった。
ジジイは己の意のままになる手足のような存在を欲していたのだ。
結果として男はジジイと同じ最上位の存在になれると思っていたのが数段劣る眷属ポジションが与えられるに留まり、同時に男の意思は奪われたのである。
時折、少しの間だけ戻ることはあったものの精神が殺される恐怖を味わう時間でしかなかった。
それは経験した者でなければ分からない恐怖だ。
分かってたまるものかと男は思う。
男に付き従っている2人が護衛から外されるようなことがあれば、その可能性もあるかもしれないが。
「もしかしてエルフどもの所へ向かったのか」
ふと思いついたことを男は呟くが、すぐに頭を振って否定する。
「いくらジジイでも単独でエルフどもに対抗できるとは思えん。人質がいたとしてもな」
イライラした様子で何度もつま先を上げ下げしてトントンと靴裏を鳴らす男。
「まさか食らったのか?」
普通ならばあり得ない話であるはずだが、男は考え込んでしまった。
「ジジイならあり得るか。力を蓄えるとかなんとか言ってな」
吐き捨てるように言った男だが、それはおぞましい行為に対する嫌悪感からではなかった。
「クソジジイめ、パワーアップして俺の意識を完全に飲み込むつもりだったのかよ!」
推測でしかない結論を確定事項のように決めつけた男は苦々しいと言わんばかりに歯ぎしりした。
「まあ、いい」
男は少しも良いとは思えない顔で無理に落ち着こうとしている。
「ジジイが帰ってくるまでに俺も力をつけてやるぜ」
男は地下に来て初めて笑みを見せた。
見た者すべてから嫌悪されそうな挑発的な笑みではあったが。
邪悪と言い換えても誰も違和感を感じないだろう。
元から悪しき存在として瘴気を垂れ流しているほどだ。
「まずはウエイブルの所だな。港を抑えれば干上がるところも出てくるはず」
ニマニマと下卑た笑みを隠そうともしない男。
すでに隣領を攻め落とした気になっているようだ。
「その次はミューラーだ。大軍でもって圧倒して積年の恨みを晴らしてくれる」
そうは言うが、得てしてこういう恨み言は的外れなことが多い。
有り体に言ってしまうと逆恨みというやつである。
にもかかわらず、そういう輩は逆恨みなどとは夢にも思わず正義は我にありのような性根をしていたりするので質が悪い。
決して己の非を認めず突き進むため恨まれる側としては非常に迷惑である。
「まずは復活の儀式を始めねばならんな」
そう言うと男は仏頂面で考え込み始めた。
今の姿だけを見ると陰気くさい地下に辟易しているように見えてしまうかもしれないが、男が深く考え込むときはいつもこうだ。
沈思黙考することしばし、男は不機嫌そうな表情を緩めるとニヤリと下卑た笑みを浮かべた。
「単にすり潰すだけではつまらん。数の力で圧倒するなど誰にでもできるからな。せっかく大軍を確保できる目途が立っているのだ。ジワジワとなぶってやろうじゃないか」
男はクックックと喉を鳴らして笑う。
「古来より兵糧攻めは戦の常道だからな。しかも陸路をひとつ封鎖するだけだ。こんなに楽な策はない。奴らが干上がっていくのを高みの見物と洒落込もうじゃないか」
策の成功を確信した男は、こらえきれないとばかりに狂気じみた声で哄笑し始めた。
まだ何も始まっていないというのに。
己の考えが絶対だと思い込んでしまう男の悪いクセだ。
イレギュラーや考えが足りぬことで何度も失敗してきているはずなのに成功を信じて疑わない。
こういうところが周囲からの評価を下げてしまうというのに。
学園に通っていた頃は比較的成績が良かったはずなのに誰からも優秀な生徒であるとは認めてもらえなかった。
そのことが男を頑なにさせてしまったとも言える。
誰も信じず己が絶対だと思い込む。
人の言葉に耳を傾けることもなく失敗から学ぶことをしない。
しくじりは常に運がなかったか誰かのせいにする。
どうしようもないダメ人間の典型だろう。
それは生まれついてのもので矯正することは至難と言わざるを得ない。
早くに父を亡くした男はその機会を失って育った。
こうなったのは必然だったと言っても過言ではないだろう。
男には祖父がいたものの早々に見限られていた。
己の傀儡に仕立てるべく成人を迎えた頃に男をアンデッドにしたのだ。
祖父に誤算があったとすれば支配が完璧なものではなかったことである。
それ故、男と祖父の距離が大きく開くと支配が緩む結果となった訳だ。
現状は男にとって好都合なもの。
しかしながら、それが男にとって良い結果をもたらすとは限らない。
「見ていろ。国の北側を平らげたら死者の兵団を増やして一気に国盗りだ」
男には己の輝かしい未来しか見えていなかった。
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