163 朝っぱらから
「えっ!? は? ウソ……」
離れの書庫に入ってその人物を目にした直後のリーリエの反応は目まぐるしいものだった。
驚き混乱呆然と滑らかに流れていく様は思わず内心で感嘆してしまったほどである。
そこから遅れることしばし、急に再起動したかと思うとビシッと直立した。
「お久しぶりです、レイチェル殿下っ!」
殿下の側仕えで護衛担当のオリビアが反射的に剣の柄に手をかけそうになるほどの勢いがあった。
リーリエを案内してきて間近にいた俺は両手で耳をふさぎたくなったけどね。
その細身のどこからそんな大声が出せるんだよとツッコミのひとつも入れたくなったさ。
もう1人の側仕えで侍女のアンナは渋面を浮かべていたから俺と似たような意見だと思う。
「ごきげんよう、リーリエ先輩。ご無沙汰しております」
そんな中で殿下が余裕の笑みで応じたのは、さすがと言わざるを得ない。
父や姉ですら一瞬だけど顔をしかめるような大声だったのにね。
それにしても、この両名は面識があるのか。
どうやら学園の先輩後輩の間柄であるようだが違和感が拭えない。
年齢的には何もおかしなところはないのだけど、両者の様子が「あべこべじゃね?」って言いたくなったからだ。
本当にリーリエの方が年上なのかと思ってしまった。
「おかけになってくださいな。先輩がかしこまったままだと御飯が食べられません」
「先輩はよしてください。学園はすでに卒業しているじゃないですか」
なるほど。卒業しているから学生の頃の関係性は継続しがたいというのがリーリエの感覚なんだな。
レイチェル殿下は王族な訳だし、現在がもっとも優先されると考えるのは道理か。
非公式な場なんだから杓子定規になる必要はないと殿下は考えているみたいだけど。
こちらとしては、そんなことで朝っぱらから押し問答されても困るんだけど。
腹だって減ってるんだしさ。
という訳で中断させるべく介入を試みることにした。
でないと父や姉は我関せずと言わんばかりに沈黙しているし。
オリビアやアンナは立場的に口を挟めるものではないだろうし。
「そういうのは後にしてください。それより朝食の準備をするので座ってくださいね」
立っているのはリーリエだけだけど、それでも効果はあった。
いや、だからこそと言うべきか。
肩身が狭そうな顔をしてそそくさと席に着いたからね。
何か言いたそうにはしているけど口はつぐんだので聞きたくもない話は聞かされずに済みそうだ。
「リーリエは私が何故ここにいるのかが気になるのよね」
レイチェル殿下は話を蒸し返さないように細かな部分に気を遣いながら話題を切り替えてくれた。
気まずそうな顔でうなずくリーリエ。
「それについては食事が終わってからにしましょう」
俺もそれがいいと思う。
「長くなるし気分の良いものでもないから。視察や慰労でないことだけは確かよ」
簡単な理由を聞かされたリーリエは困惑の表情を浮かべつつも静かにうなずくのみで終わらせた。
前のめりになって追及しようとしてこないのはありがたい。
しつこく食い下がられると食事の準備どころじゃなくなるからね。
まあ、準備と言っても前々から殿下から要望されていたものが試作を経て完成したのでストレージから出すだけなんだけど。
一応は同じ亜空間格納魔法のポケットから出したという体にしている。
とにかく今回の場合は格納状態が固定される亜空間格納が必須なのだ。
でないと麺が伸びてしまうし、こういうのは熱々でないと美味しくないからね。
「へい、お待ち!」
全員の前に湯気を放つ鉢が並べられる。
その中には白く透き通ったスープと細めの麺、そして数種類の具材が鎮座していた。
そう、ラーメンである。
「これは?」
不思議そうに問うてきたのは我が姉エレオノーラである。
「殿下がリクエストされていたラーメンですよ」
これも口は災いのもとって言うのかね。
殿下が知らない食べ物について俺に尋ねてきた際に、つい長々と語ってしまったことで興味を持たれた結果である。
朝っぱらからラーメンというのはどうかと思うのだけどね。
少なくとも俺は数ある前世で朝ラーなんて食べたことがない。
けれども殿下はラーメン自体を食べたことがないからなぁ。
言葉でどういう食べ物かを説明しただけじゃ朝に食すのが微妙だというのは伝わらなかった訳だ。
「今回は塩味です」
今回はと言ったが今はこれしか作れない。
醤油や味噌は今のところ試作段階で、まだ納得のいく味に仕上がってないからね。
かつてそれらの職人だったことはあるもののゼロから作ったことはない。
最初に醤油や味噌を完成させた先人は偉人だと思うよ。
ちなみにクリエイションの魔法で用意することは可能である。
けれど、作り方を料理人から聞かれる事態になるのは明白だから材料から自作できるようになるまでは辛抱だ。
あと、豚骨味はこのあたりだと豚が手に入らないからどうにもならない。
野生のイノシシも滅多に出てこないので代用すら難しい有様である。
豚と言えばオークだけど出没するのはもっと南の方だ。
体毛がないから寒い北国には来ないんだと思う。
とにかく、そんな訳で塩ラーメン一択なのである。
「これがラーメン……」
感慨深そうに呟くレイチェル殿下。
他の面々もしげしげと見入っている。
このままだと麺が伸びきっても眺め続けそうだ。
「どうぞ、お召し上がりください」
そう言って勧めてみたものの誰も手をつける気配がないのは初見だからか。
食べ方が想像つかないのかもしれないな。
散り蓮華でスープを飲むくらいは想像できると思うんだけど、これでどうやって食べるのかとか考えていそうだ。
箸が食器だとは思いもしていない気がする。
これは俺が手本になるしかないか。
実践すれば、どうにか見様見真似で食べてもらえるだろう。
そういう訳で箸を手に取ってラーメンを食べ始めた。
静かな書庫内で麺をすするズゾゾゾズゾゾゾという音だけが響く。
うん。試作を重ねて仕上げただけあって朝ラーも悪くないと思えるだけの味になっている。
「ん?」
視線が俺に集まっている。
食べ方を真似る上で必要なことだけど、そういうのとはまた違うような雰囲気だ。
何だろうと思いながらも気にせず麺をズゾゾゾとすすったところで皆の表情が引き気味になったことに気がついた。
「う……」
つい、クセで思いっきり音を立ててすすりながら食べていたよ。
マナー違反だってことをすっかり失念していた。
「失礼。ラーメンは庶民的な食べ物なのでマナーとか気にせず食べてしまいました」
一応は謝ってみたのだけど。
「これは予想外だったわ」
瞳を輝かせてそんなことを宣うレイチェル殿下であったが、他の面子はそうはいかない。
皆さん、庶民の感覚とはかけ離れた育ちをしてますからねえ。
ドン引きされないだけマシなのは前世でどちらも経験している俺にも分かる。
さっそく真似をし始めた殿下の方が例外なのだ。
器用に箸を使いこなしているのが凄い。
普通は見ただけで綺麗な箸使いをするのは難しいと思うのだけど。
殿下に続いたエレオノーラは苦戦していた。
それを見た父アルブレヒトも箸を手に取ったが似たような感じである。
残りの面々も次々と箸を手にしたが殿下のようにはいかなかった。
それでも食べられない訳じゃない。
どうにかこうにか麺を手繰りよせて散り蓮華で受けつつ食べ始める。
麺をすする音は遠慮気味だったけどね。
あ、レイチェル殿下だけは豪快にすすっていましたよ?
読んでくれてありがとう。
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