161 追討しない理由
「それでリッチはどこに逃げたの?」
姉は「もちろん把握しているんでしょう?」と言外にほのめかしている。
奴との静かな戦いの最中にマーキングしていたのは見抜かれているようだ。
「隣国ですよ」
「そうなの!?」
よほど意外だったのかエレオノーラは驚きをあらわにしばし固まってしまった。
いや、帰還転移の条件を潰していたから俺も驚かされたけどね。
奴が消えた瞬間になんでもないように装うのは大変だったよ。
「そこにアンデッドの集団がいて引き寄せられたみたいです」
ヤケクソで闇雲に跳ぼうとしてみたら運良く逃げることができたみたいなんだよね。
悪運の強い奴だよ。
あれは居所もしくは使い魔を拠点として事前に登録しておく必要があるからね。
もしも、それらがすべてキャンセルされて二度と登録できなくなってしまったとしたら?
言うまでもなくリッチの切り札である固有魔法の帰還転移ができなくなってしまう。
その状態だったはずなんだけどね。
そんな訳で本来であれば奴が逃亡するためには飛んで移動するか魔法で影に飛び込むしかなかった訳だ。
いずれにせよ一瞬で大きく距離を取ることはできない。
影から影への移動は転移に近いと思われてしまうことがあるようだけど、あれは物理的に距離が縮まる訳じゃないので一瞬で移動できる訳じゃない。
それで、どうして拠点の登録がキャンセルされ再登録ができなくなったかというと……
リッチと対峙していた際に縁切りの呪いをかけてきたのを反射したら奴に呪いがかかってしまったのだ。
すげえドジだよな。
しかも特別強力なやつなので、おそらくだけど自分でも解除できないだろうね。
姉にはそのあたりをちゃんと説明したんだけど……
「隣国とは面倒ね」
苦虫を噛み潰したような顔でエレオノーラはうなっている。
ちょっと意味が分からない。
「面倒ですか? むしろ好都合だと僕は思いますがね」
俺の発言にエレオノーラは眉を吊り上げた。
「何を言ってるのかしら、シド」
問いただすような口調ではなかったので、そこまで怒っている訳ではなさそうだ。
それとも我慢しているのだろうか。
「私たちが国境を越えると向こうはこれ幸いと攻め入ってくるわよ。そんなことも分からない貴方ではないでしょう」
「それ以前の話ですよ、姉さん」
「どういうことかしら」
怪訝な表情で問うてくる姉である。
「国境を越えてまでリッチを追う必要はないと思うんです」
「ちょっと! 相手は上位種のアンデッドなのよ」
「そうですね」
「しかも前ラビッシュ子爵だって言うじゃない。シドは知らないでしょうけど領土的野心と権力欲の権化とまで言われた人物なのよ」
だからゲラルース王国から国境を越えてアルス国に攻め入ってくると言いたいらしい。
しかしながら俺の見解は違う。
人物評については姉の言うとおりだとは思うのだけれど。
「そういう類いの人間だったというのは分かりますよ」
俺の中にある先代シドの記憶においてもエレオノーラの言うような人物であったと評されている。
さすがに過酷な運命をたどった先代の詳細を明かすのは気が引けるので知っているとは言えないけれど。
「でも、縁は切れているんですよ」
「それがどうしたと言うのよ。転移はできなくても移動ができない訳じゃないでしょう」
「帰還転移のことを言ってるんじゃないんですよ」
「縁が切れて何が変わるのかしらね」
「縁とは人だけじゃなく土地にもあるじゃないですか。そういうのが切れれば特定の場所に執着しなくなると思いませんか」
俺の言葉にエレオノーラは考え込み始めた。
「しかも奴の現在いる場所は隣国です」
「なるほど。標的が我が国から隣国に変わるということね」
「ええ。ゲラルース王国がアンデッドに対応している間は時間稼ぎができますよ」
「そういうことなら深追いしない方がいいわね」
「問題はアンデッドの専門家がいないなどで対応しきれなかった場合でしょうね」
そういうことはないと思うんだけど、何事も絶対はないからなぁ。
「考えたくないけど、無いとは言い切れないわね」
エレオノーラも俺と同じ意見のようだ。
「やっぱり何か対処法を考えておいた方がいいんじゃない?」
姉にしては珍しく弱腰だ。
国境を越えるのは面倒だとか言っておきながら、これだよ。
まあ、気持ちは分からないでもないんだけど。
もしも隣国が滅んでしまうくらいアンデッドが跳梁したらアンデッドの数も国家規模で増えてしまうからね。
「残念ですが、そんなことを考えている余裕はないですよ」
「どういうこと?」
「前ラビッシュ子爵のくびきから解き放たれた子爵領のことを忘れてはいけませんよ」
しばしの沈黙が流れる。
その間にエレオノーラの表情は渋みのあるものへと変わっていった。
「もしかしてラビッシュ子爵が面倒事を引き起こすと?」
恐る恐るといった様子で聞いてくる我が姉である。
「もしかしなくても、そうですよ。現子爵が祖父と正反対の性格をしているなら話は別ですが」
「考えるまでもなく、あり得ない話だわ。アイツ、評判悪いし」
エレオノーラは眉間にシワを寄せて吐き捨てるように言った。
スカム・ラビッシュという男は蛇蝎のごとく嫌われているようだ。
「頭の出来はともかく性格はそっくりと言って良いでしょうね」
この祖父にしてこの孫ありってことなんだろうな。
「おまけに馬鹿だから今の時期でも動く恐れはあるわね。可能性としては低いと思うけど」
この場合の動くとは挙兵するということである。
普通ならば冬を前にして食料を大量に消費しかねない軍事行動は控えると考えるところだ。
このあたりは豪雪によって流通ルートが完全に閉ざされてしまうため食料をしっかり確保できていないと冬を越せないからね。
準備をおろそかにすると壊滅的な打撃を受けることだって充分にあり得る。
だが、現ラビッシュ子爵はそのあたりのことを勘案せず動くかもしれないと姉は考えたようだ。
「恐れではなくて確実に挙兵しますね」
「その根拠は?」
一瞬、険しい表情を覗かせたエレオノーラだったが、すぐに何事もなかったかのようにエビデンスを求めてきた。
「端的に言うとタガが外れた状態なんですよ。長らくリッチに行動を制限されていましたからね。やりたいことが何ひとつできなかったできなかったせいで鬱憤がたまっているはずです」
現に戦の準備を進めているんだよなぁ。
上空から偵察した程度だけど騎兵が集められているので間違いあるまい。
「あー……」
エレオノーラが一瞬にして仏頂面になった。
「無難に領地運営していると思ったら、ただの操り人形だった訳ね。現場に立てば変わるのかと感心した私が馬鹿みたいじゃない」
それは不機嫌にもなるか。
「でも、それだけじゃ確実とは言えないんじゃない? この時期に蓄えを浪費するのが危険なことくらい、あの馬鹿でも承知しているはずよ」
可能性が低いと言ったのは、そういうことか。
「普通の領地ならそうでしょうね」
「どういうこと?」
エレオノーラの目がすうっと細められる。
そこには殺気が込められているのではと思わせられるほどの迫力があった。
直感的に不穏な事実があることを嗅ぎ取ったんだと思う。
「あそこは今までリッチが支配していた土地ですよ。まともな住人が残っていると思いますか?」
「っ! まさか!?」
驚愕に目を見開いたエレオノーラが怒りをあらわにした。
「そのまさかですよ。あそこに生者はいません。いるのは人の振りをしたグールだけです」
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