159 地下牢にて・後編
不意にリッチの姿がかき消えた。
「はあっ!? どういうことなの?」
思わず声に出ていた。
「向こうが勝ち筋を見出せなくて逃亡を選択しただけですよ」
仮面ウィザードに変身していた少年が変身を解除する。
「やれやれ。どうにかなったか」
大きく息を吐いて肩の荷が下りたと言わんばかりの少年は思った以上に疲労しているようだった。
少なくとも余裕で完封したようには見えない。
クルリとこちらを振り向いた瞬間の表情は疲労困憊の文字がよく似合うと思ったのは内緒である。
「そんなにヤバい相手だったのかな?」
とてもそんな風には見えなかったので思わず聞いてしまっていた。
「万全ならそうでもなかったんですけどね。先に子供たちを助けるために魔力をガンガン使った後だったので心許なかったんですよ」
今なんと言った?
子供たちを助けるためとはどういうことなのか。
その疑問が顔に出てしまっていたようだ。
「この地下牢の別の檻に子供たちが何人も捕らえられていたのは御存じですよね」
「あ、ああ……」
かろうじて肯定するので精一杯。
「もうちょっとでという危険な状態だったので魔法でどうにか治癒して保護させてもらいました」
保護という言葉が耳に届いた瞬間、深い霧の中で迷走していたかのような思考が一瞬で澄み渡った。
「子供たちは無事なのかっ?」
「ええ。しばらくは安静が必要でしょうけどね」
反射的に問いかけてしまったが少年は落ち着き払って返事をする。
これではどちらが大人か分かったものではない。
それでも少年の返事を耳にして思わず安堵の溜め息をついたのは仕方のないことだ。
子守も満足にできなかったばかりか共にさらわれた挙げ句の果てに餓死寸前まで追い込まれるなど何の申し開きもできない。
子供たちを死なせてしまっていたら死ぬまで自分を許せなかっただろう。
「ああ、やっぱりお知り合いだったんですね」
「みんなは何処にいる?」
返事をするのももどかしとばかりに質問してしまった。
が、少年は私の無作法にも特に機嫌を害することなく落ち着いていた。
「心配しなくても安全な場所ですよ。貴方もお連れしようと思ったら先にリッチが異変に気付いて様子を見に来たんですけどね」
早とちりした私が浄化の魔法を使ってしまったが故にアレを誘き寄せてしまう結果になったのは疑いようもない。
己の失態が頭をよぎったことで少し頭が冷えた。
「つまり、君は残りの魔力が心許ない状態でアレと対峙する羽目になったと」
「そうなんですよね。ボコボコにしてから消してやるつもりだったのに余裕がなくて予定変更ですよ」
不満そうにうそぶく少年だったが私に対する不満は感じられない。
少年にとっては不測の事態だったであろうにもかかわらず、それも想定内として考えているのか。
大人でもそこまで考えられるのか怪しいというのに。
末恐ろしい少年である。
「おかげで奴の力の源である魔力の供給源とのつながりを断つので精一杯だったのは情けないところです」
同時に自前の魔力だけで勝負するしかないとリッチを煽っていたが、あれはハッタリだったということか。
食えない少年だ。
見た目通りの年齢ではなさそうである。
よく我らのことを長命種だと勘違いされることがあるけれど、あれは上位種や桁外れの魔力を持つ一部の例外に限った話だ。
その他大勢の自分たちとは違う。
少年とは種族が違うが、彼も例外の部類なんだろう。
数百年は生きていると聞かされても普通に受け入れてしまいそうだ。
「タッちゃんに豪語してきたのに帰ったら不甲斐ないと笑われてしまうなぁ」
どうやら協力者か仲間がいる模様。
「単独で乗り込んでくるとは豪胆なことだ」
私のこの言葉には痛いところを突かれたと思ったのか少年は苦笑する。
「仕方なかったんですよねえ。奴がタッちゃんの気配に気付こうものなら全力で逃げようとしていたはずですから」
「逃げてくれるならそれに越したことはないだろう」
アンデッドの上位種ともなれば、それだけの相手のはずだ。
もっとも、そんな存在が全力で逃げようとするような相棒がいることの方に寒気を覚えなくもないのだが。
「こちらも損害を被っているので、ただで逃がす訳にはいかないんですよ。余力を持たせたままだと周到に準備を重ねて反撃を目論んできかねないですし」
「君は奴のことをよく知っているみたいだな」
「直接の面識はありませんけどね。うちの領やウエイブル子爵のとこに色々とちょっかい出してきていましたから因縁はありますよ」
「……君はもしかして貴族家の者か。察するにミューラー伯爵家の?」
「ええ、そうですよ。シド・ミューラーです」
先程までと異なり少年はあっさりと肯定した。
貴族であると詐称するのは重罪として広く知られているから、それはないだろう。
敵に正体を知られたくないが故にはぐらかしていたものと思われる。
「これは失礼した。私はリーリエ・フォレーだ」
「おや、フォレー辺境伯家の方でしたか。こちらこそ失礼しました」
そう言って作法に則った礼をするシド少年からはまるで隙が感じられない。
先程から会話していて感じていた老成ぶりと合わさって大人びているという言葉では足りないと感じてしまう。
成人して1年あまり、16才となった自分などよりもずっと年上なのではないかという思いがさらに加速する。
ただ、少年は名乗ることでミューラー伯爵家の出自であることを明かした。
魔法の名門である彼の家の当主はアルブレヒト殿だし先代も少年が名乗ったような名前ではなかったはず。
ということは、およそ信じ難い話だが少年は伯爵令息である可能性が高い。
つまりは見た目通りの年齢ということだ。
本当に末恐ろしい話である。
「いや、礼を失したのは私の方だ。よく確かめもせず魔法を放ってしまったからね」
「それなら何も問題ないですよ。直接攻撃されるような魔法を受けた訳じゃないですから」
確かに使ったのは浄化だけれど。
「そういう訳にもいかないのだよ。魔法で攻撃したという事実があるからね」
「よく分かりません。実害が無いのは明らかでしょうに」
「普通はそうなのかもしれないね。それでもなんだよ」
「はあ」
生返事をした少年が初めて困惑の表情を見せた。
理解不能だと言いたいのだろうが、その気持ちは分からなくもない。
「そういうのをなあなあにできない一族なんだと思ってくれればいい」
好意的な相手からは律儀という評価を受け、そうでない相手からは堅物だと眉をひそめられる。
「そういうことですか」
淡々とした受け答えをするシド少年は少なくとも後者ではなさそうだ。
「では、おわびは承りました。これでよろしいですか」
「ああ。助かるよ」
これでひとつ片付いたが、もうひとつ残っている。
「それじゃあ移動しましょうか」
シド少年は言うなり鉄柵を押し退けるようにして檻の中に入ってきた。
何が起きた!? 彼は何をした?
あり得ないことを目の当たりにしたせいで声も出せず呆気にとられるばかりだ。
すると、シド少年は苦笑しながら──
「ちょっとした空間魔法ですよ」
そう言ってウィンクした。
空間魔法、それならば狭いはずの隙間を通り抜けることも可能か。
自分には到底真似できない芸当だが。
「いやしかし、ここから脱出するのに中に入るのは違うだろう」
「そうでもないですよ。こちらの方が通路より広いから都合がいいんです」
そう言われても私には何がなにやらサッパリである。
一体、シド少年はどうするつもりなのだろう。
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