144 帰ってきた女
「ところで、このショートソードはどうして刃引きされていないんだろうね」
対戦相手のバカから奪った剣を軽くかざしながら聞いてみた。
問いかける相手はもちろんウエイブル子爵の側近だ。
グダグダ言い訳を始めたら引導を渡してやろうと思っていたら領主の館の方から強い気配がした。
そちらを見ればズンズンと大股で歩いてくる大柄で日焼けをした人物がいる。
薄汚れた出で立ちで長らく着替えをしていないのが分かった。
距離がある間は女性だと気付けなかったくらいガタイのいい人だった。
あと、その後ろから近づいてくる若い女がいる。
体格では女傑に一歩及ばないものの、気配は強者のそれだ。
汚れたままの服を着ているので女傑と長らく一緒にいたことがうかがい知れる。
おそらく彼女の部下なのだろう。
そして2人が間近まで来るとつんと鼻をつく磯臭さと体臭が混じったような臭気があった。
ハッキリ言ってしまうと臭い。
きっと何日も風呂に入ることはおろか体を拭くことすらしていないだろう。
俺が呆気にとられていることに気付いた面々が悪臭にうっと顔をしかめたところで……
ゴスッ!
鈍く重い打撃音がした。
着座しているウエイブル子爵の頭に拳骨が落ちた音だ。
デッカいオバさんが振り下ろした拳が破壊力満点であるのは想像に難くない。
「痛ってぇぇぇっ!!」
現に子爵は頭を抱えて飛び上がらんばかりに叫んだからね。
「何しやがるっ! 誰だっ!?」
吠えながら椅子から立ち上がり振り返るが、そこから微動だにできなくなってしまった。
その表情は驚愕の一色に染まっている。
「か、かかか──」
かかかって何だ?
「母ちゃん!」
は? 母ちゃんって何よ?
我が父よりも背が高いように見える女性だが年齢はウエイブル子爵とさほど変わらないように見えるんですがね。
「このバカ宿六がぁっ!」
女性が子爵を怒鳴りつけたことで、どういうことか理解した。
そういや自分の奥さんのことを母ちゃんと呼ぶ人いるよね。
「無事で良かったよぉ」
ウエイブル子爵が顔をくしゃくしゃにして涙をボロボロ流しながら婦人に抱きつこうとしたが──
「ぐへっ」
グーで顔面を殴られた。
子爵はうちの父アルブレヒトよりも背が高くガタイも良いが、婦人も負けず劣らずの体格なのでまともにダメージが入っている。
「ひどいじゃないか。心配してたのにぃ」
「ああ、そうかい。そいつは有り難うよ」
夫婦のはずなのに感情の温度差ときたら……
子爵に憐れみを感じてしまったよ。
「けど、それで仕事をさぼっていいってことにはならないんだよ!」
自分の旦那を怒鳴りつけた婦人の姿は子供を叱る肝っ玉母ちゃんを想起させた。
子爵が自分の妻を母ちゃん呼ばわりしたくなるのもうなずける。
いや、実際はどういう心境でそう呼ぶのかは知らないが。
とにかく子爵はイタズラがバレた子供のように背中を丸めてシュンとしている。
ガタイの良い中年オヤジのそんな姿は滑稽極まりないが、笑う訳にもいかないので腹に力が入ってしまう。
「サボってなんかないぞ。ちゃんと苦手な書類にも目を通していた」
ボソボソと小さな声で言い訳するウエイブル子爵。
「アホかぁっ!!」
一喝された子爵はさらに縮み上がって身震いした。
「何でもかんでも丸投げした挙げ句に自領の状態を把握できてない奴の言うことか!」
婦人の顔は他の感情の入り込む余地がないほど怒りに染め上げられていた。
「いや、だって……」
何か言い訳をしようとした子爵だったが婦人は睨み付けただけで黙らせた。
「おまけに年端もいかぬ子供に決闘させるとか正気か?」
「いや、それは……」
子爵が再び言い訳しようとしたが、またしても婦人から無言の圧を受けて続く言葉を封じられた。
「しかも剣は刃引きしていないじゃないかっ」
「あ、僕のは刃引きされてますよ」
「なんだって!?」
グリンという効果音が聞こえてきそうなほどの勢いで婦人が振り返る。
おお、怖い怖い。
怒りの形相は引っ込めてもらえませんかね?
「ちなみに小細工もされてます」
言いながらバカが装着したままの盾に俺が渡された方のショートソードを打ち据える。
たったの一撃で剣は根元からあっさりと折れてしまった。
決闘時にバカの攻撃を流さずまともに受け止めていたら同じように折れていたことだろう。
その場に居合わせた大半の者がギョッと目を見開いて固まってしまったさ。
驚いていないのは、これを首謀したであろう黒幕とうちの姉くらいのものだ。
ただし、両者の表情には極めて対照的な差があった。
黒幕の方はどうしてバレたのかと言わんばかりに焦りをにじませた表情でいるのに対しエレオノーラはドヤ顔だったからね。
「ちょっと、ゲオルグ」
ドスのきいた声で自分の夫に呼びかける婦人。
「待て! 俺は知らなかったんだ。いくらなんでも知っていれば絶対に許さなかった」
必死に弁明する子爵だが夫人の目は冷ややかなままだ。
「アンタが不正を許さないことくらい、よく分かってるさ。そうでなきゃ筋肉しか能のないアンタと結婚なんてしなかったからね」
うんうんとうなずく子爵だが、それで許されたと思わない方がいいよ。
夫人は怒り心頭なままで何ひとつ許すつもりがないと両の瞳で語っているからさ。
「アタシが言いたいのは、それを見抜く努力を怠ったアンタの怠慢ぶりが情けなくも腹立たしいってことだよ。何もしなかったんだから共犯者も同然だよ」
「うっ」
そこまで言われた子爵は短くうめいただけで何も言い訳できなくなってしまった。
辛辣だが同情する気はない。
もしバカが強ければ俺も死にはしないまでも苦戦は必至だった訳だし。
「さて、どこの坊ちゃんか知らないがすまなかったね」
夫人がこちらに向き直り頭を下げた。
「いえ、どうぞ頭を上げてください。子爵夫人が悪い訳ではありませんから」
「聞いたかい、ゲオルグ。この子の方がアンタよりよほど人間ができているじゃないか」
「そうだな。俺は恥ずかしいよ」
「こんな子がうちの子供だったらねえ」
「やらんぞ」
物欲しそうな目で見られてしまったが父が牽制してくれた。
「おや。あんたの息子だったのかい、アル?」
「そうさ。君は相変わらずだな、マチルダ」
この気安いやり取りからすると父は夫人──名前はマチルダというらしいが──とも親しい間柄のようだ。
年齢的にも近そうだし、学生時代に同級生だったとしても不思議ではないな。
「それじゃあしょうがないか」
アッハッハと豪快に笑ったマチルダ夫人であったが不意に真顔になった。
「少年よ、すまない。私はマチルダ・ウエイブル。夫に代わり不手際を謝罪する」
そう言ってマチルダは頭を下げた。
「謝罪は受け入れますので顔を上げてください」
「そうか、助かる」
フッと笑みを浮かべたマチルダだったが次の瞬間には振り返りながら殺気を放っていた。
きっと鬼の形相になっていることだろう。
「何処へ行く、腰巾着!」
マチルダの帰還以降、子爵の側近として間近に控えていた男は落ち着きをなくしていた。
少しずつ距離を取りながら隙をうかがう姿は怪しさ満点だったので気付かないふりをしつつマークしていたのだが。
途中で踵を返して足早に去ろうとしたところで待ったがかかった。
マチルダと一緒に帰還したとおぼしき女性が側近の前に躍り出て通せんぼをする。
側近野郎は、はかりごとは得意なのかもしれないけど体を動かすのは不得手みたいだな。
さて、ここからは尋問タイムだ。
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