120 母屋に出向いたのだけれど
母屋にある客室に呼び出された俺はベッドの上で上半身を起こしてこちらを見る女性と対面していた。
女性と言っても、その容貌は少女の域から抜け出ないものが感じられ俺より数才ほど年嵩ぐらいにしか見えない。
命を救われた礼を言いたいと仰られたレイチェル・アルシオーネ第3王女殿下その人である。
意識のある状態で面と向かうのは、これが初めてだ。
いささか不敬だとは思うが絵に描いたような美少女という印象が湧き上がってきた。
馬車の中で見たときよりもやつれて見えるせいだろうか。
「殿下、これが我が息子シドでございます」
「シド・ミューラーです。以後、お見知りおきを」
隣に立つ父アルブレヒトから紹介され形式的な挨拶をして待つことしばし。
「そう、貴方が……。貴方が来なければ助からなかったと聞いているわ。ありがとう……」
そう言葉を漏らした彼女は儚げな笑みを浮かべた。
それは本来のレイチェル殿下の姿とは掛け離れているのであろう。
周囲に控えている専属の侍女や近衛騎士見習いの痛ましげな表情を見れば想像するまでもないことだった。
「もったいない御言葉でございます。ですが僕は僕のできることをしただけですので」
そこで会話は途切れてしまった。
殿下は何も語らない。
かと言って、ほぼ初対面な俺の方から話しかけるのは不敬だと言われそうなんだよなぁ。
主に侍女から。
さすがに敵意丸出しの視線は向けられていないけど、なんとなくそんな雰囲気を感じる。
実に気まずい状況だ。
そう思っているのは俺だけなんだろうけど。
というのも殿下はなかば心ここにあらずといった様子で何も感じていないみたいだからね。
これはメンタルに深刻なダメージが入っているなぁ。
考える気力すら湧かないといったところか。
会話が続かないのも仕方がないのかも。
ただ、俺としては地味に困るのだけど。
親しい間柄であるなら俺から話しかけても口うるさく言われることはあるまい。
けれども知り合いですらない俺では非公式な場であっても厳しいものがある。
もちろん、俺の方から勝手に切り上げて部屋を退出するなど以ての外だ。
そんな訳で直立したまま待つことしばし。
並みの10才児なら痺れを切らして姿勢が崩れるか疲れが顔に出ても不思議ではないくらいの時間は経過したはずだ。
たぶん……
つくづく時計が欲しいと思う。
電波時計などと贅沢は言わないから、そこそこ正確に時間が計れる時計があればなぁ。
そうなると振り子時計やゼンマイ式は不採用ということになる。
こっちの世界じゃ電池はないけど魔石を使えば動力の心配はないので問題はない。
魔道具として作ることになるけど普及させることを考えるとシンプルな構造にしないとダメだ。
その条件で壁掛け時計の設計図面を頭の中で引いていく。
ひたすら待つだけで暇だからね。
腕時計や懐中時計は魔石をかなり小さく精密に加工する必要があるので保留だ。
少なくとも普及品として作るつもりは今のところない。
設計は小さい方が複雑で面白いのだけどね。
今はなかば暇つぶしのための時間なので壁掛け時計であっても充分に楽しめる。
そんな訳で俺としては特に問題を感じることもなく待つことができたのだけど……
「殿下、そろそろよろしいですか」
父アルブレヒトの方が先に痺れを切らしてしまったようだ。
「ええ。ごめんなさい。ちょっとボンヤリしてしまったわ」
レイチェル殿下の了承は得られたので退室はできるだろう。
ただ、今の言葉には引っかかりを覚えた。
魔力の流れを見る限り体調不良があるようには感じられなかったからだ。
にもかかわらずボンヤリするということは、やはり当初の見立て通り内面が傷ついているのは間違いなさそうである。
それもトラウマレベルで。
確か殿下は15才だったはず。
この若さで、これほどのショックは完全に折れてしまってもおかしくはないのではないだろうか。
それをギリギリのところだとはいえ踏み止まっているのは王族として教育を受けてきたからかもしれない。
「ひとつ聞いていいかしら」
そんな殿下から声がかけられた。
目線から察するに、それは俺ではなく父アルブレヒトに向けられた言葉のようだ。
「何でしょう」
「伯爵は今後どうされるおつもりですか」
その問いかけに父は即答できなかった。
悩んでいるからだろう。
現状維持ではいずれ隣国ゲラルース王国の侵略を受け一方的な敗北を喫してしまうのは明白。
我が領には一国の軍に対抗しうる戦力がないからね。
かと言って国内の戦力を集結させるのは困難だと言わざるを得ない。
残った王族はレイチェル殿下だけという状況下では貴族たちを結束させることは、ほぼ不可能だと思う。
野心的な連中が王位の簒奪を狙ってくるだろうし。
あるいは殿下を傀儡に仕立て上げようとする輩も出てくるに違いない。
臆病な者は裏切りに走るか逃げ出すか。
忠義をつくす臣下もいるとは思うが、全体で見ればどれだけいるのかは父にしか分かるまい。
先代が見聞きしてきた情報で判断するならレイチェル殿下に味方してくれそうな貴族はふたつの辺境伯家くらいか。
後は隣のウェイブル子爵領との関係は親密らしいので、こちらについてくれる可能性はあるかもしれない。
全体から見れば数的に厳しいのは明白な上に戦力は分散してしまう。
ふたつの辺境伯家は国の東と南の端に位置しており、うちは北の果てだ。
地理的なつながりがないため協力関係を築けたとしても敵国の侵略を受ければ各個撃破されるのは想像に難くない。
内戦になった場合も同様であり、どう考えてもジリ貧だ。
父が思い悩むのも無理はない。
「そうですか」
レイチェル殿下はそう言って寂しそうに笑った。
父アルブレヒトの無言の返答からアルス国に先がないことを察してしまったようだ。
「では、質問を変えましょう。民はどうなると思いますか?」
自分は壊れかけているのに国民の心配をするとはね。
王族の矜持がそうさせるのか。
「多くの平民はほぼ今まで通りでしょう」
「一部はそうではないのですね」
「税収が見込めない辺境伯領や農作物の自給自足で苦労している我が領は厳しいかと」
アルブレヒトは厳しいなんて濁した言い方をしているけど要は殲滅必至ってことだ。
ゲラルース王国にとっては服従を求めてもメリットはないからね。
殿下に今後どうするかと問われて答えられなかった訳だよ。
「私が人質になっても意味はないのでしょうね」
とんでもないことを言ってレイチェル殿下は自嘲気味に笑う。
この発言に2人の側仕えは黙っていられなくなったようだ。
「「殿下っ!!」」
「心配しないで。自分から人質になったりはしないわ」
否定はしたものの悟ったような殿下の表情が周囲に陰りのある空気を残す。
「亡国の王族に価値などないものね」
「まだ滅んだわけではありませんっ」
側仕えの1人、近衛騎士見習いのオリビア・エルブレインが悔しげに顔を歪めながら言った。
言葉では否定しても頭では分かっているというところか。
「時間の問題よ。国ごと遠くへ逃げられるなら違った未来もあるのでしょうけど」
「っ!」
今度こそオリビアは否定できなかった。
歪めた顔をさらにくしゃくしゃにして今にも泣きそうになっている。
その隣にいる侍女も悲痛な表情だ。
そして、それは俺の隣に立つ父アルブレヒトも同様だった。
まるでお通夜である。
「違った未来なら用意できますよ」
余りの暗い雰囲気に思わず口走ってしまったさ。
まだ頭の中の計画でしかないんだけど実行に移すしかないんだろうなぁ。
読んでくれてありがとう。
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