表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『戦国転生剣豪録 ――死ぬ間際の心残りは今期アニメの最終回でしたが、目覚めたら美少女閻魔に戦国転生を勧められたので本能寺の変を覆しに行きます』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

62/92

第62話 宿に入る前に、名だけが先に座っている

京というところは、人が着く前に名だけが着いている。


 それを龍之介は、宿へ入る前から嫌というほど思い知らされた。


 安土からの道を下り、商人宿の奥へようやく腰を落ち着ける形になったものの、落ち着いた気になれない。

 荷はまだほどき切っていない。

 供の者たちも、表へ見せる顔と奥での顔を切り替えながら、宿の者と短く言葉を交わしている。

 その全部が整いきる前に、すでにこちらは“どういう顔で来たか”を見られている。


 しかも見られているのは、龍之介そのものだけではない。

 その後ろに何を背負い、何を背負わず、誰の名を連れてきて、誰の名をあえて連れてきていないか。

 そういうものまで、京の空気は先に嗅ぎ取ってくる。


「三上様」


 商人宿の主人が、奥座敷へ案内しながら言った。


「お茶を先に」


「頼む」


「表のざわつきは、すぐには静まりませぬが、奥は人の出入りを限っております」


「助かる」


 年嵩の男だった。

 腰が低く、目がよく働く。

 商いの顔でありながら、言葉の出し入れがうますぎる。

 こういう男はたいてい、品物より人の空気を扱う方が本職に近い。


 茶が運ばれてくるまでのわずかな間に、もう二度ほど視線を測られた。

 供回りの数。

 誰が表へ立ち、誰があえて口をきかないか。

 蘭丸筋の者が背後にいると見れば、それだけで信長の影も感じる。

 丹羽筋の静かな顔が混じっていれば、軽すぎぬと見る。

 そういうことを、たぶんこの男は一つ一つ数えているのだろう。


「三上様」


 茶を置きながら、主人が少しだけ声を落とした。


「道中、お疲れでございましょう」


「道はまだしも、着いてからの方が疲れそうだ」


 そう返すと、主人はごく控えめに笑った。


「京にございますので」


 この都は、本当にその一言でたいていのことを済ませようとする。

 だが、腹立たしいことに間違ってもいない。


「すでにいくつか」


 主人が言う。


「こちらへ様子を知りたがる口がございます」


「早いな」


「安土からどなたがどういう形でお入りになるかは、荷より先に噂になります」


 なるほど、と思う。

 荷は道を通る。

 だが噂は道だけを通らない。

 人足、茶屋、使いの者、街道筋の小さな立ち話、そのどこからでも先へ飛ぶ。

 安土から来る小さく整った一行がある。

 しかも前へ立つのが三上龍之介。

 その時点で、京の口の早い者らには十分な話題なのだろう。


「どういう口だ」


 龍之介が問うと、主人は少しだけ間を置いた。


「まずは、明智殿はご同道でないのか、というもの」


 やはり、そこから来る。


 龍之介は茶を一口含んだ。

 熱さは穏やかだが、後味が妙に長い。

 この都そのもののような茶だと思った。


「次に」


 主人は続ける。


「今回は三上様が先に、という見方」


「……」


「そして最後に、ならば三上様は、どこまでお聞きになるお役目か、という探りにございます」


 順番が実に京らしい。

 まず明智の名。

 次に自分の位置。

 最後に役目の深さ。

 つまり、まだこちらを一つの形に決めきれていない。

 だからこそ、含みを持たせて測ってくるのだ。


「その聞き方は」


 龍之介が言う。


「都の誰の顔だ」


 主人は、真正面からは答えなかった。


「寺社の下役に近い口。公家屋敷の用人に近い口。町の有力者の家へ出入りする口」


「上ではないな」


「ええ。上は、まだ静かにございます」


 やはりそうだ。


 火は下で熱を持っている。

 そして名は、上より先に下の口で使われ始める。

 “明智殿なら”。

 “今回は三上殿が”。

 そういう言い方が、まず下から広がるのだろう。


「三上殿」


 後ろで控えていた影鷹が、主人のいない隙に低く言った。


「何だ」


「想定より、だいぶ早うございます」


「うむ」


「明智殿の名が、宿へ入る前から場に座っております」


 その言い方が、ひどくしっくり来た。


 たしかにそうだ。

 光秀本人はいない。

 だがその名だけは、もうこの座敷にいる。

 主人の言葉の中に。

 京の探りの中に。

 そして、こちらがどう返すかを測る物差しの中に。


「……分かっていたことだが」


 龍之介は小さく言った。


「実際に座っておると、重いな」


 影鷹は、珍しく否定しなかった。


     ◇


 宿へ入ってから半刻ほどで、最初の“軽い顔合わせ”の打診が来た。


 正式な使者ではない。

 あくまで、近くにいる者が様子を見に来る程度のもの。

 だがこういう“正式でない顔”の方が、都ではよく本音を含む。


 相手は寺社の下役筋に近い男と、その男へ口を利く商人上がりの中年だった。

 名乗りも控えめ。

 だが、その控えめさ自体が「こちらは表立った場ではありませんよ」という器でもある。


 奥座敷に通すか少し迷ったが、通した。

 断れば断ったで、“まだ見もせぬうちから閉じた”と見られる。

 ならば、最初の器だけは開いておいた方がよい。


 男たちは、入ってくるなり丁寧に頭を下げた。


「ご足労、恐れ入ります」


 龍之介が言うと、二人は「とんでもない」と揃って返す。

 この“揃う”あたりが、すでに小さな打ち合わせの匂いだった。


「安土よりのご下向と承り」


 寺社筋の男が言う。


「まずは、どのようなお役目でお入りか、お耳に入れておきたく」


 来たな、と思う。


 “何をしに来たか”ではない。

“どのようなお役目で”だ。

 つまり、こちらの動きの軽重を測っている。


「都筋との行き来に生じた滞りと、段取りの見分だ」


 龍之介は、事前に決めた器そのままで答えた。


「なるほど」


 男はすぐにはそれ以上を言わない。

 だが隣の商人が、ほんの少しだけ笑みを浮かべる。


「では、まず見分を」


「そういうことになる」


「明智殿は」


 やはり、すぐそこへ来る。


 龍之介は、あらかじめ心の中で何度も整えた言葉を、できるだけ自然に置いた。


「橋は一本では足りぬのでな」


 二人の目が、同時に少しだけ動いた。


 やはり、そこは効く。


「なるほど……」


 寺社筋の男が言う。


「今回は、三上様のお耳で、まず見て回られると」


「まずは、な」


「明智殿のお耳ではなく」


「明智の橋が消えたとは言っておらぬ」


 そこで、少しだけ空気が張る。

 否定しすぎない。

 だが一本へ戻さぬ。

 この中ほどが難しい。


「ただ」


 龍之介は続けた。


「今の都を、明智一本で受けるつもりはない」


 その一言は、かなりはっきりしていた。

 はっきりしすぎたかとも一瞬思った。

 だが、ここで曖昧すぎると、相手は勝手に“では、いずれ明智殿が全部をお聞きになる”と器を作る。


 商人上がりの男が、慎重に言葉を選んだ。


「それは……安土のお考えにございますか」


 上手い聞き方だ。

 三上龍之介個人の器か。

 それとも安土全体の方針か。

 そこを探っている。


「安土が、都を一本橋で渡るには重すぎると見ておる」


 龍之介はそう答えた。


 信長の名を前へ出しすぎず、だが個人の判断にも見せぬ。

 その中ほどを狙った言い方だ。


「では」


 寺社筋の男が言う。


「今回は、三上様が先に見て、のちにまた別の橋も」


「必要あらばな」


 ここで“いずれ明智が来る”と取らせすぎてもまずい。

 だが、完全に切れば今度は都の不信が先に立つ。


「橋は残る」


 龍之介は言った。


「だが、どの橋へ何の荷を渡すかは、こちらで見極める」


 その言葉に、二人は静かに頭を下げた。

 受け入れたのではない。

 少なくとも、いまはここまでの器を持ち帰ると決めた顔だった。


     ◇


 二人が去ったあと、龍之介はしばらく無言で座っていた。


「いかがでした」


 影鷹が問う。


「悪くない」


「ほう」


「明智の橋は残す。だが一本ではない、は伝わった」


「はい」


「ただ」


 龍之介は息を吐いた。


「今ので、今度は私自身が“安土の新しい窓口”として見られ始める」


 影鷹は静かに頷く。


「それもまた、避けきれぬ流れにございます」


 そうなのだろう。


 明智一本橋を避ける。

 そのために自分が前へ出れば、今度は三上龍之介という顔に都が値をつけ始める。

 それは前進であり、同時に新しい危うさでもある。


「……橋を分けるのは、一度やれば終わりではないな」


 龍之介が言うと、影鷹が少しだけ笑った。


「橋は立てても、また寄ってまいりますので」


「嬉しくない現実だ」


「ですが、まことに」


 腹立たしいが、正しい。


     ◇


 日が傾き始めた頃、別の口から打診が来た。


 今度は寺社の下役ではなく、公家屋敷の用人に近い筋。

 しかも文面ではなく、口上だ。

 つまり、形には残さぬが、言葉の重みだけは残したいということだろう。


 使いの男は、低い姿勢のままこう言った。


「“明智殿が動かぬとて、安土が都を軽んじたわけではなさそうだ”と、そう受け止める向きもございます」


 それは、悪くない返りだった。


 明智が来ぬ。

 ならば都を軽んじたのか。

 その最悪の見方には、ひとまず寄せずに済んだらしい。


「ただし」


 使いの男は続けた。


「“では、三上殿はどこまでお聞きになるのか”という見方も、すでに」


「あるだろうな」


「はい」


 やはり、来る。


 明智の名が先に座っている。

 その座を一本ではなくすると言った。

 ならば次は、新しい橋の太さを測られる。

 京という都は、本当に隙を作らぬ。


     ◇


 夜、龍之介は宿の奥で、今日のやり取りを書き付けにまとめていた。


 明智の橋は残す。

 だが一本ではない。

 今回はこちらが先に見分る。

 その器は、少なくとも寺社下役と公家用人の筋には届いた。


 だが同時に、

 三上龍之介はどこまで聞く役か

 という新しい問いも立った。


「……橋を分けた途端、今度は橋の太さを測られる、か」


 そう呟くと、影鷹が言った。


「京にございますので」


「本当に便利な都だな」


「ありがたい便利さではございませぬが」


 その通りだ。


 だが、ようやく最初の一歩は打てたとも言える。

 明智一本へ戻さず、しかも都を完全には閉じなかった。

 その器は作れた。


 問題はここからだ。

 この先、寺社の下と町の荷の結び目へ実際に触れる時、どこまで自分の橋を太くせずに持たせられるか。

 それが次の勝負になるのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ