第49話 勝家は正面から、丹羽は静かに、秀吉は横から入る
人の違いは、並べて初めてよく見えることがある。
一人だけを見ていると、その人間の癖や強みばかりが目につく。
だが何人かを同じ場に置き、同じ事を前にした時にどう動くかを見比べると、その差はもっとはっきりする。
勝家は正面から入る。
丹羽は静かに整える。
光秀は見えすぎるがゆえに抱え込む。
秀吉は横から入り、場を取る。
そこへさらに信長がいる。
違う強さを違うまま使おうとする怪物が。
第48話で、秀吉は本能寺の朝に“いちばん困っていた男”を問うてきた。
その問いによって、龍之介はあらためて思い知らされた。
この政権の危うさは、誰か一人の悪意から生まれているわけではない。
それぞれがそれぞれの理と強みで支えているからこそ、ずれた時には深く危うくなるのだ。
その翌日、龍之介は久しぶりに少し早い時間から城内を歩いていた。
特に誰かに呼ばれたわけではない。
だが、紙の上で見取り図を作るだけでは足りぬ気がした。
人の流れは、人の顔と動きの中で見ねば意味がない。
◇
最初に見かけたのは勝家だった。
稽古場の外、朝の空気の中で若い者へ短く声をかけている。
言葉は少ない。
だが、誰が見ても分かる。
この人は“前から支える”人間なのだと。
何かがあれば前へ出る。
曖昧さを嫌い、正面から測り、正面から押し返す。
人の腹を読んで場を取るというより、自分の立つ場所の強さで周囲を支える。
勝家がこちらに気づいた。
「何だ」
「何だ、ではございませぬ」
「朝から妙な顔で歩いておる」
「妙な顔でしょうか」
「考え事の顔だ」
それは否定できない。
「少し、整理を」
龍之介が言うと、勝家は鼻を鳴らした。
「整理か」
「はい」
「羽柴のことでも考えておるのだろう」
「なぜ分かる」
「おぬしが妙な顔をする時は、だいたいあの手合いだ」
ずいぶんな言われようだが、外れてもいない。
「柴田殿は」
龍之介は少しだけ真面目に問うた。
「ご自分がどう支えておられると、お考えです」
勝家は、少し怪訝そうな顔をした。
「何だ、その問いは」
「最近、皆の違いをよう考えるもので」
「……面倒なことを考えるようになったな」
「上様の近くにおりますので」
「それもそうか」
勝家は腕を組んだ。
「儂は、前から押す」
実に勝家らしい答えだった。
「敵があるなら、前へ出る。曖昧なら筋を通す。揺れるなら立つ」
「……」
「それで足りぬこともあるのは知っておる。だが、儂はそれしかようせぬ」
それは不器用なようで、実はかなり明確な自己認識でもある。
「柴田殿が前から押しておられるから」
龍之介は言った。
「この家中には、“退かぬ芯”があるように見えます」
勝家は少しだけ目を細めた。
「妙なことを申す」
「本音です」
「そうか」
それだけ言って、勝家は若い者の方へ戻っていった。
前から支える。
退かぬことで支える。
それが柴田勝家だ。
◇
次に会ったのは丹羽長秀だった。
こちらは勝家と違い、存在の置き方そのものが静かだ。
目立たぬ。
だがいないと困る。
そういう立ち方をしている。
廊下の角で出会うと、丹羽は一目でこちらの様子を見抜いた。
「まだ考えているな」
「顔に出ますか」
「少し」
少し、で済んでいるなら上等だろう。
「何を整理しておる」
問われて、龍之介は率直に答えた。
「皆が、どう支えておられるかを」
丹羽は、そこで少しだけ興味深そうな顔をした。
「ほう」
「柴田殿は前から押す、と」
「その通りだ」
「丹羽殿は」
龍之介が問うと、丹羽は少しだけ考えた。
「流れが詰まらぬようにする」
やはりそう来るか。
「どこか一つへ重みが寄りすぎぬように」
丹羽は淡々と続ける。
「言葉が強すぎるなら削る。遅すぎるなら早める。人が前へ出すぎるなら一歩引かせる」
「……」
「目立つことではない」
「ですが要る」
「そうだ」
丹羽の答えは、いつ聞いても余計な飾りがない。
だからこそ腑に落ちる。
この人は、自分が天下を取る顔ではない。
だが天下を取る流れが詰まらぬよう、静かに調える顔だ。
勝家のように前へ立つのではない。
むしろ、前へ立つ者たちが余計にぶつかりすぎぬよう整える。
「丹羽殿がおられるから」
龍之介は言った。
「上様の速さが、ただの荒さで終わらぬのかもしれませぬな」
丹羽は少しだけ笑った。
「買いかぶりだ」
「いえ」
「だが、そう見えるなら悪くはない」
この人は、自分の役目を過不足なく知っている。
だから静かで、だから強い。
◇
光秀と会ったのは、その少しあとだった。
光秀は部屋から出てきたところだった。
顔は整っている。
だがその整い方は、やはりどこか“崩れぬようにしている”気配を含む。
「龍之介殿」
「日向守殿」
「また考え込んでおる顔だな」
「皆様に同じことを言われます」
「それだけ分かりやすいのだろう」
光秀は、そこで少しだけ口元を緩めた。
「何を考えておる」
「それぞれが、どう支えておられるかを」
「……」
光秀は一瞬だけ黙り、それから静かに言った。
「厄介なことを考えるようになったな」
「上様の近くにおりますので」
「その理屈は便利だな」
皆が似たようなことを言う。
それだけ本質なのだろう。
「日向守殿は」
龍之介は慎重に言った。
「ご自分が、どう支えておられると」
光秀は、少しだけ視線を落とした。
「……つなぐ」
短い答えだった。
「都と武家を」
「はい」
「上様の速さと、人が受け止められる理を」
光秀は静かに続ける。
「だが、つなぎすぎれば、いずれ重みは真ん中へ寄る」
その言葉に、龍之介は小さく頷いた。
まさにそうだ。
つなぐ者は、両側の重さを受ける。
都の理も、武家の理も、上様の速さも、人の不安も。
その全部が“つなぐ者”へ寄れば、そりゃ潰れもする。
「日向守殿は」
龍之介は言った。
「見えすぎるのですな」
「そうかもしれぬ」
光秀は、否定しなかった。
「そして見えるから、つい抱える」
「……」
「それが強みでもあり、弱みでもある」
その通りだった。
光秀は、この家中において“理の通る橋”だ。
だが橋であるがゆえに、左右から荷が寄りすぎる。
それが本能寺の朝の危うさにもつながったのだろう。
「おぬしは」
光秀がふと問う。
「私を哀れんでおるのか」
龍之介は少しだけ驚いた。
だが、すぐに首を振る。
「いえ」
「では」
「惜しいと思っております」
光秀の目が、わずかに揺れた。
「惜しい、か」
「はい。つなげる方が潰れるのは、惜しい」
光秀は何も返さなかった。
だが、その沈黙は少し長かった。
「……変な男だな、おぬしは」
やがてそう言って、光秀は去っていった。
◇
そして最後に、秀吉だった。
こちらは、見つけようと思う前に向こうから現れる。
いや、現れるように場へ入ってくる。
それがまた秀吉という男らしい。
「三上殿」
相変わらず、よい顔で笑っている。
「羽柴殿」
「何やら今日は、城じゅうを歩いておられますな」
「少し、人を見ておりました」
「おや」
秀吉は楽しそうだ。
「わしも、でございますか」
「もちろん」
「それは光栄」
そう言いながら、一つも油断していない。
この男は、本当にどこまでも“横から入る”人間だと思う。
勝家のように前へ立たぬ。
丹羽のように静かに後ろを調えるでもない。
光秀のように真ん中で抱えるのとも違う。
この男は、流れの横から入ってくる。
人の欲、困りごと、利、面目、そういう脇道から自然に中へ入って、気づけば場の一部になっている。
「羽柴殿は」
龍之介は言った。
「前から支える方ではありませぬな」
秀吉は声を立てて笑った。
「柴田様のようには、とても」
「後ろで静かに整える方でもない」
「丹羽殿ほど手堅くはございませぬ」
「真ん中で抱える方でもない」
「日向守殿のような深さも、わしにはありませぬ」
全部、自分で認める。
だがその認め方が、かえってこちらの言葉を進めさせる。
「では」
秀吉が笑みを深めた。
「三上殿から見て、わしは何です」
来た、と思う。
龍之介は少しだけ考えてから、率直に言った。
「横から入る方だ」
秀吉の目が少しだけ細くなる。
「横、ですか」
「ええ。人の困りごと、利、顔、そういう脇道から場へ入ってこられる」
「……」
「しかも入ったあと、自分が横から入ったと見せすぎぬ」
秀吉は、それを聞いて静かに笑った。
「ひどい言い方だ」
「誉めております」
「羽柴の誉め言葉と同じく、胃に悪い誉め方ですな」
そう返されて、龍之介は少しだけ笑った。
だが、これがたぶん秀吉の本質なのだろう。
正面から力で押すなら、勝家と競えばよい。
静かに整えるなら、丹羽と似る。
真ん中で理を抱えるなら、光秀に近づく。
だが秀吉はそのどれでもない。
横から入る。
しかも、入ったあとで場の真ん中へ立ちすぎぬ。
そこが怖い。
「三上殿」
秀吉が言う。
「それを怖いと思われますか」
「思う」
龍之介は率直に答えた。
「なぜ」
「気づけばそこにおられるからだ」
秀吉は少しだけ黙り、やがて笑った。
「なるほど」
「勝家殿のように前に立たれれば身構えられる。丹羽殿のように静かなら、まだ追える。日向守殿のように真ん中なら、重みも見える」
「……」
「だが羽柴殿は、脇から入って、いつの間にか場の重みそのものを少し変えておられる」
秀吉は、その言葉に少しだけ本気で感心したような顔をした。
「よう見ておられる」
「見ざるを得ぬ相手ですので」
それは本音だった。
◇
秀吉と別れたあと、龍之介はようやく今日一日の整理が少しついた気がした。
勝家は正面から支える。
丹羽は静かに調える。
光秀は真ん中でつなぎ、抱える。
秀吉は横から入り、場を取る。
誰一人、同じ支え方をしていない。
それなのに全部が、信長の政を支えている。
だから強い。
だが、だから危うい。
もし全員が勝家のようなら、都は持たぬ。
全員が丹羽のようなら、天下は遅れる。
全員が光秀のようなら、誰かが潰れる。
全員が秀吉のようなら、いずれ場そのものが誰のものか分からなくなる。
違う強さがいる。
だが違う強さがいるからこそ、そこに摩擦も生まれる。
この政権の本当の危うさは、たぶんそこにある。
「お顔が少し晴れましたな」
影鷹が現れた。
「おぬしは本当に、顔ばかりよく見る」
「仕事にございますので」
「便利な仕事だ」
影鷹は少しだけ笑う。
「整理がつきましたか」
「ああ」
「どのように」
「勝家は正面から。丹羽は静かに。光秀は真ん中で。秀吉は横から」
影鷹は静かに頷いた。
「ようやく、そこまで」
「何だ、その言い方は」
「個人の好き嫌いから、一段上がられたようですので」
たしかにそうかもしれない。
これまでは、秀吉が怖い、勝家が重い、光秀が危うい、丹羽が静かすぎる、というように個々で見ていた。
だがいまは、それぞれがどういう支え方をしているか、その違いがどう噛み合っているかを見る方へ寄っている。
「……だが、その整理がついた時点で、次は嫌な気もするな」
「都、でございますか」
「うむ」
都の火は、まだ完全には消えていない。
むしろ、この違う支え方の上に、また別の不穏が乗れば、一気に重みが偏る気がする。
影鷹は静かに答えた。
「次は、都から何か上がりましょうな」
やはりそうか、と思った。




