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『戦国転生剣豪録 ――死ぬ間際の心残りは今期アニメの最終回でしたが、目覚めたら美少女閻魔に戦国転生を勧められたので本能寺の変を覆しに行きます』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第32話 羽柴秀吉、笑って現る

羽柴秀吉が安土へ入る朝、城の空気は妙に整っていた。


 騒がしいわけではない。

 むしろ逆だ。

 使いの者らの足音も、兵の声も、ふだんより半歩だけ抑えられている。

 誰もがいつも通りに働いている顔をしているのに、その“いつも通り”が少しだけきっちりしすぎていた。


 龍之介はその違和感を、朝の廊下を歩いただけで感じ取った。


 秀吉はまだ来ていない。

 それなのに、もう城の中に影が差しているような気がする。

 人が一人来るだけでこうなるのは、やはりあの男がただの武将ではないからだろう。


 蘭丸が迎えに来たのは、陽がまだ高くなりきる前だった。


「三上殿」


「何だ」


「ほどなく、羽柴殿が入られます」


 いつも通りの声だ。

 だが、その整い方の中に、蘭丸自身もやはり気を張っているのが分かった。


「上様の御前か」


「はい」


「私もか」


「上様のご意向にございます」


 でしょうな、と龍之介は思う。

 信長がこの場へ自分を置かぬはずがない。

 秀吉と自分が初めて顔を合わせるところを、あの男が見逃すはずがない。


「参ろう」


 そう言って歩き出すと、蘭丸が少しだけ横目で見た。


「顔が硬うございます」


「柔らかくしても中身が柔らかくなるわけではない」


「それもそうで」


「おぬしは平気そうだな」


「平気ではございませぬ」


 蘭丸は淡々と言う。


「ただ、上様のお側では“平気ではない顔”を出すと、余計に面倒が増えますゆえ」


 その返しに、龍之介は小さく苦笑した。


「この城は皆、そこを学ぶのだな」


「学ばされる、の方が近いかと」


 まったくその通りだと思った。


     ◇


 通されたのは、評定ほど大きくなく、茶室ほど閉じてもいない一室だった。


 信長が、こういう“最初の顔合わせ”に使うにはいかにも都合がよさそうな部屋である。

 堅すぎず、砕けすぎず。

 だが、そこにいる全員が“軽い場ではない”と分かっている程度には空気が整っている。


 信長はすでにいた。


 上座に座し、いつも通り場の中心を黙って握っている。

 その脇には蘭丸。

 少し引いたところに丹羽長秀。

 さらに別の位置に勝家もいる。

 この顔ぶれだけでも、単なる出迎えではないのが分かる。


 龍之介も指示された位置へ控えた。


 末席ではない。

 かといって重臣の並びにきっちり混ぜるでもない。

 相変わらず、信長はこういう位置の置き方がうまい。

 “異物だが、ただの傍観者でもない”という立ち位置が、座る前から空気で決まってしまう。


 やがて、外に足音がした。


 だが、その足音は勝家のように重くない。

 軽い、とまでは言わぬが、妙に運びがよい。

 無駄に響かぬのに、萎縮もしていない。

 “どこへ入ってもその場に馴染める男”の足音だと、龍之介は思った。


 襖が開く。


 羽柴秀吉が、入ってきた。


 第一印象は――拍子抜けするほど、やわらかい。


 大きくない。

 勝家のような威圧もない。

 信長のような異様な密度もない。

 顔には笑みがあり、目元も明るく、人好きのする気配がある。

 いかにもよく気が回り、よく働き、誰とでもうまくやれそうな男だった。


 だが、だからこそ龍之介は一瞬でぞっとした。


 この男、柔らかすぎる。


 初めて安土へ入ったその場で、こんなにも自然に“悪目立ちしない顔”を持てるものか。

 ただ気さくだけの男なら、もう少し気負いか、遠慮か、あるいは愛想の作り物じみたところが見えるはずだ。

 だが秀吉にはそれがない。

 まるで最初から、この場の空気の濃さと温度を測り終えたうえで、一番ちょうどよい顔を選んできたようだった。


「上様」


 秀吉が頭を下げる。


 その声もまた、よく通るのに前へ出すぎない。

 忠義の形として、あまりに上手い。


「ご無事にて、何よりにございます」


「羽柴」


 信長の声はいつも通りだ。


「文は読んだ」


「恐れながら、文では足らぬかと存じ、参じました」


 その言い方一つ取っても抜け目がない。

 ただ駆けつけました、ではない。

 文を先に送り、そのうえで足りぬと思い来た、と言う。

 働きの速さと忠の形、その両方を同時に見せている。


 勝家が横で鼻を鳴らすのが聞こえた。

 だが表立って口は挟まない。

 信長の前での秀吉の形が、あまりに綺麗だからだ。


 秀吉はそこで顔を上げ、部屋の中を一巡り見た。


 勝家。

 丹羽。

 蘭丸。

 そして龍之介。


 その視線は露骨ではない。

 だが、一人一人の位置と空気を一瞬で拾っているのが分かる。

 長く見ない。

 見ないのに、見ている。


 そして、その視線が龍之介に触れた瞬間、ほんの僅かに温度が変わった気がした。


 食いついた。


 まだ一瞬だ。

 だが龍之介にはそう感じられた。


「ほう」


 秀吉が軽く笑みを深める。


「見慣れぬ御方が」


 来たな、と思う。


 信長は面白そうだった。


「龍之介だ」


「三上龍之介にございます」


 龍之介が一礼すると、秀吉はすぐに頭を下げ返した。


「これはご丁寧に。羽柴筑前守秀吉にございます」


 あまりに自然だ。

 目上でも目下でもなく、“その場に最も都合のよい柔らかさ”で入ってくる。


「都筋に通じ、いまは儂の近くで少し使うておる」


 信長がそう言うと、秀吉の笑みは変わらぬまま、目の奥だけが一段深くなった。


 儂の近く。

 少し使うておる。

 この言葉だけで、秀吉は一瞬にして龍之介の位置を再計算しただろう。


 ただの都人ではない。

 信長の一時の気まぐれな客でもない。

 “いま使っている”と信長自身が言う以上、何かしらの役を持ち始めている異物だ。


「三上殿」


 秀吉が言う。


「上様のおそばは、さぞや胃にこたえましょうな」


 いきなりそこへ来るか、と龍之介は思った。


 軽口の形だ。

 笑って受け流せる。

 だが、軽口に見せているだけで、実のところ二つ三つのことを同時に測りに来ている。


 信長のそばをどう思っているか。

 自分をどう位置づけているか。

 そして、この軽口にどう返す男か。


「こたえますな」


 龍之介は少しだけ笑って返した。


「ですが、胃にこたえる方ほど見てみたくなるのは、悪い癖かもしれませぬ」


 秀吉の目が、ほんの少しだけ細くなる。


 これはたぶん、悪くない返しだった。

 怯えすぎず、取り入らず、それでいて信長への興味を隠しすぎない。

 少なくとも、最初の一手としては。


「ほう」


 秀吉が言う。


「それはまた、珍しい」


「そうでもないやもしれませぬ」


「普通は、こたえるなら遠ざかりたがる」


「遠ざかって済むなら、その方が楽でしょうな」


 龍之介は答える。


「ですが、遠ざかれぬところまで来てしまえば、腹を括るしかございませぬ」


 その言葉に、信長が小さく笑った。


「その通りよ」


 上様に乗られると、かえって怖い。

 だが、秀吉はその一連を見て、ますます面白そうに笑っただけだった。


 これはまずいな、と龍之介は内心で思う。

 この男は、こちらの返し一つ一つを楽しげに受けながら、同時にきっちり値をつけている。


 勝家がそこで口を開いた。


「羽柴」


「は」


「上様の前で、そのあたりにしておけ」


「おや、柴田様に釘を刺されてしもうた」


 秀吉はからりと笑う。


「ですが、気になったもので」


「何がだ」


「都筋の御方が、こうも上様のお近くにおられることが」


 その言い方は、まるで率直な感想に見える。

 だが違う。

 ちゃんと探っている。


「気になるか」


 信長が問う。


「そりゃもう」


 秀吉は頭を下げるでもなく、崩すでもなく、絶妙なところで答える。


「上様の御側に新しいお顔があれば、働く者としては気になりますとも」


 働く者として。

 これもまた上手い。

 自分の興味を私心ではなく“働きのための当然の関心”として出してくる。


 龍之介は、ほんの少しだけ掌に汗がにじむのを感じた。


 まだ何も本題へ入っていない。

 なのにもう、これだけ厄介だ。


「龍之介」


 信長が不意に言う。


「どうだ」


「何がでしょう」


「羽柴だ」


 ずいぶん雑な振り方をする。

 だが、この男はこういう投げ方で面白がる。


 龍之介は少しだけ考えてから、正直に言った。


「思っていたより、やわらかい御方にございます」


 勝家が鼻を鳴らす。

 丹羽は静かに目を伏せる。

 秀吉本人は、楽しそうに笑った。


「それは褒めていただいたので」


「ええ」


 龍之介は続けた。


「ですが、やわらかいからこそ、かえって怖い」


 部屋の空気が一瞬だけ静まる。


 少し踏み込みすぎたかと思った。

 だが、信長の口元はむしろ面白そうに上がっていた。

 秀吉もまた、笑みを消さなかった。


「ほう」


 秀吉が言う。


「三上殿、それはまたどうして」


「固く怖い御方は、最初から身構えられます」


「……」


「ですが、羽柴殿のように自然に入ってこられる御方は、身構える前に懐へおられる気がいたします」


 秀吉は、そこで初めてほんの僅かに目を細めた。

 嬉しそうでもあり、警戒したようでもあり、その両方だった。


「これは」


 秀吉が笑う。


「なかなか、よう見ておられる」


「恐れ入ります」


「いやいや、恐れ入るのはわしの方かもしれませぬ」


 この会話だけでもう、普通ではない。

 初対面の挨拶のはずが、互いに互いの“入り方”を値踏みし始めている。


 丹羽がそこで静かに言う。


「羽柴殿」


「は」


「上様の御前です」


「おっと、これは失礼を」


 秀吉はにこやかに頭を下げた。

 だが、その頭の下げ方ひとつにも無理がない。


 空気を読んで引く。

 だが引きすぎない。

 相手に“こちらが悪うございました”と思わせながら、自分の線はちゃんと残している。


 まるで水だ、と龍之介は思った。

 器へ合わせて形を変える。

 だが本質は失わない。

 手で掴もうとしても、するりと逃げる。


「羽柴」


 信長が言う。


「安土はどうだ」


 秀吉はすぐに答える。


「よう整っております」


「ほう」


「城も、人も、流れも。まこと、上様らしい」


 さすがに返しが早い。

 しかも上手い。

 露骨な持ち上げ方ではない。

 整っている、と言うことで城の規模だけでなく、人の動きまで褒めている。


「だが」


 秀吉は、そこでほんの僅かに言葉を切った。


「少し、空気が締まっておりますな」


 来た。

 核心へ近い。


 部屋の温度が一段だけ下がった気がした。


 だが秀吉は、あくまで軽く言っただけだ。

 問い詰めてはいない。

 “気づいていますよ”とだけ、場へ置いたのだ。


 信長は笑った。


「そう見えるか」


「上様の御城ですゆえ、常に張りはありましょう」


 秀吉の返しもまた逃げ道を残している。


「ですが、ここのところは、とくに」


 信長は、そこでそれ以上を拾わなかった。


「羽柴の鼻は相変わらずよいな」


「働き者の鼻にございます」


「そういうことにしておこう」


 その“そういうことにしておこう”に、信長と秀吉の長い付き合いが見える気がした。

 お前が何を嗅いでいるかくらい分かっている。

 だが、いまここではそれ以上言わぬ。

 そういう了解だ。


 そして、その場の隅で龍之介は確信する。


 この男、やはりただ者ではない。

 姿を見せたその瞬間から、場の温度を拾い、信長へ忠の顔を見せ、勝家へは軽く受け流し、自分には食いつき、しかも本能寺の朝の残り香にまで軽く触れてくる。


 まだ何も始まっていない。

 それなのに、もう十分に厄介だ。


     ◇


 その場は、長くは続かなかった。


 初顔合わせとしては、むしろ短い方だろう。

 だが短いからこそ濃かった。


 秀吉は最後に、信長へ向けてきっちり礼を取り、それから龍之介へも柔らかく笑みを向けた。


「三上殿」


「は」


「ぜひ一度、ゆるりと話してみとうございますな」


 やはり来るか。


 龍之介もまた、小さく笑って返す。


「私も、いずれ」


 それだけで十分だった。

 “いずれ”の中に、お互いが何を含ませているかくらいは、もう分かり始めている。


 秀吉が去る。


 襖が閉まる。

 部屋に残る空気は、入ってくる前とは少し違っていた。


 勝家が、すぐに鼻を鳴らした。


「……まこと、よい顔をする」


 それが勝家なりの最大級の警戒なのだろう。


 丹羽は静かに言う。


「初手から、よく拾っておられた」


「うむ」


 信長は面白そうだった。


「龍之介」


「は」


「どうだ」


 さっきも聞かれた気がする。

 だが、今度の“どうだ”はもっとはっきりしている。

 実際に目の前へ現れた秀吉を、どう感じたか。


「……文で感じた通りにございます」


「ほう」


「笑っておられるのに、一つも気を抜いておられぬ」


 信長は満足そうに笑った。


「よい」


 やはりそれか。


 この男は、人が相手の怖さをきちんと感じ取れているかを見る。

 そして、怖いと知りながら逃げるか、なお見るかを試す。


「三上殿」


 蘭丸が部屋を出る際、小さく声をかけてきた。


「何だ」


「お気をつけを」


「いまさらだな」


「いまさらでございます」


 その一言が妙に可笑しくて、龍之介は少しだけ笑った。


 だが笑いながらも、胸の内は少し冷えている。


 羽柴秀吉、笑って現る。


 なるほど、まったくその通りだ。

 笑っている。

 だが、その笑いの裏で、こちらのどこへ爪を立てるかをもう測っている。


 次に会う時は、もっと深く来るだろう。

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