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第27話 都の顔、安土の顔

 都には、都の顔がある。


 安土には、安土の顔がある。


 そのことを、龍之介は理屈としてはすでに分かっていた。

 だが分かっていることと、実際にその違いへ毎日手を突っ込んでみることとは、まるで別だった。


 朝、安土の一角で受け取る文と、昼に都筋から回ってくる話は、同じ日本語で書かれていても別の生き物のようだった。


 安土の文は速い。

 誰が、いつ、何を、どうするか。

 それが見える。

 場合によっては荒い。

 だが荒くても、動かすには足る。


 都の話は違う。

 誰が何を望み、どこまで言ってよく、どこから先は濁すべきか。

 何を直接言わず、何を察してもらうか。

 それが文の中に幾重にも折りたたまれている。


 角を立てずに済ませるための言い回し。

 わざと主語を曖昧にする書き方。

 断っているようで完全には断っておらぬ返し。

 乗るようで乗らぬ曖昧な同意。


 最初は「なんだこの回りくどさは」と思ったものだ。

 だが数日そうした文に触れていると、その回りくどさそのものが都の秩序なのだと分かってくる。


 真っ向から言えば済むことばかりではない。

 言い切った瞬間に、面子が潰れ、顔が立たず、あとで根の深い反発を生むこともある。

 都は、そうしたものを曖昧さで包みながら回している。


 だからこそ、安土のまっすぐな言葉をそのまま投げ込めば壊れるし、逆に都の曖昧な文をそのまま安土へ持ち込めば、信長が「で、結局何だ」と不機嫌になる。


 詰まるのは当然だった。


 龍之介は、その日の朝も机に向かい、二通の文を並べて見比べていた。


 一通は都の寺社筋から来たもの。

 表向きは本能寺の朝に触れてはおらず、ただ「近頃の都は人心おだやかならず」だの「上様におかれても御心お安からずと拝察する」だのと、いかにも柔らかな言葉が並んでいる。


 だが、その中にある。

 ほんの少しだけ、本能寺の朝を知っている者の書き方 が。


 もう一通は安土側の奉行筋からの案文だ。

 こちらは率直だった。


 寺社筋への返答としては曖昧すぎ、都に余計な勘繰りを生ませる。よって、急ぎ言上の件は一時の細事として収め、追加説明は不要。


 間違ってはいない。

 だがこのまま都へ下ろせば、角が立つ。

 「一時の細事」と書いた瞬間、都側はむしろ“細事と言い切るほど都を軽う見ておるか”と受け取るやもしれぬ。


「……面倒だな」


 思わずそう漏れる。


 その時、障子の向こうで「まことに」と返ってきた。

 蘭丸だった。


「勝手に返事をするな」


「もっともな独り言でしたので」


「都の文を見ておる」


「でしょうな」


 蘭丸が入ってくる。

 相変わらず整った男だ。

 だが最近は、最初の頃より少しだけ龍之介との距離の測り方が変わったように思う。


 まだ完全に信用しているわけではない。

 むしろ信用などしていないのだろう。

 だが“上様が使う相手”として、どう扱えばよいかを彼なりに掴みつつある。


「その文、寺社筋ですか」


「うむ」


 龍之介が紙を軽く持ち上げると、蘭丸は横から見た。


「やわらかい」


「おぬしもそう思うか」


「やわらかいが、腹の中では固い」


 その表現に、龍之介は少し感心した。


「うまいことを言う」


「都の文など、だいたいそうです」


 蘭丸は続ける。


「安土の者が読むと、やわらかいだけで終わります。ですが都側の者は、このやわらかさの中で何を言っておるか、どこまで引くかを見ておる」


「その通りだ」


「三上殿が前に言った、“言葉の届け方を変える役”というのは、こういうところにございますな」


 龍之介は頷いた。


「そういうことだ」


 その時、影鷹がいつの間にか柱の影にいた。


「おぬしは本当に足音を置いてこぬな」


「便利でしょう」


「便利すぎる」


 影鷹は軽く一礼して言う。


「都側の口入れ筋、少し拾ってまいりました」


「早いな」


「詰まりを見つけるのでしょう」


 そう言われると返す言葉がない。


「で、どうだった」


 影鷹は声を潜めた。


「都側で申しますに、“安土は返しが早すぎる”と」


 龍之介は思わず苦笑した。


「それはまた、よく分かる苦情だ」


「都では、早く返ることが必ずしも礼ではないそうで」


「だろうな」


 安土では、速さは美徳だ。

 遅れれば機を失う。

 信長のもとではなおさらである。


 だが都では、返事の速さがそのまま誠意とは限らない。

 むしろ、あまりに早ければ“よく考えもせず断ったか”“こちらの面目を汲む間もなかったか”となる場合もある。


「他には」


「“安土は主語が強すぎる”とも」


 それも分かる。


 安土の文は、誰が決め、誰が命じ、誰が動くかがはっきりしている。

 それは武家としては正しい。

 だが都の曖昧な関係の中では、時に強すぎる。

 相手の逃げ道を奪い、面子を潰す。


「なるほど」


 龍之介は文の脇へ書き足しながら言う。


「返しが早すぎる。主語が強すぎる。言い切りが過ぎる、あたりか」


「さようにございます」


 蘭丸が少しだけ首を傾げる。


「では、どう変えます」


「命そのものは変えぬ」


 龍之介は言った。


「だが、枕を置く」


「枕」


「うむ。都への返しには、まず“そちらの案じるところ、こちらも汲んでおる”という前置きが要る」


 蘭丸はじっと聞いている。

 影鷹も黙ったままだ。


「そのうえで、本題へ入る。しかも断るにしても、一度“検討した”形を経る」


「面倒ですな」


 蘭丸が率直に言った。


「面倒だ」


「安土の文は、もっと短い」


「短くて済む相手ならそれでよい」


「では、都は」


「短いと、切る」


 蘭丸は少しだけ納得した顔になった。


「なるほど」


 龍之介は、都からの文の返しを口で組み立ててみる。


 案じるところもっとも、都の穏やかならぬ気配につきこちらも承知している。先朝の本能寺への急ぎ言上も、その一端にて、今のところ大事に及ぶものではなし。ゆえに御心安く。なお、時節柄互いに慎みたく――


 嘘ではない。

 だが、言い切ってもいない。

 都に必要なのは、こうした“含ませておく安心”なのだろう。


「……嫌になるほど回りくどいな」


 龍之介が言うと、影鷹が少し笑った。


「ですが、その回りくどさで今まで回してきたのでしょう」


「そうなのだろうな」


 安土の理だけで都を裁けば壊れる。

 都の理だけで安土を縛れば鈍る。

 ならば、両方を知ったうえで、どこで噛み砕くかを決めねばならない。


 その“噛み砕き”こそが、自分に振られた仕事なのだ。


     ◇


 その日の昼過ぎ、龍之介は実際にその“噛み砕き”を試すため、信長のもとへ呼ばれた。


 安土の一室。

 茶室ではない。

 だが軽い話をする空気でもない。


 信長は文をいくつか広げていた。

 その中には、龍之介がさきほど見ていた寺社筋からの文もある。

 信長の周囲には、もう情報が集まっている。

 自分が拾って整理するより速く、あの男のところへは物も人も集まる。

 ただ、その集まったものをどう使うかとなると、また別の話になるのだろう。


「来たか」


「は」


「おぬし、都の顔を見たな」


 信長はいきなりそう言った。


「見ました」


「どうだ」


「面倒にございます」


 正直に言うと、信長は少し笑った。


「安土よりか」


「比べる方向が違います」


「申せ」


「安土の面倒は、速くて重い」


「うむ」


「都の面倒は、柔らかくて長い」


 その返しに、信長の目が少しだけ細まった。


「よい」


「ありがたき」


「続けよ」


 龍之介は説明した。


 返しが早すぎると都では角が立つこと。

 主語が強すぎると逃げ道を潰すこと。

 言い切りが過ぎれば相手に“立つ顔”を失わせること。

 そのため、命そのものは変えずとも、届け方と前置きを変えねばならぬこと。


 信長は黙って聞いていた。


 話を遮らぬ時の信長は、それだけで相手を少し喋らせすぎる怖さがある。

 こちらの口からどこまで本音が出るか、どこまで理解しているかを、最後まで聞いて見切るつもりなのだ。


「……なるほど」


 やがて信長が言った。


「都は、命をそのままぶつければ壊れるか」


「はい」


「ならば、おぬしならどう届ける」


 龍之介は、先ほど組み立てた返しの一部をその場で言葉にした。


 都の案じる気配を先に汲み取る。

 そのうえで、こちらも承知していると示す。

 本能寺の朝の件は“急ぎ言上の一端”として置き、大事には及ばぬと安心だけを与える。

 だが中身は細かく書かず、相手に“まだ聞く筋も残っている”と思わせておく。


「ふん」


 信長が鼻を鳴らした。


「回りくどい」


「都向きにございます」


「嫌になるな」


「私も少しなりました」


 その返しに、信長は声を立てずに笑った。


「だが、必要なのだろう」


「はい」


「ならば使う」


 そう言い切る。


 やはり、この男は止まる気がない。

 面倒ならやめる、ではなく、面倒でも使えるなら使う。

 そこが信長の怖さでもある。


「龍之介」


「は」


「おぬし、都の顔と安土の顔をどう見る」


 その問いは少し大きかった。


 龍之介は、一息だけ考える。


「都は、折れぬように曲がる顔かと」


「ほう」


「安土は、曲がらぬように立つ顔です」


 信長はじっとこちらを見た。


「なるほどな」


「どちらも正しい」


「うむ」


「ですが、そのままぶつければ折れる」


 信長は、そこで少しだけ目を細めた。


「よい」


「は」


「ではおぬし、その二つの顔のあいだに立て」


 言い方は軽い。

 だが、やはり重い。


「都の顔を安土へ持ち込む時は噛み砕け。安土の顔を都へ下ろす時は角を削げ」


「承知いたしました」


「だが」


 信長の声が少し低くなる。


「顔ばかりを見て、こちらの速さを殺すな」


 龍之介は、その一言にこの男の本質を見る思いがした。


 そうだ。

 都と安土のあいだに橋を架ける。

 それは信長を都化することではない。

 安土の速さと重さを保ったまま、壊れぬよう流すことなのだ。


「そこは違えませぬ」


 龍之介は答える。


「私は、上様の速さを止めるためにおるのではありませぬ」


「ならば何のためにおる」


「その速さで折れる者を減らすためにございます」


 信長は、しばらく黙った。

 その沈黙の中で、部屋の空気が少しだけ張る。

 やがて、信長はふっと笑った。


「面白い」


「ありがたき」


「褒めておる」


 珍しいこともあるものだ、と龍之介は少しだけ思う。


「では、やれ」


 信長は言う。


「都と安土、それぞれの顔を、おぬしの頭で一度ずつ噛み砕いて持ってこい」


「は」


「見たいのだろう」


「……何を、にございます」


 信長の目が鋭くなる。


「儂の先を」


 その言葉に、龍之介は一瞬だけ息を止めた。


 たしかにそうだ。

 本能寺でこの男を止めた時から、自分の中にあるのはそれだ。

 信長の先が見たい。

 惜しいと思ったその先を、自分の目で確かめたい。


 ならば、それをただ観客席から眺めるのではなく、手を汚してでも支えろということなのだろう。


「……はい」


 龍之介は、静かにそう答えた。


     ◇


 部屋を出たあと、龍之介は少しだけ深く息を吐いた。


 影鷹が廊下の向こうから現れる。


「いかがでした」


「面白い、と言われた」


「それは結構」


「だが、褒めでもあると言われた」


 影鷹が少しだけ眉を上げる。


「珍しい」


「そうか」


「はい。上様は、面白いと使えるを一緒にすることはあっても、褒めとまではあまりおっしゃらぬ」


 それはたしかに、少し珍しいことだったのかもしれない。

 だが嬉しいというより、やはり重い。

 この男に見込まれるというのは、何かひとつ上手くやった、という程度の話では終わらないからだ。


「それで」


 影鷹が問う。


「都の顔と安土の顔、見えてきましたか」


 龍之介はしばらく廊下の先を見て、それから答えた。


「少しだけ」


「どのように」


「都は、折れぬように曲がる」


「はい」


「安土は、曲がらぬように立つ」


 影鷹は、その言葉に少しだけ目を細めた。


「よく見ておられる」


「そうか」


「ですが、両方をそのまま一つにするのは無理でしょうな」


「うむ」


「ならば」


「そのまま一つにするのではなく、ぶつかって折れぬよう、角度を変えるしかない」


 影鷹は、そこで珍しく声を立てずに笑った。


「だいぶ、この城の仕事らしい顔になってまいりました」


「嬉しくない評価だ」


「ですが事実にございます」


 龍之介は、安土の窓から遠くの空を見た。


 都と安土。

 顔と理。

 曖昧さと速さ。

 それらをどうつなぐか。


 本能寺を止めたことより、もしかするとこの先の方がずっと難しいのかもしれない。

 だが、だからこそ、信長は面白がっているのだろう。


 そして自分もまた、厄介だと思いながら、どこかで少しだけ面白がり始めている気もした。

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