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『戦国転生剣豪録 ――死ぬ間際の心残りは今期アニメの最終回でしたが、目覚めたら美少女閻魔に戦国転生を勧められたので本能寺の変を覆しに行きます』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第103話 小橋を渡る狐は、まだ尻尾を隠している

 大きな火は、正面から来る。


 少なくとも、そう見える。


 信長の理。

 光秀の橋。

 秀吉の糸。

 公家の顔。

 寺社の段。

 町の荷。

 そういうものは、皆それぞれに大きい。

 大きいからこそ、人はついそちらばかりを見る。


 だが本当に厄介なのは、大きな火そのものではなく、その火の周りを小さく走る影なのだろう。


 狐のようなものだ。

 自分では火を起こせぬ。

 だが、どこが乾いているかを嗅ぎ分け、尾でそっと払う。

 それだけで、まだ名もない熱が別のところへ移る。


 紀伊屋の与助という男は、まさにそういう匂いをまとい始めていた。


 まだ大物ではない。

 火元でもない。

 だが、火に近づく足音を商いに変えられる顔。

 信長が文で言った

 京を使って己を立てようとする者ども

 という言葉の、最も小さく、そして最も見落としやすい形かもしれない。


「……嫌な役回りだな」


 朝、宿の奥で書き付けを見ながら龍之介がそう呟くと、影鷹が言った。


「今さらでございます」


「おぬしは本当にそれしかないのか」


「本当にその通りにございますので」


 やはり腹は立つ。

 だが、その一言で余計な気負いが少し抜けるのも事実だった。


 机の上には、与助について拾えたことが箇条書きで並んでいる。


町の商人と名乗るが、大きな荷には触れない

用人の手前にいる者へ、小さな恩を置く

寺や公家屋敷へ入る細かな品を、少し早く通す顔を持つ

しかも、その恩が大きすぎない

大きすぎぬから、受ける側も“借りを作った”と構えずに済む


 厄介だった。

 こういう男は、まだ誰の側かを決めていないことが多い。

 だからこそ、余計に危ない。

 使われる前に、自分で使われる場所を探し始めるからだ。


「三上殿」


 影鷹が言う。


「何だ」


「本日は、見に行かれますか」


「行く」


「近づきすぎますか」


「いや」


 龍之介は首を振った。


「今日は、向こうにこちらの存在を半分だけ見せる」


 影鷹が少しだけ目を細めた。


「半分、にございますか」


「完全に知らぬ顔で追えば、向こうも好きに育つ」


「はい」


「だが、いきなり明智や羽柴の影を背負って触れれば、その瞬間に器が変わる」


「そのように」


「だから、三上龍之介という、まだ軽くも重くも見きれぬ橋の顔で、一度だけ風を当てる」


 それが今日の役目だった。


     ◇


 与助が現れたのは、予想より少し早かった。


 町の大通りではない。

 だが完全な裏でもない。

 人の出入りがあり、荷も少しは通り、誰かと立ち話をしていても不自然ではない辻だった。


 そこに与助はいた。


 年は四十前後。

 痩せても太ってもいない。

 良い布を着ているわけではないが、安物の着崩しでもない。

 顔立ちは、これといって記憶に残らぬように整っている。

 それ自体が、こういう男の才かもしれなかった。


 人へものを売る顔ではなく、話の行き先を確かめる顔。

 主人の見立ては正しかった。


 与助は、ある用人の手前にいる若い者と、何でもない顔で話していた。

 内容は聞こえない。

 だが距離が近すぎず、遠すぎず、相手を急かしているようにも見えぬ。

 つまり、“こちらは急ぎではない。ただ覚えておいてくれればよい”という話の置き方だ。


「……うまいな」


 龍之介が小さく言うと、影鷹が答えた。


「はい」


「焦っておらぬ」


「それが逆に、焦っておる者の顔でもございます」


 なるほど。

 たしかにそうだ。

 この種の男は、焦っていると見えた時点で値が落ちる。

 だから平静を装う。

 その平静さの中にこそ、動きたがっている匂いが出る。


 龍之介は、あえてまっすぐには近づかなかった。

 辻を挟んで少し離れた店先へ立ち、手に取った品を見ているふうをする。

 そして、用人筋の若い者が先にこちらへ気づくくらいの距離に立つ。


 やがて、その若い者が一度だけこちらを見た。

 その視線の動きで、与助もまたこちらへ目を向ける。


 一瞬だけ。

 ほんの一瞬だけだが、その目は確かに動いた。


 驚きではない。

 怯みでもない。

 量る目 だった。


「……なるほど」


 龍之介は内心で思った。


 この男、こちらを知らぬわけではない。

 少なくとも、京でいま何の顔がどのくらいの重みを持つかは、すでに調べている。

 自分を見て“誰だ”ではなく、“どこまで見られているか”を測ったのだ。


 そこで初めて、龍之介はゆっくり与助の方へ歩み寄った。


     ◇


「与助殿、か」


 龍之介が声をかけると、男はすぐに柔らかな笑みを作った。


「これは、三上様」


 やはり知っている。


「存じておりましたか」


 龍之介が言うと、与助は少しだけ頭を下げた。


「京におりますれば」


 その返しに、龍之介は思わず少しだけ笑いそうになった。

 こちらがいつも言われている台詞を、そっくり返してきたのだ。


「そうか」


「お噂は、少々」


「よい噂か、悪い噂か」


 与助は、そこで絶妙に困ったような顔をした。


「噂というものは、たいてい半分ずつにございます」


「正直だな」


「商いにございますので」


 言葉の置き方に無駄がない。

 警戒しすぎてもいない。

 かといって気を抜いてもいない。

 やはり、厄介だ。


「与助殿」


 龍之介は何でもないふうに言った。


「近ごろ、あちこちで顔が利くそうだな」


「とんでもない」


「寺の手前にも、公家筋の小口にも」


「細々した用向きが、少々」


「それだけで済むか」


 その一言で、与助の目がわずかに細くなった。

 ほんの少しだけ。

 だが、見逃すほど鈍ってはいない。


「三上様」


「何だ」


「何か、私めが無作法を」


「無作法とまでは言わぬ」


「……」


「ただ、いまの京は、細々した用向きのつもりで足を入れると、思わぬ深みに触れることがある」


 与助は黙った。

 そこだ。

 たぶんこの男も、もうそのこと自体は分かっている。

 分かった上で、なお“どこまでなら入れるか”を測っているのだ。


「お言葉、肝に銘じます」


 そう言って頭を下げる顔は、整っている。

 だが整いすぎている。

 本当に肝に銘じる者の顔ではない。

 “ここでどう引くのが最も損が少ないか”を計る顔だ。


「引け」


 龍之介は、あえて短く言った。


 与助は、一瞬だけ目を上げた。

 やはりその一言は予想の外だったのだろう。


「何から、にございますか」


「いま、急に理へ近づいたふうの足をしている」


「……」


「その足が、誰か大きな者の意でなく、おぬし自身の欲ならなおさらだ」


 そこまで言うと、与助の顔から笑みが完全には消えないまま、目だけが冷えた。


 やはり。

 この男は、まったくの使い走りではない。

 自分でも機を嗅いでいる。


「三上様」


 与助が低く言う。


「私は、ただ細々した道をつなぐだけにございます」


「それで済む時ならよい」


「今は済まぬ、と」


「そうだ」


 短い沈黙があった。


 そこで龍之介は、それ以上踏み込まなかった。

 ここで詰めれば、この男に“自分はそこまで重く見られた”という値を与える。

 それはまだ早い。


「覚えておけ」


 龍之介は言った。


「いまの京は、小橋を勝手に架けるには水が深い」


 与助は、少しだけ笑みを戻した。


「よく分かりました」


 分かってはいないだろう。

 あるいは、分かっていても止まらぬかもしれない。

 だが今日必要だったのは、それだけで十分だ。


     ◇


 戻ってから、影鷹が言った。


「どう見られました」


「賢い」


「はい」


「だが、大きくはない」


「ほう」


「いまはまだ、自分を売る場所を探している」


「……」


「誰かの手としてではなく、まず自分の足で理へ寄ろうとしている」


 そこが厄介なのだ。


 大きな敵なら構えやすい。

 だが、こういう小賢しい者は、大きな火そのものにはなれぬ代わりに、火の周りへ勝手に乾いた草を積んでいく。

 しかも、自分ではそのつもりすらないこともある。

 “少し役に立つ顔”を売っているだけのつもりで、場を余計にややこしくするのだ。


「三上殿」


 影鷹が言う。


「何だ」


「引きますか」


「いや」


「まだ見ますか」


「うむ」


「なぜ」


「今日、こちらの存在を半分見せた」


「はい」


「それで足を止めるなら、ただの小狐だ」


「……」


「だが、それでも寄るなら、いよいよ誰かに売る気がある」


 そこを見極める必要がある。


     ◇


 夕方、秀吉へだけ与助とのやり取りを薄く流した。


 秀吉は、話を聞き終えると笑わなかった。


「三上殿」


「何だ」


「そこは、ようございました」


「何が」


「詰めきらず、値もやりすぎず、だが“見られておる”とは分からせた」


 たしかに、そういうことなのだろう。


「羽柴殿なら、どうした」


 龍之介が問うと、秀吉は肩をすくめた。


「わしなら、もう少し恩で止めます」


「……」


「怖がらせるのでなく、“こちらに寄れば損はない”と見せる」


「嫌なやり方だ」


「ありがたいことです」


 やはり、この男とは最後まで合わぬ気がする。

 だが、その嫌さが役に立つ場もある。


「ただし」


 秀吉は続けた。


「いまの段で、わしがそれをやると、余計に器が増えます」


「だろうな」


「だから、三上殿でようございました」


 ありがたくない褒め方だが、理は通っていた。


     ◇


 夜、龍之介は今日の与助の顔を何度も思い返していた。


 笑み。

 間。

 冷えた目。

 そして、最後まで崩れきらなかった整い方。


「……尻尾はまだ隠しているな」


 そう呟くと、影鷹が言った。


「今さらでございます」


「いや、今回は少し違う」


「ほう」


「火はまだ見えていない。だが、小橋を渡る狐は見えた」


 影鷹は静かに頷いた。


「なら、次は」


「その狐が、どの岸へ渡ろうとするかだ」


 それが次の段なのだろう。

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