第14話:一ノ瀬の警告:『奪う支援』
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1. 虚飾の剥落
タクヤくんが嵐のように去った後の工房は、不気味なほどの静寂に包まれていた。
私は、自分のスマホを握りしめたまま、事務室のパイプ椅子に力なく腰を下ろしていた。先ほどまで感じていた「彼に必要とされている」という高揚感は霧散し、代わりに冷たい自己嫌悪が足元から這い上がってくる。
「……あいつ、駅前のコンビニで立ち読みしてたぞ。死ぬ気なんて一ミリもねえよ」
一ノ瀬さんが、外回りから戻ってきたついでに吐き捨てた。彼は私の向かい側にどっかりと座り、机の上に一冊の分厚い個別支援計画書のファイルを開いた。そこには「タクヤ」という見出しとともに、数年分にわたる記録が綴じられている。
「……一ノ瀬さん。私、タクヤくんの家庭環境を聞いて、放っておけなかったんです。お母さんに否定され続けてきたって……だから、私が肯定してあげなきゃいけないって」
私の絞り出すような声に、一ノ瀬さんは鼻を鳴らした。
「肯定、ねえ。……お前がやったのは肯定じゃない。『飼育』だ。あいつが自分で動かなくてもエサがもらえるように、先回りして手足を奪っただけだ」
一ノ瀬さんは、ファイルの一枚を指さした。そこにはタクヤくんの幼少期からの成育歴が記されていた。
「よく読め。タクヤの母親は、あいつを否定し続けてきたんじゃない。……逆だ。過保護、過干渉、そして支配だ」
「え……? でも、彼は……」
「あいつの言うことを真に受けるな。タクヤの母親はな、あいつが障害を持って生まれたことを自分の罪だと思い込んだ。だから、あいつが転ばないように、傷つかないように、すべての石ころを先回りして取り除いたんだ。靴を履かせるのも、服を着せるのも、進路を決めるのも。あいつが『自分で選ぶ』という経験を、親がすべて奪ってきたんだよ」
ファイルの中の文字が、私の視界で歪む。
そこには、母親がタクヤくんの代わりにすべてを回答し、彼が失敗しそうになるとすぐに手を貸してしまう様子が、歴代のケースワーカーによって克明に記録されていた。
「結果、あいつはどうなったと思う? ……『自分は何をやっても無駄だ。誰かにやってもらわなきゃ生きていけない』という強烈な学習性無力感を身につけたんだ。あいつにとって、弱さは欠点じゃない。他人をコントロールするための、最強の『武器』になったんだよ」
2. 成長を殺す毒
一ノ瀬さんの言葉は、鋭いメスのように私の心を切り裂いていった。
「お前は、タクヤにパンの袋詰めを手伝わされた時、どう感じた? 『私がいなきゃダメだ』『役に立っている』……そう思って気持ちよくなっただろ」
「……っ」
「それが罠なんだよ。タクヤは、相手のその『認められたい』という飢えを敏感に嗅ぎ取る。そして『できない』『助けて』という餌を撒く。お前がそのエサに食いついた瞬間、あいつの成長は止まる。いや、死ぬんだ」
一ノ瀬さんは、窓の外で止まったままのミキサーを見つめた。
「支援員が一番やってはいけないこと。それは、利用者の『失敗する権利』を奪うことだ。失敗して、恥をかいて、悔しくて、それでも自分でやり遂げる。そのプロセスの中にしか、自尊心は宿らない。……お前が良かれと思って肩代わりしたその作業は、あいつが人間として立ち上がるための筋肉を、一本ずつ削ぎ落としてるのと同じなんだよ」
私は、昨日のタクヤくんの様子を思い出した。
彼が「手が痛い」と言った時、私は疑いもせずパンをスライスした。
彼が「寂しい」と言った時、私は寄り添い続けた。
そのたびに、タクヤくんの目は、どこか空虚で、私を嘲笑っているようにも見えた。
彼は私を信頼していたのではない。
「この女は、どこまで僕の代わりに泥を被ってくれるだろうか」と、冷徹にテストしていたのだ。
「……私は、彼を救っているつもりで、彼の自立を殺していたんですね」
「そうだ。お前が注いでいたのは愛じゃない。自分の存在価値を証明するための『毒』だ。……タクヤにとって、お前は優しいお姉さんじゃない。自分の足で歩かなくて済むようにしてくれる、都合のいい車椅子だったんだよ」
一ノ瀬さんは、ファイルをバタンと閉じた。その音は、私の甘い幻想に引導を渡す鐘の音のように聞こえた。
3. 『奪う支援』からの脱却
「……一ノ瀬さん。私は、どうすれば償えますか」
「償う? 傲慢だな。お前にそんな大層なことはできねえよ」
一ノ瀬さんは、珍しく椅子から立ち上がると、棚から古い木製のトレイを取り出してきた。
「明日から、タクヤには一切手を貸すな。あいつが泣こうが、喚こうが、自傷のフリをしようが、無視しろ。……あいつが自分の力で、たった一個のアンパンを袋に入れられるまで、お前は一歩も近づくな」
「でも、もし彼が本当にパニックになったら……」
「その時は俺が出る。……森下、お前はあいつにとっての『依存の避難所』になっちゃいけないんだ。あいつが『自分でやるしかない』と絶望するまで追い込む。それが、あいつの人生に対する、唯一の誠実さだ」
一ノ瀬さんは、事務室を出る間際に振り返った。その瞳には、かつて自分が救えなかった誰かへの、深い後悔の影が宿っているように見えた。
「……いいか。支援員ってのはな、利用者を笑顔にする仕事じゃない。利用者が、自分一人の足で、冷たい世の中を歩いていけるように、心を鬼にして突き放す仕事だ。……お前にその覚悟があるか?」
私は、答えられなかった。
喉の奥が熱く、視界が滲む。
自分が「良い人」でありたいという願いが、これほどまでに残酷な結果を招くとは。
その日の帰り道。
私は、駅のホームの喧騒の中で、自分の掌を見つめた。
タクヤくんの重荷を肩代わりし、汚れたはずの私の手は、驚くほど白く、何も掴んでいなかった。
(……ごめんね、タクヤくん)
私の唇から、微かな謝罪が漏れた。
それは、彼に依存させてしまったことへの、そして、これから彼を突き放さなければならないという、私の身勝手な覚悟の表明だった。
翌日の朝。
工房に現れたタクヤくんは、いつものようにキラキラとした笑顔で私に駆け寄ってきた。
「くるみさーん! おはようございます! 今日も僕、全然ダメで……手伝ってくれますよね?」
私は、その潤んだ瞳を真っ向から見据えた。
心臓が激しく脈打ち、胃のあたりがキリキリと痛む。
けれど、私は震える声を抑え、一歩、後ろへ下がった。
「……おはよう、タクヤくん。今日は、一人でやってみて。私は、手伝わないよ」
タクヤくんの笑顔が、一瞬で凍りついた。
その背後で、一ノ瀬さんがスマホのパズルゲームの音を鳴らした。
新しい、そして今までで最も孤独な戦いが、今始まったのだ。
(第14話・了)
実体験から書きました。少しでも、福祉従事者の役立つ情報になればと思い執筆してます(^^)
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