表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/52

第35話 一本の映画

 能力者たちが一目散に逃げ出す。

 動けない者は、その場で気絶した。


 そんな中、ひとりだけ。

 俺に向かって歩いてくる男がいた。


「天使に続いて、神に出会えるとは。私も幸運だな」


 ──ノア・ブラッドウッド。


 神社で会った時とは違う。

 写真通りの姿だった。


 言い回しが台詞臭く、動きまで演技みたいだ。


 俺は冷静にノアを見て、静かに問う。


「神殺しでも試してみるか?」


 ……恥ずかしい。


 冷静に考えたら、神だの天使だの、現実離れしすぎている。

 今さら引っ込められないのが、一番恥ずかしい。


 ノアは笑い、右手を天に掲げた。


「それが私の役だとしたら、全力で演じて見せよう」


 俺は身構えたが、すでに遅かった。


 体中の感覚が、一瞬で消える。


 気づいたときには肉体が、細切れに裁断されていた。


 痛みが来る前に、視界がほどける。

 血の温度すら分からない。

 重力だけが残った。


 だが――すぐに結合する。


 赤黒いものがうごめき、肉を寄せ、骨を押し戻す。

 血管が繋がり、皮膚が張る。


 呼吸が戻る。


 ノアが納得したように頷いた。


「どこかに核があるわけではないようだ」


 俺は息を吐く。


「これが限界か?」


 ノアの目尻から、血が流れていた。

 ひとつの斬撃を、ひとつの物理現象として再現する。

 この数を維持するのは、相当な負荷のはずだ。


「参ったな。勝てる映像が、まるで浮かばない」


 ノアは楽しそうに笑った。


「だったら諦めろ」


 俺はノアに近づく。


 一歩。

 一歩。


 距離が縮まるたび、空気が硬くなる。


 ノアは逃げない。

 視線の先は、俺の左腕。


 透明な刃。

 斬撃の再現。


 反応はできても、回避はしない。


 俺の左腕が落ちた。


 遅れて痛みが来る。

 断面が熱い。


 だが、俺は腕を拾わない。

 拾う時間が無駄だ。


 俺は踏み込む。


 ノアの視線が、わずかに細くなる。


 もう数歩歩いたところで、視界が落ちた。

 世界が黒くなる。


 次の瞬間、戻る。


 失血死。

 だから治った。


 俺は何事もなかったように、前へ進む。


 ノアの笑みが、ほんの少しだけ歪む。


「死なないと再生できないのか。不死とは実に不便で、そして興味深い」


「だったら勝てそうか?」


 俺は距離を詰める。


 攻撃はない。


 ノアは見透かした目で言う。


「方法は、用意してあるのだろう?」


 俺は答えない。

 致死量の麻酔を、いつでも使えるよう準備している。だが、それは最終手段だ。


 不死とはいえ、俺は死にたくない。


 距離が、ついにゼロになる。

 俺は立ち止まる。


「構図だ。違うか?」


 再現は距離で安定する。

 近すぎると構図が崩れる。撮影と同じだ。


 ノアは能力を使わなかったのではない。

 使えなかったのだ。


 だが、そうだとしたら。

 ノアが俺に近づいてきた理由が分からない。


「美しさのためだ。こればかりは仕方がない」


 ノアは右足を後ろへ引き、拳を俺に向けて構えた。


 俺は意図に気づきながらも、一応聞く。


「なんのつもりだ」


「戦闘シーンのラストは格闘戦だと相場が決まっているのだよ」


「いいだろう」


 俺も右足を後ろへ引き、拳をノアのそれに合わせる。


 拳と拳の間に、月光が落ちた。


 次の瞬間。


 ノアが先に踏み込んだ。


 速い。

 だが、綺麗すぎる。


 映画のアクションだ。

 当てる角度も、重心の置き方も、見せるために整っている。


 俺は拳を上げる。受ける。


 骨が鳴った。


 痛い。

 だが、痛みはいつも通りだ。


 俺は一歩、前に出る。


 腹へ拳を入れる。


 当たったはずなのに、ノアの身体が僅かに逃げる。

 衝撃が半分だけ抜ける。


 さっきまでの能力じゃない。

 ただの受け身。撮影用の受け身。


 完璧すぎる動きは、達人の域に達している。


 俺はもう一度、今度は容赦なく踏み込む。


 ノアの頬をかすめた拳が、皮膚を裂いた。


 血が飛ぶ。


 ノアが笑った。


「対象年齢を上げよう」


「いまさらだろ」


 俺は言って、膝で蹴る。


 ノアの脇腹に膝が入る。


 鈍い音。

 空気が吐き出される。


 ノアは倒れない。

 倒れないように耐える。耐えて、立っている絵を作る。


 俺は胸倉を掴んだ。


 引き寄せ、頭突きを叩き込む。


 額と額がぶつかる。


 ノアがよろける。


 俺は追う。


 逃がさない。


 殴る。

 殴られる。

 肋が軋む。

 歯が鳴る。


 泥臭い。

 綺麗じゃない。


 それでもノアは笑う。


「いい……その顔だ」


 俺の拳が、ノアの口元を割った。


 ノアの拳が、俺の顎を捉えた。


 視界が揺れる。


 俺は倒れかけ、膝をつく。


 死ぬ気などない。

 不死も能力も関係ない。


 ノアが息を切らしながら、俺を見る。


「……そうだ。それだ。最後に残るのは、それでいいのだ」


 俺は答えない。


 拳を振るう。

 

 違う。


 何も考えずに、拳は振るわれていた。


 ノアが膝をついた。


 それでも笑っている。


 最後の一発。


 俺の拳が、ノアのこめかみを打った。


 ノアは嬉しそうに倒れた──




 俺はノアの傍らに座る。


 月光の下、二人の男が照らされた。


「良い構図だ」


 ノアが満足そうに呟く。


「目的はなんだ」


 俺は静かに聞いた。


「この瞬間のため、かもしれないな……」


 歯切れの悪い言葉だった。


「感謝してる。零番なら、私に触れただけで終わらせられたはずだ」


 それは違う。

 だが、今さら否定することでもない。


「……聞かせてくれ」


 俺は立ち上がり、距離を作る。

 ノアの呼吸を見て、追い込みすぎない位置に立つ。


「なぜ、俺の視覚と聴覚を生かした」


 あのミイラの現象は、俺の前では再現されていなかった。


 ノアは肩をすくめる。


 そして、いつもの笑みで言った。


「それだと、綺麗に撮れないだろ?」


 その瞬間。


 ノアが倒れていた地面が割れた。


 ひびではない。

 舞台の終わりみたいに、下へ抜ける裂け目。


 ノアの身体が沈み、影が薄れていく。


 ノアは最後まで監督だった。


 俺は長く息を吐き、空を見上げる。

 耳鳴りだけが、遅れて静かになった。


 その時、背後に誰かが立った。


 圧で分かる。

 間宮時雨だ。


「あなたは……私の王子さま、なのか?」


 意味が分からない問いかけ。


「俺は死神さ」


 それだけを言い残し、俺は振り返らず歩き始める。


 追われることはない。


 ただ、背中に刺さる視線が──どの攻撃よりも痛かった。



 *



 古びた神社の境内で、ノア・ブラッドウッドは倒れていた。


「天使の顔を拝めないのは、残念だ」


 ノアは、隣に立つ少女へ向けて言った。


 目は開いているのに、焦点が合っていない。

 限界を超えた能力の使用が、視力を削っていた。


「当たりだった?」


 少女が静かに聞く。


「どうだったかな」


 ノアは笑っていた。


「……そう。でも残念。これで終わり」


 少女の声は、淡々としている。


「十分だ。ありがとう」


 ノアの意識が、遠のき始める。


「最後に聞かせてくれないか?」


 歩き出しかけた少女へ、ノアは言った。


「今回は……面白かったかな?」


 足音が止まる。


 少しの間の後。


「牛丼の玉ねぎぐらい」


 返答は、意味が分からないものだった。


 それでもノアは満足する。

 口元が、僅かに上がった。


「……それは、甘い評価だ……」


 言い終える前に、息が落ちた。


 そして、記憶と一緒に、能力は消えていった。


 ノア・ブラッドウッドの人生は、誰かに見せるための一本の映画だった。


 どこかで鈴が一度だけ鳴る。

 風がページをめくるように木々を鳴らし、その音だけがエンドロールみたいに続いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ