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第30話 面倒ごと

 宿屋を出て、街を歩く。

 朝方の温羅島は、静かだった。


 シオンはイズに任せている。問題ない。


 鷺森についても、今は考えなくていい。

 彼女は弱い。その事実は確定している。


 俺は俺で、この面倒事に終止符を打つ。


 繁華街から少し離れた場所にある、小奇麗なビル。

 ガラス張りの玄関の前に、スーツ姿の見張りが立っている。島の朝には似合わない、威圧的な立ち方だ。


 俺が近づくと、見張りは一瞬だけ俺の顔を確かめて、すぐにドアを開けた。

 言葉はない。歓迎でも警戒でもなく、ただ『通せ』と決められている動き。


 建物の中に入ると、別の見張りが先導する。

 廊下は静かで、足音が妙に響いた。


 そして、昨夜ぶりの部屋へ戻って来た。


「入るぞ」


 俺は室内に入る。


「やあ。待っていたよ」


 執務机に座る水無が、笑顔で迎えてくれた。


 俺は勝手にソファに座り、いつもと違う光景に対して聞いた。


「みつめは?」


「みつめちゃんには、別件を頼んでいるよ。聞かれたくはないだろう?」


「そうだな」


 俺は水無のことを信用していない。

 だが、嘘をつかない人物だとは理解していた。

 嘘をつかない代わりに、本心も言わない。そこが一番厄介だ。


「本題に入る。俺が知りたいのは、ある能力者についてだ」


 雑談をするつもりはない。

 さっさと用件を終わらせて、この島にサヨナラを言おう。


「いいよ。知っている情報なら」


 水無は笑顔を崩さない。机の上の書類に触れもしない。聞くことだけに集中している。


「裏の世界で、“幸運”の能力を持つ者を教えて欲しい」


 俺の問いを聞いた瞬間、場の空気が変わった。

 水無の笑顔自体は同じなのに、目の奥の光だけが一段落ちる。


 しばらくの沈黙の後、水無が話し出す。


「それを聞いたら、裏の面倒ごとに巻き込まれるとしても?」


「問題ない」


 面倒ごとにはすでに巻き込まれている。

 それを断ち切るための情報だ。


 再びの沈黙。


 水無が、さっきより少しだけ重い口調で答える。


「……倉井(くらい)光吉(みつよし)


「それが能力者の名前か?」


「そうだね。ただ、彼自身は面倒ではない。問題は、彼を飼っている女だよ」


 飼っている。

 その言い方だけで、上下関係の形が見えた。


「聞かせてくれ」


「覚悟は決まっているようだね」


 水無は一呼吸置き、名前を言う。


「ミレイ──日本に“裏”を作った能力者さ」


 その名前は知っている。

 ただ、不可解な点がある。


「奴は俺が生まれる前の能力者だぞ。とっくに死んでいるという話だが」


「どうかな」


 水無は軽く肩をすくめた。

 否定もしない。肯定もしない。

 その仕草が、逆に嫌な確信をくれる。


「そうか……。それで、奴らの拠点は分かるか?」


「分からないね」


 水無は首を横に振る。迷いがない。

 これ以上の情報は、本当にないみたいだ。


 敵の正体が分かっただけでよしとするか……


 俺は立ちあがった。

 あとは味原に温泉饅頭を買って、更なる面倒ごとに巻き込まれないよう帰るだけ。


 ドアに手をかけた俺に、水無が声をかけてきた。


「レイジ君がなんで、彼女らと関わることになったか分からないけど、あまりオススメはしないかな」


 忠告。

 親切に見せかけて、線引きでもある。


「検討する」


 俺は振り返らず、手を上げた。

 お別れの合図だ。


 もう会うことはないだろう。

 もうこの島に来ることも、ないだろう。


 ……そう思った、そのとき。


 通路を走って来る足音が、こちらへ一直線に迫ってきた。

 次の瞬間、曲がり角から飛び出してきたみつめと、正面からぶつかりそうになる。


「レイジ! ちょうどいいところに!」


 俺は手を掴まれ、そのまま部屋へ引き戻された。


「どうしたの? みつめちゃん」


 水無が、さっきと同じ笑顔で言う。


「クソ水無! ノアが、ノア・ブラッドウッドが現れやがった!」


 俺は部外者だ。


 帰してください……



 *



 間宮時雨は、街の通りに出た瞬間、空気が変わったのを感じた。


 温羅島の朝は、南側も静かだ。

 しかし、北側の森とは違う違和感がある。


 時雨は足を止めかけた。


 重く、鋭い。


 視線ではない。

 もっと手触りのある、感情の圧。


 誰かがこちらを見ているというより、こちらへ向けて”何か”を構えている。


 時雨は表情を変えない。


 変装は崩れていない。

 服も髪も、立ち居振る舞いも、島の観光客に紛れる形にしてある。


 それでも、通りの端で一人が立ち止まり、視線を逸らした。


 逸らしたはずなのに、敵意だけが残る。


 次の角を曲がると、今度は店先の男が笑顔のまま硬直した。

 手元の作業が止まる。目だけが動く。


 時雨は歩く速度を変えない。


 隣を歩く才谷成田が、軽く肩を揺らした。

 声を出さない問いかけ。


 時雨は小さく首を振った。


 情報が足りない。

 今ここで動けば、相手の望む形になる。


 違和感は、連鎖していく。


 通りの向こうから、子どもの笑い声が聞こえた。


 時雨の姿を見た瞬間、それはぴたりと止んだ。


 時雨は理解する。


 現場が、先に作られている。


 事件は起きていない。

 でも、起きる場所が用意されている。


 時雨は足を止めず、視線だけで周囲をなぞった。


 感じるのは恐怖、そして殺意。


「……恨まれてるな」


 時雨が小さく呟くと、才谷が同じく小声で返した。


「……バレてますか?」


「どうだろうな」


 時雨が言い終えた瞬間、どこかで誰かが笑った。


 笑い”声”ではない。

 空気が、笑った。


 波が伝わる。


 音、すなわち物理現象。


 時雨の背に、冷たいものが走る。


 誰かが、ここを舞台にしている。


 時雨は、ようやく確信した。


 時雨が島に存在するというこの状況。

 それ自体が、ノアの作った流れなのだと。


 才谷が歩調を合わせたまま、視線だけで合図する。


 輪鈴リナと苅田桐郎が、半歩遅れて並んだ。


 リナは軽口を叩ける顔をしているのに、目は笑っていない。

 苅田はいつも通り静かだが、視線の動きだけが速い。


 リナが小声で言う。


「……ねえ、これさ。こっちが何もしてないのに、嫌われてない?」


 苅田の瞳が、通りの景色を切り取る。


「感情が……作られている、という表現が正しいな」


 看板。店先。温羅島に住む一般人。

 それらが一瞬ごとに整理され、頭の中で並べ直されていく。


「配置が不自然だ」


「そう? 別に普通だと思うけど」


「いや、光と音が誘導されている」               」


 苅田は淡々と分析を続ける。


「偶然じゃない。セットのような、自然にわざと似せた不気味さがある」


 リナが眉をひそめる。


「セットって、映画の?」


「そうだ」


 苅田は店先の男を一瞥(いちべつ)した。

 硬直していた男は、笑顔のまま視線を逸らす。その動きが揃いすぎている。


「さっきの子ども。笑い声が止むタイミングが綺麗すぎる。自然な反射じゃない」


 リナが舌打ちしそうになって、飲み込む。


「つまり、こっちが歩く道に合わせて、反応が出るように整えられてるってこと?」


「そうだ。この状況自体、台本通り、というわけだ……」


 苅田の言葉が、冷たく落ちた。


 時雨は足を止めない。

 止めないまま、苅田の言葉だけを拾う。


「ノアか?」


 一言だけ聞いた。


「以外、考えられないな」


 苅田は断定した。


 リナが周囲を見回し、さっきから視線が刺さる方向へ歩み寄った。


 開店前の店の脇。

 空き瓶が並ぶ木箱の陰。

 そこにいた島の男が、無表情でこちらを睨んでいる。


 リナは、にこっと笑った。

 笑いだけを作って、声を落とす。


「ねえ。私たち、誰に似てる?」


 男の喉が鳴った。


「……知らねえ」


 嘘じゃない。

 本当に知らない。


 なのに、敵意だけは濃い。


 リナは一歩だけ踏み込む。

 相手の呼吸の癖、瞬きの間隔、その全部を拾う。


「じゃあ、なんでそんな顔してるの?」


 男の視線が揺れた。


 揺れた先は、時雨だ。


「……分からない」


 本音が漏れた。


 リナには、それで十分だった。


「ありがとう!」


 不自然な男に、自然な笑みで返す。


 リナは悟る。


 ”感情”すら物理現象だと考えると、この状況はまずい。


 時雨の隣に寄り、前を向きながら話す。

 声は低く、いつもの軽いものではない。


「ノアの能力は、想定以上かもしれない」


「どういう意味だ」


「物理現象の解釈が拡がっている」


 リナは言い切った。


 苅田が続ける。


「人、光、音。配置、照明、音響。現場が映画の段取りと同じだ」


 時雨は、理解した。


 正体がバレ始めているのではない。

 ”間宮時雨に向けられる敵意”を物理現象として解釈し、一般人を使い再現している。


 才谷が歯を食いしばる。


「……ムカつきますね」


 苅田は冷静だった。


「まだ戦闘は起きない。前準備が終わったところだろう」


 リナが顔をしかめる。


「操られているみたいで嫌ね」


 時雨は頷いた。


 止まれば相手の思う壺。

 だが、進めば相手の現場に乗る。


 選択肢は一つしかない。


 時雨は歩みを止めない。

 今まで何度も、相手の土俵で戦ってきた。


 指先だけが少し動いた。

 空間に触れる準備。


 舞台の幕が、上がりかけていた。

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