第31話 待つ
朝日が差し込む部屋の中、みつめが声を荒げていた。
「いや、あいつが街にいる所までは追えたんだ。だけど、急に俺の視界から消えやがった。北側と同じだ」
水無が椅子を回して、軽い調子で手を振る。
「ありゃりゃ。これは先を行かれたねー」
「笑ってんじゃねえ!」
みつめが机を叩く勢いで詰め寄った。
「クソ水無! てめえの能力でなんとかしろ!」
「ごめん、ムリ!」
水無は片目を閉じて、両手を合わせる。
「分身、壊されちゃった。あと三日は動けないよ」
「なにをした!?」
「間宮時雨に嫌がらせしよーって――」
「殺す!」
始まる鬼ごっこ。
楽しそうに逃げる水無。
椅子を蹴って追いかけるみつめ。
俺は額を押さえた。
状況が深刻なのに、絵面がふざけている。
だが、みつめの言葉だけは冗談じゃない。
ノアが街に出た。
そこまでは追えた。
そして、北側と同じように消えた。
つまり、南側にあのミイラの現象を再現した、ということだ。
俺は冷静に聞く。
「水無」
「うん?」
水無が笑いながら、みつめの追撃をひらりとかわす。
こいつ、こういう時だけ無駄に身軽だ。
「帰っていいか?」
これからこの島は戦場になる。
滅茶苦茶な能力者たちに巻き込まれるのは、まっぴらだ。
「もう一つ、お願いしたいことがあるなー」
水無はヘラヘラしながら言う。
「却下だ。どんな条件でも、この状況には見合わない」
「まあ、もうフェリー止めちゃったんだけどね。帰れないよ」
急な宣告。
俺は固まってしまう。
みつめが水無の背に飛びつき、首を絞める。
「てめえはなにか役立てよ!」
「苦しい苦しい!」
俺は視線を逸らして、現実的な話に戻す。
「ノアが街に出た理由は、続きを撮るためか」
水無が苦しそうに頷く。
「うんうん。撮影だね。作品の舞台に、ここ温羅島が選ばれたみたいだ」
俺は少し考え、踵を返しかけた。
「お願いとはなんだ?」
真面目だ。
間宮時雨がいるというのに、俺にノアをどうこうしろとは思えない。
みつめが首を絞めるのをやめ、水無が息を切らしながら言う。
「島のみんなの安全を守ってほしい。頃合いを見て避難勧告は出す。だが、逃げ遅れる者は必ずいる。方法は任せる」
その依頼は――断れない。
「……分かった。受けよう」
報酬を設定するのも忘れ、俺は部屋を出ていた。
宿屋への帰り道、温泉饅頭を買った。
温泉感が全くないこの島で温泉饅頭とは、すこし笑える。
宿屋に戻ると、二人が待っていた。
「おかえり」
「おかえりなさいませ」
俺はソファに座り、袋をテーブルに置く。
「島から出られなくなった。イズ、お願いがある」
「何なりとお申し付けくださいませ」
イズは丁寧にお辞儀をした。
「どこかのタイミングで、この島に避難勧告が出される。避難所への住人の誘導をお願いしたい」
イズは一拍も置かず頷いた。
「承知いたしました。誘導経路と避難所の位置は把握しております。混乱が起きた場合の代替案も用意いたしましょう」
即答。
この男は、こういう状況に慣れすぎている。
シオンは饅頭の袋を覗き込み、短く言った。
「……甘い」
「食うか。多めに買ったからな」
シオンは小さく頷いた。
イズが手際よく皿を用意し、湯を沸かす。
宿屋の狭い台所が、一瞬だけ日常になる。
俺はその日常の端で、今日の自分の能力を思い出していた。
弱い。
役に立たないわけではない。
だが、役に立つ場面が限られすぎる。
島のどこかで戦闘が起きても、俺には届かない。
届かないのなら、動くべきじゃない。
下手に首を突っ込んで、守れるものまで壊すのは嫌だった。
みつめが饅頭を一つ手に取り、呟く。
「……レイジ、無理しなくていいんだぜ?」
「そうだな。線引きはしよう……ってみつめ、なんでここにいる」
急に現れたみつめ。
自然な顔で、シオンと一緒に饅頭を食べている。
イズが俺の前に湯気立つカップを置いた。
「レイジ様がずいぶん考え込まれていましたので、みつめ様には待機していただきました」
「そうか……そこまで周りが見えなくなっていたのか、俺は……」
俺とイズには弱点がある。
場数を踏んできたからこそ、殺意や敵意に敏感だ。
逆に言えば、それ以外に対しての意識は疎かになりやすい。
だから鷺森みたいな相手には、後手に回る。
みつめが俺の顔を覗き込んできた。
「珍しいな」
「そうだな……」
平凡。
安全。
静か。
それが俺の理想だ。
だが、慣れすぎている。
「俺が来たのは、水無との中継役だ。情報は全部レイジに渡す」
「ああ、頼りにしてるぞ」
みつめは俺を見て、少し困惑した。
「なんだよレイジ。らしくねーな」
「いや、普通だ」
俺は饅頭を一つ口に入れた。
甘い。
普通の味だ。
普通の味が、少しだけ救いだった。
昼が過ぎていく。
宿屋の窓から見える街は、見た目だけは穏やかだった。
観光客が歩き、店が開き、笑い声がする。
だが、空気だけが薄い。
誰もが何かを待っている。
待っているのに、何を待っているのか分かっていない顔。
俺たちも地図を確認し、装備を整え、ただ待った。
夕方に近づくと、それははっきり形になった。
島中に、短い警報音が鳴り響いた。
続いて、機械的な放送。
避難勧告。
避難所へ移動を促す繰り返し。
宿屋の廊下がざわつく。
宿泊客が顔を出し、様子を伺っている。
イズが立ち上がる。
「レイジ様。行ってまいります」
「ああ。頼む」
イズは深く一礼し、外套を羽織った。
そして扉の前で一度だけ振り返る。
「シオン様は私が連れてまいりましょうか」
俺は首を振った。
「いい。俺たちも見回りをする」
シオンが起き上がり、何も言わず俺の隣に座る。
小さな体温が、妙に現実的だった。
イズが宿を出ると、すぐに外の音が変わった。
足音が増える。
呼びかけが増える。
それでも人の動きは、規則的だった。
島の平穏が、ゆっくり剥がれていく。
みつめが窓の外を睨み、呟く。
「……始まるな」
「まだだ」
俺は言った。
「今は避難。戦闘じゃない」
みつめが口を尖らせる。
「でも、ノアはそういうの無視するタイプだろ」
「いや。奴は動かない。待っている」
嫌な予感がする。
俺は視線を落とす。
自分の手を見る。
今日の能力でできることを、頭の中で確認する。
足りない。
足りないなら、待つしかない。
明日の当たりを、俺は待っている。
そして――その“明日”は、午前零時に来る。




