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第18話 見て見ぬふり

 俺は繁華街を、ひとりで歩く。


 昼と夜の境目が曖昧な通りだった。


 空はまだ明るいのに、ネオンはすでに全力で主張している。

 赤、紫、毒々しい緑。光が重なり、路面に滲んでいる。


「お兄さんお兄さん。ちょっと遊んで行かない?」


 露出の多い服の女が、距離感ゼロで腕を絡めてきた。

 甘ったるい香水。作り笑顔。


 俺は視線も向けず、そのまま歩く。


「そこの兄ちゃん。いいもん入ってるよ。吸ってかないか?」


 今度は別の声。

 フードを深く被った男が、指の間で小さな袋を弄んでいた。


 正直、鬱陶しい。


 通りの両端には背の高いビルが隙間なく並んでいる。


 ここが島だという感覚は、ほとんど消えていた。

 むしろ、どこかの都市の裏通りを切り取って貼り付けたような、ちぐはぐさがある。


 看板の文字は統一感がない。言語でさえばらばらだ。

 音楽、笑い声、怒鳴り声。すべてが混ざり合い、ざわめきとなって耳に流れ込んでくる。


 俺は目的地もなく、ただ歩く。


 背後から、視線を感じた。

 一人、二人……いや、三人か。


 これは直接的な視線だ。

 港で感じていた、島全体から向けられるような間接的な監視とは違う。もっと露骨で、湿っぽい。


 おびき出すか。


 俺は自然な動きで、ビルとビルの隙間へ入った。


 繁華街の喧騒が急に遠ざかる。


 薄暗い裏道。

 湿った空気。

 足音が、やけに大きく響いた。


 少し進み、途中で右に曲がる。


 しばらくして――最初の男。


 角を曲がってきた、その瞬間。

 首元に針。


 男は声も出さず崩れ落ちた。


 あとの二人は……逃げたか。


「……見てるな」


 俺は立ち止まり、空の一点を見つめる。


 誰に。あるいは、何に。


 今日の能力は、視覚に特化した感覚拡張だ。

 視線という情報が、輪郭みたいに浮かび上がる。

 視線の“向き”だけじゃない。“濃さ”まで、分かる。


 俺は口を動かし、ゆっくりと言葉を刻む。


 ――む、か、え、に、こ、い。


 そう、伝えた。



 *



「――気づかれた。くそがっ!」


 温羅島に乱立するビル群。そのどれかの一室。

 短髪の女は弾かれるように目を見開き、机を叩きつけた。


「みつめちゃん。そんな汚い言葉、使わないでって。いつも言ってるでしょ」


 女の横。執務机の奥に座る優しげな男が、相変わらずの笑顔でたしなめる。


「うっさい。死ね!」


「ひどいなあ。一応、僕、キミの上司なんだけど?」


「お前なんかどうでもいい! 俺は零番さまのために働いてるんだよ!」


 短髪の女は吐き捨てるように言った。


「そんな、いるかどうかも分からない伝説の存在のために……って言いたいところだけど」


 優しげな男は指を組み、少しだけ声を落とす。


「その話、だんだん現実味を帯びてきてるんだよね」


「――ほんとか!?」


 短髪の女の目が、分かりやすく輝いた。

 一歩、距離を詰める。


「……気になる?」


「ああ! 教えろ!」


「じゃあ、その前に――仕事、してくださいね」


 柔らかな声。

 だが、その目は笑っていなかった。


「ちっ……しゃーねーな」


 女は舌打ちしながら、端末を操作する。


「あいつ、昨日の探偵だ。誘ってやがる。二番通り、五番ビルの裏」


「おやおや。雇った探偵は、運悪く特能に掴まったはずですけど」


「それを早く言え! バカ!」


「いやあ、仕事してるみつめちゃん、可愛いなーって」


「てめえ……殺すぞ!」


 短髪の女が殴りかかる。

 優しげな男は軽やかに身を引いた。


 室内に書類、ペン、マグカップ。様々な物が宙を舞う。


「こわー」


 言葉とは裏腹に、男は余裕のままスマホを耳に当てた。


「――あ、もしもし? うんうん。二番通りの五番ビル裏ね。そうそう」


 視線だけで荒れる室内を眺めながら。


「お客さんだから。丁重に。よろしくねー」


 通話を切る。

 笑顔は最初から最後まで崩れなかった。



 *



 路地裏で“迎え”に来たのは、黒いスーツ姿の男だった。

 敵意はない。武器も見えない。だが、距離の取り方と視線の運びが、完全に裏の人間だ。


 俺は抵抗せず、連れられるまま歩いた。

 この島では、下手に逃げるより話を聞いた方が早い。


 通されたのは、繁華街から少し外れた小奇麗なビル。

 外観は普通。だが、エレベーターの動き、廊下の静けさ――管理されている空気が、はっきりと分かる。


 案内された一室に入ると、すぐに状況を把握した。


 正面に執務机。

 その奥に、優しげな顔をした男。

 机の正面、テーブルを挟んだ左側のソファに、短髪の女が腕を組んで座っている。彼女が俺を見ていた能力者だろう。


 そして、この優男が島の“管理者”ってわけだ。


「こんにちは。私は水無(みなし)(ゆう)


 柔らかな笑顔で名乗った。


「まずは、お名前を聞かせてくれるかい?」


「てっきり、知られているものだと思っていたがな」


 俺は立ったまま答える。


「レイジだ。用件は?」


「そんなに警戒しないでくれ。まずは謝らせてほしい」


 水無は、あっさりと頭を下げた。


「手違いで、レイジ君を監視していた」


 俺は警戒を解かない。

 頭を下げる裏社会の人間ほど、信用ならない。


「私が雇った探偵がね。本来は昨日の夜に到着する予定だった。それで、レイジ君を誤認した。この島は来る者拒まずでね。事前に調べていたわけじゃない」


「そうか」


 短く返し、踵を返す。


「なら邪魔したな」


 誤解なら仕方がない。人間、間違いの一つや二つはある。


「――ちょっと、待ってくれないか」


 背後から水無の声。


「依頼したいことがある。レイジ君の“能力”を信じて、ね」


 俺は立ち止まり、振り返らずに言った。


「俺に、何のメリットがある?」


「……知りたいことがあるだろう?」


 水無の声は、確信を帯びていた。


「それも、裏のこと」


「なぜ、そう思う?」


「長年この島を見てるとね。必ずいるんだよ」


 穏やかに続ける。


「何かを求めて、ここに来る人が」


 ……なるほど。


「取引、ということか」


 俺は振り返り、水無を正面から見る。


「いいだろう」


 この男は、少なくとも今は嘘をついていない。

 それだけは分かる。


「で、何をすればいい?」


「簡単さ。人探しだよ」


 水無の合図で、部下が一枚の紙を差し出してきた。


 ――ノア・ブラッドウッド。


 ニュースで見た名前だ。米国の能力者。問題児。厄介者。


 まさか、こんな形で関わることになるとは思わなかった。


「その人を見つけてほしい。いけそうかな?」


 『問題ない』と言いかけて、口を閉じる。


「そこの女の能力を使えば済む話だろ」


 率直な疑問だった。


「残念だけど、それは無理だ」


 水無は肩をすくめる。


「みつめちゃんの能力は、“見るだけ”だからね」


「おいテメエ!」


 短髪の女が即座に噛みついた。


「勝手にバラすんじゃねえ! まだ俺の能力、完全には知られてねーだろ!」


「大丈夫だよ」


 水無は涼しい顔だ。


「彼、信頼できるから」


 ……雑だな、この男。


「レイジ君。ノアには協力者がいる。写真の顔とは限らない」


 俺は即答できなかった。

 ノア単体でも厄介なのに、協力者付きとなると話が変わる。


「不満そうだね」


 水無は楽しそうに言った。


「大丈夫。うちのみつめちゃんを貸すから」


「誰がテメーのだ!」


 女は完全に納得していない。

 だが能力次第では、確かに戦力になる。


「分かった。なんとかしよう」


 俺は短く答える。


「みつめちゃん、でいいか?」


「馴れ馴れしく呼ぶな!」


「じゃあ、みつめ」


「……チッ」


 女――みつめは舌打ちしつつも立ち上がった。

 仕事は仕事で割り切るタイプらしい。


 俺は扉に手をかける。


 そのとき、背後からもう一度、水無の声が飛んできた。


「あと、言っておくけど」


「なんだ?」


「第一特別能力捜査隊……間宮時雨が、この島に来る予定だ」


 一瞬、思考が止まる。


「関係ないな」


 俺はそう言って、部屋を出た。


 ――正直に言おう。


 関係、大有りだ。

 難易度が、難を飛び越えて地獄になった。


 間宮時雨から隠れつつ、隠れているノア・ブラッドウッドを探す。


「最悪だ……」


 ビルの外に出て、思わず呟いた。


 温羅島の夜は、まだ始まったばかりだった。

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