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第17話 イズ

 港の中を歩く。

 視界がわずかに開ける位置へ自然と身体が動く。

 背後、左右、前方――逃げ道を確保する立ち位置だった。


 癖だ。

 考えるより先に身体がそう動く。


 長年そういう場に身を置いてきた結果だろう。


「……護衛付きか」


 背後のどこかで小さな声が落ちた。


「いや、あれは……」


 言葉が途中で途切れる。

 向けられる視線は好奇心ではない。値踏みする、不気味な目だった。


 気づかないふりをして歩き続ける。

 こういう場所では反応した方が負けだ。


 シオンは相変わらず無反応で、夜でも明るい島の景色を物珍しそうに眺めている。緊張感とは無縁だ。


「ここは……意外と落ち着いてるな」


 率直な感想だった。


 イズが小さく頷く。


「はい。無秩序ではございません」


 一度、港の奥へ視線を向ける。


「ただ……」


「ただ?」


「秩序の作り方が、大きく異なります」


 足を止め、空を見上げる。


 上陸してからずっと感じている。

 誰かに見られている感覚。


 人の視線も確かにある。

 だがそれとは別だ。


 もっと広く、曖昧で、監視カメラとも違う“なにか”。


 感覚拡張系の能力。

 島全体を覆う規模の。


 だとすれば、相当なやり手がいる。


 港を抜ける直前、背後で無線特有のノイズ混じりの声が聞こえた。


『……着いた』


 低く抑えた声。


『例の、探偵だ』


 足は止めない。

 聞こえなかったことにして歩く。


 たぶん、人違いだ。


「イズ」


「はい」


「嫌な予感がするんだが」


「奇遇にございます。わたくしも同様にございます」


 微笑みを崩さないまま答える。


 夕日が島を染め、影を長く伸ばしている。

 足元に絡みつくように。


 ――探偵って、なんだ?


 知らないところで勘違いが進行している気配がした。

 だが今は考えない。


 違和感を胸の奥へ押し込み、島の奥へ歩き出した。




 島の中心部。

 繁華街から少し外れた裏通りは、ネオンの光が滲むように漏れていた。


 宿を探す。


「三人だ。空いてるか?」


 カウンターの向こうには男が一人。

 テレビを眺めながら煙草をくゆらせている。


「一部屋でいいか?」


「いや、二部屋で頼む。俺で一部屋。彼女らで一部屋だ」


「なりません、レイジ様」


 即座にイズが割って入る。


「一部屋にて結構にございます」


 男へ告げる。


「どういう意味だ……」


「わたくしの役目は、レイジ様とシオン様の身の回りのお世話をお任せいただくことにございます」


「いや護衛だろ。……まあいい。じゃあシオンの世話を頼む。すまない、やっぱり二部屋で」


「なりません」


「ええ……」


「レイジ様のお世話も、わたくしの務めにございます」


 話が明後日の方向に飛んでいる。


 分かりやすいようで理解できない。

 それが灰庭イズという能力者らしい。


「痴話喧嘩はそこまでにしてくれや」


 男が煙草を咥えたまま言う。


「こっちは暇じゃねぇんだ」


 どう見ても暇そうだが。


「一部屋にてお願いいたします」


 イズが押し切り、鍵がカウンターを滑ってきた。


「……まあいい。支払いは?」


 スマホを取り出す。


「帰りでいい」


「随分、客を信頼してるな」


「この島からは逃げられねぇよ」


 諦めにも似た声だった。


「そうか……」


 それ以上は聞かず、部屋へ向かう。


 繁華街の高級ホテルでもよかったが、裏通りの方が監視の目は少ない。

 それだけの理由だ。


 六階、角部屋。

 ドアを開け、思わず感心する。


「……いい部屋だな」


 内装は値段のするホテルと変わらない。

 受付の態度とは裏腹に、宿としてはかなり丁寧だ。


 ただ、ベッドは二台しかなかった。


「今日はもう遅い。夕食はパスだ」


 リュックを下ろし、ソファに横になる。


「なりません」


 すぐにイズが止めた。


「レイジ様はベッドにてお休みくださいませ」


「いや、いい。こっちの方が慣れてる」


「では、わたくしは立ったまま控えております」


 革鞄を提げたまま直立する。


「……分かった」


 渋々ベッドに向かうと――


「なりません」


「今度は何だ?」


「歯をお磨きくださいませ。ご入浴の準備は、わたくしめが整えます」


 足早に浴室へ消える。


「なんなんだよ……本当に……」


 ベッドに腰を下ろす。


「なりません」


 棒読み。


 振り向くと、シオンだった。


「真似しなくていいぞー」


 棒読みで返し、ソファへ戻る。




 それからは慌ただしかった。


 身だしなみ、歯磨き、入浴。

 そこまでは普通だった。


 問題は――


 イズがバスタオル一枚で入ってきたことだ。


『お身体をお流しいたします』


 そこで、はっきり分かった。

 イズは、男だった。


 詳細は省くが、判断に迷う余地はなかった。


 男同士でも、これはアウトだ。

 俺は全力でイズを追い出した。

 風呂くらい、自分のペースで入りたい。


 その後、腹を空かせたシオンに、イズが持参したカフェインレスの紅茶と茶菓子を与え、ようやく落ち着く。


 時刻は午後11時55分。


 ベッドに横になった瞬間、頭の中でカウントが始まる。


 5、4、3、2――


 腕時計を見る。誤差はない。

 条件を加味しても許容範囲だ。


 静かに起き上がる。


 ここからは大人の時間だ。

 やることをやる。


 視線を感じた。

 ソファのイズがこちらを見ている。


 人差し指を口元に当て、静かに部屋を出る。


「起きていたのか。寝ないと動けなくなるぞ」


「問題ございません。脳を分けて休ませております」


「……イルカかな?」


 聞いたことはあるが、人間でもできるのか。


「だったら、シオンを頼む。俺は野暮用だ」


「でしたら……」


「でしたら?」


「わたくしめを、お使いになられれば……」


 艶のある声。

 意味が違うと分かっていても、心臓に悪い。


「シオンがいる。頼んだぞ」


 俺は彼の目を見ないようにして、その場を離れた。


 宿を出て、深く息を吐く。

 島の夜気は生温かい。


 ここからが本番だ。


「さて。敵情視察といきますか」


 皮肉なことに、今日の能力は当たり。


 感覚拡張系。

 しかも、視覚に特化したものだった。

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