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16.光と闇の海底遺跡


 エステルは、またしても魔法が失敗するのではないかと思っていた。


 それならそれで良かった。少なくともこの海の部屋には妹は居ないと見切りを付けられたし、また別の扉をくぐった先で、同じようにクラリスを探す魔法を使うつもりだった。


 そうしてしらみ潰しに探していけば、いずれは妹のもとへたどり着けると思ったのだ。それが、こうも早く手応えを得られるとは。


 前回、人探しの魔法が不発に終わったときと異なる点はたったひとつ。前は妹その人を探そうとして、今回は妹に繋がる痕跡を探そうとした。そして魔法は、彼女の身につけていたリボンに反応したようだった。


 そのリボンも、今は人魚の少女とともに沖の向こうだ。


「これでもうひとつ、海に出なくちゃいけない理由が増えたわね」


 エステルは入江の岩場に引っ掛かっていた(かい)と漁網を両腕で握りしめてこぼした。


 思ったとおり、入江にはいくらかの漂流物が打ち上げられていた。空の酒瓶に木端(こっぱ)となりかけた流木。柄の先がすり減った櫂と漁網もそのひとつだった。


 舟になりそうなものはなかったけれど、海に漕ぎ出るための一助にはなりそうだ。


 途中、林の方へ遠回りして他にも何かないか探したけれど、舟の代わりになるものもジェットの嵌まった石碑も見つけられなかった。


 最初の合流地点に戻ると、ウィリアムは既にそこで待っていた。


 エステルは岬の方で見たものと、両腕にかかえたささやかな収穫について情報を共有した。大したものを見つけられなかったので落胆されるかと思ったが、彼は意外にも彼女の成果を喜んだ。


「いい具合に材料が揃ったな。簡易的な(いかだ)くらいは作れるかもしれない」


「あなたの方も何か見つけられたのね」


「ああ。向こうの、少し林に入った方に小屋があったんだ。漁に使うものか、海辺の見回りのための簡易的なものかもな。中に小屋の補修用らしき材木と、空樽(あきだる)がいくつかあった。ステラの見つけた漁網を解いてロープにして、材木と樽を組めば、ふたりくらいは乗れるだろ」


「何かに使えるかと思って持ってきたけれど、徒労にならなくてよかった」


「徒労どころか大助かりだ。一応ロープは持って来ちゃいるが、長さにも限りがあるからな。使わずに済むならそれに越したことはない」


 行こう、とウィリアムはきびすを返して先導した。さり気なく漁網と櫂を奪われて、エステルの腕はたちまち手持ち無沙汰になる。


「待って、片方持つわ」


「ステラは何かあったときに備えて、ペンナイフを握ってな。君の話じゃ、友好的じゃなさそうな人魚も居たんだろ?」


「そうだけど……」


「いつ、どこからオオガラスのときみたいに奇襲されるかわからない。物を持ってちゃ対応が遅れるからな。その分、俺の防衛も頼む」


「――わかったわ」


 早足で彼に並んだエステルだったが、ていよくあしらわれて渋々と裏ポケットからペンナイフを取り出した。


 口ではそう言うものの、彼のそれが、エステルに重い荷物を持たせないための気遣いだということは明白だ。その上で、あえて彼女が気後れしないように役割を与えるようなことを言った。


 完璧な紳士の作法だわ、と苦くも面映(おもはゆ)くも感じながら、少女は波音に紛れるほど小さな声で「ありがとう」と呟いた。


 彼は口ぶりに反して、所作がスマートな人だ。当たり前のように行われる気遣いが、誰でもできるわけではないことに、彼は気づいているだろうか。


(ウィリアムもきっと、そこそこ以上に育ちの良い人なんでしょうけど)


 エステルにわかるのはそこまでだった。思えば、彼は自分のことを必要以上に語らない。それどころか、自分の話題になるとのらりくらりと話題を逸らして彼女を丸め込む節さえある。


 それが、エステルが彼と出会ってから常に感じている壁だった。


 こんなわけのわからない場所で出会った相手を警戒するのは当然だ。エステルだって全幅の信頼を置いているわけではない。


 それでも、相棒と呼んでいくらか行動を共にしたのだから、もう少し腹を割って話してみたいと思うのはおかしなことではないだろう。


 腹の底が知れないから、彼を信用しきれない。信用しきれないままに、それでも沢山のものを与えられている現状がもどかしかった。


(わたしは……、わたしは、ウィリアムのことを知りたいと思い始めているの……?)


 あまつさえ、彼を信頼したいと。自分の中に生まれたささやかな感情の波を自覚したとき、少女はこの広大な海の真ん中にひとりぽつんと投げ出されたような気持ちになった。




 ウィリアムの見つけた小屋は、海岸線が途切れる林の更に奥にひっそりと佇んでいた。


 潮風に晒されて色褪せた木製の小屋は、彼の言った材木と(から)の樽が積まれている以外には何もない場所だった。


 ふたりはそれらの材料をすべて外へ運び出して、魔法できれいにほどいた漁網で筏を組んだ。板を敷き詰めた筏は、作業慣れしていない者が作るには難しい。それで、幅広く厚い材木板を八枚、格子状に組んで四隅に樽をしっかりと()わいた。


 足場の不安定さは如何ともし難いが、浮力は申し分ない。あまり遠くへは行けないだろうが、構わなかった。この海の部屋がオオガラスの居た荒野と同じ仕組みであれば、地軸が歪んで一定距離の外には出られないようになっているだろうから。


 浜辺から少し離れた沖の方に、砂浜と似た桃色の小島がひとつ見える。そちらと陸のちょうど中間地点で筏を停めて、周辺の海中を探ってみることにした。


「それにしても不思議ね。荒野にはあのツリーハウス以外に人工的なものは見当たらなかったのに、この海の部屋には、小屋や櫂や空樽みたいな人工物があちこちにある」


 櫂で海面を掻き分けて進むウィリアムに、エステルはふと浮かんだ疑問を打ち明けた。人魚が漁網を使うとは思えないし、地上にある小屋なら尚さらだ。


「相変わらず人の姿は見当たらないけどな」


「まさかあの人魚が作ってるのかしら」


「だとしたら、ずいぶん器用で物好きな人魚だ」


 彼の返答に、「確かに」と相づちを打って黙考する。エステルの出会った人魚は、明らかに彼女を敵視していた。エステルを、と言うよりも、人間という存在そのものを。


 そんな人魚がわざわざ人間の真似をして、人の道具を作るだろうか。それよりは、この海が城の外界と繋がっていて、遠くの海から流れ着いてきたのだと考える方がよほど説得力があった。


(それなら、靴に魔法を掛けて空でも飛んでみようかしら)


 小さな(いかだ)一艘では、とてもこの広大な海を渡れない。遠い国のお伽噺のように、絨毯に魔法をかけてみてもいい。空飛ぶ絨毯なら海を渡れるだろうか。そのためにはどれほど強い願いとどれくらいの血が必要なのだろう、と空想に思いを馳せ始めた頃。


 ついにウィリアムの筏を漕ぐ手が止まった。


「こんなとこかな」


 遠目にも小さかった離れ小島が、今は木々の大まかな形までわかるほど近くなっている。


「じゃあ、わたしが海にもぐってみるわ」


 エステルが手に巻いていた包帯をほどくと、ウィリアムが首を振った。


「海の中じゃ何があるかわからないだろ。俺が行く」


「でもここで筏を守る必要もあるでしょう? 繋留(けいりゅう)する場所はないし、流されないように櫂をこまめに動かしてなくちゃいけない。わたしじゃ櫂を漕げないわ」


「けど、ステラ。君は泳げるのか? 海は初めてなんだろう」


「海に来たことがないからって、泳いだこともないなんて見くびらないでね。わたしの住んでいた地域は、何も見どころがない代わりに水源が豊かなことで有名だったんだから」


 なにより、もしもウィリアムに何かあったとき、エステルでは彼を連れて陸地まで戻れないだろう。そう言うと、彼は渋々と引き下がった。ただし、「戻りがあまりに遅かったら、君を探しに行くからな」と釘を差して。


 まだ納得いかない様子で、それでも、もうエステルが魔法を使おうとするのを止めるつもりはないようだ。


 彼女は水の中でも呼吸ができるように魔法をかけて、まだ血の滲む左手を握りしめた。


 空気の膜が自身の周りを覆うようにイメージしながら、赤い血がもやとなり、金色の輝きを放つのを見守る。


 キラキラと陽光にまたたく粒子が自分を取り巻き、消えるのを待ってから、少女は一息に海へもぐった。


 透明度の高い海の中は、岸から離れてもある程度の視界を保ってくれた。恐る恐る息を吸い込むと、魔法が水を遮断して気道を確保してくれる。水に溶けるように身軽なドレスも手伝って、潮を掻き分けるエステルの泳ぎを邪魔するものは何もなかった。


 すぐそばを見たこともない鮮やかな色の魚が横切っていく。ぎょろりと動く目に一瞬、体をビクつかせたが、魚も自分より大きな生き物に攻撃を仕掛ける意思はないのか、エステルを置いて泳いで行ってしまった。


 日の差す海面付近から、もう少し、また少しと深くもぐっていく。離れ小島が近いせいか、日が差さないほどの深海ではない。それでも深度を増すたびに辺りが薄暗がりで包まれていくと、不安は比例するように増した。


 包帯を巻き直した手に血が滲んでいる。いくらか泳いだところで、エステルは指の先に小さな明かりを灯した。揺れも消えもしない、魔法で灯された光の粒子の集合体。


 するとそれまで不明瞭だった視界の端から、波打つようにぽつぽつと微細な光が明滅し始める。驚いて辺りを見回すと、海に棲まう発光性の生き物のようだ。


 ほんの爪の先ほどの小さな丸い生き物は、ぽわぽわとした薄い被膜から短いヒゲのような触手を2本漂わせている。エステルが光を灯したことで、仲間だとでも思ったのだろうか。少女の光に吸い寄せられるように、無数の発光生物が周囲を取り巻いた。


 薄青の光でほんのりと周囲が照らし出されると、目と鼻の先に瓦礫(がれき)のようなものがあることに気づく。


 ざらざらとした石質のそれは、瓦解した壁の成れの果てだった。


(海の中に建物……これが海底遺跡というものかしら)


 海中に廃墟が沈んでいると思うと、これもやはり不思議な感覚だった。初めて見る海の底で、エステルにとって不思議でないものは何ひとつない。けれどこれは、海の部屋に入って目にした中でもいっとう目を引かれるものだった。


(封印の石碑があるかも。ひととおり調べてみなくちゃ)


 好奇心半分、目的のものへの手がかりを求める気持ち半分で、エステルは遺跡の中へ足を踏み入れた。


 天井と思しきものは、ほとんど朽ちて流れ去っていた。ただ、城壁のような壁が取り巻く大きな四角い囲いの中に、もうひとつ囲いがある。その壁面も中ほどから上はぼろぼろで、足元は藻や岩礁と同化した無骨な岩で固められていた。


 長い年月を経て腐蝕し、あるいは自然と一体になりつつある、かつての栄華の名残。そんなものを思わせる光景だった。


 発光生物の青い光を引き連れて、奥へ奥へと歩を進める。半壊したアシンメトリーなアーチをくぐった先から、ふいにエステルの歩みに抗うような潮流がうねった。


 目を細めて、暗がりの先を見る。うっすらと浮かぶ教会の内陣のような半円形の壁面で、身じろぐ生き物の影があった。


「ノクテルーカがいきなり騒ぎだすから何かと思ったら」


 囁くような少女の声が、水のゆらぎとなってエステルの耳に届く。不機嫌な声は今にも身を翻して遺跡の外へ逃げ出したがっているように聞こえた。否、実際に、影はゆらりとヴェールをなびかせてその場を離れようとしていた。


 漂った金色の髪が青白い光を反射してきらめかなければ、その影がさきほど見た人魚だとは気づかなかっただろう。


「待って! あなた、さっきの人魚ね? お願い、逃げないで。話をしたいだけなの!」


 弾かれたように声を上げたエステルへ、人魚はぎこちなく動きを止めてから振り返った。


「まさか人間がこんなところまで来るなんてね。あなたたちの欲深さにはいっそ感心するわ。よくもあたしたちの領域まで踏み込んでくれたわね」


 今度こそ、人魚は隠すことのない敵意をエステルにぶつける。尾鰭が――ヴェールだと思っていたものは人魚の尾鰭だったようだ――はらりと顔から落ちて、まなじりの吊り上がった青い瞳がエステルを()めつけた。


「人間に話すことなんて何もないわ! あなたたち人間があたしたち“夜に(いず)る者たち”――ナイトレイスに何をしたか忘れたわけじゃないでしょうね?」


 声高に叫ばれた言葉は、たったそれだけの問いかけに多くの疑問をエステルの中へ植え付けた。


 人間が“邪悪なる者たち”にしたこととは、大魔法使いが地上から彼らを消し去ったことだろうか――いや、それよりも、“夜に出る者たち”とはどういうことだろう――何より。


「――“夜に出る者たち(ナイトレイス)”…? 人魚(マーメイド)も“邪悪なる者たち(ナイトレイス)”なの?」


人魚(マーメイド)なんて呼ばないで! あたしたちは誇り高き海の民(マーフォーク)よ!」


 浮かんだ問いをそのまま口にしたエステルへ、人魚――彼女の言葉を借りるならば、“海の民”は、とうとう我慢ならないとばかりに激しい剣幕で声を張り上げた。


 そのあいだにも、エステルは少女を刺激しないように半歩ずつ距離を詰める。ほんの少し踏み込めば手が届くところまでにじり寄ったが、怒り心頭していても目端はよく利くらしい。


 エステルがすぐそばまで近づいていたことに気づいた少女は、こちらへ背を向けて今度こそ遺跡から泳ぎ去ろうとした。


 咄嗟に海底を蹴って海の民の手を取る。冷たい水よりも更に冷たい氷のような白い手が、条件反射のようなすばやさでエステルを振り払おうと足掻いた。


 ガリ、と少女の腕を掴んだ手首の内側に、身を抉る痛みが襲う。彼女の爪がエステルの皮膚を浅く傷つけたのだ。


 エステルは痛みに歯を食いしばったが、怯んだのは彼女ではなく、海の民の少女の方だった。


 ほんの一瞬、瞠目し、驚き、それから怯えた顔を見せる。


(どうしてあなたが驚くの……?)


 まるで怪我を負わせるつもりじゃなかったのだとでも言うように。


(――あぁ、そっか。本当に、怪我させようなんて思っていなかったのね)


 エステルはこれまでの短い邂逅で、海の民の少女が見せた仕草を思い出した。


 彼女は最初に目くらましで海水を掛けてきたこと以外に、こちらへ手を出したことは一度もなかった。この海の民の少女は、一貫してエステルから逃げることだけを望んでいたのだ。


 それは、裏を返せば相手を恐ろしく思い、また攻撃の意思を放棄する行為でもあった。


 本当は彼女は、好戦的でも、人を憎んでいるわけでもないのではないか。そのようなことまで考えて、エステルは少女を宥めるように掴んだ手を両手で包みこんだ。


「落ち着いて、大丈夫。あなたに危害を加えたりしないわ。ただ、この部屋の出口の()()と、あなたの髪を結っているリボンの持ち主について知りたいだけなの」


 切実な思いが伝わったのか、海の民の少女は警戒心をあらわにしながらも、怯えの色を怪訝な顔の裏に引っ込めた。


「どうしてこのリボンが、あたしのものじゃないって知ってるの?」


「そのリボンがわたしの妹のものだったから。もちろん、あなたが奪ったとは思わないわ。あなた、ずっと“人間”から逃げようとしているものね。わたしは行方不明になった妹を探しているの」


「それを答えたら本当に放してくれるのね?」


「それから、出口に関係する石碑についても教えてもらえると助かるわ。たぶん、黒い石みたいなものが嵌まってると思うんだけど」


「図々しいわね。これだから人間は」


 盛大に顔を歪めた海の民は、まんじりともせずにエステルを見つめると、やがて根負けした様子で大きな泡を吐き出した。


本当は次の更新分までで1話のつもりでしたが、思ったより文字数が嵩んでしまったので2話に分けます。

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