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14.不発の魔法に疑惑を一滴


 表紙を閉じてタイトルを確認する。ウィリアムから聞いたものに間違いない。別の書物を開くと、そこには古語で一文だけ記されていた。


 古語にあまり馴染みのないエステルは、数分かけてその一文を読み解いた。


『魔法とは、強く心に願うものを、体液を介して具現化する奇跡の力である』


「既に知ってることを教えられても意味がないのよ……」


 がくりと項垂れたエステルだったが、ふと、そういえばここは魔法に満ちた魔法だらけの城で、これは魔法書なのだということを思い出した。


 これも、魔法を使わなければ読めないような仕掛けが施されているのだろうか。考えなおしたエステルは、シャンパンカラーのバッスル(腰の布ひだ)の隙間に手を差し込んだ。


 ウィリアムにもらったペンナイフは、バッスルに隠されたポケットにしまってある。いつ指を切ってもいいように、彼からわけてもらった包帯と衣装部屋にしまわれていたハンカチを一緒に詰めておいた。


 エステルはペンナイフで指の腹をつつく。ぷくりと珠を作った赤い血をじっと見つめて、ただひとつのことを胸に思い浮かべた。


(開いた書物の、真実の姿を見せて)


 周りの音も、光も、煩雑な問題のさまざまなことも、何もかもが遠ざかる。キン、と耳鳴りに似た音が頭の奥で響いて、指先から赤いもやが立ち上った。


 金色の粒子がエステルの開いた書物を包み込むと、水が土に染み込むように書物へ吸い込まれ、じわじわと滲んだ文字が浮かび上がった。まるで炙り絵だ。


 血の珠を口に含んで舐め取って、エステルはナイフの刃と指をハンカチで拭った。


「よかった、これで読めるわ」


 初めから記されていた文字の下には序文のようなものが並び、二、三ページほど続いたあとに魔法理論と記された項目が続いた。内容は、およそウィリアムに聞いたとおりのものだった。


 確実に何時間かを費やしたろうに、その間に読めたのは十ページにも満たなかった。


 もっと深いところまで学ぶには、一冊読み切るのに数日から数週間かかるだろう。未知の学問なのだから、古語特有の単語などが複数出てくれば意味を解するのに膨大な時間がかかる。


 けれど、この浅い記述のなかにもひとつだけ収穫があった。それは、“代償を(かえり)みなければ、魔法に不可能なことはない”ということだった。


 魔法は形を持たない不可視の力だ。だからこそ、使い方や願いの重みひとつでいかようにも形を与えられる。


 火を起こすことや雨を降らせること、自然現象にまつわる理を捻じ曲げることはもちろん、落とし物を探すことも、空に星を生み出すこともできる。そして、人の行方を探すことも。


 エステルはページの間に衣装部屋から借りたリボンを挟むと、さきほどつけた指先の傷をもう少し深く裂いた。


 指を伝って手のひらを濡らした血に、この城へ囚われてから常に抱いていた願いをかける。


 ――妹は、クラリス・リリー・エヴァンスはいま、どこに居るの?


(もしこの城に居るのなら、わたしに彼女の居場所を教えて)


 妹のことを考えるにつけ、彼女に関する様々な雑念が湧き上がりかけた。妹は無事なのか、怪我をしていないか、泣いていないか、彼女もエステルを探しているだろうか。


 それらの疑問が魔法の邪魔をしないように、意識の奥底へ抑え込むのは大変な精神力が必要だった。


 血が震える。赤いもやが立ち上るまでに、わずかばかり時間を要した。やっとゆらりとくゆりながら空中へ溶け始めたもやは、しかし、それが金へ色を変える前に、そのままぱっと霧散した。


 ワンプッシュだけ吹きかけた香水の飛沫が、瞬く間に空気中へ溶けるように、血のもやは何事もなかったかのように消えたのだ。


(もしかして、失敗したの?)


 込めた想いの強さは、これまでに使ったどの魔法より強かった。だから、願いの弱さが原因ではないことは明白だった。


(願いに対する血の量が足りなかった? それとも、クラリーはそもそもこの城に居ないということ? まさか……あの子の身に何かあったなんてことは)


 昨日の悪夢を思い出す。「どちらかひとりしか出られなかったらどうするの?」とクラリスの声で問われた言葉が、耳の奥で蘇った。


 最悪の想像をしかけて蒼白になる。けれどエステルは努めて冷静さを取り戻そうとした。


(……ううん、クラリーの身に何かあったのだとして、この城のどこかに居るのなら、きっと場所くらいは示したはず)


 期待した手応えがなかったということは、望みに対する血の量が足りなかったか、妹は“呪われしジェットの黒バラ”の魔手をすり抜けて逃げ切ったということだ。


 あるいは、これも魔法の“裏切り”かもしれない。昨夜ウィリアムに忠告されたことを思い出して、エステルは心を落ち着ける。


 魔法はきっと、占いのようなものだ。迷ったときや困ったときに道しるべを教えてくれるけれど、頼りすぎては道を見失う。


 少なくとも、最悪の状況にはなっていないはず。そう自らを諭して、手をハンカチで拭った。


(それとも、……わたしの魔法が及ばないほど強い魔法に守られている?)


 ――だったら、一体誰に?


 クラリスが居るとも居ないとも断定できない現状、ここにはエステルとウィリアムしか居ないはずだ。迷宮の部屋のむこう側にひそむ“邪悪なる者たち(ナイトレイス)”を除けば、の話だが。


 ちら、と頭をかすめたもうひとつの可能性を突き詰めようとしたとき、コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。エステルは肩を跳ねさせて、部屋の扉へ視線を走らせる。


「ステラ、壁の絵が夕方を示した。そろそろ夕食にしよう」


 扉向こうからウィリアムの声が聞こえた。


「え、ええ……、そうね」


「ステラ? ……どうかしたのか」


 声の違和感を汲み取って、彼が訝しげに聞き返す。エステルはなんでもないわと答えて、扉を開けた。


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