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13.月と星と、苦いコーディアル


 ふたりのあいだの取り決めに、迷宮の部屋に入るときは、決してひとりで行動しないこと、という条件が増えた。


 オオガラスの荒野を命からがら脱してきたのだ。どちらが欠けても、城へ戻ることはできなかっただろう。またいつ同じようなことになるかもわからない。


 かといって、この城の出口を探すには、迷宮の部屋を避けては通れなかった。石碑の文言どおりであれば、城を支える封印はあと九十九のこっている。


 そこでエステルたちは、一日置きに迷宮の部屋を調べることにした。あいだに城内の他の部屋の探索や、調査のための準備日を挟む。


 迷宮の部屋以外にも、まだウィリアムにも見つけきれていない通路や部屋がないとは限らない。エステルだって、どこかへ行くたび、彼に案内してもらうわけにはいかないのだ。


『永遠に食べ続ける悪夢の間』からくすねてきたパンとチーズ、ベーコンを軽く炙って朝食代わりにする。


 いまも夜色の絵画が掛かっているエントランスフロアを考えれば、これが朝食と言ってもいいものか(はなは)だ疑問ではあったが。


「どうしてこの場所には朝が来ないの?」


 先日から不思議に思っていたことを、エステルは朝食の席でウィリアムに問いかけた。駄々っ広い豪奢なダイニングを使う気にもなれず、キッチンの片隅にある使用人用の食卓についたときのことだ。


 魔法はいまや失われた文明だ。正確な答えは返ってこないだろう。エステルは期待していなかったが、彼は彼女が思った以上の答えをもたらした。


「……それは多分、この場所に魔法が満ちていることが深く絡んでる。君は魔法の使い方をどのていど把握できてる?」


「昨日教えてくれたわよね。血を使って、願いや想像を形にするんでしょう? それ以外にも、何かあるの?」


「魔法ってのは、普段は目に見えないが空気のようにそこら中に漂ってる。そこに月と星の力を借りて、命の力を混ぜ合わせることで具象化するものなんだ」


「命の力?」


「命の力ってのは、つまり、意志の力だ。だから、人間の生命力と願いの意志を手っ取り早く抽出するために血を……正確には体液を使う。体液には己のすべての――生まれてから死ぬまでの歴史、感情の変遷、愛や憎しみや無関心といった――情報が刻まれてるからな。

 魔法の根源にあるのは、人の願いと、月と星の満ちる夜の力なんだよ」


「つまり、世界中の魔法を凝縮したこの場所には、夜の力だけが詰め込まれている……?」


「おそらくな。だから、強い魔法を使うための補助となる道具は、鉱物や植物が多い。鉱物は月の光で力を増す物質だし、星と密接に結びついてる。植物は生命そのものだ」


 ウィリアムの説明を受けて、エステルはなるほど、と得心した。この広大で膨大な時空迷宮の城をまるごと封じるために、ジェットが使われたのも頷ける。


 生命の象徴である植物が、気の遠くなるほど長い年月をかけて鉱石化した宝石だ。どちらの力も強く、魔法を補うにはこれ以上にない媒介だったのだろう。


「いまの世の中、存在さえ曖昧だったのに、ずいぶんと魔法に詳しいのね。あなた、歴史学者か何かだったの?」エステルは感嘆とも猜疑ともとれる口ぶりでたずねた。


「長いあいだこんな場所に閉じ込められてれば自然と身につくさ。書斎だってある。おすすめの魔法書を教えようか?」


「入門編があればぜひ」


「いま話した内容は全部入門編だ。すごいぞ、徹頭徹尾、古語で書かれてる」


「ここで魔法を勉強すれば、城から出る頃には古語に堪能になっていそうね」


 軽口めいてエステルが答えると、「いいじゃないか、知識や技能が増えるのは、それだけできることの幅が広がる」とウィリアムは千切ったパンを口に含んだ。


「女が知識を持ったって、何の足しにもならないわ。土地も家督も男だけが継いで、女は父や夫に従うのが人生のすべてだもの」


 エルダーフラワーのコーディアルを落とした紅茶を飲みながら、エステルは呟いた。甘いシロップが混ざっているはずなのに、そう口にしたとき、彼女の口の中に広がったのは胃の腑の落ち込むような苦さだけだった。


 自分が男だったなら、故郷の屋敷を手放すことも、遺品整理のために母の部屋を片付ける必要もなく、妹も失踪せずに、こんな城で閉じ込められることもなかっただろうに。


 すべての悪いことが、自分が女だったせいで起こったように思えて、エステルの食事の手が止まった。


 ウィリアムは何があったかを問うことはなく、ただ、「つまらない世の中だな」と他人事のように告げた。


「ごめんなさい、寝起きから空気を悪くしたわね。こんなのただの愚痴よ。忘れてちょうだい」


 つい口をついて出た言葉だったが、失言だったと気づいて、エステルは誤魔化すように残りのチーズとベーコンを慌てて咀嚼した。


 食事のあと、ウィリアムは二階に用があると言って席を立った。エステルは彼に教えてもらった魔法書を書斎からいくつか失敬して、魔法について学ぼうとした。


 護身術も射撃術もなにひとつ持たないエステルが、唯一身を守れる手段だ。困ったときに使えなければ意味がない。


 魔法でできること、できないことを知り、どういった魔法を使うにはどの程度の体液が必要になるか、知っておくのは重要なことだった。


 ところが、不揃いな羊皮紙のページを開いたとき、エステルは目を瞠って、続くページをパラパラと手早く捲った。


 書面には、文字のひとつも並んでいなかったのだ。



【お知らせ】

いつもご一読頂いている方、いいねや評価を頂いている方はありがとうございます。

本日は久しぶりに短めのエピソードで申し訳なく。

筆者の長期休暇が本日までのため、これから更新頻度ゆっくりになります。

最低でも週に1回、多ければ2、3日(半ばと土曜辺り)に1回は更新したいなと思っておりますが、予定は未定です。

ブックマークに入れて頂けましたら更新のお知らせが入るかと思いますので、よろしければ(*ᴗˬᴗ)

これからもお付き合い頂けましたら幸いです。


一口メモ:作中の「コーディアル」はハーブや果物をシロップに漬けたノンアルコールのシロップ液です。お酒の方ではありません。

古くは薬としても使われていたとか。

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