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11.馬鹿真面目の通すべき意地


 ぐん、とウィリアムの全体重が、引き千切る勢いで細い両腕にかかる。彼はおそらく、こうなることを予想していたのだ。だからこそ、エステルにあとを託すと言った。


「馬鹿、離せ! あんたも引きずられるぞ!」


「離さない!!」


 焦った男の声がエステルを責めた。けれど、保身のために彼を見捨てれば、いよいよエステルは自分を許せなくなりそうだった。


 わけもわからない場所で助けてくれた彼を巻き込んで、助けられて、また助けられて、だと言うのに、エステルはまだ一度として彼を助けたことがない。


「助けられてばかりで、まだひとつも借りを返してないもの。こんなことじゃ、相棒(パートナー)の面目丸つぶれよ!」


「だからって……無茶にも程があるだろ! 男ひとり分の体重なんて、あんたに引っ張り上げられるわけ」


「黙って! ここで離すくらいなら、わたしも一緒に落ちるから! あなた、自分から手を離すなんて馬鹿げたことを考えたら、わたしを道連れにするものと思いなさい!」


 火事場の馬鹿力とはよく言ったもので、後がない今、かつてないほどの力が薄皮一枚の均衡でウィリアムを支えていた。けれど、それも長くはもたないだろう。


 今のエステルを衝き動かしていたのは、気力と怒り。そのたったふたつだった。


 閉ざされた城。“邪悪なる者たち(ナイトレイス)”という圧倒的強者との格差。ままならない無力感。そして、また周りの誰かを失うのかという、無情な世界に対する怒りだ。


 まだ助けられるかもしれないものを、自ら棒に振るのは、何よりも自分に対する裏切りだった。


『馬鹿真面目ね』と言った、いつかのクラリスの言葉がよぎる。


 馬鹿真面目なら馬鹿真面目なりに、自分にも他人にも、誠実でいたいのだ。


「生きるのよ! 生きて、ふたりで城に戻るの! それからクラリーを見つけ出して、三人で城から脱出するのよ!」


 雄叫びのように腹の底から絞り出した言葉は、ウィリアムの心をわずかでも動かせただろうか。


 男は銀色の目を見開いて、眩しいものを見るようにエステルを見上げた。


 ほどけかけていたハンカチの隙間から、塞がりつつあった指の傷が見える。痺れた爪の先で傷を()じ開けて、じわりと滲んだ血に意識を集中させた。


 生命に魔法はかけづらいという。ならば植物へはどうだろう。


 これもひとつの生命だが、ツリーハウスの足場に整えられた木切れは既に呼吸を忘れた木だろうか。


 エステルは一心に願った。想像するのは、宙吊りとなったウィリアムの足場の確保だ。


 血がもやのように空へと立ち上る。赤から金へ輝く粒子が、繊維のようにほどけてエステルの足場をとりまいた。


 絡みつく光と共に、織り糸のように足場が分解されていく。幅広かった木板の足場が半分の狭さになり、代わりに柔らかなキャンディを伸ばすようにウィリアムの足元まで伸びた。


 彼はすかさず足場を駆け上がり、踏ん張りすぎてふらついたエステルの腕を逆に引っ張る。


「まったく君って人は――すごいな。ほとんど初めての魔法の使いみちが人助けとは恐れ入るよ」


 皮肉なら安全を確保してからにしてちょうだい。――と、返すつもりの軽口は喉の奥へ消えた。


 眩しさと痛みで(すが)めた視界に映した彼の顔が、想像していたよりずっと和らいだ表情で、そのくせどこか泣きそうな顔をしていたせいだ。


 いったいどうしたのか。何か気に障ることを言ってしまっただろうか。


 何を問うべきか迷って、声なく開きかけた少女の口は、ふいに響いたオオガラスの鳴き声で閉ざされた。


 雷のような衝撃を受けて地に伏していたオオガラスが、意識を取り戻したのだ。


「さてと、あまり時間がなさそうだな。ステラ、もういちど魔法は使えそうか?」


「血はそんなに流れていないから、多分」


「オーケイ。それなら、今度は君があの強情な檻を壊してみてくれないか。万が一魔法の抵抗を受けたら、俺が魔法で緩和する。少なくとも、君の体が飛んでいかないていどには」


 目の前で人の体が軽々と吹き飛ばされる様を見たのだ。簡単にうなずくには勇気が要ったが、もはや手段を選んでいる暇はなかった。


「わかったわ。その言葉、信じてもいいのよね」


「もちろん」


 彼はうなずくと、エステルに拭った短剣を手渡した。ウィリアムの瞳と同じ色で輝く刃先を手のひらで包む。


 オオガラスが上空へ強い羽ばたきで舞い上がるのと同時に、少女は手のひらを切り裂いた。


 流れる血の量が多ければ多いほど、魔法は強く強固になる。どれほど強い魔法が中の宝石を守っているのかわからない以上、出し惜しみしている場合ではない。


 魔法を使うことに慣れていないエステルはなおさらだ。


 少女は目を閉じて、血を流す手のひらへ意識を集中させた。血の一滴一滴が、木枝の絡みつく鳥かごに染み込むようイメージする。


(オオガラスもウィリアムも、意図はどうあれ、鳥かごを壊そうとして弾かれてた。破壊しようとするものには、余計に強い抵抗を示すのかも。だったら……)


 エステルは壊すのではなく、鳥かごの格子が柔らかくしなって、隙間を作る様を想像した。人ひとり分がゆうに通れるだけの隙間だ。


 扉がなくても、隙間さえ開けば中に入ることができる。


(中へ入れて。わたしをジェットのもとまで導いて)


 赤から金へ。液体から粒子状のもやが立ち上り、巨大な鳥かご全体を包み込むと、黒い枝葉からまばゆい光が溢れて散った。


 弾ける火花の抵抗はなかった。おそるおそる鳥かごの黒い格子に手をかけると、揺りかごのカーテンが母親の手を受け入れるように、檻は口を開けてエステルを中へ招き入れた。


 中央の石碑にはバラを模したジェットが嵌め込まれていた。その下に、短い碑文のようなものが綴られている。


「暗くてよく見えないわね。ずいぶん古びてるから、文字も掠れているし」


「けど、石が嵌まってるってことは、迷宮の部屋と同じたぐいの魔法がかかってるのかもしれない」


「じゃあ、血を垂らしてみればなにか起きるかしら」


 少女は血の滴る手で、試しにジェットへ触れてみた。迷宮の部屋のように、血を用いた魔法の仕掛けでもあるのかと思ったが、期待したようなことは何も起こらない。


 エステルはジェットへ意識を集中して訴えかける。ただ一心に、城へ繫がる出入口を示すことを求めて。


 あてが外れただろうかと不安になりながらバラの輪郭をなぞると、目を疑うことが起きた。


 エステルの血がジェットのバラへ吸い込まれたのだ。


 バラの細工は血に染められたかのように、黒から真紅へと色を変える。やがて石自体が紅く発光したかと思うと、光が四方八方へ手を伸ばした。


 真紅の輝きは黒い鳥かごを覆い、支柱を伝って地面へ走り、やがて周囲の木々を飲み込む。エステルが驚きで辺りを見回すと、ウィリアムも同じように驚愕の様相で眼下の木々を、それから不自然に青い空を見回した。


 血の赤から金色へ、目に見える風景がエステルの魔法の色に染まる。まばゆい輝きに目を開けていられなくなって、まぶたを強く閉じると、パキリと硬質なものが割れる音が耳の奥で響いた。同時に収束していく金色の輝きに、おずおずと目を開いた。


 一見、視界に映る景色は変わったようには見えなかった。空が作り物めいた青から、星々の浮かぶ夜空に色を変えたこと以外は。


 今のはなんだと訝しげにウィリアムを振り返ったとき、今度はごとりと重い音を立てて、ジェットが石碑から外れた。石を拾い上げると、それはもう元の黒色に戻っていた。


 何だったのかしら――尽きない疑問符がまたひとつ増えかけたとき、唐突に、パキリパキリと鳥かごに亀裂が走りだす。


 あっ、と声を上げる間に、亀裂は足場へ広がり、やがてツリーハウスの支柱全体へと伸びていった。


「冗談だろ……崩れるぞ! 早く降りるんだ!」


「言われなくても!」


 ジェットを片手にドレスの裾をからげたエステルは、まだぼんやりとしていた足を叱咤してツリーハウスを駆け下り始めた。


 ところが、踏んだそばから足場がボロボロと崩れていく。湿気ったクッキーを割るように、脆くも簡単に。


 ウィリアムがひとつ飛ばしで前を行く。それで亀裂が大きくなれば、エステルの靴底が触れた瞬間に粉々になり、慌てて次のステップを踏む。


 まるで綱渡りのようだった。あれは下から見て楽しむだけに留めるべきだ。幼い頃に一度だけ見たサーカスで、クラリスはあのたいそう危険な曲芸を真似たがったが、エステルはこの日初めてその恐ろしさを実感した。


 ウィリアムが遅れたエステルの腕を掴む。引っ張られるように彼の後ろのステップへ足をつく。ついた瞬間に崩れて次の段を探し駆け下りる。


 その繰り返しだったが、ツリーハウスの中ごろまで差し掛かったとき、少女はとうとう葉脈の階段を踏み外した。


「きゃっ!」


 がくんと態勢を崩した少女を追って、男もステップを踏み外す。ここまで足掻いて転落死など笑えない。まだ滴り続ける血でどうにか魔法を掛けようと、ドレスを握りしめたときだ。


 ガァア、アギャア、と怪鳥が鳴き声を上げた。そういえば、オオガラスが意識を取り戻したのだったな、と思い出し、絶望的な気持ちになった。


 前門の崩落する足場、後門のオオガラス。空中で逃れる場所はない。


 頭が真っ白になる中、強く目をつむった刹那。


 ぼふん、と柔らかい感触と衝撃が全身を覆った。


 ガォン、と短い鳴動が体の下から聞こえる。地面に手をついて身を起こすと、つやつやとした黒い羽毛に手が埋もれた。


 風が頬を撫でていく。目を凝らすと、地面すれすれを滑空する二対の翼が力強く羽ばたいたところだった。


 そこはオオガラスの背中の上だった。


「あなた、まさか助けてくれたの? さっきまであんなに警戒して攻撃的だったのに」


 ガァア、と肯定するようにオオガラスが鳴き声を上げる。


「もしかして、あのツリーハウスとジェットに関係あるのかしら」


「かもな」


 背後を振り返れば、ウィリアムが頭を押さえて崩落するツリーハウスを眺めていた。


 瓦礫はまたたく間に風化していき、ただひとつ、ジェットの嵌っていた石碑だけがクルクルと旋回しながら地面へ落ちていく。


 叩き付けられて粉々に飛び散るかと思われた石碑だったが、それは地面に激突する直前で金色に発光しながらふわりと浮かぶと、初めからそこに建てられていたかのように地へ足をおろした。


 ふたりが石碑を気にしていると見るや、オオガラスはグゥ、と喉を鳴らして、石碑のそばに舞い降りる。固い翼を足場にして地上へ降りると、石碑からピキピキと乾いたひび割れの音がした。


 唯一の出口への手がかりまで壊れてしまうのではないか。石碑へ駆け寄ったエステルの危惧は、しかし杞憂に終わった。


 それは奇しくも小さな扉の形をかたどり、ジェットの嵌っていたくぼみが焼かれたパンのように膨らんだ。くぼみはやがてつぼみとなり、バラの形を模したドアノブになる。


「これが本当の、この異空間を繋ぐ出入口だったってことか。最初に通ってきたドアはもとから一方通行だった」


「そしてこのジェットが、出入口を封じる魔法の(かなめ)だったということ?」


 各々が考えを口にすると、それに答えるように「アギャア」と鳴くオオガラスの声が聞こえた。彼は――もしかすると彼女かもしれないが――こつこつと嘴のさきで扉を叩く。


 光が収束したあとも、碑文は薄い金色に輝いていた。先ほどは暗くて読めなかった文字だ。


「……を、封…の、(いしずえ)と、………古語かしら。ところどころ読めない文字が混じってるわ」


 現代の言葉は古語から変質したものだ。多少の単語の意味を捉えることはできるが、文法をきれいな形で読み取るのは難しい。


「『これを封印の礎とし、百の支柱のひとつとせよ』……だな」


「読めるの?」


「多少は。君も書斎に並ぶ古語だらけの魔法書に悪戦苦闘してみれば、これくらいは読めるようになるさ」


 肩をすくめたウィリアムに、エステルは渋い顔を返した。学ぶことは嫌いではないが、悠長に勉強するには切羽詰まった状況だ。


 この件はあとで考えよう、とタスク処理の脇に追いやって、エステルは彼の読み上げた碑文を反芻する。


「封印……封印、ね。もしかして、わたしたちにこの扉を封じる魔法を解いてほしかったのかしら。だからあんなにわたしたちを追い回していたの?」


 手の中の石を一瞥して、エステルはオオガラスの動向をしげしげと観察した。


 ジェットに似たつぶらな瞳は理性的に輝き、エステルを静かに見つめ返す。さきほどまでの凶暴さはどこへやら、小首を傾げる姿は愛くるしさすら感じるほどだ。


「……あら、でも魔法って、掛けた人と同等かそれ以上の力がないと解けないんじゃなかった?」


 ふと、石とオオガラスの瞳を交互に観察していた少女は、先ほどウィリアムに説明された魔法の特性を思い出して首をひねった。


 それにウィリアムは、「もともと血を捧げれば解ける仕掛けの魔法だったか、あるいは、君の力がこの魔法を掛けた奴と同等だったかってことだろう」とこともなげに返す。


「じゃあきっと前者ね」


「さあね。けど、これでひとつはっきりした。どうやらこの城から俺たちが脱出するには、他の部屋の魔法も解くしかなさそうだ」


「どうして?」


「見てみろよ」


 そう言って、ウィリアムは石碑だった扉をコンと叩いた。金色に輝く文字が、蜃気楼のようにぼやけて揺らめいている。文字が二重に重なっているようだ。


 やがて元の文が空気に溶けるように消えゆくと、新たな一文が浮かび上った。


「錠前……、解錠? “百の支柱”って書かれていたところが変わっているわ」


「『警告、錠前は開かれた。九十九の支柱、未だ健在なり』。つまり、ここの扉は開いたが、九十九の扉がまだ閉ざされたまま残ってるってことだろ」


「それと城の脱出口が、どう――もしかして」


「扉の封印をひとつ解くと、恐らく城へ繋がっているだろう出口がこうして現れた。だったら、百の扉の封印を解けば、城の出口が現れるかもしれない」


 出口のない城と、出口が封印された部屋。


 ひとつの城に、百の支柱たる封印。


 これらは必ずどこかで繋がっているはずだ。


「そうでなかったとしても、この封印が支柱だって言うなら、すべての支えを壊せば城は崩れるかもしれないわね?」


 捕える檻が壊れれば、中のものは自由の身だ。出口を探す必要もなく、またそこに留まる理由もない。


 どちらに転んでも、やってみる価値はありそうだった。


「方針が見えたな」


 ウィリアムの瞳に、これまで窺えなかった希望の光がちらついた。きっと、彼の中でずっと(くすぶ)っていたものだ。


 城から出ることを片時も忘れず心に決めて、けれどひとりの探索では限界を感じ始めていたに違いない。


 必要なのは、やはり危険へ一歩踏み込む勇気だった。


 これまでの“漂着者”たちも、ひとりで扉の向こうへ行かずに根気よく彼を説得できれば、生きて戻れたかもしれない。


(過ぎたことを考えても、仕方がないわね)


 エステルは首を振って、もう一度荒野を振り返った。失われた青空と入れ替わるように広がった夜闇は、この部屋の封印が解けたことで城の時間の流れに引っ張られた結果だろうか。


「城へ戻ろう、ステラ」


「ええ」


 ウィリアムが手を差し伸べる。昨日、彼が協力し合おうと提案したときと同じように。


 エステルは昨夜よりいくらか薄れたためらいを感じながら、男の手を取った。


 血が乾きはじめた手で扉を開く。


 頭のおかしくなりそうな迷宮の部屋を見て、これほどほっとすることになろうとは、昨夜の彼女は思いもしなかっただろう。


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