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10.ブラック・アンバーは檻の中


 足が宙に投げ出される不安定さというものは、独特の感覚だった。


 唯一の命綱である濃紺のベストを握りしめて、極力動かないように息をひそめる。微細な振動ひとつで彼の腕から滑り落ちてしまいそうな恐怖が、ドレスの裾と共にエステルの足に絡みついていた。


 四翼の化け物カラスにぶら下がる形で空を渡るエステルとウィリアムは、上空の冷たい風を顔に受けながら地上へ目を凝らした。


 少女は通り過ぎていく後方へ、青年は迫り来る前方へ。眼下に広がる荒野はどこまでも続いて、街らしき建物の陰も、人の気配のひとつもない。


 色褪せた地面の赤土。瑞々しさを失ったわずかばかりの草地と低木。ヒースの花のパープルとマゼンタ。隆起した岩々。


 およそ人工物のない視界に、かわり映えのない世界が流れていく。まるで配置だけがちがう、幼子(おさなご)のための箱庭だ。


 見慣れた赤い癖毛か、さもなければオイスターホワイトの扉が視界を掠めることを願ったけれど、祈りは無情にも形を成すことなく散り散りになった。


「駄目、やっぱりそれらしいものは見当たらないわ」


「そうだな。確かに真っ直ぐ進んでるはずなのに、まるで同じところをぐるぐる回ってるみた……うわっ」


 話し声に反応した様子で、ガクンガクンとオオガラスの巨体が揺れる。急上昇したかと思えば急降下して、ふたりの体は糸の切れた操り人形のように、重力に逆らえず振り回された。


 視界が上下して気持ち悪い。お昼に(あるいはブランチだったかもしれないが)食べたパンが紅茶と胃の中で踊っている。


 陽気な調子のまま喉から逆流しないように必死に息を飲んでいたエステルは、不意に視界の端で奇妙な異色を見た。


 黒々とした常緑樹の木々の群れ。その中に一本、ひときわ目を引く黒があった。深緑が色を増したものではない。あれは――あれは人工物の黒だ。


 風景のいちばん隅、視界から外れないギリギリのところに捉えたそれは、葉のような形のステップの螺旋階段を幹から生やし、てっぺんに灯台のようなドームを据えている。


 木々の枝が形作るドームは、まるで漆黒の鳥かごだ。黒く染められたツリーハウスに似た様相は、植物でありながら人工的な違和感をもたらした。


 不思議なことに、オオガラスはずっと真っ直ぐ飛んでいるというのに、黒いツリーハウスが視界の端から消えることはなかった。


 ウィリアムの「同じところをぐるぐる回っているみたいだ」という所感はあながち外れていないようだ。


「ウィリアム、見て、あれ」


 肩を叩いて後方を差す。首を捻ってエステルの指の先を追った青年も、不可解そうな声を上げた。


「なんだあれ、あそこだけ色が……」


「わからないの? 木の中に鳥籠みたいな真っ黒なツリーハウスがあるわ。黒い木なんて普通じゃない」


「……俺の目じゃよく見えないが、ステラにはそう見えるんだな」


「あんまり目が良くないのね、あなた」


「そうらしい」


 しばらくオオガラスの脚に揺られながらツリーハウスを観察していたウィリアムだったが、彼もほどなくその異常性に気づいた。


「――あの黒い木を中心に地軸が歪んでるのか……?」


「つまり……どういうこと?」


「真っ直ぐ進むとぐるぐる回るってことだ。地上には本来、決して動かない南極性と北極性の軸が存在する。だから真っ直ぐ進めば真っ直ぐ移動できるんだ。けど、恐らくここではそれが歪んでいて、“決して動かない軸”があの黒い木の一点だけに定められている」


「だから、どれだけ進んでもあの軸から離れた場所では軸に引き寄せられるように曲がってしまうということ?」


「理解が早くて助かるよ」


「じゃあ、あのツリーハウスがこの異空間の中心点なのね」


 地平線の向こうまで無限に続いているように見えたこの空間は、案外せまいのかもしれない。


 目に見えるどこかで切り貼りされて、広く見えるように手を入れられた異空間は、ツリーハウスのてっぺんに見える鳥かごのように思えた。


 あれが、この荒野の縮図なのだとしたら。


「降りて確かめてみましょう」


「無茶言うな、この高度で飛び降りたら確実に墜落死だぞ」


「だったらもう少し、高度を落としてもらえばいいんじゃないかしら」


 そう告げると、エステルは片腕でウィリアムの首にかじりつき、もう片腕でオオガラスの太い脚へしっかりと抱きついた。ドレスとウィリアムの腕に包まれた窮屈な足を蹴り上げて、振り子のように体を揺らす。


 急に片脚へかかる重量が増した鳥は、がくんと態勢をくずして不規則な動きでホバリングした。


「なぁ、さっきの言葉、そっくりそのまま返していいか!? あんた、『無謀』って言葉をどっかに落としてきただろ」


「無事にお城に戻れたら探しておくわ!」


 先程よりも激しく振り回されながら、ふたりは振り落とされないよう必死でオオガラスの脚にすがった。オオガラスは脚に絡みつく異物に気を取られて、徐々に羽ばたきが緩くなる。


 高度が下がる。木々の遥か上空にあった巨体は、やがて常緑樹のてっぺんの葉の形が綺麗に見えるほどまで降下し、背の高い針葉樹よりも低い位置まで下がった。


 低木が生い茂る、わずかな草地が近づく。エステルは揺らしていた足の動きを止めて叫んだ。


「いまよ、飛び降りて!」


「……ったく、しっかり掴まってろよ!」


 ウィリアムはやけくそ気味に声を張り上げると、ベルトから短剣を抜いてエステルごと懐に抱え込んだ。


 支えを失った両手が、よすがを求めてウィリアムの肩を掴む。今日一番の衝撃が全身に叩きつけられた。


 耳元で激しい葉擦れの音が聞こえる。髪が枝葉に引っ張られる。頬に枝葉の折れる感触と焼けるような痛みが走る。内臓が揺すぶられて、息が一瞬詰まる。


 それでも、背中にしっかりと回った男の腕が衝撃を緩和してくれただろうことは理解していた。


「ウィリアム、無事?」


「全身痛いが、とりあえず骨は折れてなさそうだ」


「それなら良かったわ」


 オオガラスの脚を掴んでいたせいで痺れた手のひらが、じんと鈍く痛む。けれど立ち止まってはいられない。


 身軽になったオオガラスは、すぐに獲物を失ったことに気づくだろう。首を押さえながらきしむ体を起こして、ふたりは離れた場所に見える黒いツリーハウスへと急いだ。


 上空からでも遠くに見えたそれは、地上を走るともっと距離があるように感じた。走っても走っても近づいている気がしない。


 早くしなければ、またオオガラスが襲ってくる。じわじわと焦燥感に襲われて走り続ける様は、今朝の悪夢を思い出させた。


 見つけられない出口。見つからない妹。本当にまっすぐ走っているのか、それすらも疑わしい。


 疑心暗鬼に陥りかけたとき、ウィリアムがエステルの手を引いた。


「見えてるってことは、少なくともそこに在るってことだ。そこに在るなら、足を止めない限り、いつかはたどり着ける」


 諦めるな、と叱咤(しった)された気がした。それで、エステルは気丈に顔を上げた。出口が見つからなければ、彼と共にオオガラスの餌食になることは免れない。


 事故とは言え、彼を巻き込んでしまったことにも申し訳が立たなかった。


「そうよね。弱気になってる場合じゃなかったわ」


 強い意思をもって踏み出す。こわばり、あちこち打ち身を作った体は痛かったけれど、やがて小指ほどの大きさだったツリーハウスが目前まで迫ってきたことを認めた時、確かな喜びが胸の内を満たした。


 互い違いに生えた大きな黒葉が、螺旋状にツリーハウスの幹をとりまいている。黒いツルは頑丈には見えなかったが、葉を手の甲で叩くと、コンコンと硬質な音がした。


「とりあえずは足場になりそうだな」


「こんな危険、死にそうにでもならなければ冒すつもりなかったのに」


「今がそのときだろ。ほら、後ろは支えてやるから急いで駆け上れ」


 手すりのない階段を何メートルも上るのは、命綱なしで崖のきわを歩くようなものだ。幾度となくわきあがった恐怖を振り払うように、エステルは自分の頬を両手で叩いて、ドレスの裾を持ち上げた。


 ただでさえまとわりつくフリルが邪魔だというのに、葉脈の凹凸まで浮き彫りになった葉形の足場は、ふらふらとおぼつかない足取りにさせる。


 それでもなんとかてっぺんに到着したエステルの息は、既に絶え絶えだった。


「な、……何かしら、あれ」


 息を整えながら、エステルがドーム状の鳥かごの中を注視する。太い枝の隙間は細く狭く、鳥かごの中は暗い。


 後ろから遅れて上ってきたウィリアムが目を細めた。


「よく見えないな。ドアは……、なさそうか」


「ええ」


 ぐるりと周囲を一周する。ドームは人が数人入れるほどの大きなものだったが、人の気配はしなかった。クラリスもここには居ないようだ。


 全体を俯瞰(ふかん)してみると、一見オオガラスの鳥かごのようにも思えたそれは、まるで檻のようだった。


 中身を隠すためのものか、それとも中身を守るためのものか。外からでは判別がつかないが、改めて近くで見ると、外敵を寄せ付けまいとするかのような佇まいだ。


 ふたりは鳥かごの隙間に近づいて、暗く陰った中を目を凝らして覗いた。


 鳥かごの中央に、石碑らしきものが見える。エステルほどの背丈の石碑には、手のひら大の丸い石が埋まっていた。


 薄暗がりに溶け込む、漆黒の石。優美な流線が幾重にも刻まれ、花びらの彫刻を施された石のとろりとした色艶は、見覚えのあるものだった。


「あれ、“呪われしジェットの黒バラ”に似てる気がするわ」


「呪われしジェット……って、ステラが城へ迷い込む原因になったネックレスだよな」


「ええ。……今にして思えば、あれが呪われてるなんて言われていたのも、きっとわたしみたいにネックレスへ取り込まれて、帰れなくなった人たちがたびたび居たからなんでしょうね」


 あの城に訪れた人間が少なからず居るということは、エステルが引きずり込まれるより以前に、たびたび同じような犠牲者が居たに違いない。


「持ち主を飲み込む呪われたネックレス、か。それとアレ、関係あると思うか?」


 ウィリアムが鳥かごの隙間を顎でしゃくって示した。


「無関係と言うには、意匠が似すぎていると思うの。それに……」


「それに?」


「わたしはジェットのネックレスのせいで城に引き込まれたわ。じゃあ、もしかしたら同じ形のあのジェットをどうにかできれば、城に戻れるかもしれない」


「なら、やることはひとつだな。おあつらえ向きにオオガラスも追ってきたようだ」


「うそっ!? こんなところで逃げ場なんてないじゃない!」


 青年が見上げる先を視線で追って、エステルは顔面蒼白になった。グギャアアと大きな嘴を開いたオオガラスが、バサバサと翼をはためかせながらふたりを睥睨(へいげい)している。


 頭をもたげたオオガラスは、次の瞬間、鋭い嘴を突き出して勢いよく滑空してきた。


 エステルたちと、その背後にそびえる鳥かごめがけて。


 刃のような風がかまいたちとなって切りつける。痛みに身じろいだエステルは、ウィリアムに背中を押されて鳥かごの足元へ倒れ込んだ。


 頭を庇われながら伏せると、背後でツリーハウスごと震えるほどの大きな振動と衝撃音が響いた。同時に、バチバチと火花が弾ける音がして、オオガラスが耳障りな悲鳴を上げる。


 首をもたげて肩越しに様子を窺うと、鳥かごに紫電が走り、オオガラスが感電しているのが見えた。


 その様はウィリアムが見破りの魔法で迷宮の部屋の扉に触れたときと似たような光景だった。もっとも、威力はその何十倍にも、何百倍にも増していそうだったが。


「あの突進の威力ならもしかしたらと思ったけど、やっぱり駄目か。ステラ、そこで大人しくしてろよ」


「何をするつもりなの?」


「魔法で鳥かごを壊せないかやってみる。まぁ、――」


 最後にぼそりと付け加えられた言葉は、この轟音の中でエステルの耳に届かなかった。


「なに? 聞こえないわ!」


「俺が失敗したら後を頼むって言ったんだ!」


「それ、どういう……」


 少女の問いが最後まで口にされることはなかった。ウィリアムは返事も聞かずに、抜き身の短剣を自分の手のひらに滑らせる。


 流れ落ちた血が瞬く間に彼の袖を濡らして、男がその手で鳥かごに触れた直後――バヂバヂとけたたましい音を立てて、ウィリアムの体が空高く弾き飛ばされた。


 まるで鳥かごが、彼の魔法を拒絶するように。


 息を飲む暇もなく、エステルは駆け出した。足場の外に放られた男は、このままでは地面に叩きつけられてしまう。


 張り出した足場のかかるギリギリから更に身を乗り出したエステルは、男の手に引っ張られながらも渾身の力を込めて踏ん張った。



本当は昨日と今日の2話で荒野のオオガラス編は収めるつもりだったんです……オオガラス編、もう少し続きそうです…(白目)


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