50 人間はどうして人間になったんだろう
黒い森は広大だ。モンゴルを駆け抜けたオレには判る。障害物 (∋モンスター) が多いからそんなに距離は進んでないが分け入っても分け入っても黒い森だ。山は四個くらい越した。
山の頂上から眺めた時に、遠くにうっすら煙が昇っているのが見えた。人間の集落でも・・・いや、もしかして、エミールの言ってた耳尖り族か!?
確認したいが、、、人間とは敵対しているとも聞いたし、、、ニヴォーが低いうちはやめておこう。今の身体なら早々死なないとは思うが、ニヴォーが他者と比べて低く上がりにくいのは確かなんだし、危うきに近寄らずだ、逃げていいんだ。
「そもそも言葉とか通じんのか?」
いままさに倒している人型のやつらは言葉が通じる気配すらない。知能が畜生並みというか、人間的な知性はなさそうだ。見た目も可愛くないし。外見や知性で人は人を判断する。傲慢な生き物なのさ、我々は。そうして生きてきたのだ。
( 生きられることが所与のものに、当然なことになると、"平等"が産まれるということか・・・? )
オレは人間社会の深淵に触れた気がした。"生"に対するなんという侮辱なんだ。我々が平等な人間だと考えることは、何かを捨て去る行為なのか。進化とは差別化のことだったはずだ、脳の大きさや身体能力の高さなどではなく、気道がたまたま長い骨格だったためにホモ・サピエンスはサピエンスに成れたと聞いたことがある。
気道、首の長さは色んな音を発することを人間に許し、人間は言葉を編み出し、知性を身につけた人は人となった。根源に言葉があったのだ ( In principio erat Verbum... )。人とは気道の数センチの差によって人足り得ているなんとも儚い、頼りない存在なのだ。
それなのに、"平等"であると考えるなんて、、、人が人たりえることの放棄に等しい。ホモ・デウス(神の子)にでもなったつもりなんだろうか?神じゃないと平等に成れないのに、、、。
いや、これ以上考えるのはやめておこう。
・・・。
というのも考えることをやめさせるものが目の前に現れたからだ。
渦だ。
それは洗足池の欄干の下のやつのと同じようにたゆたっている。




