行き場のなき二人
行き場のなき二人
自分の腕にめり込んだナイフを自ら抜き取り、ローリーさんは果敢に敵へ立ち向かった。挙動不審だった男は、赤く照っている刃物を見るなり、戦闘態勢にはいる。男の行動は殺気を感じての行動というより、刃物を持った者がいるという情報を入力されて、戦闘態勢という出力を行ったコンピューターのような感じを受けた。そして、男は姿を変える。
『やっぱり、おかしいです。ローリーさん。こんな簡単に変身するなんて。』
工場の物陰に隠れながら、私は言った。改造人間は真の姿を見せると、それなりの制裁が下される。変身により能力は格段に上がるが、その分、社会とは合い慣れない姿になってしまう。改造人間の正体が白日の下にさらされるのはあってはならない。そもそも、改造人間には変身しなくとも簡単にヒトを暗殺できる能力を有している。
『正気ではない、ということでしょう。なら、殺すしかない。』
ローリーさんの言葉に躊躇いはない。私はそのことにひどく悲しみを覚えた。ローリーさんはいつもそうであった。任務が終わった後、常に眼のふちを赤くしている。後悔している。
男は蝉の姿をしていた。
ローリーさんはその蝉に突っ込む。
『向こうも変身をしているんです。こちらもしなければ!』
私は駆けだしたローリーさんに言った。しかし、ローリーさんは何も言わない。ローリーさんは無謀なことはしないのを私はよく知っていた。今回も何かしら勝算があるに違いない。だが、今回の敵の状態は異常である。つまり、何が起きても不思議ではない。
ローリーさんは急に横に移動する。しかし、前へ進む。ローリーさんが先ほどまでいたところが大きな音とともに爆風に包まれる。
『やはり、危険です。相手の能力値は高まっています。蝉がこれほどの音波を発するなど、前例がありません。』
音というのは空気の振動である。その振動はエネルギーを使って起される。つまり、とんでもないエネルギーを音波にすれば、それは見えない弾丸となる。だが、今男の放った弾丸は異常である。通常、男のようなタイプならば、拳銃程度の威力がやっとである。しかし、先ほどの威力はマグナムかそれ以上の―――
『いいえ。不可能ってわけではないわ。』
至って冷静にローリーさんが言う。
『音波攻撃が低威力なのは、そう言う風にプログラムされているからなのよ。いろんな理由があるとは思うけど、大抵は高威力だと攻撃に隙ができるか、肉体が持たないかのどっちかよ。』
となると、敵は内蔵されたプログラムさえも無視しているということではないか。それは非常に危険ではないか。なのに、ローリーさんは些細な事であるかのように言っていた。
敵はどうもローリーさんのおっしゃっていたことに両方該当するようだった。片方の腕がだらんと脱力してしまっている。恐らくしびれてしまっているのだろう。そして、次の攻撃もこない。
と、蝉はローリーさんに向かって前進してくる。肉弾戦に持ち込もうというのだろう。ローリーさんは同タイプの改造人間の中でも戦闘能力は低い部類だという。そして、ローリーさんよりも肉弾戦が得意であると言われる蝉型では話にならない。
男は自由の利く方の腕でローリーさんの頭部を狙う。
しかし、その腕は空を切る。ローリーさんはすでにその攻撃を見切っていた。
ローリーさんは同タイプの中でも戦闘能力は低い。しかし、その分、感知能力は高くなっていた。近接戦闘時となると、私のような探知型よりも精度が高くなることもあるという。そして、ローリーさんの戦闘経験による予知によりローリーさんは近接戦闘において最強となる。汗、呼吸、目の動き、筋肉の微妙な振動、そして、相手の心理状態。全てを計算することでローリーさんは相手の動きを読む。
既に蝉の腕からは体液が出ていた。ローリーさんがナイフで傷つけたのだろう。だが、その程度で致命傷になる訳がない。
放物線を描いて人体が宙に浮く。そして、墜落する。蝉がローリーさんを蹴り飛ばしたのだ。おかしい、と私は思う。ローリーさんが予測しきれないなど、と。相手の速度がローリーさんの予測を超えていたのか。
『内臓はもう使い物にならないわね。胃が破れなかっただけ幸運だったかしら。』
そう言いながらローリーさんは蝉の体液のついた刃物を舌で舐る。
『解析完了。抗原生成。』
そう言うとローリーさんは自分の腹部に刃物を指す。赤黒い体液が服に染みを作る。
私はローリーさんがこの行動のためにわざと敵の攻撃を受けたのだと知る。攻撃を受けることにより、時間と距離を作ったのだ。だが、それは自己犠牲により成り立つのだ。そう。ローリーさんはどんな時もボロボロだった。それでも何かを守ろうとしていた。そして、この時守ろうとしていたのは私なのだということも分かった。私に処罰がいくことを恐れてローリーさんは変身しなかったのだ。そして、ローリーさんはなるべく私の潜んでいる方へ向かわないように、攻撃の被害が広がらないように注意していたのだ。
ローリーさんはもう立つこともせず、大量の体液にまみれたナイフを近づいてくる蝉にむかって投げる。そのナイフは体の節と節の間に的確に刺さる。
『レイベ、オール。』
ローリーさんがそういうと同時に蝉の様子がおかしくなる。ぴくっと一瞬動いたかと思うと、それ以上動かなくなり、像が取り壊される時のように音もなく倒れ、地面に追突した時、すでに静かになった工場に鈍い音を響かせた。
そして、その直後である。ローリーさんに異変が起こり、あの死神が姿を現したのは。
「アンタ、ずっとそうしている気?」
シャアが言った。
「・・・」
しかし、私は何も答えなかった。
「行く当てがないのは私も一緒だけどさ、いつまでもそんなところにいたら、身体を狙われるわよ。」
そう言って、金髪碧眼の少女は私の前から姿を消した。
あの少女はもう気が付いている。私があの怪物と仲間であることを。私があの化け物と同類であることに気が付いていないかもしれないが、可能性としては拭い捨てないと考えているだろう。
私には行き場がない。組織に追われる身だ。
私は人々の行きかうネオンの届かない路地で体育座りで顔を膝と腕の間の空間にうずめている。
「大丈夫?」
私に声をかける者がいる。まだ幼い少女のような声。だが、私は顔を上げず、そのままやり過ごした。
「お前はなんなんだよ。」
建物の屋上で、ひどく声を荒げて話す男がいた。
「そんなこと、この際どうでもいいと思わない。」
ひどく軽い口調でもう一人の男は言った。いや、その男は男と形容するよりも少年と形容すべきであった。彼はまだ背が低く、顔も幼い。ただ、その顔に似合わず、綺麗な金の髪が頭の上で輝いている。
「んんん、色々聞くことが多すぎて端折っちまったこっちも悪いな。」
そう言って男はガシガシと頭を掻く。その際に体の至る所に装着されたアクセサリーがジャラジャラと音を立てる。
「まず、最初に聞く。」
男はそう言って少年を睨む。
「何故、お前は俺に感知できない?」
男にとって目の前の少年は異質だった。彼は今の少年との距離であれば存在を感知できる。だが、目の前の少年に至っては、感知ができなかった。そんな異質なことは今までに一度もなかった。どんなものでも感知できていた。だから、男にはその少年が、非現実的な表現だが、幽霊のように感じていた。目では存在が確認できるのに、存在そのものは感じられない。
「そのくらい、簡単に検討が付くでしょう。」
「見当が付くからこそ、よりおかしいんだよ。」
男は悪態をつく。
「なんでお前みたいなのが処分されてない?お前は組織にとって、完全な脅威だろう。そして、」
男が続けようとしていた言葉を少年が続ける。
「なんで同じ改造人間であるはずの僕が君に組織を裏切るように言っているのか、でしょ?」少年は軽々しく言った。
「僕は一度も組織に属しているとは言っていないよ?」
あまりにも恐ろしいことを少年は軽々と言うので、男は不快に思い始めた。
「僕はもう組織の人間じゃない。言ってることわかるよね。」
「でも、そんなことが―――」
「目の前の状況からでもそんなことが言える?」
男はそうか、と思った。これであれば、簡単に目をくらませることもできるが―――
「お前は俺に何の用だ?何のために俺に組織を裏切れと言っている?」
「何のためって君のためだよ?」
「どういうことだ?」
「君、バカってよく言われない?それとも戦闘型は何も考えなくていいのかい?」
男はバカにされているのだが、今はそんなことにかまっていられるような状況ではなかった。
「本来の任務をほったらかして、同胞を殺しちゃってるんだよ。組織がそのことを察知しないわけにはいかないよね。」
「つまり―――」
「そう。ムスタング、君は処分されるだろう。」
そう言われて男はショックをうけるかと思いきや、そうでもなかった。そのことに少年は驚いた。
「君も、恋人を殺した死神を自分の手で殺したいんじゃないの?」
少年は男を煽る。そうしなければ少年の計画は進まない。
「そうだな。どちらにせよ死ぬ運命なんだ。」
男はどうでもいいかのように言った。そのことに少年は少し動揺する。だが、決して少年はそのことを表情には出さない。あくまで気取っているように見せかける。
「お前の望みは俺にあの全身タイツを殺させることか?それとも死神の方か?」
やっと本題に入れそうだ、と少年はホッとする。
「僕としては君の自由にしてくれて構わないんだ。でも、どちらにせよ、今の君には難しいよね。」
男は顔をしかめる。先ほどの戦闘のことを思い出しているのだろう。
「あなたに力を。それが、僕の役割さ。」
そう言って少年はポケットの中から何かを取り出す。
「これは?」
男の手に移されたそれは、虫の模型だった。
「それを頭に触れさせれば、君は力を得ることができる。」
「そうか。」
そう言って男は模型をポケットにしまう。
「お前の望みはそれでいいんだな?」
何もかも見透かしたように言う、と少年は少し不快になった。間違ってはいないのでより腹立たしい。
「俺からお前に頼みごとがある。」
男は真剣な面持ちでそう言ってきた。少年は心の中で満面の笑みを浮かべていた。耳まで裂けそうなくらい口角を上げてニヤついていた。
「アイツを、№24を助けてやってほしい。」
少年はすこぶる愉快であった。他人の弱みを握るのはひどく爽快である。ここでそれを断ることができないのがひどく不満だった。彼は他人の悲しみに歪む顔をこの上なく愛していたのだから。
「なあに。そのくらいお安い御用さ。」
少年は笑っている。顔には決して出さないが。少年は今瀕死の状態である彼の部下について想像を巡らせていた。例え復活したとしても、部下は長く生きられないだろう。なぜなら、組織の追手は部下を最初に襲い、尋問するだろうからだ。それも同胞にするような生易しいものではない。男もその部下も反逆者として扱われるだろうからだ。
自分はその部下を町から逃がせとは言われていない。少年は自分に言われたのは傷を治療することだと思った、ということにした。
!
少年は何かをひらめく。少年は彼の部下の良い利用法を思いついたのだ。
「じゃあな。」
そう言って男は少年に背を向け立ち去る。
少年は男に手を振っていた。
顔には耳まで裂けんばかりに押し上げた口で中のよさそうな笑を浮かべながら。
男が敵と戦ったのは数時間前だった。男がその現場に到着した時、まず目にしたのは地面に倒れた女だった。男はその女の状態を調べたが、ただ気絶しているだけだった。
男は前を見た。
そこには衣服が真っ赤に染まった男の部下が力なく足を延ばして座り、壁にもたれかかっている状況だった。部下はまだ意識があるらしく、男の方を見つめていた。
男は工場の中を見渡す。そこには彼の標的である全身タイツと見知らぬ男が対峙していた。
「ありゃ、確実に改造人間だな。」
男は部下の負傷に動揺していたが、毅然とした態度をとるように心掛けた。それが、戦場での、男らの職場でのせめてもの礼儀であった。
「血、抜いてませんよね。」
部下がそんな風に言う。
「そんなことができそうな場面ではなさそうだな。」
男も返す。
「なあ、もしあの人造人間が真の姿になった場合、俺はアイツを殺さなくてはいけないんだな。」
男は部下に聞いた。男には部下の傷が深いことが分かっていた。だからこそ、情けはかけない。戦場で情けをかけるのは、その改造人間の今までの生きてきた証を否定することになるからである。
うぎゃあああああ!
この世の何者にも該当しない叫び声とともに男は改造人間の真の姿となる。
そして、見知らぬ男が全身タイツに襲いかかった。
「ありゃゴキブリだな。」
男は言葉にしたつもりはなかった。
全身タイツの方から赤黒い鈍血が流れている。ゴキブリの改造人間に肩を抉られたらしい。
くちゃくちゃ。
気色の悪い音が響く。ゴキブリが全身タイツの肉を咀嚼している音だ。
「アイツの時、どうだった。」
男は心の中で苦笑していた。部下の気を逸らそうと思い、飛び出したセリフが死んだ恋人のことだったからである。
「ローリーさんの時は―――」
男の部下は馬鹿正直に男の恋人について話そうとする。しかし、男には昔話に耳を傾ける余裕はない。
男は部下の元から去り、闘っている二人に向かって言う。
「よう、坊主。元気か?」
「お前は―――」
男の言葉に答えようとした全身タイツを男は蹴り飛ばす。
「引っ込んでろ。このボケナス。」
そう言って男はゴキブリと化した男を見据える。
「何がどうなってんのかよく分かんねえが、ただ一つ言えるのは、お前はここで倒しておかないと後々が面倒になるということだろう。」
男にとって、それはただの言い訳だった。男は激怒していた。自分の部下を痛めつけた改造人間に対して。そして、なにより、部下を守れなかった自分に対して。
過ちを繰り返すな。
誰かが言っていた言葉が男の中で反芻される。
ゴキブリは男に拳を伸ばす。男には感じる。次のゴキブリの行動が手に取るように
『無理です、ムスタングさん。変身せずにソイツと戦おうだなんて。』
部下による通信も今の男には聞こえていない。ただ、単調に目の前の仕事をこなすだけ。そうなるとそこらのサラリーマンと変わらない、と男はぼんやりと考えていた。
「なにっ⁉」
男の予想を超える行動をゴキブリはしてきた。肉体の限界を超える速度の攻撃。男の目前にはすでにゴキブリの魔手が。
そのとき、かすかに白いものが男の目の前をかすった。それは長い足で―――
「俺が伝説を作るんだ。お前は引っ込んでろ。」
全身タイツがゴキブリに蹴りをいれているところだった。
「てめえこそ引っ込んでろ、ド素人。」
男はそう言いつつも死んだ恋人の言葉を思い出していた。
『感知能力では私の方が上ね』
男は戦闘において、恋人に勝ったことはなかった。男は戦闘能力においては上であったが、感知能力では恋人よりも劣っていた。だから、少しもダメージを与えられなかった。
男は全身タイツを殴る。コイツが恋人を殺した存在と同類であるからである。
全身タイツも男を殴る。
いつの間にかどつきあいになっていた。
だが、ゴキブリが立ち上がると、二人は醜い争いを止め、ゴキブリを見据える。
どうも、息は合うようだ、と男は思った。
全身タイツとゴキブリが格闘戦を行う。
それを囮にして男はゴキブリの死角へと身を潜める。ゴキブリが全身タイツを蹴り飛ばした瞬間、ゴキブリの首元に爪をめり込ませる。柔らかい皮膚を狙ったが、思った以上に固かった。かろうじてゴキブリを出血させる。
「おいおい。俺を忘れてもらっては困るぜ。」
男は聞いてはいないだろうゴキブリに言った。
「これでお前は終わりだ。」
『ダメです。ムスタングさん。』
男のもとに、部下の声が届く。とはいえ、これは声を解しない通信なのだが―――
「どういうことだ。」
男は叫んだ。部下の声があまりにも弱弱しかったからだ。
『ローリーさんは相手の体液を取り込んだ後、様子が急変しました。なので―――』
この会話を皮切りに、会話は途絶えてしまった。男にはなす術がなくなった。男の暗殺術は二つしかない。一つは吸血である。大きな管を使い、標的の血液を吸うのだが、これには時間がかかり過ぎる。人間の血液というのは三リットルあり、そのうち一リットル失えば致死量となると言われている。だが、男は知っている。直接的なショックがない限り、興奮状態の人間は動き続けることを。だから、全ての血液を抜いたところで多少は動くことがありうる。そしてもっと単純な理由が、時間がかかるのだ。一リットル以上の液体を一気に飲み干すのは現実的ではないし、血液は簡単に消化できない。危うく血管に流してしまえばどんな反応をおこすか分からない。
それに、男は改造人間の体液が嫌いであった。
「どうしろってんだよ。」
最強の武器が使えなくなった男は悪態をつく。そもそも男は暗殺用であり、同じ改造人間を殲滅するためには作られていないのだ。
男はなるべく用心しながら攻撃を避ける。もう攻撃する手段もない。自分の能力に頼り過ぎていたのが悪かった、と男は思った。何の武器も持っていない男にできるのは、ゴキブリの体力切れを待つのみ。しかし、男はそれが無謀であることを知っていた。ゴキブリ型は大した戦闘力を有していない。それゆえ、持久力と生命力はある。例え今が暴走状態であっても、ほぼ全力で逃げ回っているこちらには圧倒的に不利だ。かといって、男は逃げるわけにはいかない。改造人間の存在が衆目にさらされると多くの同胞に危険が及ぶ。
自分の身を捨ててでも殺そう。
そう思ったときである。男はふらりと立っている全身タイツに気が付いた。
バカ野郎、台無しじゃねぇか。
男は無防備な全身タイツを見て怒りを感じる。男が逃げずに、かつ、ゴキブリの注意をそらしているのは全身タイツを逃がすためでもあったのだ。
「・・・・・」
全身タイツは何かを呟いていた。男はそんな屍のような全身タイツにかまっている暇はない。
と、思ったとき、目の前のゴキブリが男から離れる。一瞬自分が蹴り飛ばされたのかとも思ったが違うようだった。
男は見た。ゴキブリが大きな虫に追突されて吹き飛ばされるのを。そして、男はその虫に見覚えがあった。昨日、現れた天敵への唯一の手がかりだった。その大きな虫、コガネムシに酷似している物体は全身タイツのもとへと向かい、奇妙に変形した後、全身タイツの鎧となった。
そのとき、男はゴキブリの敗北を直感した。そして、同時に自分の敗北も。まだ、男は鎧姿の能力を把握していない。にも関わらず、本能が告げていた。決して敵わない、と。
男はその姿を一度見ていた。それは全身タイツが全身タイツを纏う前、桐麻鐸という少年の姿だったときであった。そのときはこれほどに、男は怖気づくことはなかった。あの全身タイツには何かがあったのだ。酔狂で着けていたわけではなかったのだ。
ゴキブリは果敢にも鎧姿に向かって行った。男は思わずゴキブリを止めようと思った。しかし、足がすくんでしまっていた。
哀れなる改造人間は急に見違えた敵に攻撃を加えていた。しかし、敵はびくともしない。先ほどまで吹っ飛んでいた攻撃を加えても、敵はびくともしない。
そんな様子を見て男はすでに分かっていた。鎧姿がゴキブリの隙を見て一撃でとどめを刺そうとしているのを。
そのときは突然来た。
首と胴との境目、ちょうど節になっている場所に鎧姿の手刀が突き刺さっていた。そして鎧姿はそれを横に薙ぐ。その勢いによってまだ切り裂かれていない反対側も裂け、ポトリ、と首が落ちた。生命力の強いゴキブリは胴と首が斬り落とされてもまだ何が起こったのかよく分からず、体も首もしばらくは動いていた。あまりにも残酷な死に方だ、と男は思った。すぐには死ねないなど、残酷である。
この出来事は男の心に深い闇を生み出すこととなった。
私は強く手を引かれていた。一体誰が私の手を引くのだろう、こんな行き場のない私をどうするつもりだろう、と私は私の手を引くものを見た。
それは一人の少女だった。同じ高校の制服。しかし、姿は一度も見たことの無い。
「あ、あの・・・」
「いいから来なさい。」
気の強そうな声で少女は言った。組織の追手だろうか、と私は思ったが、もう別にどうでもよかった。そう。私は組織を追われた時から存在意義がなかったのだ。だから、もう殺されようがどうなろうが、私には関係がない。
私がされるがままに引っ張って行かれたところは民家だった。
「え、ええっと・・・」
「いいから、遠慮しないで。」
なんだかよくわからない方向へ自体は進んでいるようだ。
「ただいま。」
少女はそう言って民家に入って行く。私はその言葉を懐かしいという風に感じた。今まで誰もいない場所にしか帰っていなかったので、懐かしいはずはないのだが。
「こら。遅いぞ。」
玄関で靴を脱いで上がろうとした時、現れた女性が言った。
「うっさい。」
少女は女性を一瞥する。
「この子、誰?」
女性は少女のそんな態度に慣れている感じで執拗に少女に話しかける。
「拾った。」
私は捨て犬みたいな扱いなのか、と心の中で思ったが、まあ、黙っておく。
「おおう。シャチ子。テイクオフとは流石だな。」
「シャチ子言うな。」
頬を膨らませ少女もといシャチ子は言う。
「風呂沸かしてるよね?」
「おうよ。」
「うんじゃ、この子の服用意しといて。」
「合点だ!」
シャチ子は私の背を押してまたどこかへ連れて行こうとする。
「そんじゃ、風呂に入りなさい。」
「へ?」
間抜けな声が私の口から漏れ出た。
「アンタ、喋れるのね。」
そう言うと、シャチ子は風呂場を後にしてしまった。取り残された私はどうすればいいのか、と数秒の間逡巡したが、結局入ることにした。
むさくるしいほどの臭いが鼻腔をくすぐる。そんな感覚にくすぐったさを感じながら、湯船に浸かる。湯船に浸かるなど初めてかもしれない。命令をされなければ入ることさえなかっただろう。それに、恐らく一週間ぶりの入浴だ。昨日は帰る場所もないので当然野宿であったし、病院で意識がない間は体さえ拭いてくれるものはなかっただろう。組織は私をモノとしか扱わない。
私は透明な湯船に沈む、自分の腹部を見る。あまりにも傷が跡形もない。本当に自分は負傷してしまったのかと疑問に思ってしまう。全ては夢であったのではないかと。しかし、それは現実だろう。少なくとも私の上司は組織に反逆した。そうでなければ、日中堂々と真の姿を晒したりはしない。私には一体何が起こったのか分からなかった。そして、私はすでに分かっている。何が起きたのかを知ることは何の解決にもならないことに。私は真実を追うふりをして、真実から、現実から逃げようとしていたのだろう。起きたことは変えられない。だからこそ、これからが、現在からが重要になるのだ。
肌が少し赤くなっている。やはり、あまり湯船というものは私には合わないようだ。やけにチクチクとした感覚がまとわりつく。
「シャチ子ぉ。一緒に入ろ!」
そう言って浴場を開ける者がいる。私はその人物を見た瞬間、近くにあったものを投げつける。それは相手の真っ白過ぎる顔に突き刺さる。
「なんでお前がいるんだよ!」
なぜこのような行動をとってしまったのか、自分にもわからないが、この場合はこう行動するべきであると思ったし、こうしたいと思ったのも事実であった。
私の声に応じてバタバタと音が続く。廊下を駆ける音だろう。
「何やってんだ、タクっ。」
「おにぃ、覗きは犯罪だよ。」
シャチ子と先ほどの女性が浴室へ顔を覗かせ言う。二人の見下ろす先には伸びた全身タイツ。
「なんでコイツがここにいるんだっ!」
私は思わず叫んでいた。
「あれ、あなた、おにぃの知り合い?そう言えば、名前聞いてなかったね。」
「今、そんな話をしている場合かっ!」
ムクリ、と全身タイツが身を起こす。
「なんでお前がいるんだよ!」
「それは私のセリフだっ!」
全身タイツの言葉に私はツッコんでいた。
「せっかくシャチ子とお風呂に入ろうと思ったのに。」
「死ね。」
シャチ子が吐き捨てるように言った。その表情は―――恐ろしかった。
「なんだよ。反抗期かよ。」
「48の殺人技を全てかけてやろうか。」
「何ツンツンしてんだよ。そろそろデレてもいいぞ。」
「52の関節技もおまけしておいてやる。」
そうしている間に女性は全身タイツの体に縄を巻いていた。
「このバカはこの後死ぬよりも恐ろしい目に遭うから、ゆっくりしてらっしゃいね。」
そう言って全身タイツをどこかへ連れて行った。
「騒がせてごめんね。」
そう言ってシャチ子も出て行った。
台風一過。
この言葉はこういう時に使うものなのだなと私は思った。
「この格好はなんですか。」
女性の用意した着替えを着たところで私は言った。
「なにってゴスロリよ。」
笑顔で女性は言う。
「で、あなたの名前は?なんでおにぃと知り合いなわけ?」
椅子にだらしなく腰かけながらシャチ子が聞いた。
「なんで私がこんな格好をしなければならないんですか。」
私は半ば嘆くように言った。シャチ子の言葉に答えている余裕は私にはなかった。この格好は死活問題だからだ。
「だって、シャチ子ちゃんが着てくれないから。」
女性はシャチ子の方を見ながら言った。
「着てください、シャチ子さん。」
私は切実にシャチ子にお願いする。
「嫌よ、そんなの。」
そんなの、と一瞥され、女性は打ちひしがれた様子だった。私も思わず泣きだしそうになる。
「それより、あなたの名前は?」
私は黒地にいくらかフリルのついた衣装を着ながら、観念する。
「九門棗と申します。」
「で、おにぃとの関係は?」
「あなたのお兄さんは先ほどの全身タイツでよろしいのですよね?」
私は念のために聞く。
「そうだけど?」
まるであの存在が生まれた時から傍にいたように少女は言う。しかし、色々と違和感が多すぎるだろ。
「私は先週シャチ子さんのお兄さんのクラスに転校してきた者です。」
流石に一般人に組織がどうこうとは言えない。
「あ、そう。で、互いに知り合ったきっかけは?」
私はそう聞かれて少しの間、と言っても数秒であるが回答を考える。組織に命じられてとは口が裂けても言えない。
「お兄さんが独特な格好をしてらっしゃったので。」
流石にお兄さんがどこからどう見ても変質者だったから、とは言えない。
「へ、へぇ。ま、まあ。おにぃは少し変わってるところはあるからね。」
私の感性からは、シャチ子は自分の兄が褒められて少し照れている妹にしか見えないのだが、私は決して褒めてはいないし、むしろ貶した部類に入るはずなのだ。
「そちらの独特な趣味をしてらっしゃる女性はお姉さんですか?」
今度はこちらが攻める番である。
「まあ、お姉さまだなんて。」
女性は顔に手を当てながら照れている。クネクネと奇妙な動きをしながら喜びを表現しているようだが、私は一塵も褒めてなどいない。むしろ毒気たっぷりに、恨みがましく貶したつもりであった。
「この変態は母親。どうみてもそんなに若くないでしょ。」
「そうは見えませんが。」
どうみても子供を産んでいるようには見えない。
「で、息子さんはどうして全身タイツに身を包んでいらっしゃるのでしょうか?」
あの状況を家族がどう思っているのか、非常に興味があった。
「あれ、ママが着せたんじゃないの?」
シャチ子はそう母親に言った。
「いや、知らないわよ。あの子が自発的に着たんじゃないの?」
自発的に着たのなら、それはそれで問題である。いや、大いに変態である。
「じゃあ、あれよ。いつもの突発的な行動だと思うわ。おにぃは突然思いもよらない行動をすることがあるから。」
「ほんと、誰に似たのかしらねぇ。」
母親が言うが、私はどう考えてもアンタに似たんだよとしか言いようがない。
「棗ちゃんとシャチ子ちゃんはどうして知り合ったの?」
「だから、拾ったんだって。」
「棗ちゃん、行くところがないの?」
シャチ子の母親の言った言葉に私はただ、頷くことしかできなかった。
「じゃあ、ここに住んだらいいんじゃない。」
母親はとても明るい笑顔をこちらに向けながら言ってきた。
「本音は?」
私は聞いた。
「いい着せ替え人形が手に入ったわ。」
私は貞操の危機を覚えた。




