超能力者(copy)
超能力者
家具も何もない部屋。そんな部屋の真ん中に私はいた。
『天敵についてどう思いますか?ムスタングさん。』
私は上司に回線をつなぐ。
『どうもこうもないとは思うがな。』
『それはどういうことですか?』
私の上司はこの建物の上で寝そべっている。月でも眺めているのだろうか。
『残ったのは結果としての事実だけだ。天敵の戦闘能力は速さだけなら平均的な戦闘タイプと同等だった。そして、防御力は皆無に等しいが、すぐに再起できるほどの再生能力が備わっていた。』
『そんなこと、あり得るのでしょうか?』
『ま、あり得ない話ではない。激戦地に運用されるタイプの奴らは自然治癒機能が備わってると聞いたことがある。』
『なんだか、それではまるで―――』
『俺たち改造人間と同じ存在として見ているとでも言いたいのか?』
『ええ、そうです。ムスタングさんの先ほどの言い方では天敵が私たちと同じ改造人間であるようにしか聞こえません。』
『じゃあ、もし天敵が俺たちと同じならどうする?』
あまりにも何気ない様子で言うムスタングさんに私は畏れを感じた。息を飲む。
『まるでそれを予想していたかのような言い方ですね。』
『ああ。疑う余地は十分に揃い過ぎていた。』
ムスタングさんは私よりも多くの天敵に対する情報を持っているのだろう。天敵を倒すということがムスタングさんの生きる理由なのだから。
『厳格には改造人間ではないかもしれない。だが、天敵は俺たちの組織に所属していることは間違いないだろう。』
『それは、つまり―――』
『改造人間が改造人間を殺すことが容易ではないということは知っているだろう。』
私たちは基本同スペックに製造されている。私のような特殊系は少なく、多くは戦闘用である。戦闘用は人体を極限まで開発しているので、人体の究極という点でそれぞれのスペックは同等となる。
『恐らく天敵は俺たちを殺すという一点に特化させたタイプなのだろう。』
『じゃあ、ローリーさんは―――』
『そういうことだ。』
そう言ってムスタングさんは回線を切る。だから、勝手に糸を切るな。これ以上は何も言うなということなのだろう。
私が天敵と遭遇したのは数か月前だった。
「第三勢力ってのも案外尻尾を出さないもんだねぇ。」
建物の上に私と前任の上司はいた。偵察には高いところから俯瞰するのがいいのだ。地上を広く見渡せ、また、簡単に獲物を追いつめられる。
「しかし、本当に第三勢力など存在するのでしょうか?」
そう言いつつ、私は別のことを考えていた。私達が高いところを好むのは、それが私たちの性質だからではないだろうか。私たちのモデルは互いに高いところが好きな性質を持っていた。
「まあ、なんとも言い切れないけどね。第一まだ第三勢力の存在すら掴めてないのよ。ただ、この街にここ最近不可思議な現象が多発しているってだけ。」
そう言って上司は私にはにかむ。
「ローリーさんも私と同時にここに派遣されたのですよね。その前はどこんなところに派遣されていたんですか?」
上司であるローリーさんは見た目がヤンキーな女性である。しかし、その見た目に合わないくらいに心が優しすぎる。
「主に危ない組織とかを攪乱して共倒れさせるお仕事かな。やーさんとかそういうの。」
少し悲し気な笑顔をしてローリーさんは私に言う。きっとこの人はこの仕事に合わない性格なのだと私は思った。
「棗ちゃんは今まではどんなことしてたの?」
潜伏ようにあてがわれた名をローリーさんは言う。
「№24でいいです。」
「そんなの可愛くないじゃん。もうちょっと人間らしくした方が絶対いいよ。」
そんなことを言われても、私は改造人間なのだ。もう人間ではない。
「私は今まで任務に就いた経験はありません。つい先月作られました。」
「ああ、そ、そう。」
聞いてはいけないことを聞いてしまったとばかりな態度をローリーさんはとる。ほんと、この人は改造人間らしくない。初めて会った改造人間がローリーさんなのだが。
「そういえば、何か異常とかはない?」
「ええ。今現在は。」
「あれ?」
異常なしと報告した直後に異常を察知する。
「どうしたの?」
ローリーさんが心底心配したように言葉をかけてくる。その言葉はまるで私の体調を心配しているかのようで、むずがゆかった。
「何故か前任者がこの街をフラフラしています。」
その人物はフラフラしているとしか形容できなかった。今にも浮遊してしまいそうな、そのくらい浮ついた歩き方をしていた。
「一体どうしたんだろうか。」
「回線をつなげてみます。」
私は回線をつなげる。そして、挙動不審な改造人間に話しかける。
『こちら現F市担当です。どうされましたか?』
しかし、前任者は何も答えなかった。
「何かおかしいですよ。ローリーさん。」
「でも、ちょっと様子見てくる。」
そう言って10メートルはあろうビルの上からローリーさんは跳んだ。そして、軽々と着地し、前任者の元へと近寄っていく。人並みの戦闘能力しか持ち合わせていない私にはできない技だ。
「おい。お前。止まれ。」
街灯に照らされた影が心もとなくふらふら揺れる男はローリーさんの言葉に耳を貸す気配はない。仕方なくローリーさんが男に近づこうとした時である。
『ローリーさん、避けて!』
電柱の合間からキラリと外灯を反射するものが無数にローリーさんの元へ飛んでいく。
『大丈夫ですか。ローリーさん!』
ローリーさんの両肩から腕にかけて、何本ものナイフが深々と刺さっていた。男は一度も背後のローリーさんを見ずに走り出してしまう。人離れした速さは戦闘用のものであった。
「追え。致命傷はない。」
ローリーさんの口調が真剣そのものになる。仕事モードに入ったのだろう。私は急いで男を追跡した。
「大丈夫ですか?ローリーさん?」
男が逃げ込んだのは数多ある廃工場の一つだった。
「うん。大丈夫。」
そう言ったローリーさんの口調は本当に大丈夫そうだった。しかし、私はローリーさん身体を直視できないでいた。両腕には未だに何本ものナイフが深々と刺さっている。だが、ローリーさんはあえてナイフを抜こうとはしないのだった。ナイフを抜くと体液が大量にでてしまうからだ。痛みがないはずはない。だからこそ、気丈に振舞っている姿は痛々しかった。
「敵についてはどう?」
ローリーさんは男のことをもう前任者とは言わなかった。
「ローリーさんも分かっているとは思いますが、彼は戦闘型です。それも恐らくローリーさんよりも戦闘力は上です。現在、建物の中央部で動きを止めています。また、罠を仕掛けていたとなると、理性を失ったというわけではないと推測されます。」
「本当にそうかしら?」
ローリーさんは疑問であるといった風に言った。
「どういうことですか?」
「罠のような気がする。どうもおかしい。」
「気にし過ぎなのでは?」
「でも、わざわざ無人の罠を使い、挑発し、ここまで誘導したように思うの。だっておかしいのよ。私が生きているのが。」
自分が生きていることに疑問を持つなんて、この人は今までどんな戦場を戦ってきたのだろうか、と私は背筋が寒くなるのを感じた。
「わざわざ生かしてここまで連れてきたのよ。敵は。私が感知できない無人の罠を使って。」
「こちらの情報が流れている、と?」
「ええ。」
「では、どうするのですか?応援を要請しますか?」
「そんな必要はないわ。」
そう言ってローリーさんは私に聖母のごとき笑みを見せて言った。
「私が死ねば応援が来るし、生きていたら、応援は必要なかったってことだから。」
そんな顔をしながら、こんなあまりにも悲しい言葉を淡々と言ってほしくない、と私は思った。それは、悲しすぎた。
「いつもローリーさんは人間らしくした方がいいって言っているじゃないですか。なら、自分だって人間らしく―――」
ローリーさんは私の唇に優しく人差し指を当てて言葉を遮る。ローリーさんの指は固まった体液でザラザラしていた。指の温度はすでに生の感触を失っていた。
「棗ちゃん。あなたは私にとっての希望だったの。決して人間にはなれない私の、儚い、せめてもの夢。だから、あなたはここで待機してて。そして、私が殺られたとき、上に報告して。」
ローリーさんは死ぬつもりなのだと私は思った。ローリーさんはこれからの自分の未来を語らなかったからだ。その代り、私の未来を想った。
「ふふっ。棗ちゃんは優しいのね。やっぱり、私たちとは違うのね。」
そう言ってローリーさんは私の目の下の皮膚にそっと触れた。それはまるで何かを拭うような行為だった。
そして、ローリーさんは何も言わず、廃工場へと向かう。
この時ほど、自分の非力を嘆いたときはなかった。戦闘用ではない自分は戦闘用同士の戦闘では邪魔になる。そして、ローリーさんは何が何でも私を守ろうとするだろう。私は足手まといになる。なんの力にもなれそうにない。
『オペレーション開始します。』
私はローリーさんに回線でそう告げると、廃工場内とその周辺に全神経を集中させる。私の役目はローリーさんの目となること。何としても、ローリーさんとまた一緒に仕事をするんだ。
そして、今、私の目下に広がる光景はあの時と非常に似ている。廃工場の中、一人の改造人間とそれに相対する上司。そして、それをただ傍観するだけの私。一つだけ違うところは、今回は私の上司と天敵が共闘?しているところである。
「俺が伝説を作るんだ。お前は引っ込んでろ。」
「てめえこそ引っ込んでろ、ド素人。」
共闘しているはずの上司と全身タイツは何故かどつきあっている。
私は自分の頬を触っている。あの日のローリーさんのようにザラザラしていない。ねっとりとした体液が顔に引っ付いただけだった。生温かく、金属の臭いが鼻につく。
授業が終わり次第、私は全身タイツに首をガッチリホールドされ、空き教室へ連行された。
「一体こんなところに連れて来て、なんなの?」
私は全身タイツに問いかける。ちゃっかりと奉も来ていた。
「今ここに、帰宅部総本山を設立することを宣言する!」
純白の生地に全身をくまなく覆い、顔にだけ奇妙な面を被った変人はその格好にふさわしく、意味不明な言葉を口走った。
「一体どういう意味なの?」
私はなんとか作り笑顔を取り繕うと、そう言った。
「意味も何も、言った通りだが?」
「つまり、部活動を立ち上げるってことよね?」
奉が言った。
「うむ。」
全身タイツは大袈裟に頷く。
「でも、部活動の創設の規定とかはないのかしら?」
「そんなこと、どうだっていいのよ。」
「そうだ。俺が部活動を作ると宣言したところに部活動ができるのだ。天上天下唯我独尊だ。」
このバカ二人はそろいもそろってなにをほざいているのだろうか。いい加減、愛想が尽きる。
「では、その部活動って何をするの?」
そろそろ崩れ始めた笑顔を何とか持ちこたえさせ、私は問いかける。
「そりゃあ決まっているだろう。伝説になるのさ。」
だから、伝説になるために何をするのかを聞いているんだよクソッタレが。
「今日はなにをするの?」
奉が聞く。私はもうまともに会話を出来そうもない。怒りに震える自分を抑え込めそうにない。
「超能力者探しだ。」
「はい?」
私は思わず素がでてしまう。いや、自分でも予想だにしなかったくらい素っ頓狂な声を上げていた。
「そんな非科学的なもの、どうやって探すんだ?」
自分も改造人間という非科学的な存在であるのだが、今回は置いておこう。
「私に任せて。」
いや、どう任せるんだよ。
奉はそう言うとどこからともなくカードを取り出す。
「タロットカード?」
「いいえ。クロウカードよ。」
奉はそれっきり何も言わず、机にカードをばら撒き、手でかき混ぜると、カードをデッキにし、六枚のカードを上から順に六角形に並べる。
「北―――箱―――道化―――」
一枚ずつカードをめくりながら奉は言った。
「北ってどっちだ?」
そう言った全身タイツに呼応するように奉は北を指さす。その指さされた先には偶然にも私がいた。
「お前が超能力者か!」
「ち、違います!」
人間とは違う能力を持っているという点では超能力者とも言えないこともないが、なんとなく違う気もする。
「北っていうと、あっちか。」
全身タイツが窓から北を俯瞰しながら言った。全身タイツの視線の先には、工場があった。川を渡った先の、工場の集まり。数十年前までは製造業が盛んであったこともありこのF市にはいくつもの工場が建てられた。しかし、バブルの崩壊、外国産の流通により工場はどんどん倒産。いまやF市の工場のほとんどは廃工場である。
私はそんな工場たちを見つめながら、言いようのない胸騒ぎに襲われていた。ローリーさんの最期もその周辺だったから。
全身タイツの食事はなかなかの見ものだった。
全身タイツは学校から一直線に北へ向かった。その途中、すれ違う人に必ず「お前は超能力者か?」と聞きまわっていた。姿さえ危ない人であるのに、言動までおかしいと、もう狂人と間違えられても仕方がない。警察を呼ばれないかだけが心配である。
何を思ったのか、途中で全身タイツはコンビニへ入って行った。そしてあっという間に出てくると、手には一本の駄菓子。シールは貼ってあるので、万引きではない。その駄菓子の包装をとり、全身タイツはそれを口に持っていく。面を被っているのにどうやって食べるのだろう、と私が疑問に思っていると、カパっと面の口あたりが一文字に割れる。そして、その裂けた面の奥には食堂へと続く洞穴が。
食べ終えた後の面は、まるで今さっき二つに分かれたのが嘘であるかのように痕のない一つの面となっていた。
そう。ローリーさんの最後も―――
私はどうしてしまったのだろうか。何故か頻繁にローリーさんのことを思い出してしまう。
「君たち、ちょっといいかな?」
唐突に話しかけられる。誰だと思い振り向くとそこには一人の警官がいた。たくましい筋肉質に短足胴長。毛むくじゃらの腕に、目立ってきた無精ひげ。到底警官とは思えない風貌の男だった。男は全身タイツに話しかけたようだった。コンビニの店員が通報でもしたのだろうか。
「一昨日の夜間に二人の人間が死ぬという事件があったんだが、君たちはなにか知らないかい?」
「なぜ私たちに聞くんですか?」
奉がつっかかる。そして、この時私は何かおかしい、と思った。
恐らく、警官の言っている事件はムスタングさんの起こしたものだろう。だが、ムスタングさんの殺したのは売人だけのはず。その後少年は死んだのか?
「いや、別に君らを疑っているわけではない。」
「嘘ですね。疑っていなければそんな直接事件のことを聞くなんてありえない。それもわざわざ人が二人も死んだという重大な情報を漏らしてまで。」
奉千花は時折勘が鋭い。感心する。警官は観念したのか、本心を晒す。
「実際疑ってるってほどじゃないんだが、君らがこの事件と関係があるとは思っている。」
「その根拠はなんですか?」
それでもなお奉は食い下がらない。
「臭い、だよ。」
「はぁ」
予想だにもしなかった言葉に、奉は思わずそう漏らす。
「何やってるんです?乾さん。」
どうも警官の知り合いの男が警官に話しかけたようであった。
「ほら、そんなところで油売ってないで捜査しますよ。」
そう言って男は警官を引っ張っていった。
「なんだったの?」
「さあ。」
大量の空き箱のある工場。そこには誰もいないのは確認済みである。全身タイツたちが工場へ入る。私は念のため、工場内に全神経を集中させる。
だが、それがあだとなる。
何者かの接近を確認した瞬間、私の腹部に腕が貫通していた。
鈍痛とともに私は視線を自らの腹部へと下ろす。そこには奇妙な現代美術のように赤黒く彩られた人間の腕が伸びていた。
どうも背後から自分の腹部を貫かれたらしい。
それさえ分かれば十分だった。
突然現れた男に全身タイツが能天気に聞いていた。
「おっさん。なにしてんの?」
そんな全身タイツの言葉に男は無反応だった。
全身タイツが男に近づこうとした時、男はまるでバネのように全身タイツへ襲いかかる。
「ありゃ、確実に改造人間だな。」
私の隣にはムスタングさんがいた。その腕の中には気絶した奉。
「血、抜いてませんよね。」
「そんなことができそうな場面ではなさそうだな。」
ムスタングさんは冷静に両者を観察している。どちらも敵であると認識したのだろう。
「なあ、もしあの人造人間が真の姿になった場合、俺はアイツを殺さなくてはいけないんだな。」
ムスタングさんはそう言った。しかし、私は何も言えなかった。ムスタングさんの言っていることは人造人間としては正しい。私たちの正体が衆目にさらされれば、多くの同胞が死ぬこととなる。でも、でも、それは、ムスタングさんの言ったことはアイツと、ローリーさんを殺した天敵と同じではないか。
うぎゃあああああ!
この世の何者にも該当しない叫び声とともに男は改造人間の真の姿となる。
男は圧倒的な速さで全身タイツに襲いかかる。全身タイツは何とかしてギリギリで避けるも、男の突き出した手に触れられ、気が付くと右肩から血が噴き出している。男の手中には赤黒くも弾力のある物体が握られている。全身タイツが抉られた肩の肉だろう
「ありゃゴキブリだな。」
ムスタングさんが男の姿を見て言った。長い触覚に薄い羽。鬱陶しいほどの光沢を身につけた姿はまさにゴキブリだった。
全身タイツは傷付いた肩を抑えつつもゴキブリを決して見失わない。圧倒的な戦力差でも屈することなく敵を睨み続けている。そんなことを知ってか知らずか、ゴキブリは全身タイツから抉った肩の肉を口の中に頬張り、ゆっくりと咀嚼している。
くちゃくちゃ。
快いとは言えない音が工場に響く。
「アイツの時、どうだった。」
ムスタングさんはゴキブリから視線を外さず言った。
「ローリーさんの時は―――」
今さらになって腹部に痛みが襲う。気を失わんばかりの痛みを堪えてムスタングさんの問いに答えようとすると、ムスタングさんはその場にはいなかった。
「よう、坊主。元気か?」
この場面に場違いな言葉とともにムスタングさんは二人のもとに歩み出ていた。
「お前は―――」
ぼんっ。
そんな音とともに、全身タイツの体は宙に浮いていた。残るのは、蹴り上げた姿勢の我が上司。
「引っ込んでろ。このボケナス。」
そう言ってムスタングさんはゴキブリと化した男を見据える。
「何がどうなってんのかよく分かんねえが、ただ一つ言えるのは、お前はここで倒しておかないと後々が面倒になるということだろう。」
そう。もしこのゴキブリがあの日の男やローリーさんと同じだとすると、このゴキブリは倒さなければならない。
ゴキブリはムスタングさんに攻撃を加える。ムスタングさんはそれを紙一重で避ける。
「無理です、ムスタングさん。変身せずにソイツと戦おうだなんて。」
ムスタングさんは何とかゴキブリの攻撃を避けてはいるが、それだけで精一杯である。
「なにっ⁉」
気が付くとムスタングさんの目前にゴキブリの手が。肉を抉るほどの攻撃を受ければムスタングさんでも絶命は確実である。
全ての終わりを悟った時、ムスタングさんの目前にはゴキブリと入れ替わって、全身タイツが現れていた。ゴロゴロとゴキブリの体は転がっていく。
「俺が伝説を作るんだ。お前は引っ込んでろ。」
「てめえこそ引っ込んでろ、ド素人。」
そう言って二人は何故かどつきあう。
だが、ゴキブリが立ち上がると、二人は醜い争いを止め、ゴキブリを見据える。
私は自分の頬を触ってみる。あの日のローリーさんのようにザラザラしていない。ねっとりとした体液が顔に引っ付いただけだった。生温かく、金属の臭いが鼻につく。自分の頬は緩んでしまっているようだった。何故私は頬が緩んでいるのだろう。それはきっと微笑ましいからだ。何が?敵に対している二人が。戦闘中にも関わらず、仲良さそうにケンカをしているから。バカだ。愚かだ。でも、微笑ましい。
既に服は体液で濡れている。流れた体液が水たまりを作り出している。
もう、私は長くない。
全身タイツとゴキブリが格闘戦を行っている。互いの拳を避け、防ぎ、繰り出すも、相手も同じ様に避け、防ぎ、繰り出す。勝負は互角か。だが、ほんの少しの攻撃の差も何度も拳を繰り出す度、差が開いていく。全身タイツがかろうじて顔面への攻撃を避けた直後、全身タイツは後方へ吹っ飛ばされる。ゴキブリに蹴り飛ばされたのだ。
そして、その直後、ゴキブリの首元から体液が飛び出す。
「おいおい。俺を忘れてもらっては困るぜ。」
ムスタングさんはいつの間にかゴキブリの後方におり、手はゴキブリのものであろう体液で湿っている。
「これでお前は終わりだ。」
『ダメです。ムスタングさん。』
私は自分でも声が出ることに驚いた。だが、すぐにこれは声ではないことに気が付く。通信だ。飛ばした糸とムスタングさんとを繋ぎ、思っていることを糸で共振させ通信しているに過ぎない。糸電話と同じ要領だ。
「どういうことだ。」
ムスタングさんの声が糸を通して私の耳に伝わってくる。感度が良くないことから、自分の能力が弱っていることを実感する。
『ローリーさんは相手の体液を取り込んだ後、様子が急変しました。なので―――』
そして私はこと切れた。
医者
暗闇こそが宇宙の本質であるという。目に見えているものはただ物体が光を反射しているだけ。光が遮られた場所にできるもの―――影こそが宇宙の色なのだと。だが、それは本当なのだろうか。誰も宇宙など見たことがない。宇宙に行った宇宙飛行士が本当のことを言っているとも限らない。
だが、そんなことはどうでもいい。
宇宙のことなど、私たちの生活には関係がない。例え自分たちが今歩いている地面が地球で、その地球という天体と他の天体との間に暗黒物質というものが敷き詰められていると考えられているとしても。
私は今、暗黒に浮かんでいる。いや、実際それは暗黒であるのかさえ分からない。目に何かが、暗黒が見えているわけではないからである。目が見えているのかということでさえ実は定かではない。ここはどこなんだろう、一体なんなんだろう。そんなことを考えることさえ意味がない。なにせ、何もないのだから。
人はきっと生まれる前はこんな場所にいるのだろうと考える。そして、産まれることによって、無から有へと変わる。
何だろう。この感覚は。先ほどまで何も感じなかったのに、私の体に異変を感じる。異変を感じるまで、自分の体の認識さえなかったというのに。自分の体から何かを抜かれる感触。それは酷く重要な、でも、私には本来必要なかったもののような気がする。
私は目を開いた。そして、手を思いっきり伸ばす。手を伸ばした先に何があるのかを見てはいなかった。でも、それはとても大切なもの。伸ばした手の先には青く透き通った丸い物体。まるで大きなビー玉。
「まさか全身麻酔をしていても動くとは。改造人間は腐っても改造人間だな。」
ビー玉のようなものは吊るされていて手が届かない。そして、私は上体が上げられない。
再び意識が遠のく。
その瞬間、私は力なく首を横に向ける。その視線の先にはどこかで見たことのあるようなものが鎮座されていた。
次に目を覚ました時、私は病院の診察室にいた。腹部は包帯でグルグル巻きである。力が込められないほどガッチリ固定してある。
目の前には白衣の男。私の胸に聴診器を当てたり、ペンライトを目にかざしたりしている。
「どうしてあれがここにあるのですか?」
「気が付くなりそれとは、本当に驚かされるね。」
私の問いに対して男が言った。男は言葉では驚くと言いつつ、無表情で書類に目を通している。
「とりあえず、君の言うあれってのは何だい?」
「鎧です。天敵の纏う悪魔の―――」
「まずは落ち着こう。」
私はどうやら頭を抱えていたらしい。私らしくない。
「それはどこにあったんだい?」
男は私を見ることなく言った。
「手術室に。」
「なんで君が手術室にあるものを・・・ああ。なるほど。」
男は最初は驚いたように言い、必死で資料に目を通したが、すぐに納得したようだった。
「あれは数日前に上から保管するように伝達が来てね。どうもお上はここを前線基地かなにかだと勘違いしているようでね。」
「では、何故私はここにいるのですか?」
私は診察室らしきところで椅子に座って診察を受けている。普通、意識不明から回復するとベッドの上にいるのが普通だ。
「君、意識は回復してなかったけど、身体は異常なさそうだったから。しゃべれるくらいだから、体も満足に動かすことはできると思うけど。」
こういう言葉を聞くと、やはり私はこういう世界にいるのだと実感する。人造人間をものであると認識する世界に。
「ムスタングさんはどうなったんですか。」
そう言うと男は顔をしかめ唸る。
「残念ながら、僕の口からは言えないね。きっと彼が君を迎えに来るだろうから、その時彼に聞きなよ。」
何もない病室。私はただ何を見るでなく、何を見ていたのかさえ思い出せないような時間を病室で過ごす。病室にはカーテンがかかっている。そのカーテンから透けて出てくる光りから、今は日中であることがわかる。病室には花も、花瓶さえもない。ただ、白いベッドがいくつか鎮座されているのみだ。この場所は病室と言うべきではないのかもしれない。使われている用途は病室なのだが、見た目は学校の教室だ。残された児童文学からして、ここはかつて小学校だったのだろう。
コツン、コツン。
ほとんど物音のしない学校の廊下は人が歩いているだけで音が響く。かつて児童たちの喧騒に包まれていたであろう校舎は数人の技師が廊下を歩く音だけを反響させている。
コツンコツン。ガラガラ。
この教室の前で靴音が止み、教室の戸を開ける音がする。私は教室の入り口に目を向ける。教室に入ってきたのは一人の人物だった。遠目からでもわかるサラサラとした短めの金髪。やさぐれた格好からは路地裏の臭いがする。技師だろうか?いや、違う。この危険な雰囲気は改造人間だ。
「お目覚めかい?№24。」
比較的若い声で金髪は言った。よく見ると、背丈もそれほどない。
「あなたは誰ですか?」
「それより動けるかい?動けるなら早くここを出た方がいい。」
「それはどういう―――」
「僕の質問に答えろ。」
自然と出る威圧感。強者の風格。この男は戦闘型だろう。
「問題ないです。」
「じゃあ、出よう。」
「随分と遠くまで運ばれたんですね。」
「まあ、あんなところまでいかないと人目に付くから。」
私は周りは田しかないような場所に搬送されていた。男の待たせていたタクシーで市街地まで向かった。
「なぜ私のようなものが生命を維持されたのですか?」
駅のホームで私と男は話していた。この時間に町中を未成年がうろついていると目立つ。駅であれば、授業のない大学生にカモフラージュできる。
「君は冷静だなぁ。」
少し呆れたように、でも口元を三日月のように形作りながら言った。
「僕からムスタングへのお礼という感じかな。」
「ムスタングさんはどうなったんですか⁉」
ムスタングさんの名前が出てきた瞬間、不安が押し寄せてきた。
「まぁまぁ。落ち着いて。」
そう言うと男はおもむろにベンチから立つ。
「端的に言おう。君とムスタングは今や組織から追われる身だ。」
私は即座に警戒する。
「ああ。そんなに怖がらないで。僕は君を殺したりはしないから。」
なぜか、と聞こうとしたが、言葉が出なかった。
「僕は組織の改造人間だけど君たちには興味がないから。」
男は組織でも地位が上なのだろう。だから、身勝手な行動が許される。私とムスタングさんには抹殺命令が下りているだろう。発見したら報告をしなければならないが、男はそれもしないということだ。職務放棄である。
「あの技師は?」
私は小学校の技師を思い出す。彼も組織の人間である。報告しないわけにはいかない。
「ああ。多分彼は面倒ごとを増やしたくないだけなんだろう。君たちはすぐに殺されるから、報告するなんて面倒なことはしたくないんだよ。」
改造人間は殺されれば終わり。その後その改造人間が何をやっていたか、誰と接触していたかはあまり調査されない。するとしても大まかであろう。
「何故ムスタングさんは抹殺されなければならないんですか。あの後何が起こったのですか。」
「そこは僕も詳しくは知らないよ。一つ言えるのは、これからのことだ。これからこの街に組織の追手が来る。君たちを殺しにね。」
「どうすればいいのでしょうか。」
私は自分の死などどうでもよかった。ただ、生きているうちに私はどう行動すればいいのか分からなかった。こんなイレギュラーな事態の対処法などマニュアルに載っていない。だから、これから私はどうすればいいのかを聞いた。
「そうだね。きっといつかは見つかるだろう。でも、社会と隔離された場所なら少しは時間稼ぎになるかもしれないね。あと、今まで住んでいたところは使えないよ。」
ひどく曖昧模糊な指示だが、仕方がない。謀反を企てた者に指示を与えていたとなると、男まで抹殺対象になりかねない。
「あと、もう気付いているよね。」
「はい。」
「君にとってそれが幸運なのかは知らないけど、頑張ってね。」
そうして私たちは別れた。もう二度と会うことはないだろう。
ふと、あの男を何処かで見たような覚えがあることに気が付く。
私は男の進んだ方に振り向く。
もうそこには男はいなかった。
あの時のように。全身タイツがバイクを炎上させたときの、ように。
翌日、私は登校した。クラスメイトは心配したように話しかけてくる。私は一週間休んでいたようだ。あれほどの怪我、実際は死んでいてもおかしくはなかった。少なくとも一か月以上はベッドの上にいなければならないだろう。改造人間でさえそうなのだ。普通の人間は三か月から半年はかかる。あの技師の腕が良かったのか。それにしてもおかしいのだ。この回復速度は。
私はどう過ごせばいいのだろう。今までは任務であったからクラスメイトに好印象を与えていた。しかし、今は任務でも何でもない。
私はクラスメイトと話すことはなかった。クラスメイトは私の変化に驚いているようで、私の体調を心配していた。私は交通事故に遭ったということになっているようだ。それなら、交通事故によるショックで精神を病んでしまったということにすればいい。そもそも、明るい性格は私には合っていないのだ。
そして、私は部室に行く。もう調査の必要もないから学校に行く必要もなかった。だが、私は全身タイツに会い、ムスタングさんのことを聞かなければならない。あの後のことを知りたい。そんな感情が唯一私を生かしているのだった。
「よお、おかえり。」
まるで家に帰ってきたかのように部室に入ってきた私を全身タイツは迎えた。ひどく懐かしい気がするのは気のせいだろうか。
「案外元気そうじゃない。」
奉はそう言った。
「何してるの?」
今日初めて発した言葉がそれだった。
「何って、見れば分かるだろう。」
机をいくつも並べて大きな机を作り、その上にジェンガを作っている。だが、そのジェンガは普通に組み立てられていない。
「我々帰宅部は伝説的ジェンガの組み方を考察しているのだ。凄かろう。伝説的だろう。」
バカだ。確かによくわからない造形を成している。だが、ジェンガの本来の遊び方ができない。
かと思えば、奉は何気なしにブロックを引いて上に載せている!よくもこんな造形で崩れないものだ。
「づおうりゃあああああぁぁぁぁぁ。」
かと思えば、全身タイツがジェンガに思いっきりパンチし、崩していた。ガラガラと大袈裟な音を立ててジェンガが床に散らばる。
「何やってんの⁉」
本日二回目の言葉がこれである。そして、一回目と言葉はそれほど変わっていない。
「これでこのジェンガは伝説となった。」
理解不能である。奉は何事もなかったかのような態度である。
「では、一週間ぶりの帰宅部の活動を始めるか。」
「私が入院している間、何もしてなかったの?」
「当たり前じゃない。三人で帰宅部なんだから。」
奉は毅然とした態度で言う。
何なのだろう、この感覚は。胸がはちきれそうだ。一体どうしたのだろうか、私は。
「で、再開一発目はなにするの?」
奉が言った。
「それはこれだ。」
そう言って全身タイツがどこからか何かを取り出した瞬間、教室の戸が勢いよく開いた。
平和とは何か。その定義は非常に難しいものだろう。だが、私の目の前の光景は平和以外の何者でもなかった。
「キリエちゃん、何見てるの?」
そんな声がする。
「何も見てないわ、キョウ。ちょっと考え事をしてただけ。」
私はそう答える。私に話しかけた女子高生と私は他愛のない会話を始める。
平和。
やはり平和である。つい最近まで私の置かれていた状況と違い過ぎて、未だ気持ちの整理がつかないくらいだ。だが、組織は私を自由にしてくれたというわけではない。むしろ、籠の中の鳥に私をしてしまった。だから、私は時たま俯瞰する。平和過ぎる日常に飽き飽きしながら。
事の始まりはなんだったのか、など、私は知る由もない。あの土地に産み落とされた時点で私の運命は決まっていたのだ。
この国の人間は知らない。世界には争いが溢れていることを。この国に来て非常に驚いた。あまりにも顕在化しない犯罪が少ないからだ。生まれながらにしてそんな環境にばかり遭遇していた私はそういう嗅覚が強い。だからこそ今の職に就いているわけでもある。
私に両親はいない。居たのは確かだろうが、顔など見たことがない。そうなると居ないも同じ。だからいない。事あるごとに祖母に両親のことを尋ねていて非常に困らせた。今でも少しあの人には申し訳なく思う。結局彼女は私の実の祖母ではなかった。
「ねえ、キリエちゃんの親ってどんな人なの?」
そもそもこんな話になったのも、目の前の少女が私にそんな質問をしたからだ。
「そうねぇ。母さんはうるさいし、父さんはなにも言わないし。」
「やっぱりどこも同じなんだね。」
そう言って女子高生はバターを溶かしたようなトロンとした笑みを浮かべる。全く、灰話ボケした顔である。
私は女子生徒との会話を切り上げ、監視対象の探索に向かう。
実はこの時既に事件は始まっていたのだが、そのことに対してその時の私は何一つ知る由はなかった。
一週間前から急に現れた男、レジェンド。それが私の監視対象である。この男は非常に奇妙である。なぜなら、全身タイツだからだ。だが、それ以上に奇妙なのが、この学校の生徒だ。生徒はこの男について何の感情も持っていない。つまり、この男を当たり前の日常として受け入れてしまっているのである。私だけに幻覚が見えているわけではない。生徒に聞いても彼が全身タイツを着ているのは確実なのだ。
私の役目は実は全身タイツの監視ではない。全身タイツの監視はあくまでもその一部なのだ。本来の任務はこの街の異変を監視することである。異変があれば逐一組織に報告する。その異変は私が異変であると感じた事柄だけである。その点では、正確な報告ができない可能性があるというのに組織はそれでいいとの判断をしている。ほぼ確実なのが、私以外にもこの街には何人もの組織の者がいるということである。
それにしても、全身タイツは奇行が目立つ。ある時は地面に穴を掘り職員を怒らせ、ある時は大量の蛙を校舎にばら撒き人々を阿鼻叫喚させた。
「どおりゃぁ。」
私は背後に蹴りを放つ。
後ろの男子生徒が吹っ飛ぶ。
なにをしているのかって?私にも分からない。ただ、一瞬背後に気配を感じたかと思うと急に足が動いたのだ。
私は逃げる。
そんな毎日。
背後に誰かが居ながらする生活にはとことん慣れない。授業中もそうだ。学生生活を始めた頃は常に緊張していたものだが、最近の感触としては背中がむずがゆいという感じ。危険はないと頭では分かっていながらも体が緊張してしまう。だから、油断すると足が後ろにでてしまう。目立ってしまうのは諜報活動にとって不利にしかならないのだが。そもそも傭兵上がりの私に諜報活動させる方が間違っているのだ。それに、この街は戦場以上に戦場。私のような諜報活動の素人が居ていい場所ではない。
心底腹が立つ。
放課後。キャラメル色の光が濃い影を作る。目に入ってくる西日に目を細めながら対処する。ほとんどの生徒が出て行ってしまった後の校舎には全く人影がない。グラウンドを彩るこげ茶色のカラメルは全て運動部員のものだ。
私は放課後こうやって校舎を歩き回るのが日課となっている。誰もいない場所なら暗殺もしやすい。だから、私は歩き回っている。私を殺そうとする者をおびき出すために。しかし、今のところその罠にかかった者はいない。かかってくれた方が私は楽に任務を済ませることができる。諜報より暗殺の方が得意だ。
「あいむぐっどあっときりんぐざんさーちんぐ。」
日本語英語で言ってみる。しかし、幼稚な発音である。私はある人々を思い出す。私がこの言葉を言った人々だ。彼らは常に驚いたような、いやそれ以上の、恐れおののくような顔をした。その瞬間、私はそこが私の居場所ではないと悟る。この言葉を聞いて驚いた顔をしなかったのは組織の人間だけだった。だが、彼らは驚かない代わりに、なんの反応も示さなかった。そんなの当たり前だと言わんばかりに。だから私は組織を命がけで守ろうと思った。
ポケットを探る。ない。
さらに執拗に、ポケットを裏返してまで探す。ない。
あれがないとか、もうダメだ。組織の人間として終わってる。
横から人の声が。だが、そこは空き教室のはずだ。
何人かの人間が騒いでいるようだ。
その中の一人は私のよく知る人物で。
ソイツの手の中には目的のものが―――
長き金色の絹糸が宙を肥えた小麦に染める。磨かれつくした青く透明な透き通る、それでいてまばゆい光を放つ宝石がキラリと光る。
「おはようございますっ!」
「もう夕方ですが?」
突如として部室の戸をあけ放った少女に奉はすぐさま疑問を投げかける。
キリエ・エレイソン。
私の目の前に現れたのはそんな名前の女子高生だ。帰国子女らしく、国籍は日本。米国に長い間住んでいたという割に日本語ペラペラ。何故私がこの女子についてよく知っているかというと、とても目立つからだ。恐らくこの学校では全身タイツの次に目立つ。
そんな金髪碧眼は全身タイツの手中の紙切れめがけて飛ぶ。それは跳ぶというより飛ぶと形容したいほどに華麗であった。流星のような金色の一閃が全身タイツの手めがけて―――全身タイツは何事もなく手を下ろす。金色はどこに降り立てばいいのか分からず、地面へと叩きつけられる。そのまま胴体着陸した飛行機のように地面を滑空する。
「これは明智光秀の埋蔵金のありかを示したものだ。」
そう言った全身タイツの手の中の紙を見てみるとこう書いてあった。
『ずちらたか』
これが右から左へ書かれており、その文章を左から見るとこうなる。
『たからのちず』
と。
「これだけで埋蔵金の地図っていうのも軽率過ぎない?」
「それより、この帰国子女をどうにかしない?」
奉が言った。
「おい。百式。起きろ。」
「誰が赤だ。グラサンだ。」
「いや、誰もそこまで言ってないし。」
帰国子女は立ち上がり、服に着いた汚れを払う。そういえば、パンツは赤だったな。
「で、シャアはなんの用だ?」
全身タイツが自然に言う。
「誰がシャアだ。」
「まさか、埋蔵金を狙って・・・」
「意地でもシャアと突き通すつもりか。」
ふぅ、とシャアは溜息を吐いて言う。
「もし埋蔵金があるとして、あなたたちはどうしたいの?お金持ちになりたい?」
そんな少し投げやりなシャアに対し、全身タイツは言った。
「伝説だ。」
「はぁ?」
思った以上に予想外な回答が来て、シャアは呆れた顔をする。私はもうなんとなく慣れた。
「伝説になるためだ。それ以上に理由なんてものも他のものもいらない。金だ?そんなもの、伝説になった後に付いてくるもんだろうが。そんな付属部に興味はねぇ。伝説のために明智埋蔵金を見つけるんだよ!」
「心意気だけは伝わったわ。」
シャアはそう言った。
「それは私の見つけたものだけどあなたたちに譲るわ。でも、条件がある。それは私も仲間に入れなさい。」
早口で息継ぎなく言った。その額には汗が。
「でも『たからのちず』としか書いてないわよ」
「これぞ暗号なのだよ。」
「どんなのだよ。」
「あなたたち、私の話を聞きなさい。」
「ああ、聞いてる。シャア、お前も今日から部員な。」
「軽っ。なんか軽っ。」
「レジェンド、この暗号解けるの?」
奉はシャアを無視して言う。
「当然だろ。」
全身タイツは言う。だが、本当だろうか?ちなみに、私はもう解けている。
「これはうまん棒の味だ。」
「はい?」
「右からずいずいずっころばし味、チリタコス味、ノリスケ味、ラー油味、カラアゲ味、タクアン味だ。」
「それがどう埋蔵金の場所に繋がるの?」
私は大きなヒントを与えた。これはすでに場所を表しているということを。
「なぜこの文字は左から右でなく、右から左に書かれていると思う?」
この暗号の核心へと迫る問である。
「なぜなの?」
シャアが言う。
「知らん。基本うまん棒というのはな、コンビニ一つにつき四種類ほどしか置かれていないんだよ。だが、この紙には六種類も書かれてある。これがどういうことか分かるか?」
「場所が特定できるということ?」
奉が言った。
「そういうことだ。ちなみに、この種類のうまん棒だけをそろえているのはこの街に二店舗ある。」
「じゃあ、場所の絞り込みは難しいんじゃ・・・」
なぜコイツはこの街のうまん棒について詳しい?調べたのか?
「二つの店に直線を引いて、その中央にあるところが埋蔵金のありかだ。」
私が解いた暗号はそんなものではない。だが、この解き方で合っているのかと不安にもなる。反応からして暗号の持ち主はシャアだろう。そして、シャアはアメリカからの帰国子女であるという。そうなると、アメリカの秘密結社が使っている暗号を使うのが妥当であろう。だが、この暗号はヒントが少ないがゆえに様々な解き方ができる。現地語で暗号を作るというのは米国秘密結社の特徴でもあるのだが・・・その暗号は誰でも解ける類のものなのだ。だから、罠である可能性も・・・
私はシャアの方を見る。
固まっている。
・・・
コイツは組織の下っ端で、釣り餌として放たれている。そうとしか思えない。なぜなら、素
人感丸出しだからだ。となると、罠の可能性は高いが・・・私の今の義務はムスタングさんを探すことだ。そのためには全身タイツの身に起こったことも知っておいた方がいい。
シャアが硬直しているということは、暗号はうまん棒方式で合っていたのか?今、全身タイツと奉は地図を使い場所を記している。シャアはそれを見ながら息が詰まったような顔をしている。まさか、ね。
そこには池があった。池というには大きな池だが、湖とするにはあまりにも目立たない、そんな場所だった。辺りには鬱蒼とした木々が生い茂り、池の水も緑色で藻の臭いが充満している。
「ここなの・・・」
奉が呆然として言った。
「ここになにかあるの?」
私は聞いた。
池のふちには一つだけ施設があった。一軒家ほどの大きさの建物。当然人の気配はない。中も窓越しに分かるように、人がいなくなって久しいようだった。
奉はしぶしぶ重い口を開いた。
「ここはね、結構見たって人が多いのよ。」
「何を?」
私と奉が会話している間も、シャアの顔色は優れない。
「幽霊、とかよ。」
ここで一つの仮説が生まれる。もしこの場所が北米の秘密結社のアジトであるなら、幽霊の目撃情報があってもおかしくはない。この建物のなかに工作員がいて、それを人が幽霊と見間違えてもおかしくはないのだ。
「幽霊、ねぇ。」
私はどういう反応をしていいかわからなかった。自分も幽霊と同じくらいオカルトな存在だからである。
キィ。
甲高い音がして、私はその音のした方を見る。全身タイツが扉を開けていたッ!
「ちょっと待ってよ。」
中へ入って行く全身タイツを追うように奉も入って行く。シャアは全く動く気配がないので私は少し待っていることにした。
だが、この判断は間違っていた。
キラキラとした鋭い光。それは殺気に満ちた光だった。
「危ない!」
私はシャアを地面に押し倒す。私もともに地面に伏せる。私が自由落下する間に私の髪は何かに触れた。
「な、何?」
そう言いつつもシャアはすでに体制を立て直し、何かが放たれた方向とは逆の方へ向かっていた。シャアは茂みの中へ身を隠す。私も続いて茂みに隠れる。
「矢だったわ。」
シャアが言った。
「え?」
思わず私は聞き返す。
「日本語通じてるでしょ?あんたが只者ではないことはもうバレてんの。」
そうなれば、もう会話はいらない。
もうすぐ十秒。私たちは全速力で駆ける。
「あんたが何者かは分からないけど、同じ組織の仲間であることを願うわ。」
シャアがそう言うと、私たちはそれぞれ別方向に逃げる。どちらかが生き延びるためというのもあるが、私たちはきっと同じ考えで別れたのだろう。敵は一体どちらを狙ったのだろうか、と。走りながら、足に小さな傷が付いていく。ほとんど森のような場所を駆け抜けているのだ。そんな状況の中、私は敵について考えていた。敵は少なくとも私の敵ではないと考えられる。私の敵は今は改造人間たち。彼らはわざわざ弓などを使わずとも確実に私たちを葬ることができる。そして、普通の改造人間は矢が刺さったところで死なない。なので恐らくシャアを狙ったのだろう。敵は姿を隠しつつ攻撃してきた。となれば、シャアか私の顔見知りの可能性が高い。だが、放たれた矢は一本。私は視認したわけではないが、基本矢は一本しか放てない。時間的な余裕からも、相手がもう一矢報いることはできなかったであろう。となると、相手は私の正体は知らない。シャアを殺してから私を殺そうとしたのか、元から私を殺すつもりはなかったのか。
そして、私が最も厄介だと感じたのは、攻撃を始めたタイミングである。矢は全身タイツが建物の中に入ってから放たれた。つまり、敵は全身タイツを最も厄介だと認識しており、彼の能力を知っている。また、わざわざ音の出ない矢を使ったことからも、全身タイツにバレないように暗殺しようと企てたからである。
「きゃあああ。」
女性の悲鳴が響く。誰のものかは分からない。
シャアの悲鳴か?
だが、私は―――
その場所は、大きく開けていた。
日本という場所で大きく開けた空間というのは珍しい。それゆえ、日本では飛び道具や長い武器は使われなかったのだろう。
そんな場所に私ともう一人。シャアである。そして、シャアの見詰める先にはさらにもう一人。背に弓と矢を背負い、今は両手に一丁の機関銃。
「アサルトってのは一見おもちゃにしか見えないもんなぁ。特にプラスチックは。」
シャアはニヒルに笑いながら言った。
「でもな、戦場なら重くても金属製だぜ。いざという時格闘武器になるし、ちょっとのことで壊れねぇ。無理矢理部品を作ることだってできるし、分解も比較的楽だからメンテもしやすい。だから、人殺しをするならメタルに変えた方がいいぜ。キョウ。阪宮キョウ!」
物騒な少女はどうもシャアと顔見知りらしい。うちの制服を着ているということは生徒か。
「あんまり驚いていないようね。キリエ・エレイソン。もしかして、正体バレてた?」
クスクスと手を口に当てて少女は笑った。
「仲間はどうした?あそこには誰かが常駐しているはずだ。」
「そんなの、言わなくても分かってるくせに。今頃あの全身タイツさんも驚いているでしょうね。」
まだクスクスと笑っている。
「ほんと、あなたたちはバカねぇ。見ず知らずの人間の声に駆けつけてきたり、友人の悲鳴に駆けつけて来たり。」
キョウと呼ばれた少女は、刃のような冷たい視線を私に向ける。
「あなたは何者なの?」
私は黙っていようかと思ったが、シャアが言葉を紡ぐ。
「なんで他人を巻き込んだ?お前が用のあるのは私だけじゃないのか!」
「一体何のこと?」
笑いが抑えきれないという風に満面の笑みで少女は言った。
「紙を盗んだのはお前だろ?」
「あら、気が付いてたの。」
お道化た風に少女は言って見せる。
「私はね、あのお方の指示に従ったまでだから、理由とかは知らないの。あのお方はすごいわ。素晴らしい。あのお方は世界を加速させるの。」
「私はね。そんなことを唱えてたやつを知ってる。でも、ソイツは世界を破滅に導こうとしただけだった。」
あはははは。
少女は狂ったように笑い出す。
「そうなの。あなたは二十番目の後釜だったの。」
あはははは。
少女は心底おかしそうに笑っている。
「でもね。あのお方を二十番目と一緒にしないでくれる?」
そう言って少女は銃をシャアに向ける。
「でも、それだけでも収穫だったわ。あなたがあの組織の人間だったってことが分かったのだもの。だから、あなたたちには消えてもらう。そっちの娘は何も答えてくれなさそうだし。哀れみたまえ(キリエ・エレイソン)。そっちの娘の方がよっぽど諜報員らしかったわよ。」
そのとき、私は何を考えていたのだろう。きっと魔がさしたのだ。私はシャアの方へ駆けだしていた。
「あははは。二人そろって滑稽ね。あなた、なんでその金髪をかばってるの?」
私はシャアの前に立ち両腕を大きく広げていた。ほんと、バカである。私は最後の力を人間を守るために使おうというのだから。今まで誰かを殺すことしか使ったことの無いこの力を。最後に残された力を。
「じゃ、死んで。」
「お前がな。」
キョウの後ろにはいつの間にか化け物が立っていた。蚊に無理矢理手足を付けたような容姿。その姿は私の記憶の中にある彼女と同じ姿であった。ローリーさんと。
化け物は長い針のような口を少女に突き刺す。そして、すぐに離す。すると、少女はビクビクと痙攣を起こし、バタンと大の字に倒れた、少女の膝からは林を駆け抜けた時にできたのであろう傷口があり、そこから血が出ていた。
「アウフ、ヴィーダー、ゼイエン。」
化け物は地面に倒れた死体にそう吐き捨て、去ろうとした。
「ムスタングさん!」
私は叫んだ。しかし、ムスタングさんは他人であるように振り向くこともせず何処かへ消えて行ってしまった。




