第六話「嵐の訪れ」
『──敵襲です』
その言葉は、未だに頭の中で反復していた。
部屋を見渡す。
______異変を告げるものは、視界のどこにも見当たらない。
耳を澄ませる。
______囲炉裏の焚火が、パチパチと静かに音を立てているだけだ。
至って平穏。なんら変わった様子はない。
いや、もしかするとこの静寂は、嵐を前にした束の間の凪、なのかもしれない。
......それでも、だ。
「敵って言っても、一体どこに──」
「恐らく、既に扉の前に奴らはいます。裏口から逃げましょう」
最大の疑問はあっさりと口にされた。
壁一枚を隔てた向こう側に、何かが息を潜めているのだと。
その言葉を境に、何の変哲もなかった静寂は、にわかに異質なものへと姿を変えた。
胸の奥に沸いた不安に背を押され、立ち上がろうとした、次の瞬間。
______嵐は、訪れた。
「ゴンッ!!」
轟音。
それが何であるのか、理解するよりも先に視界が白く染まった。
まるで、太陽を直視したかのようだった。
反射的に瞼を閉じたものの、光が網膜の奥にまで焼き付いて消えない。
直後に、凄まじい熱風が全身を薙いだ。
「──っ!?」
肌が焼けるような熱気。鼻腔を刺す焦げ臭い煙。足元を揺さぶるほどの衝撃。
それらが同時に訪れる。
何かが砕け、何かが崩れ落ちていく音が、絶え間なく耳を打つ。
______何が起きたのか、確認したい。
ただその一心だけで、焼けるような痛みに耐えながら、俺は固く閉ざされた瞼をゆっくりと持ち上げる。
滲んだ視界の向こうにあったのは、見る影もなく焼け落ちた部屋だった。
囲炉裏の小さな火などもはや比べ物にならない。
小屋そのものが業火に包まれていた。
先ほどまで俺たちを包んでいた部屋は大きく焼け爛れ、天井の一部も崩れ落ちている。
床には木片が散乱し、そのあちこちから赤々とした炎が噴き上がっていた。
なかでも損傷が激しかったのは、かつて扉のあった壁面。
その中央は、何かに抉り取られたかのように大きく穿たれ、ぽっかりと風穴を開けている。
そこから夜の闇が覗き込み、炎に照らされた瓦礫の向こうへ、深々と広がっていた。
______その闇の中に、三つ、人影があった。
揺らめく炎の放つ光が、その色彩を描き出す。
一人は、ひどく大柄な男だった。
軽装の革鎧を身に纏い、丸太のように太い腕を晒しながら豪快に構えている。
その姿はまさに山賊と形容するのが相応しい。
その隣に立つのは、対照的に細身の男。
どこか制服を思わせる衣服に身を包み、腰には一本の剣を携えている。
その立ち姿には、荒々しさよりも妙に整った印象があった。
そしてその二人を背後に従えるようにして、小柄な女がその最前に立っていた。
緑を基調としたローブを身に纏い、一本の杖をこちらへ構えている。
その杖の先端には、光が淡く灯っていた。
______魔術師。そう直感した。
そして、理解する。この惨状を作り出したのが、誰なのか。
──あの女だ。
「──本当に、いたんだ」
最初に口を開いたのもその女だった。
驚きを隠せていないのか、その声には動揺があった。
「話には聞いていたが......まさか、この目で現実に拝めるとは」
次に大柄の男がそう続けると、好奇にも似た視線を送る。
ふとその視線が向かう先を見ると、そこには呆然と立ち尽くすメルトナの姿があった。
怪我や火傷を負った様子はなく、俺は彼女の無事にひとまず胸を撫でおろす。
だが、深く俯いていたため、その表情までは窺えなかった。
「ヘッ、女だったか。随分といいツラしてんじゃねえか。殺す前に一発可愛がってやりたいぜ」
下卑た表情を浮かべながら、細身の男はそう言い放つ。
生真面目そうな外見に反して、こいつが一番ザ・ヘイト役な振る舞いをしている。
「ロッゾ!挑発するな!」
柄にもなく、そう牽制したのは巨漢のほうだった。
「あぁ!?勝手に名前出すんじゃねえよ!!」
「二人とも、うるさい。──集中してるから黙って」
どうやらこの女が最も発言力を持っているようで、
巨漢は言われるがままに黙り込み、ロッゾと呼ばれた細身の方は舌打ちしながらもそっぽを向いた。
「──‘’ヴォルトナ‘’」
直後、女の構える杖に直径50cmほどの巨大な火球が宿った。
______俺は確信する。小屋を破壊したものの正体は、あの火球だ。
そしてそれが今再び、こちらへ放たれようとしている。
やがてその火球は術者の元を離れ、凄まじい勢いで射出された。
迫りくるそれを、ただ受け入れることしかできない俺とは異なり、
「──‘’ルシエラ‘’」
その声には一切の感情が籠っておらず、メルトナは機械的にそう返した。
______次の瞬間、小屋を焼く炎も、襲い掛かる火球も、なにもかもを氷塊が押し潰し、鎮火した。
つい先ほどまで灼熱が支配していた世界は、刹那にして凍てつく世界へと塗り替えられた。
あまりに一瞬の出来事に、俺は口をぽかんと開けたまま言葉を失った。
「......速いね。それに、咄嗟に相剋で返す判断力もある」
魔術師の女は感心しつつも、その冷たい瞳に宿る敵意は、依然として健在だった。
「──ニンゲン、私に何か御用でも?」
その声に、思わず息を呑んだ。
紛れもなくメルトナの声なのに、まるで別人のようだった。
いつもの穏やかさは跡形もなく消え、そこにあるのは同じく剥き出しの敵意。
______彼女は、怒っている。
「──見たでしょ、二人とも。目の前にいるのは、紛うことなきあの竜族。
......油断せずに、本気でかかって」
メルトナの問いかけを無視し、女は背後の二人にそう忠告する。
「......右の男はどうする?珍しい髪色に、奇妙な格好をしているが」
ひっ。ついに俺タゲ。どうかご容赦を。
「......保留、特に怪しい素振りのない限りは。依頼をこなすことだけ考えて」
えっ?赦された、のか......?
女の言葉を最後に、三人の間に僅かな沈黙が落ちた。
その視線は、再びメルトナへと集められる。
対する彼女は、何も言わない。
ただ静かに佇んだまま、向かいの三人を見据えていた。
その横顔からは、先ほどまでの穏やかさなど微塵も感じられない。
「──チハルくん」
不意に、彼女が口を開いた。
「私の後ろへ」
「......え?」
「私の後ろから、離れないでください。──お願いします」
声音は静かだった。
だが、その言葉の奥には、
有無を言わせぬ、強い意志が込められていた。
けれど──
「大丈夫です」
......不安を口にするより先にそう告げられた。
その声音は、まるで俺の胸の内を見透かし、抱えた不安ごと優しくなだめるようだった。
______だが、無慈悲にも、俺が彼女の言葉に従うより先に、細身の男──ロッゾが動いた。
十数メートルはあったはずの間合いが、一瞬にして消える。
ロッゾはその勢いを殺さぬまま剣柄に手をかけ、抜刀。
閃いた刃が、彼女の血肉を切り裂く──
「‘’オルテガ‘’」
──ことはなかった。
突如として生じた、硝子のような半球型の防壁が、その刃を弾き返したからだ。
俺もろとも包み込むように展開されたそれは、まるで巨大な硝子細工のようだった。
例えるなら、それは『結界』。
______これが、金属性の魔術なのだろうか。
「チッ......まあ、そりゃこうなるか。──おい!」
「──‘’ヴォルトナ‘’」
ロッゾの呼びかけに応じ、後方で女が再び杖を掲げるのが見えた。
次の瞬間──灼熱の火球が、結界へと叩き込まれた。
轟音を伴い、防壁はひどく震える。
衝撃こそ受け止め切ったものの──結界の表面は、熱に耐えかねるように、ゆっくりドロドロと溶け始めた。
やがて完全に結界が溶解し、俺たちは無防備のまま、再び外界へと晒された。
その隙を、ロッゾは見逃さない。
それに呼応するように、巨漢の方も動き出した。
そうして本格的に始まる、三体一。
圧倒的不利を前にしても、メルトナは微動だにしない。
先に仕掛けたのは、またもロッゾだった。
「──ッ」
鋭く、殺意の乗った剣閃が、メルトナの眼前を走る。
しかし──彼女は、紙一重でそれを躱した。
刃が頬を掠める。
それでも彼女は、傷など意にも介さない。
むしろ、狙っていたのはその先だった。
______剣を振り切った直後。
ロッゾの身体に、一瞬にも満たない硬直が生じる。
その僅かな隙へ、メルトナは迷いなく踏み込んだ。
半歩。
ただそれだけの距離を詰め、脇腹へと掌を突き出す。
そして──
「‘’ラド‘’」
次の瞬間、掌から放たれた石弾が、彼の脇腹を穿った。
「ガッ──!?」
身体を大きく仰け反らせ、ロッゾはたたらを踏む。
「てっ......めぇ!!!」
それでも倒れることはなかった。
だが、その痛みは確かなのだろう。明らかに動きが鈍り始めた。
脇腹を押さえながら、苦悶に顔を歪めている。
______強い。
魔術の威力だけじゃない。
あの剣を、あれほど間近で紙一重に躱した。
そして、相手が剣を振り切った、その僅かな隙を見逃さずにカウンターを叩き込んだ。
それに、あの女の言った通りだ。判断が速い。
いや──速い、なんてもんじゃない。
まるで、次に何が起こるのか、最初からそれを知っているかのようだった。
______これなら。
もしかすると、勝てるんじゃないか。
クラッチ、なるのか......!?
絶望的だったはずの状況に、ほんの僅かな希望が差し込んだ。
______だが、その淡い期待は次の瞬間には脆くも崩れ去った。
ロッゾへと向けられたメルトナの意識。その僅かな死角より、巨漢の拳が迫っていたのだ。
「っ、メルトナ、後ろ!!」
「なっ──」
俺の叫びが届いた頃には、もう遅かった。
風を唸らせるほどの、容赦のない豪腕。それが、彼女の頭部を直撃した。
「──ぐっ......!!」
鈍い衝撃音が響き、メルトナの身体が、強く地面に叩きつけられる。
苦しげに眉を歪め、立ち上がろうとしても身体を僅かによろめかせていた。
______あまりの惨状に俺は言葉がでなかった。
状況が一転。加えて──
「──‘’ラドルク‘’」
遠方のあの女も、次の魔術を放とうとしていた。
その杖には鋭い岩弾が生成され、回転しながら大きさを増している。
眼前には巨漢。そのさらに後方には、魔術師が杖を構えながら虎視眈々とこちらを狙っている。
メルトナに逃げ場は、ない。
______まずい.........!
このままでは、彼女は確実に殺される。
何とかしなければ。
何とか、しなければ。
______だが、どうやって?
俺は剣を持っているわけでもない。
魔術だって、あの覚えたての、殺傷能力の欠片もない『ヴォル』しか扱えない。
それでも──。
三人の誰からも意識を向けられていない俺にしか、好機は作れない。
何かを、しなければならない。
さもなくば、彼女は──。
______そう焦燥に駆られていた、そのときだった。
視界の端に、ひとつのものが映った。
それは、床に転がった一本のナイフ。
あのとき、魔獣肉を切り分けるために使っていたものだった。
気づけば、俺はそれを握り締めていた。
手は、震えていた。
怖い。
当然だ。こんなものを人に向けたことなんて、一度もない。
______迷いは、あった。
けれど、目の前で巨漢が次の一撃を放とうと身を捻った、その瞬間。
その迷いは、消えた。
そこに残ったのは──ただひとつの決意だけだった。
「っ..........」
______気づいた頃には、俺は握り締めていたナイフを、巨漢の背へと差し込んでいた。
「──は.........?」
巨漢はそのとき、初めて俺の方を見た。
だがその嘆きが、俺の耳に入ることはなかった。
肉を裂いた感覚。
刃が何者かに阻まれ、それを無理やり押し退けていくような、あまりにも生々しい感覚。
それが柄を握った手の中に、はっきりと伝わってくる。
その衝撃だけが、頭の中を支配したからだ。
「小僧、貴様っ──何を」
直後、男の革鎧の裂け目から、どす黒い赤がじわりと滲み出した。
それは瞬く間に周囲へと広がり、褐色の革を濡らしていく。
______血だ。
そう認識した途端、胃の底から込み上げるものがあった。
自分が今、何をしたのか。
その事実だけが、遅れて現実味を帯びて押し寄せてきた。
______それでもやっぱり、後悔はなかった。
人を傷つけたのと同時に、人を救ったからだ。
「──ブルモッド!!」
遠くで、女の悲痛な叫びが響いた。
見ると、先ほどまで冷静だったその顔には、初めて明確な焦りが浮かんでいた。
ひどく動揺したためか、あれだけがっしりと構えていた杖すらもするりと滑り落ちる。
乾いた音を立てて地面に転がったそれを、彼女は拾おうとすることすら忘れていた。
______この瞬間、初めて三人全員に隙が生じた。
「──チハルくん」
その場に、静かな声が落ちる。
メルトナが、俺を見る。
ほんの一瞬だけ、視線が交わった。
「心より、感謝申し上げます」
彼女はそう言うと、ゆっくりと息を吸った。
そして──天へと右手を掲げる。
瞬間、空気が一変する。
誰もが、その異変を感じ取った。
けれど。もう、遅い。
______もう誰も、それを止めることはできなかった。
「──‘’ヴォルドゥーラ‘’」
その呪文が、静かに紡がれた、次の瞬間。
月と対をなすように。
夜の闇を塗りつぶすように。
______夜空に、小さな太陽が顕現した。
補足
相剋:抑えあい、打ち勝つ関係
水→火(水が火を消す) 火→金(火が金属を溶かす)
同一階級の魔術の場合、基本的には有利な属性の方が勝ちます。
作中ではこの関係を忠実に再現しました。




