第六話「嵐の訪れ」
まるで、太陽を直視したかのようだった。
反射的に瞼を閉じたものの、光が網膜の奥にまで焼き付いて消えない。
直後に、凄まじい熱風が全身を薙いだ。
「──っ!?」
肌が焼けるような熱気。
鼻腔を刺す焦げ臭い煙。
足元を揺さぶるほどの衝撃。
______何が起きた。
確認したい、ただその一心だけを糧に。
焼けるような痛みに耐えながら、俺は固く閉ざされた瞼をゆっくりと持ち上げる。
滲んだ視界の向こうにあったのは、見る影もなく焼け落ちた部屋だった。
囲炉裏の小さな火など、もはや比べ物にならない。
小屋そのものが業火に包まれている。
天井は崩れ落ち、床には木片が散乱していた。
そして、かつて扉のあった壁面には、大きな穴が穿たれている。
そこから夜の闇が覗き込み、炎に照らされた瓦礫の向こうへ、深々と広がっていた。
______その闇の中に、三つ、人影があった。
揺らめく炎の放つ光が、その色彩を描き出す。
一人は、ひどく大柄な男だった。
軽装の革鎧を身に纏い、丸太のように太い腕を晒しながら豪快に構えている。
その姿は、まさに山賊と形容するのが相応しい。
その隣に立つのは、対照的に細身の男。
どこか制服を思わせる衣服に身を包み、腰には一本の剣を携えている。
その立ち姿には、荒々しさよりも妙に整った印象があった。
そしてその二人を背後に従えるようにして、小柄な女がその最前に立っていた。
緑を基調としたローブを身に纏い、一本の杖をこちらへ構えている。
その杖の先端には、光が淡く灯っていた。
______魔術師。そう直感した。
同時に理解した。
この惨状を作り出したのが、誰なのか。
……あの女だ。
「──本当に、いたんだ」
最初に口を開いたのもその女だった。
驚きを隠せていないのか、その声には動揺があった。
「話には聞いていたが……まさか、この目で現実に拝めるとは」
大柄の男がそう続ける。
その視線の先には、呆然と立ち尽くすメルトナの姿があった。
怪我や火傷を負った様子はない。
だが、深く俯いていたため、その表情までは窺えなかった。
「ヘッ、女だったか。
随分といいツラしてんじゃねえか。殺す前に一発可愛がってやりたいぜ」
下卑た表情を浮かべながら、細身の男はそう言い放つ。
生真面目そうな外見に反して、こいつが一番ヘイト役の振る舞いをしている。
「ロッゾ!挑発するな!」
柄にもなく、そう牽制したのは巨漢のほうだった。
「あぁ!? 勝手に名前出すんじゃねえよ!!」
「二人とも、うるさい。──集中してるから黙って」
女がそう言うと、二人は渋々口を閉ざした。
どうやら、奴が三人の中で最も発言力を持っているらしい。
「‘’ヴォルトナ‘’」
直後、女の構える杖に直径50センチほどの巨大な火球が宿った。
______俺は確信する。
小屋を破壊したものの正体は、あの火球だ。
そしてそれが今再び、こちらへ放たれようとしている。
やがてその火球は凄まじい勢いで放たれた。
迫りくるそれを、ただ受け入れることしかできない俺とは異なり、
「‘’ルシエラ‘’」
その声には一切の感情が籠っておらず、メルトナは機械的にそう返した。
______次の瞬間。
小屋を焼く炎も、襲い掛かる火球も、なにもかもを氷塊が押し潰し、鎮火した。
つい先ほどまで灼熱が支配していた世界は、刹那にして凍てつく世界へと塗り替えられた。
あまりの光景に、言葉を失った。
「……速いね。それに、咄嗟に相剋で返す判断力もある」
魔術師の女は感心したように呟く。
だが、その冷たい瞳に宿る敵意は、依然として健在だった。
「──人間ども、私に何か御用でしょうか」
その声に、思わず息を呑んだ。
紛れもなくメルトナの声なのに、それはまるで別人のように低く響いたのだ。
いつもの穏やかさなど、もうどこにも見当たらない。
そこにあるのは底知れぬ怒りと、剥き出しの敵意だけ。
______彼女は、怒っている。
「見たでしょ、二人とも。目の前にいるのは、紛うことなきあの竜族。
……油断せずに、本気でかかって」
女はメルトナの問いかけを無視し、背後の二人にそう忠告する。
「……右の男はどうする?
珍しい髪色に、奇妙な格好をしているが」
巨漢の視線が、俺へと向いた。
「……保留、特に怪しい素振りのない限りは。
依頼をこなすことだけ考えて」
女の言葉を最後に、三人は黙った。
その視線が、再びメルトナへと集められる。
彼女もまた、ただ静かに佇んだまま、向かいの三人を見据えていた。
そして──。
「──チハルくん」
不意に、彼女が口を開いた。
「私の後ろへ」
「……え?」
「私の後ろから、離れないでください。
──お願いします」
声音は静かだった。
けれど、拒むことを許さない強い意志が込められている。
俺が返事をするより先に。
「大丈夫です」
彼女は、そう言った。
まるで俺の胸の内を見透かし、抱えた不安ごと包み込むように。
______だが、その直後。
細身の男──ロッゾが動いた。
十数メートルはあったはずの間合いが、一瞬にして消える。
ロッゾは加速のまま剣柄に手をかけ、抜刀。
閃いた刃が、彼女へ迫る。
「‘’オルテガ‘’」
しかし。
刃が彼女を切り裂くことはなかった。
突如として生じた、硝子のような半球型の防壁が、その刃を弾き返したからだ。
俺たちを包み込むように展開されたそれは、まるで巨大な硝子細工のようだった。
例えるなら、それは『結界』。
______これが、金属性の魔術なのだろうか。
「チッ……そう簡単にはいかねえか──おい!」
「‘’ヴォルトナ‘’」
女が再び杖を掲げる。
直後──灼熱の火球が、結界へと叩き込まれた。
激しい轟音。
防壁はひどく震える。
その衝撃こそ受け止め切ったものの──結界の表面は熱に耐えかね、ゆっくりと溶解を始めた。
やがて結界が崩壊し、俺たちは再び生の外界へと晒される。
その隙を、ロッゾは見逃さなかった。
それに呼応するように、巨漢の方も動き出す。
そうして本格的に始まる、三対一。
圧倒的不利を前にしても、メルトナの眼差しは冷徹なままだった。
先に仕掛けたのは、またもロッゾだった。
「──ッ」
鋭く、殺意の乗った剣閃が、メルトナの眼前を走る。
しかし──彼女は、紙一重でそれを躱した。
刃が頬を掠める。
それでも彼女は、傷など意にも介さない。
むしろ、狙っていたのはその先だった。
______剣を振り切った直後。
ロッゾの身体に、一瞬にも満たない硬直が生じる。
その僅かな隙へ、メルトナは迷いなく踏み込んだ。
半歩。
ただそれだけの距離を詰め、脇腹へと掌を突き出す。
そして──。
「‘’ラド‘’」
次の瞬間、掌から放たれた石弾が、彼の脇腹を穿った。
「ガッ──!?」
身体を大きく仰け反らせ、ロッゾはたたらを踏む。
「てっ……めぇ!!!」
それでも倒れることはなかった。
だが、その痛みは確かなのだろう。明らかに動きが鈍り始めた。
脇腹を押さえながら、苦悶に顔を歪めている。
______強い。
魔術の威力だけじゃない。
剣を紙一重に躱し、その隙を逃さず反撃する。
判断が速い。
いや──速い、なんてもんじゃない。
まるで、次に何が起こるのか、最初からそれを知っているかのようだった。
______これなら。
もしかすると、勝てるんじゃないか。
絶望的だったはずの状況に、ほんの僅かな希望が差し込んだ。
だが……。
その淡い期待は次の瞬間には脆くも崩れ去った。
ロッゾへと向けられたメルトナの意識。その僅かな死角より、巨漢の拳が迫っていたのだ。
「っ──メルトナ、後ろ!!」
「なっ──」
遅かった。
風を唸らせるほどの、容赦のない豪腕。
それが、彼女の頭部を直撃した。
「ぐっ……!!」
鈍い衝撃音が響く。
メルトナの身体が、強く地面に叩きつけられる。
苦しげに眉を歪め、立ち上がろうとしても身体を僅かによろめかせていた。
______その様子に、俺は言葉が出なかった。
状況が一転。加えて──。
「‘’ラドルク‘’」
後方で、魔術師の女が次の術を完成させつつあった。
その杖には鋭い岩弾が生成され、回転しながら大きさを増していく。
眼前には巨漢。
後方には、魔術師。
よろめくメルトナに、逃げ場はない。
______まずい……!
このままでは、彼女は確実に殺される。
何とかしなければ。
何とか。
______どうやって?
俺は剣を持っているわけでもない。
魔術だって、覚えたばかりの『ヴォル』しか扱えない。
それでも──。
三人の誰からも意識を向けられていない俺にしか、好機は作れない。
何かを、しなければならない。
さもなくば、彼女は──。
______そう焦燥に駆られていた、そのときだった。
視界の端に、ひとつのものが映った。
それは、床に転がった一本のナイフ。
あのとき肉を切り分けるために使っていた、厨房用のものだった。
気づいたときには、俺はその柄を狂おしいほど握りしめていた。
手が、激しく震える。
怖い。
当然、こんなものを人に向けたことなんて一度もない。
______迷いは、あった。
けれど、巨漢がメルトナへ止めを刺そうと、大きく腕を振り上げた、その瞬間。
その迷いは、完全に吹き飛んだ。
残ったのは──泥臭く澄み切った一つの意思だけだった。
「っ……!」
______足を踏みだし、俺は全身の体重を乗せて。
ナイフを巨漢の腰の革鎧の隙間──無防備な肉体へ突き立てた。
「は……?」
ぬちゃり、と。
肉を断ち、脂肪を裂く不気味で生々しい手応えが、柄を通して掌へダイレクトに伝わってくる。
刃が骨に届くほどの感触に、全身が凍りついた。
「小僧、お前っ……何を」
巨漢が信じられないものを見る目で振り向く。
革鎧の裂け目から、どす黒い赤がじわりと滲み出した。
______血。
そう認識した途端、胃の底から込み上げるものがあった。
自分が今、何をしたのか。
その事実だけが、遅れて現実味を帯びて押し寄せてきた。
犯した行為の重みが、遅れて脳を殴りつけてくる。
______それでも、彼女を救うきっかけになるのなら。
後悔なんて、死んでも残らない。
「──ブルモッド!!」
そのとき、遠くで女の悲痛な叫びが響いた。
冷静だったその顔が激しい動揺に歪み、構えていた杖が手から滑り落ちて地面を転がる。
無防備なただの人間の奇襲によって、敵三人の意識と連携が完全に途切れた。
______今だ。
「──チハルくん」
崩れ落ちかけたメルトナが、ゆっくりと顔を上げた。
ほんの一瞬だけ、視線が交差する。
「心より、感謝を申し上げます」
彼女はそう言うと、ゆっくりと息を吸った。
そして──天へと右手を掲げる。
その瞬間、大気が軋むような異様な圧力が空間を満たす。
敵の誰もが、すぐさま異変を感じ取り、顔色を変えた。
けれど──もう、遅い。
______もう誰も、それを止めることはできなかった。
「‘’ヴォルドゥーラ‘’」
その呪文が静かに紡がれた、次の瞬間。
月と対をなすように。
夜の闇を塗りつぶすように。
______夜空に、小さな太陽が顕現した。
補足
相剋:抑えあい、打ち勝つ関係
水→火(水が火を消す) 火→金(火が金属を溶かす)
同一階級の魔術の場合、基本的には有利な属性の方が勝ちます。
作中ではこの関係を忠実に再現しました。




