第四話「初めての魔術講座」
「実技の前に、少し座学の時間をとりましょうか」
そう言うと、メルトナは魔術について説明を始めた。
「この世界のあらゆる事象は、『火』『水』『土』『金』『木』という五つの属性のいずれかに分類されます。
魔術とは、魔力をその五属性の力へ変換し、呪文や魔法陣を介して、現象として顕現させるものです」
魔力に、呪文に、魔法陣。
改めて聞くと、少しだけワクワクしてくる。
俺もこういうファンタジー要素は、飽きるほど妄想したものだ。
ただ、四大元素ではなく五行説を採用しているらしい。
「でも、『金』と『木』ってどういう意味なんだ?」
「『金』は空間の秩序。切断や結界、転移など、空間を操作する魔術が該当します。
『木』は生命に関する概念。治癒や解毒、状態異常などがこれに当たります」
「なるほど……」
なかなか独特な解釈だ。
それからいくつか質問を重ね、俺は魔術の基本的な仕組みを頭に入れていった。
属性には相性があり、『相生』や『相剋』といった関係が存在すること。
人によって得意な属性が異なること。
そして、魔術には規模によって四つのランクがあること。
下位、中位、上位、超位。
もっとも、下位魔術は『基礎魔術』と呼ばれることが多いらしい。
生活魔術としての汎用性も高く、護身術として身につけるだけでも十分なのだとか。
対して中位魔術ともなれば、習得には相応の修練が必要になる。
上位魔術はさらに難しく、超位魔術に至っては、もはや御伽噺の領域らしい。
ちなみに、基礎魔術が中位や上位に相当するものも存在し、通常の魔術が『初等魔術』と称されるのに対して、それらは『高等魔術』と呼ばれるそうだ。
そして、ランクが上がるほど呪文も長くなる。
例えば土属性のラド系なら、
ラド。
ラドルク。
ラドガロン。
ラディエンテ。
……どこか既視感のある格変化である。
長々とした、呪術的な詠唱文は基本的に必要ないらしい。
出力を高めたり、魔術に細かな指向性を持たせたりする場合に使われることがある程度だそうだ。
なんとなく概要を理解したところで、講義は実技へと移った。
「今回お教えするのは、『ヴォル』という火属性の基礎魔術です。
小さな火を生み出すだけの、ごく初歩的な術になります」
「先生、よろしくお願いします」
いよいよ、だ。
最初は心踊らさて聞いていた座学も、途中から少し眠気がきていた。
だが、今はそんな眠気もすっかり吹き飛んでいる。
期待で、身体がこわばるほどだった。
「ふふ、良い心意気ですね。
ではまずは、身体に宿る魔力を感じ取るところから始めましょう」
「魔力を、感じる──?」
随分と抽象的な話だな……。
ひとまず目を閉じて、自分の身体の中へ意識を向けてみる。
血流。
心臓の鼓動。
呼吸。
筋肉の感覚。
______当然、それ以外に何かあるようには思えない。
そんな俺を見かねたのか、次の瞬間。
「焦る必要はありません。
まずは深く息を吐いて……身体の中心、お臍のあたりに意識を沈めてみてください」
メルトナが、静かにそう助言した。
彼女に導かれるまま、俺はゆっくりと肺の空気を吐き出し、身体の深層へ向かって意識を落とし込んでいく。
心臓の脈動を追い越し、さらに深く。
……すると。
______温かい何かが、臍のあたりから湧き出ているのを感じた。
血液とは違う、もっと曖昧な何か。
それだけではない。
何かが湧き出る源泉では、まるで第二の心臓が脈打っている感覚があった。
「感じましたか?
──それが、チハルくん自身の魔力です」
これが……俺自身の、魔力。
「では、その熱を手のひらへと集めてください」
言葉の通りに、俺は身体の奥深くにある微かな熱を掬い上げようとする。
すると不思議なことに、その意思に呼応するように熱が移動した。
胸から肩へ。
肩から腕へ。
______本当に、動いている。
目には見えない。
それでも、自分の意志で確かに何かを動かしているという感覚があった。
やがてそれは右手の手のひらへ集まり、宿る熱はその温度を増していく。
「こう……?」
なんて言っても、目に見える動作ではないのだから、伝わらないだろう。
だが、彼女はまるで俺とその感覚を共有しているとでも言わんばかりに、
「はい。その調子です」
と柔らかく返した。
「そのまま、頭の中で小さな灯火を思い浮かべてください。
そして、こう唱えるのです。──『ヴォル』と」
俺は右手に集まった熱を留めることに意識を半分、
頭の中に蝋燭のような、小さな炎を思い浮かべることに、もう半分を割いた。
そして──。
「‘’ヴォル‘’」
そう唱えた直後、手のひらに集めた熱が急速に失われていく。
「──っ」
熱だけではなく、意識までそのまま一緒に流れていきそうな感覚がしたので、俺は気を確かに保つ。
手のひらに宿っていた熱が完全に失われると、俺はそのままゆっくりと目を開けた。
すると。
______手のひらの先に、小さな橙色の光が灯っていた。
ほんの、豆粒ほどの小さな火だった。
息を吹きかければ、揺らめきながらすぐに消えてしまいそうなほどに。
それでもその小さな光は、俺に確かな感動と達成感を与えていた。
「素晴らしい、成功です。
一度で成功させるのはかなり才能がありますよ」
才能という言葉に一瞬胸が跳ねる。
しかし直後に、もしその期待を裏切ったら、という冷たい恐怖が背筋を走った。
浮き立ちそうな心を必死に押し殺し、俺は自嘲気味に小さく首を振る。
「その『ヴォル』を、そのまま薪のもとへ動かしてみてください」
「動かす……?」
と、言葉ではそう疑問にしたものの、
少し意識してみれば、顕現させた『ヴォル』は自由に動かせるのがわかる。
まるで神経が通っているかのようだった。
俺は思うがままに『ヴォル』を薪に這わせる。
「お上手です。操作の方も問題ないようですね」
点火に成功したかと思うと、そのままプツリと接続が途切れ、俺の『ヴォル』は独立した。
「できた……」
______そうしてゆっくりと時間をかけ、ぱちぱちと音を立てながら薪から薪へと燃え移り、
やがて小さな火は燃え盛る炎へと姿を変えた。
「──メルトナ」
そんな光景を眺めながら、
「その、ありがとう」
俺は感謝の意を彼女に伝えた。
「いえ、私はきっかけをお伝えしただけですよ」
______胸の奥から、ジワリと何かが込み上げてくる。
狂暴な魔獣を倒したわけでもない。
誰かを救ったわけでもない。
ただ、小さな灯火を点けただけだ。
それだけの、ことなのに。
______もっと、何かをしてみたい。
そんな前向きな喜びが、俺の死に体だった心に、確かに芽生えていた。
※ ※ ※ ※ ※
魔獣肉の表面にはこんがりと焼き色がつき、赤紫色の果汁が艶やかな照りを作っていた。
鼻をくすぐるのは、焼けた肉の香ばしい匂い。
そこへミルエカの甘酸っぱく爽やかな香りが重なる。
解体のときに感じていた血生臭さはすっかり消えていた。
「そろそろ、頃合いですね」
メルトナはそう言って鍋から肉を取り出すと、傍に置いていた二人前ほどの大きな皿へと移した。
______魔獣肉のミルエカ漬け、完成である。
見た目こそ少々野生的ではあるものの、食欲をそそる匂いは一丁前だ。
恐る恐る、ナイフを入れる。
刀は思いのほかすんなりと肉へ沈んでいった。
切り分けた一切れを口へと運ぶ。
「──いただきます」
まず口の中に広がったのは肉の旨味。
野性味のある濃厚な味わいだ。
それでいて獣肉特有のクセは、後から追いかけてくるミルエカの甘酸っぱさが綺麗に包み込んでくれる。
「お味の方はいかがでしょうか?」
「正直、もっとバッチいのを予想してたんだけど……」
俺は驚きを隠せないまま、言葉を続ける。
「思ったより、全然美味しいよ」
「あら、それはよかった。
お気に召したようで何よりです」
メルトナはそう言って、嬉しそうに微笑んだ。
気がつけば、さっきまでの警戒心などすっかり忘れて、俺は次の一切れへと手を伸ばしていた。
現代の肉料理にも引けを取らないその味に、俺は思わず感嘆する。
……いや、それ以上に。
______こんなに食に夢中になっていることに、自分でもびっくりしていた。
向かいに座るメルトナへ目を向ける。
その背筋は自然に伸び、口元を汚しそうな気配もない。
咀嚼の動作さえも、どこか上品だった。
……やっぱりこの人、育ち良いんだろうな。
解体ショーの鮮やかさは置いといて。
「あのさ、メルトナ」
「はい? どうかされましたか?」
ふと、気になっていた疑問が口をついて出た。
俺はナイフを動かす手を止め、恐る恐る彼女の顔を覗き込む。
「……メルトナって、人間を喰ったりすること、あるの?」
メルトナは一瞬だけパチクリと目を瞬かせると、どこか上品な笑みを浮かべてあっさりと頷いた。
「ええ。私に刃を向けてくるような不埒な輩であれば、返り討ちにして血肉を頂戴することもございます」
「あ、やっぱりそうなんすね……」
引いている俺の視線に気づく風もなく、メルトナはうっとりと頬に手を当て、どこか楽しげに言葉を続けた。
「特に……部位で言えば、脳が一番の好みですね。
丁寧な処理を施した新鮮な脳は、まるで上質な脂のように口の中でとろけるようで……それでいて微かな甘みがあって、とても美味なのです」
「ど、どこぞの鬼みたいなこと言うんだな」
……味どころか、食感まで熱弁し始めたぞ。
おしとやかな笑みを絶やさず、グルメな食通のように人間の味を語る彼女。
あまりにも上品な仕草と、語られている狂気的な内容の差に、背筋を冷たいものが走り抜ける。
……いや、待てよ。
助けてくれて、温かいご飯まで振る舞ってくれた彼女の姿を見ているうちに、ふと歪んだ考えが頭をよぎった。
______万が一、俺がこの世界で何の役にも立てなかったとしても。
命の恩人である彼女の糧になれるなら、それこそ俺の使い道としては悪くないんじゃないか──と。
ずっと自分を無価値だと思い込んできた俺なりの、捻くれ切った親愛の情。
俺は不器用な笑みを浮かべながら、どこかすっきりとした声で尋ねてみた。
「……なあ、メルトナ。もし困った時は、俺のことも喰ってくれたっていいからね?」
「──え?」
メルトナの手が、ぴたりと止まった。
彼女は心底驚いたように目を見開き、慌てた様子でパタパタと両手を振る。
「ま、まさか! そんなことするはずないでしょう!?」
「……ダメなのか?」
「当たり前です! どうしてそんな恐ろしい提案をなさるのですか!?」
メルトナは身を乗り出し、本気で困惑したように眉をひそめた。
その表情は、今にも泣き出しそうに見えてしまうくらい悲痛なものだった。
「チハルくんを喰らうだなんて、そんなこと考えるはずがありません。
あなたは私にとって……とても大切で、特別な方なのですから」
僅かな震えすら感じられる声。
メルトナは俺の投げやりな言葉に、相当心を痛めているようだ。
寂しげな眼差しに射抜かれ、俺は思わず喉を鳴らす。
「ご、ごめん! 今のは……その、冗談! 変な冗談だから!」
慌てて手を振りながらも、俺の胸の奥には、じんわりと熱いものが広がっていた。
______誰からも必要とされず、ただ消えてしまいたいとすら思っていたこの俺を。
彼女はこんなにも真剣な目で、泣き出しそうなほどの熱量で、大切で特別だ、と言ってくれた。
「もう。あまり意地悪な質問で、私をいじめないでくださいね?」
「……ああ、悪かった。もう二度と言わないよ」
己の身を投げ捨てるほどの自虐癖が、すっと影を潜めていくのを感じる。
______不思議なものだ。
死にたがっていた身体に、無理やり栄養を流し込むだけの、孤独で無機質な義務。
それが、今までの俺にとっての食事だった。
だというのに、今はどうだ。
苦痛だったはずの行為を、心から美味しいと思えている。
そして──無価値だったはずの自分の生命が、少しだけ愛おしい。
あまりの環境と心境の変化に、目眩すら覚えそうだ。
でも、この穏やかな時間は──俺が心の底でずっと欲しかったものは、ひどく温かく、心地よかった。
囲炉裏の火が、ぱちりと音を立てる。
その暖かさを感じながら、俺はもう一口肉を頬張った。




