第二話「彼方の空」
唐突な告白に呆気にとられていると、彼女は我に返ったのか慌てて頭を下げるのだった。
「っ──申し訳ありません。思い上がるあまり、出過ぎた真似をいたしました」
「あぁ...いえ、お気になさらず」
少し、先ほどのメルトナの言葉を整理しよう。
とりあえず、『竜族』という単語は腑に落ちるものだった。特徴的な角や瞳孔、耳の形状など、確かにメルトナの外見はいわゆるドラゴンの擬人化そのものだ。
そんな凄そうな存在の血ならば、治癒魔法すら凌駕する生命力を秘めているのも納得がいく。
彼女にその血を分け与えてもらったことで、俺は九死に一生を得たらしい。
これもありがちな展開っぽいのですんなりと飲み込める。
一方で、『降臨者』という単語は少し引っかかる。恐らくは異世界人、またはそれに近しい存在を示すのだろうが、あまり聞き覚えのない言葉なのでその意味を尋ねてみる。
「その、降臨者というのは?」
「はい。──我々竜族には古くから、とある予言が伝わっているのです。
『竜の願いが天に認められしとき、理の外側より降臨者来たる』、と」
「ほう?」
「降臨者とは、その文中に登場する言葉であり、竜の導き手ともいわれています。
──‘’理の外側‘’というのが、あなたの言う‘’違う世界‘’なのではないかと、私はそう考えました」
「──なるほど」
それで俺が、『降臨者』なのではないかと考えたのか。
彼女が何を思いその存在を求めたのかはわからないが、先ほどの藁にも縋るような懇願を思うと、恐らくは複雑な事情があったのだろう。
それに、実際に俺は異世界からやってきた。
でも、本当にそうなのだろうか。もし俺がそんな重要人物なら、この世界に来るまでに、本当の女神様からチュートリアルの一つでもあったはずだろう。
導き手。──俺が?
俺はどちらかというと導かれる側の人間だろう。ハロワとかに。
「メルトナさん、残念ながら俺は、自分がその『降臨者』なのかどうか、定かじゃない。
それに多分、あなたが思っているほど大層な人間じゃないですよ」
「──左様、ですか」
それを聞いた彼女は、取り繕ってはいたものの、落胆は明らかだった。
少し同情を誘われるが、構わずに俺は発言を続ける。
「俺、元の世界じゃ、自分が何のために生きてるのかすら分からなくなってたんです。
何をしてもうまくいかない。誰かに必要とされることもない」
過去、俺はコンプレックスに押し潰され、孤立し、やがて自ら命を絶とうとした。
前の世界で俺は、生きる意味が見出せなかった。
「でも、今は違います。
少なくとも、この世界には俺を必要としてくれている人がいる。
──だったら俺は、その人のために生きてみたい」
そのまま野垂れ死んでも構わなかったというのに、思いがけず与えられた、二度目の人生。
どうせなら、今度こそ自分の生きる意味を見つけてみたい。
俺の存在を、こんなにも真っ直ぐ求めてくれた人なんて、初めてだ。
なら試しに、彼女のために生きてみるのも悪くないだろう。
「メルトナさん、俺があなたの言う、導き手となってみせましょう。
──無責任で、自分が何者なのかすらもわからない。そんな俺でも良いのなら」
......なにをかっこつけてるんだろうか、俺は。
自分で言ってて恥ずかしくなってきた。無責任にもほどがあるだろう。
「──ー」
メルトナはしばらく俯いたまま、何かを噛み締めるように黙り込んでいた。
なんだろう、失望させてしまっただろうか。この後の反応が怖い。
やがて、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「......ありがとうございます、チハル様」
返ってきたのは、思いのほか静かな声だった。
そこに絶望や蔑みはなかった。寧ろ、曇っていた彼女の表情は、少し晴れやかになっている。
______どうやら杞憂だったようだ。
「あなたが降臨者であるか否か。それはもしかすると、そう重要ではないのかもしれません」
「......?」
「あなたは私のために生きると、そう仰ってくださった。
長い間一人であった私にとっては、その言葉だけで十分なのです」
そう言って、彼女は胸元に手を添える。
「──ぜひ、よろしくお願いいたします」
なんだ、そうか。この人、俺と同じタイプかよ。
てっきり、予言なんてかっこつけた言葉のせいで『魔王の圧政に苦しんでます......誰か、助けて!』みたいな話かと思っていたが、
ただメンケアしてくれる話し相手が欲しかっただけなのかもしれない。
孤独に生きてると、人の温もりが恋しくなるよね。わかる。
「──こちらこそ、よろしくお願いします」
紆余曲折あったが、とりあえずこの場は円満に収まった。
親近感が湧き、俺も肩の力が抜けていくのを感じた。
と、そのときだった。
「グギュルル.......」
重低音の‘’それ‘’は、遠慮もなく俺たちの間に割って入った。
そういえば、俺は数日寝込んでたとか言ってたっけ。そりゃ腹の虫も悲鳴を上げるはずだ......。
赤面する俺を横目に、メルトナは上品に微笑んだ。
「数日寝込んでいたのですから、無理もありません。
──お手をどうぞ。立てますか?」
「えっ、あっ、はいぃ」
なにそれ、カッコいいっ...。
緊張のあまり、情けない声が出てしまったよ。
この瞬間だけは、白馬の王子様に憧れる女子の気持ちが理解できる。
差し伸べられた手を取って、俺はゆっくりとベッドから立ち上がった。
「お身体の具合はいかがでしょうか。どこか痛むところはありませんか?」
「えーと......特には。寝たきりだったせいか、少し身体が鈍ってるくらいですかね」
そう答えながら、自分の身体を軽く動かしてみる。
腕を上げる。問題なし。
脚を動かす。こちらも問題なし。
______奇妙だ。
あのとき、俺は確かに電車に轢かれたはずなのに。
それなのに、こうして五体満足でベッドから起き上がれている。
これが、竜の血の力、なのだろうか。凄まじい効力だ。
「それならば、少し外へ出てみませんか?」
「外、ですか?」
「はい。実は食料を切らしておりまして......。この辺りには食べられる木の実や山菜がございます。
それに、気分転換にもなるでしょう。ご一緒にいかがですか?」
悪くない提案だ。ここで引き籠って過ごしていても、暇で暇で仕方がない。
ポケットにあったスマホの充電は切れていたし、PCやゲーム機があるわけでもない。
それに、異世界の景色を目の当たりにしてみたい。
どんな自然が、どんな生き物が俺を待っているのだろうか。
元の世界では旅行など毛ほども興味を示さなかった俺だが、写真にもない、未知の異世界ともなれば話は別だ。
「ぜひ、お願いします」
そう言って、俺たちは部屋を後にした。
______こうして俺は、異世界で初めての一歩を踏み出した。
※ ※ ※ ※ ※
俺たちが先ほどまでいた古部屋の外観は、木造のボロい小屋だった。
ここが山脈ということだけあって、小屋は鬱蒼と茂る森林のなかにぽつんと建っている。
周囲にそれ以外の人工物はなく、竜族の里、といった感じの場所ではなさそうだ。
メルトナはこんな所に、一人で住んでいるのか......?
そりゃ鬱っぽくなっても仕方ないな。
そんなことを考えながら、俺はふと空を見上げた。
初めて見る異世界の空は、最後に見た元の世界の空よりも、ずっと鮮やかだった。
雲は高く、澄んだ青空が広がっている。
二月の北国で見慣れていた、色のない空とはまるで別の世界のようだ。
......いや、実際ここは別の世界だったな。
それでも、改めてそう考えると、不思議な感覚だった。
俺は、本当に異世界にきてしまったんだ。
______もう、あの世界へは戻れない。
家族も、大学も、住み慣れた街も。
あの色褪せた空の下で過ごした、二十二年間の人生も。
なにもかも全て、彼方に置いてきてしまった。
______そう思うと、少しだけ、ほんの少しだけ胸が痛んだ。
あのときは、全部どうでもいいと思っていた。
消えてしまえば、それでいいと思っていた。
なのに、今になって思い返すと、もう二度と戻れないことが、ほんの少しだけ寂しい。
自分でも、矛盾しているとは思う。
けれど、不思議と後悔はなかった。
「チハル様、いかがなさいましたか?」
上を向いて歩きながら感傷にふけっていた俺を、メルトナの掛け声が現実へと呼び戻した。
「ああ、少し考え事をしていただけです」
「──そうでしたか。それは、失礼いたしました」
淡白な返答をすると、彼女は本気で申し訳なさそうな表情をして黙り込んでしまった。
結果、お互いが沈黙し、気まずい雰囲気が生まれてしまう。
別に気にしていないのに。
「メルトナさん、えーとですね、その」
「はい、チハル様、いかがなさいましたか?」
打開を図ったのは俺の方だった。
そういえば、先ほどから気になっていることがあるのだ。
少し言いづらかったが、意を決して口にする。
「その......様をつけるのやめてもらえますか?
さっきも言ったけど、俺はそんな大層な人間じゃないし、くすぐったくて仕方ないんで、呼び捨てで大丈夫ですよ」
「ですが、降臨者様ということで──」
「それはまだ決まったわけじゃないでしょう?」
「......それは、確かに」
メルトナは少し考え込んだあと、ふっと微笑んで、
「では、......チハルくん、と」
「なっ──」
様から君へ。距離感の縮まり方があまりにも急で、俺は軽くフリーズし頬を赤らめた。
いや、自然な降格だったのかもしれないが、こんな綺麗なお姉さんに下の名前+君付けで照れない男子などいないだろう。
「......嫌、でしたか?」
「ええいや全然そんなはずは。むしろ、そっちの方がありがたいです」
「では、そう呼ばせていただきますね。チハルくん。
──私の方からも一つ、お願いしてよろしいでしょうか?」
「は、はい、なんでしょうかメルトナさん」
なんだろう。邪な考えが頭を巡るせいか、つい身構えてしまう。
出会ったばかりなのに何を期待しているんだ、俺は。
「ふふ、呼び捨てで構いませんよ。それに、敬語でなくて大丈夫です」
「わかりまし──いや、わかったよ、メルトナ」
照れくさそうな、初々しい返事になってしまった。
親密度がレベル2からレベル5くらいに飛び級したような気がする。
「──と、着きました。あれがツェルニアの特産品、野生の‘’ミルエカ‘’の木の群集です」
小屋から1kmくらい歩いた辺りだろうか、そこでメルトナは足を止めた。
彼女が指をさした方を見ると、周囲の木々と比べて妙に背の低い植物の群生があった。
ミルエカというその植物は、幹が地面から少し離れたところで大きく枝分かれしており、枝の一つ一つがその自重に引かれるがままに低く垂れていた。
木というよりは、大きな茂みと表現した方が近いかもしれない。
その枝の所々には、赤紫色の果実がいくつも寄り集まるかのように実っていた。
その姿は、まさに______
「......ブドウ?」
「あら、あなたの世界では、そう呼ぶのですか?」
メルトナはそう言いながら、枝の先に実った果実を一房もぎ取った。
ほんのりと、甘い香りが漂ってくる。近くで見せてもらったミルエカの実は、本当にブドウによく似ていた。
ただ、ブドウというには一粒一粒が少し大きく、さらに表面にはイチゴのような黄色い粒々が付着していた。
「いや、似ているけど多分別物っぽい──これ、食べられるの?」
「ええ。甘酸っぱくて、とても美味しいですよ。──どうぞ」
そう言って、メルトナは俺にミルエカの実を一粒千切って渡してくれた。
......都会育ちの俺としては、こういった得体のしれない野生の果実を食べるのには少々抵抗がある。
だが、せっかく善意で頂いたものを拒絶するほど、俺の性根は落ちぶれていない。
なにより、背に腹は代えられないのだ。
「──じゃあ、いただきます」
恐る恐る、それを口に放り込む。
噛み締めて最初に感じたのは、ジュースのように濃縮された、思いのほか強い甘みだった。
具体的な味はというと、ブドウというよりはマスカットに近いものだった。
それから少し遅れて、舌の奥に爽やかな酸味が広がっていく。それが濃い甘味を絶妙に中和し、心地の良いハーモニーを生んでいた。
「──うま」
そんな感嘆が漏れ出るほどには、 俺はすっかりミルエカの虜になっていた。
「お気に召されたようで何よりです」
俺が夢中になって実を頬張る横で、メルトナは小さく微笑んでいた。
数日前まで死ぬことしか考えていなかったというのに、今は見知らぬ世界の謎の果実を食べて、その味に感動している。
人生、何が起こるかわからないもんだね。
______呑気にそんなことを考えていた、そのときだった。
「──ー」
何を思ったか、先ほどまで穏やかだったメルトナの表情が突如、険しいものへと豹変した。
そのまま彼女は向かいの茂みに目を向ける。
「......メルトナ、どうしたんだ?」
「──チハルくん、お静かに」
『え…?』と困惑の言葉を漏らすより前に、メルトナは静かに俺の口元を手で覆った。
俺の方を向くこともなく、彼女の目はじっとその茂みを捉えていた。
何かいる。
そう直感した、次の瞬間。
______ガサッ、ガサッ、と何かが草木を掻き分ける音が聞こえてきた。
それは、徐々にこちらへ近づいてくる。
やがて──茂みの隙間から、巨大な影が姿を現した。
そして、その全容が明らかになったとき、俺は思わず息を呑んだ。
熊だ。
......否、少なくとも、概観だけを見れば熊に近い。
だがそれは、俺の知っている熊のいずれにも該当しない。
体長は四メートルを優に超えているであろう巨躯。全身を漆黒の毛皮が覆っており、その背には鋭い棘が連なっている。
何よりも目を引いたのは、丸太のように太い前脚だった。
鎧のごとき風貌の甲殻が幾重にも連なっており、その先端からは鋭利な爪が伸びている。
熊のようなその何かは、悍ましい涎を垂らしながら、理性など毛ほども感じられない、血に染まったような深紅の瞳で、こちらを捉えて離さなかった。
「──魔獣です」
すぐ隣で、メルトナが静かにそう呟いた。




