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転生社不の更生録 〜滅びの竜姫と拓く黎明〜  作者: 弥生
第一章 「血染めの国と竜の導き手」
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第二話「氷解」

「は……?」


 唐突に目の前で膝を突き、頭を垂れたメルトナの姿に、俺は呆然と息を呑んだ。

 何かを切実に乞うようなその佇まいが、重苦しいプレッシャーとなって俺の全身にのしかかってくる。


______なんだよ、その無責任すぎる投げかけは。


 ひしひしと、重い怒りが腹の底から競り上がってくる。

 それは体力を削り取るような苦しい焦燥となって、俺の胸中を激しくかき乱した。


「勝手に助けた挙句、今度は何かを背負わせるっていうのか?」


「──え?」


 俺は怒りに突き動かされるまま、ベッドの端へ身を乗り出す。

 目の前で膝をつくメルトナの肩へ、なりふり構わず両手を伸ばした。


「うっ……」


 押し殺したような、小さな呻き声。

 不意を突かれたショックか、ほんの僅かに肩を跳ねさせたメルトナの様子に、俺の心臓がどっと跳ねる。


 ……だが、一度溢れ出したドロドロとした感情は、もう自分でも止められなかった。

 激しい動悸をごまかすように、俺は荒い息のまま言葉を叩きつける。


「冗談じゃねえッ……!

俺は……俺は、死にたかったんだ……っ」


 上から見下ろす俺の眼差しは、惨めに揺れているのだろうと自分でもわかった。


 メルトナを押し倒す力すら湧かない。

 肩を掴んでいるのか、それとも縋りついているのかすら自分でも分からない。

 ただ、惨めに震える喉から、掠れた拒絶を吐き散らすことしかできなかった。


「──っ」


 しかし彼女は、俺の手の震えを感じ取っているはずなのに。

 振り払おうとも、怯えて身を引こうともしない。


 だが──先ほどまでの、神聖で泰然とした雰囲気は消え去っていた。

 眩む視界の中で、わずかに開かれた彼女の薄い唇が、微かに震えているのだけが異様に鮮明に映り込む。

 あからさまに焦っているのが、俺にもわかった。


「……申し訳、ございません」


 その声は痛々しいほど低く、どこまでも真摯だった。


 俺が掴む力を緩めかけたその時、彼女はゆっくりと顔を上げた。

 紅い瞳の奥には、押し殺したような寂寥が潜んでいる。


「古くからの予言に伝わる存在が、ようやく現れたのだと……つい躍起になってしまったんです」


「……古い、予言?」


「『竜の願いが天に認められしとき、理の外より降臨者現る。

やがて彼の者は、その願いを叶えんとそなたらを導くだろう』

……我々竜族の伝承には、そのような予言があるのです」


 気丈に紡がれていたその声に、微かな震えが混じり始める。

 それでも彼女は、潤んだ紅い瞳で真っ直ぐに俺を見つめ返していた。


「何十年も孤独に生き続け、ようやく願(・)い(・)が叶ったのだと──喜びのあまり、勝手な真似をいたしました」


「……っ」


______その言葉を聞いた瞬間。


 背筋にひやりと冷たいものが走り、あれほど怒りに荒んでいたはずの頭の中が、一瞬にして凪いだ。

 ……俺は、なんて残酷な言葉をこの人に叩きつけてしまったんだ。


 何十年。

 それほど長く果てしない孤独の末に見つけた希望を、俺は己の不幸を盾にして、頭ごなしに否定してしまったのか。


「……今のあなたのお気持ちは、私にも分かります」


 メルトナは自嘲するように、微かに唇を歪めた。


「全てを忘れ、解き放たれたいという想い。

暗闇の中で、息を潜めて生きてきた私自身、そう願ったこともありましたから」


 その静かな告白が、鋭い刃となって俺の心を深く抉り取る。


 もし俺が彼女の立場なら、耐えきれずに壊れていただろう。

 暗闇の苦しさは、誰よりも知っていたはずなのに。

 俺は己の惨めさに酔い痴れ、救い出してくれた彼女に泥を投げつけたのだ。


「だというのに……。

私の願いを押し付けてしまって──本当に、ごめんなさい」


「……」


 痛々しく頭を下げ、なおも己を責める彼女の姿に、激しい自己嫌悪が濁流のように込み上げてきた。


 彼女の肩を掴んでいた両腕から、するりと力が抜け落ちる。

 行き場を失った俺の指先は、無意識のうちに自身の左手首へと伸びていた。

 服の上から強く爪を立て、見えない古傷の感覚を確かめるように──どうしようもない己を苛んだ。


「……悪かった」


 掠れた声が、乾いた唇から零れ落ちた。

 爪を立てていた腕からゆっくりと手を離し、俺は深くうなだれる。


「ただの、八つ当たりだ。

助けてもらったのに……あんな酷いこと言って。

本当に、悪かった……」


「……いえ、お気になさらないで」


 メルトナは静かに首を振り、伏し目がちに俺の手の甲へ、その温かな掌を重ねた。

 すっぽりと俺の手を覆うその体温は柔らかく心地良い。

 ……けれど同時に、二度と腕を振り払わせないような、強固で逃げ場のない重さを秘めていた。


______それから、しばらくの間。


 部屋の中には、重く静かな時間が降り積もっていった。

 荒れ狂っていた感情が引き散らかされた後、頭の中には冷めた後悔だけが残っている。


 胸の奥にこびりついていた冷たい虚無感が、完全に消えたわけではない。

 だが、今は手の甲から伝わる彼女の体温が、俺の意識を確かにこの世界へ繋ぎ止めてくれていた。


 ……と、そんな静寂を切り裂くように。


______ぐうぅぅ。


 部屋の中に、情けない腹の虫の音が響き渡った。


「「……」」


 そういえば、最後にまともに物を食べたのがいつだったか、もう思い出せもしない。

 顔が熱くなっていく俺を見て、メルトナはわずかに緊張を解き、くすりと上品に微笑んだ。


「数日も寝込まれておられたのですから、無理もありません。

何か食べられるものを探しに、外へ出てみませんか?」


「……いや」


 俺は視線を逸らし、力なく首を振った。


「いいよ。なんか……食べる気になれなくて」


 胃の奥が、鉛のように重い。

 空腹を知らせる音とは裏腹に、何かを口に入れたいという欲求は少しも湧いてこない。


 あの薄暗い部屋で心をすり減らしていた時と同じ、心と身体がちぐはぐに切り離されてしまったような感覚だ。


 そんな俺の様子を見て、メルトナは無理強いすることなく、柔らかい声で提案した。


「そう仰らず、少しだけ外の空気を吸いに行きましょう?

ずっとこの狭い部屋にいては、気も滅入ってしまいますから」


 その控えめな気遣いが、ひどく胸に沁みた。

 食べるためじゃなく、ただ気分転換するだけなら。


「……わかった。そこまで言うなら」


 俺はベッドに手をつき、重い身体をどうにか持ち上げた。


※ ※ ※ ※ ※


 外へ出ると、そこには鬱蒼とした深い森林が広がっていた。

 俺たちがいた部屋の外観は、古びた一軒の小屋だった。

 ひんやりとした木漏れ日が、火照った肌を優しく撫でていく。


______ふと、俺は空を見上げた。


 初めて見る異世界の空は、目が痛くなるほどに澄み渡る青だった。

 二月の北国で見慣れていた、あの色のない空とはまるで別世界だ。


 ……いや。

 ここは本当に、別の世界なんだ。


 もう、あの世界へは戻れない。

 家族も、大学も、住み慣れた街も。

 あの色褪せた空の下で過ごした、二十二年間の人生も。


______何もかも、遥か彼方に置いてきてしまった。


 どうしようもない虚無が胸を満たす。

 だが、不思議とそこに後悔の色はなかった。


「チハル様? いかがなさいましたか?」


「……ああ、ごめん。少し考え事を」


「そうでしたか。失礼いたしました」


 メルトナは申し訳なさそうに頭を下げる。

 ……いや、そんな本気で謝らなくても。


「メルトナさん、あのさ」


「はい?」


「その……様(・)っていうの、やめてもらえない?」


「ですが、降臨者様ということで──」


「もう少し、普通に話して欲しいんだ」


「……それは、確かに」


 メルトナは少しだけ立ち止まって考え込み。

 やがて、柔らかに目を細めた。


「では……チハルくん、と」


「なっ──」


 様から君へ。

 不意を突かれた距離の縮まり方に、思わず胸が跳ね、言葉を詰まらせてしまう。


 こちらの拒絶をさらりと受け流し、当たり前のように懐へ足を踏み入れてくる容赦のなさ。

 こんな綺麗なお姉さんに甘い声で呼ばれるのは──照れくささと同時に、逃げ道を徐々に塞がれていくような息苦しさがあった。

 とはいえ、居心地が悪いわけではない。


「……嫌、でしたか?」


「いや、全然……。

むしろ、そっちのほうがありがたいかも」


「では、そう呼ばせていただきますね。チハルくん」


「……おす」


 どこか愛おしそうにその名を口にする彼女に、耳の裏が熱くなるのを感じた。


「私の方からも、ひとつお願いしてもよろしいでしょうか?」


「どうしたんだ?」


「私のことなど、どうぞ呼び捨てで構いませんよ」


「え? あ、ああ……。

わかったよ、メルトナさ──メルトナ」


「はい。ありがとうございます、チハルくん」


 まだ、少しぎこちないけど。

 呼び名が変わっただけで、互いを遮っていた見えない壁が、すっと消えたような気がした。


「──と、着きました」


 メルトナが足を止めた。

 小屋から、大体一キロくらい歩いただろうか。


「これがツェルニアの特産品、野生のミルエカです」


 目の前には、周囲の木々よりも一回り小さな植物が群生していた。

 枝は地面近くまで垂れ下がり、そこには赤紫色の果実が房状に実っている。


 その姿は、まるで──。


「……ブドウ?」


「あら。チハルくんの世界では、そう呼ぶのですか?」


 メルトナは一房をもぎ取ると、その中から一粒を千切って俺に差し出した。


「どうぞ。一粒だけでも、お口にしてみてください」


「……これ、ほんとに食べられるの?」


「はい。甘さは控えめなので、食べやすいですよ」


 見た目はブドウにそっくりだが、粒は一回り大きく、表面にはイチゴの種のような黄色い粒まで付いている。

 食欲は相変わらずなかったが、彼女の厚意を無下にするのも忍びないだろう。

 俺は手渡された未知の食べ物を、恐る恐る口に放り込んだ。


「……いただきます」


______果皮が、軽く弾ける。

 口の中に、爽やかな酸味と、ほのかな甘みが広がった。


「味がする……」


 ポツリと、そんな当たり前の感想が口を突いて出た。


 俺にとって食事なんて、ただの面倒な作業に過ぎなかった。

 何を食べても砂を噛むようで、美味しいと感じたことなんて、いつからなかっただろう。


 けれど、今は違う。

 久々に感じた確かな味(・)が、俺の乾いた喉と身体に、じんわりと染み渡っていくのを感じた。


 俺は、生きているんだ。

 そんな、静かな実感を噛み締めていた。


「お気に召されましたか?」


 俺の表情にわずかな生気が戻ったのを察したのか。

 メルトナが嬉しそうに小首を傾げて覗き込んでくる。


「まあ、悪くはないよ」


 少しだけ気恥ずかしくなって、俺はわざとぶっきらぼうに返して視線を逸らした。


「ふふ。それなら良かった」


 メルトナの安堵したような柔らかな笑い声が、木漏れ日の落ちる森に溶けていく。

 その姿が、慈悲深い女神のように見えて、俺は憂鬱を少しだけ忘れられた。


______なんて、呑気になっていた、そのときだった。


「……」


 隣にいたメルトナの表情が、突然氷のように冷たく張り詰めた。


「メルトナ……?」


「チハルくん。お静かに」


 彼女は俺の口元をそっと手で覆い、茂みへ視線を向ける。


 何かいる。

 そう直感した直後──。


______ガサッ、ガサッ。


 茂みを掻き分ける音が、こちらへ近づいてくる。

 そして、その隙間から巨大な影が姿を現した。


「……っ」


 熊。

 ……に見えた。


 だが、俺の知っている熊とは明らかに違う。


 体長は四メートルを優に超え、全身を漆黒の毛皮が覆っている。

 その背には鋭い棘が並び、丸太のように太い前脚には、鎧のような甲殻と鋭い爪が備わっていた。


 何より異様なのは、その眼。

 深紅に染まった瞳が、獲物を見つけた獣のように俺たちを捉えている。


「──魔獣です」


 すぐ隣で、メルトナが静かに呟いた。



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