第一話「異郷での目覚め」
______目が、覚めた。......目が覚めた?
ということは、ここは地獄なのだろうか。自殺したら地獄行き──なんて、どこかのサイトに書いてあった気がする。
いや、もしかすると未遂に終わって入院中、とかだろうか?正直、一番最悪のパターンだ。後遺症は免れないだろう。これから身体の調子を確かめるのが怖い。
それに、家族の反応も怖い。怒られるか悲しまれるか、予想はつかないが、どのみち悪い結果しか招かないだろう。
というか、あの女子高生はどうなったのだろうか。まさか、巻き込まれてたりしないよな...。
俺とは違い、心優しい子なのだろう。どうか、無事だと信じたい。
______寝起き特有の、ぼんやりと霧がかった視界を、目を擦って晴らした。両手は動かせる。上半身、下半身ともに感覚もあるようだ。
そうしてまず映り込んできたのは、見覚えのない、古びた木造の天井。病院らしきそれではなかった。
念のため頬をつねってみる。鈍い痛みが残るあたり、夢ではなさそうだ。
困惑しつつ、怠い身体を起こして軽く欠伸をした。俺は見るからに使い古された、木製のベッドの上にいた。
身体のほうは特に大きな変化はなさそうである。服装も黒色の防寒ジャージに灰色のスウェットと、あの時のまま変わっていない。
______なんだ、ここは。
随分とノスタルジックな地獄なのか、はたまた本当に病院なのだろうか。
前者はまあ冗談だろうが、仮に後者だとして、今の時代に、こんな古びた病院なんてあるだろうか。
あったとしても、それが本当に、俺のような重傷者を入院させられるだけの、相応の設備を備えた総合病院だといえるのだろうか?恐らく、答えは否だろう。
では、一体ここは何処なのだろうか。まさか、これはいわゆるバックルームというやつに迷い込んでしまったのだろうか。
様々な考えが交錯し、不安に身体が少し硬直していた、そのときだった。
「──ああ、良かった。お目覚めになりましたか」
______すぐ傍から、聞き覚えのない女性の声が、した。丁寧口調で、柔らかく色気があり、心地よい安らぎをもたらす、そんな声だった。
姉や母とは異なる声。もしや、看護師さんだろうか?
誰かはわからないが、とにかくこの奇妙な状況に置かれた俺にとって、それは無条件に安心感をもたらすものだった。
身体の緊張が解けた俺は、特に臆することもなく、声のした方へ目を向けた。
______そこにあった光景を目にした瞬間、衝撃のあまり俺は一瞬頭が真っ白になった。
なぜなら、そこにいたのは、薄茶色のローブに身を包んだ、透明感のある金色の長髪に、紅色の三白眼の美女だった──と、それだけならまだここまでの衝撃を受ける理由には足らない。
問題は、
頭部に二本の角を生やしていたこと。
蛇や蜥蜴を思わせる、爬虫類のような縦に細長い瞳孔をしていること。
まるでエルフのような鋭く長い耳をしていること。
以上の三点にあった。
ただのコスプレでは?と思うかもしれない。
だが、そうではない。『人間』ではない。
そう確信させる気品や、重厚感すらも彼女にはあった。
少なくとも、この世の生き物とは思えなかった。
______ということは、つまりだ。
「──あの、もしやすると、ここはあの世で、あなたは女神様ではあらせられませんか?」
俺は、飛び降り自殺を図り、死んだ。
あのとき、凄まじい衝撃が俺の身体を確かに破壊した。
だというのに、今の俺は何の後遺症もない、五体満足の健康体。
現代医療では説明がつかないほどの回復だ。
なら、ここはまずあの世である。
そして、目の前の美女。
こちらを慈しむような、そんな優しい表情をした彼女は、ただの美女ではない。
上述したとおり、明らかに人間離れした外見的特徴がある。
なら、それはもう女神様といって差し支えないだろう。
つまりこれは、異世界ものとかでよくある、あれだ。
俺の転生先を、女神様が手配してくださっている最中なのだろう。
さあ、どうだ。
「──ふふ、面白いことを仰る方ですね。
ですが、残念ながら私はそのような高貴な存在ではございませんし、
ここは死後の世界ではなく、ツェルニア王国の辺境、エルド山脈です」
うん、全然違った。
女神様ではないだって?なら一体この人は何者だというのだ。
それに、ツェルニア......?聞いたことのない国名だ。というか恐らくそんな国はこの世に存在しない。
受験生時代、その辺の文系よりも世界史を詳しく勉強した俺が言うのだから間違いない。
そもそも、なんでそんな訳わからない国で日本語が通じているんだ。
「ただ、今の反応で確信しました。あなたは、やはり──」
「......?」
混乱する俺を差し置いて、彼女は顎に手を当てながら、なにか心当たりがあるかのような含みのある言い方をした。
少し考え込んだあと、彼女は再び口を開いた。
「──いえ、それは後にしましょう。
お目覚めの方、ご自分のお名前は覚えておりますか?」
「えっと、鈴宮──いや、チハル・スズミヤといいます」
彼女は日本語を話してはいるが、その顔立ちや服装は明らかに東洋人ではなさそうなので、一応西洋式の名姓順に言い直しておいた。
「チハル様、というのですね。私、メルトナと申します。
お目覚めの直後で混乱されているご様子ですが、以後、どうぞお見知りおきくださいませ」
メルトナ。
彼女は丁寧に会釈をしながらそう名乗った。
女神様のような神秘的な名前だが、彼女──メルトナは、その女神様ではないという。
しかも、俺はあのとき確かに死んだはずなのに、ここはあの世でもないという。
であれば、俺が今置かれているこの状況は、なんと表現すれば説明がつくのだろうか。
......いや、そうか。わかったぞ。
この摩訶不思議な現状を十分に説明し得るかもしれない、そんな都合のいい言葉がふと脳裏に浮かんできた。
______異世界召喚。
その手のラノベはいくつも読んできたが、現実にはあり得ないと思っていた。
でも、今自分が目の当たりにしてる現実の前には、そう納得せざるを得ないだろう。
......うん。そう考えると、聞いたこともない現在地名にも、目の前の人ならざる存在にも説明がつく。
こんなこと、本当にあるんだな。
不思議なことに、胸の奥にほんの少しだけ、心が躍るような感覚があった。
さっきまで死ぬことしか考えていなかった自分が、こんな状況を前にして浮ついている。
我ながら、随分と現金なものだと思う。
......まあ、異世界なんてものを目の前に突きつけられれば、無理もないのかもしれない。
「メルトナさんや、もしやあなた、俺を召喚した聖女だったりしません?」
「──召喚、というと、転移魔術の類のことでしょうか?
恐れ入りますが、私はそのような、高等の金魔術は会得しておりません。
それに、私自身は神に仕える者ではなく、ただの通りすがりの旅人でございます」
あれ?また見込み違いだったのか?
______でも、魔術?いま、魔術って言ったよね?
実際に超常現象を目の当たりにしたわけではないが(明らかな亜人が目の前にいるのは超常現象といってもよさそうだけど)、平然とその言葉が出てきたあたり、流石に異世界という要素は確定と考えていいだろう。
召喚でもないとなれば、考えられる残り候補は、転移くらいか。
いろいろ考察していると、
「──チハル様、これまで、何があったのかは覚えておられますか?」
突拍子もないことばかり口走る俺の頭が心配になったんだろう。
迷子の子供をあやすかのような優しい口調で、彼女は俺にそう問いかけてきた。
______記憶を掘り返す。
俺はあのとき、確かに電車に轢かれ、そして意識を失った。
死んだ──と言いたいところだが、いまこうして目を覚ました以上、あの自殺は未遂に終わってしまったと認めざるを得ない。
「......メルトナさん、俺は多分、違う世界から迷い込んでしまったかもしれないんです。
その世界で、俺は死んだと思ってました。だから、そこから何があったのかはわかりません」
「.........なるほど」
問題はそこからだ。
意識を失っていた間、俺の身に何が起こったのか。
ここが異世界だというのはいいとして、なぜ俺はそんな場所で目を覚ましたのか。
それが、全くわからない。
「左様でしたか。では、私の方から申し上げます」
そうして、メルトナは真実を語り始めるのだった。
「あなたはひどいお怪我を負って、この近くで倒れておられたのですよ。
──それはもう、形容しがたいご容態でした。チハル様が、自らの死を覚悟したのも理解できます」
マジか。
じゃあ俺は、電車に衝突し重症のまま、この世界に転移してきたのか?
転移のタイミングが最悪すぎて失笑するよ。
「私の粗末な木魔術では、治療が追い付きそうになかったため、勝手ながら少々特殊な蘇生術を施させて頂きました」
「特殊な蘇生術、といいますと?」
あっさりと口にしたその治癒魔術について、詳しく聞きたい好奇心を抑えつつ、
俺は特殊な蘇生術なるものについて尋ねた。
「──私の‘’竜の血‘’を摂取して頂くことで、その生命力を分け与えるという、我々竜族に伝わる秘術です」
「──血?」
それを聞いた途端、呼応するかのように、俺は無意識に自分の唇に触れていた。
______次の瞬間、苦しいくらいに強く心臓が拍動した。
そこで俺は、初めて気づく。
体内に俺由来のものではない、‘’異物‘’が混じっている。
それは鼓動とともに身体中を駆け巡り、全細胞を湧き立たせている。
だが、異物感というほどの嫌悪感はなかった。
寧ろ、その‘’異物‘’が、本来ならとうに死んでいるはずの肉体を、無理やり稼働させているのだと痛感した。
「適応に失敗し、お身体に負担をかけたり、拒絶反応が起こる場合もあるのですが──こうして無事に目を覚まされたようで幸いです。
──数日間も寝込んでおられたので、大変心配しました」
赤子をあやすかのような優しい表情で、メルトナはそう微笑んだ。
それは直前の身体の違和感を忘れるほど、俺の心に安らぎをもたらした。
______だが、何を思ったのか。
次の瞬間、彼女は人が変わったかのようにその表情を厳かなものとし、そのまま胸に手を当て俺の前に跪いた。
「──降臨者さま、どうか私をお導きください」
どこかうら寂しく、しかし力強く、彼女──メルトナはそう懇願した。
「──は?」
態度を急変させた彼女に、戸惑いを隠せなかった俺は思わずそう呟いた。
状況が整理されつつあったというのに、俺はまた困惑のために頭を真っ白にするのだった。




