第二十話「許しもせず、否定もせず」
エルマに案内されるがまま、入り組んだ路地裏を曲がりに曲がる。
やがて、俺たちはかつてのアジトへと戻ってきた。
扉を開ける。
中は、相変わらず薄暗かった。
部屋を照らしているのは、長机の上にぽつんと置かれた一本の蝋燭だけ。
「……」
そんな頼りない明かりにすら、なんだか妙な安心感を覚える。
ようやく、戻ってこられた──そんな気がした。
「……とりあえず、座ろうぜ」
レントに促され、俺たちはそれぞれ椅子へ腰を下ろした。
背もたれに身体を預ける。
身体の奥に溜まっていた疲労が、今になって一気に押し寄せてきた。
「「……」」
誰も、すぐには口を開かなかった。
蝋燭の炎が揺らめく気配さえ感じられるほど、部屋は静まり返っている。
アッシュのこと。
アイヴィスのこと。
そして、メルトナのこと。
俺も、エルマも、レントも、アイヴィスも。
皆が、それぞれの想いを抱えたまま沈黙した。
______そんな重苦しい空気の中。
「……こうしちゃいられねえ」
沈黙に耐えかねたのか、エルマが突如立ち上がる。
「おい、お前ら。こういうときこそ、パーっと飲むぞ」
エルマは長机の奥へと歩み寄り、
近くの棚から埃をかぶった瓶と、いくつかの木杯を取り出してきた。
「なんだよ、それ。──酒か?」
その様子を見ながら、俺は眉を顰める。
「ああ。ツェルニア名物、ミルエカ酒だよ」
「……」
その言葉を聞いた途端、胃の奥がわずかに重くなった。
俺だって、酒を飲んだことがないわけじゃない。
大学に入ったばかりの頃、付き合いで居酒屋へ行き、
試しに二杯ほど飲んだことがある。
だが、それだけで気分が悪くなり、店を出た後にはすっかり吐いてしまった。
それ以来、酒には苦手意識がある。
というより、できることなら二度と飲みたくない。
「……俺は遠慮しとく」
そう言って、俺は木杯から目を逸らした。
「なっ──おいおい、こいつは名店から盗んできた代物だぜ?」
エルマは瓶を目の高さまで掲げ、側面に描かれた紋章を指で叩いた。
「この印が見えねえか?
こいつはミルエカ酒の名産地、ロンド地方の醸造所のもんだ。
しかも、店の主人が隠してたとっておきだぜ」
「へえ……」
レントが感心したように声を漏らす。
まあ、確かに聞こえはいい。
「そいつはまた、ずいぶんと上等なもんを盗んできたな」
「だろ?
──ってわけだ、チハル。飲まねえなんてもったいねえぞ?」
「いや、盗品ならなおさら遠慮したいんだけど……」
あまりにも悪びれのない態度に、俺は乾いた笑いすら漏らした。
盗品を堂々と客に振る舞うなよ……。
「まあまあ、そう言うなって」
俺が呆れていると、レントが笑いながら木杯を差し出してきた。
「同じ牢屋で過ごした仲だろ?
一杯くらい、お前も共犯になってくれよ」
……こいつ、口説き文句のチョイスが妙に洗練されているな。
これが、人たらしってやつなんだろうか。
「ま、まあ、そこまで言うなら……」
俺が渋々木杯を受け取ろうとした、そのとき。
「……あなたたちって、盗賊なの?」
アイヴィスが口を挟み、俺たちへ訝しげに問いかけた。
「はっ──よくぞ聞いてくれた。
あたしらこそが、泣く子も黙るエルマ盗賊団さ!」
エルマが妙な決めポーズを取りながら、誇らしげに胸を張った。
その姿を直視するのがつらくなり、俺はそっと目を逸らす。
……隣を見ると、レントもまた何食わぬ顔で、明後日の方を向いていた。
「……」
アイヴィスの眉間に、深い皺が寄った。
あからさまに不快感を滲ませ、身を引くような仕草を見せる。
「んだよ、その顔は」
「盗賊のクセに──なんでそんなに、誇らしげなの」
「ああ!? クセにってなんだよ!
天職に誇りをもってなにが悪ぃんだよ!」
エルマは両手を胸の前で握りしめ、
頬を膨らませながらプンプンと怒っていた。
盗賊を天職と言い張るとは……。
エルマの開き直りは、もはや清々しい域に達している。
「ははっ。ま、世間サマからすりゃあ、盗賊も冒険者も大して変わんねえだろ」
「……一緒にしないで」
レントの軽口に、アイヴィスが低い声で反論した。
「私たちは依頼を受けて、正当な報酬を得ているから。あなたたちとは違う」
「へいへい、悪かったよ」
レントはひらひらと手を振り、肩を竦める。
二人のやり取りを黙って聞いていた俺は、ふと疑問を抱いた。
______冒険者。
路地裏でのアイヴィスとの会話で、その名前だけは耳にしていた。
だが、詳しく知る機会はなかった。
「なあ──冒険者って、実際どんな存在なんだ?」
俺の問いかけに、コップを弄んでいたエルマの手が止まった。
彼女はちらりとアイヴィスを一瞥したあと、くつくつと鼻で笑う。
「建前と本音、どっちで聞きたい?」
「……建前と、本音?」
「建前上は、市民から魔物退治やら護衛やらの依頼を請け負う。
いわば、自由で誇り高き何でも屋、ってとこだな」
エルマはミルエカ酒を一口含み、喉を鳴らした。
「だが、実際はただの傭兵集団だよ。
──それも、連合国家が管理する巨大な組織だ」
「傭兵……?」
首を傾げる俺を見て、今度はレントが心底不思議そうな顔で口を開いた。
「おいおい、お前……そんなことすら知らなかったのかよ」
「……悪いかよ。そういうのに疎いんだ」
「一体どこのご令息なんだよ、お前は……」
まさか異世界から来たなんて言えるはずもなく、俺は軽く視線を逸らす。
レントは呆れたように大きなため息をついた後、
背もたれに深く身体を預けた。
「ったく──いいか、チハル。
このツェルニア王国も含めて、このあたりの国家は連合を組んでるんだ」
レントは指一本を立て、真剣な目つきになる。
「東に『イェンゼン帝国』ってバカデカい国があってな。
いつ攻め込んできてもおかしくねえ脅威なんだよ。
そいつに対抗するために成立したのが、『西方諸国連合』だ」
……なるほど。
複数の国家が独自性を保ったまま、共通の脅威に対抗するためにまとまっている。
いわば、EUのようなものか。
俺は頭の中で、そんなふうに情報を整理した。
「西連各国の正規軍だけでずっと警戒し続けるにゃ、膨大な維持費がかかるだろ?
その解決策として作られたのが『冒険者ギルド』ってわけさ。
つまりその本音は、腕自慢を歩合制で囲い込んでおくための軍事システム、ってとこだな」
だから──傭兵集団、か。
冒険者とは、自由に依頼をこなす職業人でありながら、
実際には西連が管理している民間の軍事力なのだ。
「要するに、だ。
国の外で野良犬として生きるか、国に飼い慣らされて戦争の駒にされるかの違いさ。
な? 盗賊と大差ねえだろ?」
「……ふん」
黙って話を聞いていたアイヴィスが、そっぽを向いて吐き捨てる。
その声には、冷ややかな諦念と、わずかな刺が混ざっていた。
「そんなことは承知してる。
──その上で、私は自分の意志で選んだの」
アイヴィスは手元の木杯を両手でそっと包み込み。
ぎゅっと、指先に力を込めた。
「家の期待だって、裏切って──」
アイヴィスの声が、そこで途切れた。
俯いた彼女の肩が、かすかに震えている。
「──アイヴィス?」
レントが声をかける。
だが、彼女は答えなかった。
______木杯を包む指先に、さらに力がこもる。
やがて、その隙間から一滴の雫がこぼれ落ちた。
「あー……」
エルマが、呆れたように声を漏らす。
「おいおい、またかよ」
「……今度は何が引き金になったんだ?」
レントも慣れた様子で肩を竦めた。
こいつら、情の欠片もないのか……。
そう思ったが、よく考えれば、いい加減くどいのも確かだった。
「……うるさい」
アイヴィスは顔を伏せたまま、掠れた声で返す。
そのセリフとは裏腹に、涙は次から次へと溢れていた。
「──そんなに泣くなって」
レントが苦笑しながら、懐から布を取り出した。
そして、アイヴィスの頬を伝う涙をそっと拭う。
「……」
アイヴィスの肩が、僅かに跳ねた。
「泣いてる顔も悪くねえけどよ。
せっかくの美人が台無しだぜ?」
「──っ」
アイヴィスが、涙に濡れた瞳でレントを見上げる。
その表情は、涙に塗れながらも、恍惚として──
「ふん……馴れ馴れしい」
……いなかった。
寧ろ、先ほどよりも強い嫌悪感が顔に出ている。
アイヴィス、なかなか手ごわい女だ。
「お? ちったぁ元気が出てきたか?」
レントは怖気ることなくにやりと笑い、手にした布をひらひらと振った。
……こいつはこいつで、手慣れてやがる。
「何がそんなに辛いのか、俺たちも聞かせてくれよ」
「……口説いてるつもり?」
「まさか。俺はいつだって本気だぜ」
「……余計に、たちが悪い」
アイヴィスはそう呟きながらも、今度はレントの手を払いのけなかった。
すると、エルマが呆れたように鼻を鳴らす。
「お前、相手が誰でもそれやるんだな」
「困ってる奴を放っておけねえ性分でね。俺とお前は一緒なのさ」
「はいはい」
レントの甘言を、エルマが慣れた手つきであしらう。
何事もなかったかのように、彼女は再びアイヴィスへ視線を向けた。
「……なあ、アイヴィス」
「……なに?」
「無理に話せ、とは言わねえけどよ」
エルマはそこで一度言葉を切り、少しだけ声を落とした。
「──あたしらにも、分けてくれよ。お前がそんなに悲しむ理由をさ」
いつものような軽口ではなかった。
けれど、深刻そうに構えているわけでもない。
______ただ、そこにいる相手を受け入れるような、自然な声色だった。
「……」
アイヴィスは、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと木杯を机の上へ置く。
「……私の家は」
彼女は、ぽつりと口を開いた。
「私が冒険者になることを、望んでいなかった」
その声は、まだ少し震えていた。
それでも今度は、途中で言葉を止めなかった。
「それでも私は……家を出た」
蝋燭の炎が、静かに揺れる。
俺たちは誰も口を挟まず、アイヴィスの話に耳を傾けた。
※ ※ ※ ※ ※
「……そんな男だったの」
アイヴィスは小さな声で、ぽつりと締めくくった。
かつて憧れた少年──ロッゾのこと。
輝いて見えたはずの彼が、やがて金と欲望に目を曇らせていったこと。
実家の期待を──フォーリン家を裏切ったこと。
用意されていたはずの、栄誉ある道さえ拒んでしまったこと。
そして──最後まで自分を庇って死んだ、ブルモッドのこと。
語り終えたアイヴィスは、乾きかけた目元を擦り、静かに木杯へ視線を落とす。
「……バカな女でしょ」
「さあな」
エルマが、木杯を傾けながらそっけなく返す。
「惚れた男を追いかけて家を飛び出した挙句、その男が落ちぶれて仲間も失った。
その結果、お前は帰る場所までなくしちまった……」
エルマはそこで一度言葉を切る。
「確かに、悲惨な話だ」
「……」
「だが、お前自身が選んだ道でもある。
誰かのせいにできる話じゃねえよな」
「……ええ。分かってる」
厳しい言葉だった。
それでも、アイヴィスは反論しなかった。
事実だからこそ、甘受するように静かに頷く。
「でもな」
エルマは肘をつき、アイヴィスを正面から見据えた。
「そのブルモッドって奴は、最後までお前を守って死んだんだろ?」
「……」
「なら、そいつの選択まで無駄にしてやるなよ」
「──っ」
虚をつかれたように目を見開いた。
______守られた命。
それは今、どん底の彼女にとって盲点だったのかもしれない。
俺が、俺を必要としてくれる人を求めていたように。
「……悪いけど、あなたの仲間を傷つけたことは──謝れない」
アイヴィスは息を整え、ゆっくりと顔を上げた。
その視線が、まっすぐに俺を捉える。
「……ああ」
俺は深く、頷いた。
彼女の内情を知った今、真正面からその想いを否定するつもりはなかった。
しかし、かといって──。
「でも、あの夜──あなたもまた、私と同じ気持ちで戦ってたのでしょう」
「……」
「大切なものを想う気持ちは、私もわかる。
だから、それを否定するつもりはない」
______その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥で固まっていた硬い結び目が、ふっと解けた気がした。
山奥の小屋で刃を交えた敵。
許せるわけじゃない。
奪われたものも、流した血も、消えることはない。
それでも──。
お互いに、譲れないもののために戦ったのだということだけは、痛いほど理解できた。
「俺だって、お前たちを許すことはない」
俺は呼吸を整え、アイヴィスを見つめ返す。
「でも──お前がメルトナを狙った理由も、仲間を守ろうとした気持ちも。
もう、突っぱねる気はない」
「……そう」
アイヴィスはほんの少しだけ緊張を解いたように、小さく息を吐いた。
許し合うんじゃない。でも、否定もしない。
お互いのドロドロとした感情も、抱えた罪も──そのままに生きていく。
それが、あの夜の戦いに対する、俺たちなりの決着だった。
「……で、腹は決まったか?」
俺たちのやり取りを黙って聞いていたエルマが、指をトントンと机に打ち付けた。
「許し合わねえのは大いに結構。
だがな、明日には王都でメルトナを救出しなきゃならねえ」
エルマは肘をつき、不敵な笑みを浮かべてアイヴィスを睨みつける。
「路地裏で言ったはずだぜ。
──行く宛がねえなら、うちに来いってな」
「……」
「盗賊に身を落とすのがプライドに障るなら、客分でも何でもいい。
ただし、メルトナを助け出す間だけは──あたしらに力を貸せ」
アイヴィスは視線を落とし、手元の木杯をじっと見つめた。
帰る場所はない。
かつての仲間も、思い描いた未来も、すべて失った。
だけど──失っていないものも、確かにそこにあったのだ。
______守られた、その命だけは。
「──私を、使うつもり?」
「ハッ、当たり前だろ。天才冒険者サマの力、使わねえ手はない」
エルマはニッと八重歯を覗かせ、ニヤリと笑う。
「それに──相手は、あのヴェノッサだ」
「……っ」
「奴の鼻を明かすには、お前の知恵と魔術が不可欠だ」
「ヴェノッサ……」
その名を口にした瞬間、アイヴィスは大きく身体を震わせた。
先ほどまで涙に濡れていた頬からは、一気に血の気が引いていく。
木杯を包む指先が、目に見えて白くなるほど強く握りしめられていた。
「……本気で、彼と戦うつもり?」
彼女の声は掠れ、微かに震えていた。
その声色には、恐怖だけではなく、罪悪感も含まれているように見えた。
「彼の強さは、次元が違う。あなたたちが束になって挑んだところで──」
「だから、どうした」
エルマが短く、切り捨てた。
「あたしは仲間を見捨てねえよ」
「……」
アイヴィスは言葉を失い、黙り込んだまま大きく目を見開いた。
その様子を見て、俺はハッと気づく。
______彼女がかつて追いかけ、そして絶望させられた男、ロッゾ。
金と保身のために仲間を見捨てた男とは正反対の言葉が、今、目の前の盗賊の口から放たれたのだ。
引き絞られた弓のように強張っていた彼女の全身から、すっと力が抜けていった。
「──そう。素敵な考えね」
自虐混じりの、けれどどこか憑き物が落ちたような掠れ声。
その言葉が、彼女の胸の奥深くにどれほど強く突き刺さったのか。
彼女の揺れる瞳を見れば、それは嫌でも理解できた。
「国を裏切って、あたしらに着いてこい」
真っ直ぐ突き付けられたエルマの言葉。
アイヴィスは数秒間、微動だにせずエルマを見つめ返していた。
少しの葛藤の末に。
やがて──彼女は呆れたように、小さく息を吐きだした。
「……わかった」
アイヴィスは小さく──しかし、力強くそう答えた。
やがて、彼女はゆっくりと木杯を持ち上げ、意を決したように一口含んだ。
「……悪くないね」
「へっ、だろ? 極上の盗品だからな!」
顔を顰めるアイヴィスを見て、エルマが心底愉快そうに爆笑する。
その姿を横目に、俺も意を決して酒を一口だけ含んだ。
フルーティーなミルエカの甘酸っぱさが広がった。
しかし、その直後。
喉を刺す強いアルコールの苦味が追いかけてきて、思わず顔を顰めてしまう。
……ダメだ。
やっぱり酒は、まだ好きにはなれそうにない。
「ようこそ、エルマ盗賊団へ」
レントがひらひらと手を振り、苦笑いを浮かべた。
「よろしく頼むぜ、お嬢サマ。──手加減は無しだ」
「……こちらこそ。足を引っ張らないでね、泥棒さんたち」
皮肉めいた言葉だったが、その声には先ほどまでの投げやりな気配はなかった。
______こうして。
相容れなかったはずの俺たちは、妙な形で一つにまとまった。




