第十五話「反撃の狼煙」
レントとの会話が途切れてから、俺はただ黙って床を見つめていた。
______あれから、どれくらい経ったのだろう。
牢獄内は光が一切差し込まず、外界から完全に遮断されている。
朝も、夜も訪れない。
ただ暗闇だけが続くこの場所では、時間の感覚さえもとうに失われていた。
「......」
それでも、頭の中には未だにメルトナの姿が焼き付いていた。
血に濡れた身体。
力なく崩れ落ちた姿。
もう、あの光景を考えたくなんてなかった。
それでも、意識から逸らそうとするたびに、それは逆に輪郭を増していった。
______そのときだった。
「──おい、立て」
鉄格子の外から、無機質な声が響いた。
鍵の擦れる音。
続いて、重い錠が外される。
「......」
俺はしばらく、その場から動かなかった。
「聞こえなかったか?」
その言葉に促され、ようやく重たい身体を起こす。
「着いてこい」
俯いたまま、俺は衛兵の足元を追う。
排水路での出来事が、まだ頭から離れない。
切り裂かれたメルトナ。
動揺するエルマ。
迫りくるヴェノッサ。
______ふと、レントの言葉を思い出す。
『エルマは、絶対に裏切らねえ』
力強い、芯の通った言葉だった。
しかし、あれからしばらく経っても、答えは出せなかった。
エルマを信じるべきなのか。
それとも、やはり俺たちは裏切られたのか。
______そもそも、俺はどうしたいんだ?
メルトナを助けたい。
そう思う自分がいる。
けれど、その気持ちに従った結果が、あの惨状だった。
「......っ」
考えれば考えるほど、胸の奥が重くなる。
だったら、もう何もしない方がいい。
何もしなければ、これ以上誰かを傷つけることもない。
俺が動かなければ。
俺が余計なことをしなければ。
それでいい。
______本当に、それでいいのか?
『あいつは、絶対にまたここへ来ようとする』
やっぱり、レントの言葉が引っかかる。
「......どうすれば、いいんだよ」
誰に向けるでもなく、俺は小さく呟いた。
そのときだった。
______カン。
「......?」
横から、小さな金属音が響いた。
音のした方を見る。
俺の牢から少し離れた場所。
そこに並ぶ牢の一つで、誰かが鉄格子を指で弾いていた。
______カン。
よく目を凝らすと、暗闇の向こうから、二人の人影がこちらを覗いているのが見えた。
──童話兄弟だった。
俺と目が合ったことに気づくと、グレーゼルが周囲を窺う。
衛兵がこちらを見ていないことを確認すると、彼は自分の胸元を指さした。
「......?」
______何かを、伝えようとしているのだろうか。
すると、今度はヘンデルがグレーゼルの肩を指差した。
続けて、グレーゼルの首へ、横一文字に指を走らせる。
「──っ」
背筋に、悪寒が走った。
その仕草。
それが意味するものを、嫌でも理解してしまう。
だが──。
グレーゼルが、首を横に振った。
そして、今度は両手を胸の前で握りしめる。
______生きている......?
そういうことなのか──と、俺が疑問を口にせずとも、兄弟は強く頷いた。
胸が、大きく脈打つ。
生きている。
あの傷を負ってなお、メルトナは、まだ生きている。
ヘンデルが、今度は遠くを指さした。
それから、両手を合わせるような仕草。
祈るような、あるいは何かを待つような仕草。
そして──再び、グレーゼルの首へ指を走らせた。
「......」
その一連の動作に、ふと、ある言葉が脳裏をよぎる。
______処刑。
メルトナには、多額の懸賞金がかけられている。
それだけの価値を持つ竜族を捕らえたとなれば、ただ牢に閉じ込めておくとは思えない。
ましてや、竜族は人間にとって恐怖の象徴だった。
なら。
捕らえたことを、国民に知らせる。
竜族を討ち取ったと知らしめる。
そうすれば、人々は安心するだろう。
......見せしめ。
どこか、遠く。
大勢の人間が見ている場所へ連れていき、そこで処刑する。
「......」
兄弟を見つめる。
二人は何も言わず、頷くこともない。
だが、じっとこちらを見つめていた。
その目が、何よりも雄弁に答えを告げていた。
「──おい!」
そのとき、衛兵の怒号が飛んできた。
俺は思わず身体をびくりと震わせる。
「何をボーっと突っ立っている。行くぞ」
腕を掴まれた。
俺は引きずられるようにして歩き出す。
──メルトナは、生きている。
その事実だけが頭の中を何度も駆け巡った。
胸の奥に何かが灯った。
小さくて──けれど、先ほどまでの俺にはなかったもの。
自分がどうなろうと、もうどうでもいい。
さっきまで、そう思っていたはずなのに。
もう、俺の中に迷いはなかった。
______彼女を、助けなければ。
※ ※ ※ ※ ※
しばらくして、俺は再び牢屋へと戻された。
尋問といっても、大したことを聞かれたわけじゃない。
どこから来たのか。
誰と一緒にいたのか。
ロミエットへ来た目的は何なのか。
そして──竜族の女と、どういう関係なのか。
聞かれたことは、そんなところだった。
余計なことは話さず、問われた内容にだけ正直に答えた。
出身に関しては、混乱を招きかねないため誤魔化して伝えたが──それも特に咎められなかった。
「......」
鉄格子の向こうを眺める。
相変わらず、薄暗い。
湿った石壁。
冷たい床。
鼻につく、淀んだ空気。
さっきまでと何も変わっていない。
なのに──俺の中だけが、明らかに変わっていた。
メルトナは、生きている。
そして、どこかへ連れていかれようとしている。
処刑するために。
「......」
拳を握る。
______助けなければ。
その想いだけが、頭から離れなかった。
だが──
「......どうやって」
呟いた声が、牢獄の中へ虚しく消える。
俺は鉄格子へ近づき、一本の鉄棒に手を掛けた。
当然、びくともしない。
ならば、どうするか。
「......」
俺は自分の掌を見つめた。
──『ヴォル』。
小さな火を起こすだけの魔術だ。この程度では何も変えられない。
しかし残念なことに、俺が会得しているのはそれだけ。
でも、あの魔術なら。
目の前の、堅牢な鉄格子すら破壊できるかもしれない。
______呼吸を整える。
成功する保証はない。できないかもしれない。
だが、今はやってみるしかない。
想像するのは、巨大な火球。
小さな太陽──とまでは至らない。
それでも、小屋一つを燃やし尽くすほどの炎。
目を閉じて、身体の奥へと意識を向ける。
あのときの感覚を思い出せ。
自分の身体の奥底で、静かに渦巻いている何かを。
その何かへ手を伸ばすように──引き寄せろ。
「──っ」
身体の奥から、僅かな熱が這い上がってきた。
これだ。
『ヴォル』を使ったときにも感じたもの。
これを、右の掌へと寄せ集める。
集められた熱が、その温度を増していく。
だが、まだ足りない。
あのとき以上だ。もっと引き寄せろ。
俺はさらに意識を深める。
身体の奥底から、力を引きずり出す。
掌が、焼けるように熱くなる。
ぬるま湯ではない。沸騰した熱水に浸しているようだ。
______いける。
できる。
俺は、そう確信した。
「──‘’ヴォルトナ‘’」
その名を口にした、次の瞬間。
意識が強く引っ張られ、宿った熱が急速に失われていく。
掌の先には、巨大な炎が揺らめいて──。
______ふっ。
何事もなかったかのように、消えた。
「......」
残ったのは、冷たい掌だけだった。
俺は、しばらくその手を見つめていた。
「やっぱり」
胸の奥が、重く沈んでいく。
できると、思った。
でも──。
「俺には......」
「──無駄だ」
唐突に、背後から声がした。
「......え?」
振り返る。
そこには、牢の壁に背を預けたまま、こちらを見つめるレントの姿があった。
「ここじゃ、魔術は使えねえんだ」
「──使えない?」
「ああ」
レントは顎で、牢獄の壁を指し示す。
「牢獄全体に、特殊な対魔構造が施された『オルテミス』が張られてる」
そして、少し呆れたように笑う。
「今のが、その証拠だ」
どこか聞き覚えのある呪文だった。
確か、メルトナが何度か使っていた結界魔術に似ている。
名前からして、恐らくその上位互換といったところか。
それに、対魔構造......。
「じゃあ、魔術は全部、使ったところで効力を失うってことか?」
「そういうことだ」
そう言うと、レントは両手をひらひらと上げた。
「武器も全部、取り上げられる。おまけに魔術も使えねえ」
そして、皮肉げに笑った。
「つまり、囚人には抗う手段なんざ残されてねえってことだ」
「......」
出られない。
その事実に、胸の奥が冷たくなった。
メルトナを助けたい。
そう思ったところで、俺にはここから脱出することすらできないのか。
「──こっから出る方法がねえわけじゃない」
「......あるのか?」
「ああ」
レントは牢獄の天井を見上げる。
「この『オルテミス』は、無条件に張られているわけじゃねえ」
「......維持してる仕組みがあるってことか?」
「そうだ。それが、‘’魔晶石‘’だ」
その言葉に、俺は目を見開いた。
魔晶石か。恐らくは魔力を宿した石のことだろう。
「牢獄のどこかに設置された魔晶石が、『オルテミス』の術式に魔力を流し込み続けてるんだ」
なるほど。それが乾電池のような役割を果たしているのか。
「だから、それを壊せばいい」
「......ちょっと待て」
壊すと口にするのは簡単だ。
だが、俺たちは牢屋に閉じ込められていて、牢獄内を自由に動くことができない。
それに、武器も持っていない。
不可能も同然だ。
「無理だろ、俺たちじゃ」
「そうだ。俺たちにはな。
──だから、待ってるんだ」
「──っ」
だから、外部からの干渉を待つしかない。
そのことは、言わずとも理解できた。
だが──。
「俺は、エルマから魔晶石の話は聞いてないぞ」
「そりゃ、必要なかったからさ」
「......あ?」
「牢獄内で魔術が使えなくなるのは、俺たち囚人だけだ」
「......そんな選定ができるのか?」
「元になってるのが上位魔術だからな。効果対象を絞るくらいはできるんだろう。
──それに、そうでもねえと衛兵まで魔術が扱えなくなるだろ?」
言われてみれば、その通りだ。
もし牢獄にいる人間すべての魔術を封じるのであれば、ここを守る衛兵たちまで魔術を扱えなくなる。
牢獄を守る側にとって、それはあまりにも大きな欠陥だ。
「あと、ヘンデル達は武器を担いできてただろ?
なら、わざわざ魔晶石を壊すなんてリスクを冒す必要ねえ」
「......そりゃ確かに」
正論にぐうの音もでない。
エルマが何も言わなかったのも、単純に必要がなかったからなのかもしれない。
______だが。
その考えを素直に受け入れることはできない。
俺にはまだ、エルマへの疑念が残っていた。
「ちなみに、ヘンデル達はどうなってんだ?」
俺が不貞腐れる前に、レントが疑問を口にした。
「途中で気を失ってたから、詳しいことはわからない。
──ただ、童話兄弟なら別の牢屋にいた」
「どう......?」
しまった。
いつもの癖で、つい口にしてしまった。
「すまん、深い意味はない。ヘンデルとグレーゼルのことだ」
「......そうか。まあいい。
──いや、よくねえけど」
その通りで、状況は最悪だ。
セルフ突っ込みを挟みつつ、レントは続けた。
「じゃあ、アッシュは?」
「......分からない。捕まってるかもしれない」
「......そうか」
レントの表情が僅かに強張る。
アッシュ。
あの男が、今どこで何をしているのか。
俺にも、それを知る術はなかった。
「──今更だけど、エルマが捕まってる可能性だってあるくないか?」
「ん? ああ、それなら心配いらねえ」
レントは、まるで当然のことを聞かれたかのように答えた。
「あいつは捕まらない」
「お前のその、絶大な信頼はどこから来てんだよ......」
「へっ、『盗賊舐めんな』っちゅうわけよ」
自信満々に言い切るレントを見て、俺は思わず眉をひそめた。
こいつらは本当に、似たようなことばかり喋るな......。
「まあ、とにかくエルマは絶対ここへ来る。
あいつが魔晶石を破壊したとき。それが反撃の狼煙だ」
「......」
俺はすぐには答えられなかった。
エルマが来る。
レントはそう信じて疑ってない。
だが──俺にはまだ分からなかった。
あいつが本当に俺たちを助けに来るのか。
疑念は消えない。
それでも、メルトナを助けるには、エルマを信じるしかない。
※ ※ ※ ※ ※
それから、どれほど時間が経っただろう。
牢獄には、相変わらず重苦しい静寂が漂っていた。
俺は石壁に背を預けたまま、何をするでもなく時間をつぶしていた。
レントも、しばらく口を開かなかった。
ただ、時折聞こえてくる足音だけが、この場所に時間が流れていることを教えてくれた。
______そんなときだった。
「......?」
暗闇の向こうから、微かな声が聞こえた。
最初は、何を言っているのかわからなかった。
だが、次の瞬間。
「──侵入者だ!」
牢獄中に響き渡るような怒号が轟いた。
続けざまに、いくつもの足音が響き始める。
慌ただしく駆け回る音。
怒鳴り声。
何かがぶつかるような、激しい物音。
静寂に包まれていた牢獄が、一瞬にして騒然とした。
「......」
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
隣を見る。
レントは、口元を吊り上げていた。
「......来たな」
その言葉を聞いた瞬間。
「......あ」
ふと、妙な違和感を覚えた。
何かがおかしい。
うまく言葉にはできない。
だが、まるで耳に詰まっていたものが突然抜けたような。
あるいは──今まで自分を縛り付けていた何かが、消えたような。
「いや──そういうことか」
少しして、俺は理解した。
『オルテミス』の効力が、失われたのだ。
______気づけば俺は、掌を鉄格子の向こうへと掲げていた。
「──‘’ヴォルトナ‘’」
瞬間。
掌から、凄まじい熱量が迸った。
______ゴォォン!!
刹那に訪れたのは、轟音。
炎が鉄格子を呑みこみ、赤熱した鉄が大きく歪む。
やがて。
______ガァンッ!
鉄格子が、根元から弾け飛んだ。
......俺にも、できた。成功だ。
「......行くぞ」
レントが、微かに笑いそう呟く。
「ああ」
俺たちは、燃え残る鉄格子の向こうを見据えた。
──反撃の狼煙が、上がった。




