第十四話「絶望と、邂逅と」
やや精神的にキツい回となっていますので、閲覧の際はご注意ください。
苦手な方は前半を読み飛ばして頂いて結構です。
______暗い。
視界も、意識も、深い闇の底にあった。
身体の感覚が、どこか遠い。
ただ、頭の奥だけが千切れるような鈍痛を訴えてきた。
ゆっくりと、瞼を開く。
「……」
視界に飛び込んできたのは、薄暗い石の天井だった。
背中に伝わる硬い感触に耐えかね、俺は身を捻るようにして身体を起こした。
視線を巡らせる。
「ここは……?」
重厚な鉄格子。
その向こうには、同じような牢が闇の奥まで整然と並んでいた。
______牢獄。
その事実を認識した途端。
途切れていた記憶が、一気に流れ込んできた。
暗い水路。
闇の向こうに立つ、白髪の老剣士。
ガラスのように砕け散った結界。
そして──。
「メルトナ……」
深々と刻まれた胸元の傷。
鮮血に染まった彼女の姿。
その後の記憶はない。
彼女は生きているのか。それとも──。
「──っ」
胸が押し潰されそうなほど、強く締め付けられる。
あの惨劇の光景が、脳裏で幾度となく反芻された。
なぜ。
どうして。
______そんな疑問より先に、ひとつの考えが浮かんだ。
「……俺が」
拳を握る。
「俺が、連れてきたんだ」
ロミエットへ行くと決めたのは、自分だった。
エルマを信用すると決めたのも、自分。
彼女らの作戦に乗ると決めたのも、自分。
______そしてなにより、メルトナをここまで連れてきたのも。
「……全部、俺が選んだんだ」
全て──俺のせいだ。
「クソッ!!」
握りしめた拳を、躊躇なく壁へと叩き込んだ。
______ゴンッ。
分厚い石積みが揺らぐことはなく、返ってきたのは鈍い痛みだけ。
「クソッ──!!」
再び拳を硬く握りしめ、煮えたぎるような怒りと共に壁へぶつけた。
______ゴンッ。
指の間から血が滴る。
勢いのあまり骨が軋み、掌には爪が食い込んだ。
「──俺の、せいだ……」
でも、今はもう痛みなんてどうでもよかった。
三発目。
拳を振り上げる。
だが──。
「……」
今度は、力が入らなかった。
それでも、拳を壁へ押し当てる。
______コツン。
先ほどまでとは比べ物にならないほど、小さくて弱弱しい音だった。
「……俺が」
額を壁に押し当てる。
「俺が……余計なことを、したから……」
ふと、脳裏にあの老人の姿が浮かぶ。
『密告があったのだよ』
密告。
そうだ。
俺たちの作戦も。
そこにメルトナが紛れていることも。
全部、知られていた。
そして、その直後。
エルマは何かを言おうとしていた。
『……ち、違う。あたしは──』
あの言葉の続きは、聞けなかった。
「……」
胸の奥に、黒い感情が芽生えるのを感じた。
______何が。
何が、『仲間は金じゃ買えねえ』だ。
メルトナには、多額の懸賞金がかけられていたと聞いた。
「ハッ……」
乾いた笑いが漏れる。
結局、金が一番なんじゃねえか。
『薄汚い盗賊』。
ヴェノッサの発言は、敵ながらまさしくその通りだ。
「……信じたのに」
声が、震える。
「俺たちは……お前を信じたのに」
頭の奥が沸騰しそうなほどの怒りが、ぐつぐつと湧いてくる。
俺たちを騙した。
メルトナを傷つけた。
仲間を売った。
「……あいつのせいだ」
吐き捨てる。
「あいつの──」
痛みの残る掌を握りしめる。
腹の底から、無尽蔵に怒りが込み上げてきた。
「……」
______けれど。
その怒りは、すぐに自分自身へと向きを変えた。
信じたのは、俺だ。
選んだのは、俺だ。
なんで、人のせいにしてやがる。
メルトナをここに連れてきたのも、俺だろう。
「──ぁ」
形にできない声が漏れる。
どれだけエルマを憎んでも。
どれだけ裏切りを恨んでも。
全ては、俺がこの街を訪れたせいだ。
______そう思った瞬間。
胸の奥にあった怒りが、音を立てて崩れ落ちた。
残ったのは──自分自身への嫌悪だけ。
「……俺なんかが」
ぽつり。
「……俺なんかが、生きようとしたから」
メルトナは──。
自身への嫌悪に、身体中が震える。
「あのとき、死んでしまえば……」
顔を上げる。
そして。
「俺なんか……死んで……しまえば……」
そのまま、石壁へ叩きつけた。
______ゴンッッ!!
「ヴッ──!」
鈍い衝撃が、頭蓋を揺らす。
視界が一瞬、白くはじけた。
それでも。
「……っ」
ふらつきながら、もう一度顔を上げる。
今度はもっと高く。
そして、強く。
頭を──
「──おい!!」
突然、背後から怒号が飛んできた。
牢獄全体が揺れるほどの怒鳴り声。
「──あ?」
振り返る。
「何してやがる。さっきから、見てらんねえ」
いつからそこに──と考えたが、俺が気づいていなかっただけだろう。
そいつは、同じ牢屋の隅に座り込んでいた。
銀髪の髪。
碧い瞳。
その男は、険しい表情のままこちらを見つめていた。
※ ※ ※ ※ ※
どこか、聞き覚えのある特徴の男だった。
昨日の夜、エルマから聞かされた話を思い出す。
「──お前」
俺は目の前の男を見つめた。
「ん?」
「レント、か?」
「なっ──」
男の眉が跳ね上がった。
「なんで、俺の名前を知ってやがる……?」
レントは訝しげな表情を浮かべた。
まあ、無理もないだろう。
「……」
弁明の言葉を探す。
記憶の底から、エルマとの会話を掘り起こす。
______確か、こうだった。
『あいつなら、あたしの名前を出せば察してくれる』
「……エルマから、聞いたんだ」
「ん?──ああ、そういうことか」
レントは一瞬だけ目を丸くしたあと、頷いて納得を示す。
「……本当に分かったのか?」
「ああ」
レントは何でもないことのように答える。
「大方、俺を助けようとして捕まった感じだろ。
で、お前はエルマにスカウトされた助っ人。そうだろ?」
「……」
俺は思わず、目の前の男をまじまじと見つめた。
察しが良すぎる。
「なんだ、お前……気色悪いな」
「お前が言うな!!」
レントが即座に怒鳴り返す。
「初対面の頭のおかしい奴に、名前知られてる方が気色悪いだろ!」
「……」
そう言われると、何も言い返せない。
「いや、でも──」
「でもじゃねえよ!」
「……悪かった」
「ったく……」
レントは呆れたように溜息をこぼした。
「詳しい事情まではわかんねえけどよ、流石にアレは見過ごせねえ。
──二度と、やるんじゃねえぞ」
「……すまん」
それきり、俺たちの間に沈黙が落ちた。
何を言えばいいのか分からない。
レントも、それ以上は何も言わなかった。
ただ、湿った牢獄の空気だけが静かに流れていく。
「……まあ」
しばらくして、見かねたレントが口を開いた。
「何があったのかくらい、聞いてやんよ」
そう言って、レントは壁へ背を預けた。
俺は少しだけ迷った。
だが──今は、誰かに話したかったのかもしれない。
______俺は、これまでの事情を全て明かした。
竜族──メルトナと共にこの街へ逃げ込んだこと。
エルマに匿われ、彼女たちの仲間と行動を共にしたこと。
そして、メルトナに多額の懸賞金がかけられたこと。
最後に──エルマに、裏切られたこと。
「……なるほどな」
レントは俺の話を、終始黙って聞いてくれた。
「竜族の生き残りか……」
やがて、レントが呟く。
「確認だが、『竜王』じゃねえんだよな?」
「──『竜王』?」
唐突に出てきたその名に、俺は思わず聞き返す。
「知らねえのか? つくづく変な奴だな……」
レントは呆れたように眉をひそめた。
______竜王。
その言葉を頭の中で噛み締める。
ふと、脳裏にあの老人の姿が浮かんだ。
『久しいな、竜王の娘よ』
そういえば、ヴェノッサは初めそんなことを言っていた。
まるで、メルトナのことを知っているような口ぶりで。
「それはそれは、強いお方さ」
レントが、どこか遠くを見るように言った。
「世界で六番目にな」
「世界で……六番目?」
随分と具体的だな。……世界ランキングみたいなシステムでもあるのか?
「世界で最も強え十人──『天下十傑』の第六位さ」
「……」
それを聞いて、ふと疑問が浮かんだ。
竜王というのが、そこまでの存在なら。
メルトナは、その同族ではないのか。
しかも、娘というのが事実なら、なおさら──
「──そんな強いなら、今頃どこで何してるんだよ……」
「さあな。俺だって居場所までは知らねえよ」
レントは肩を竦める。
「ただな」
その声音が、少しだけ低くなった。
「そんなお強い竜王サマは、若かりし頃のヴェノッサに撃退されたんだ」
「……!」
思わず息を呑んだ。
「ツェルニア国民なら、誰でも知ってるおとぎ話だぜ」
ヴェノッサ。
あの、老人が。
かつては、世界で六番目に強いという竜王と戦い──そして、撃退した。
「だから、英雄って言われてんだよ」
「……」
英雄。
その言葉が、妙に重く響いた。
あの男が英雄と呼ばれる理由を、俺は今になって初めて知った。
______背筋を、冷たいものが走る。
全盛期ではないのかもしれない。
それでも、そんな凄まじい存在が敵側に立っていることには絶望しかなかった。
「まあ、一緒にいたのが本当に『竜王』だってんなら、今頃老いたヴェノッサは殺されてるか」
レントが冗談めかして言う。
「──ってことは、本当に生き残りがいたんだな」
「……ああ」
俺は小さく頷いた。
「信じ難い話だけどな」
レントはそう言って、しばらく俺の顔を見つめていた。
「だが──」
やがて、僅かに目を細める。
「お前のその顔を見る限り、嘘をついているようには見えねえ」
「……」
「本当なんだろ?」
その言葉に、俺は黙ってうなずいた。
「ただな──」
レントが、ふと声を落とした。
「一つだけ、確実に間違っていることがある」
「……え?」
思わず声を上げる。
だが、レントの表情は真剣だった。
「エルマは、絶対に裏切らねえ」
「──っ」
胸の奥が、ざわついた。
「──何を、根拠に」
思わず声が強くなる。
「俺は、この目で見たんだぞ」
あの水路。
ヴェノッサの言葉。
そして、エルマの動揺。
「俺たちの作戦は全部筒抜けだった。
竜族が紛れてるってことも知られてたんだぞ」
「待て待て、落ち着けよ。
だからって、エルマが裏切ったとは限らねえだろ」
「……あいつは言ったんだよ。『仲間は金じゃ買えねえ』って」
その言葉が、俺の中で妙に引っかかっていた。
「騙されたんだよ、俺たちは」
「……」
______どん底の状況の今。
どうにもそれは、俺たちを陥れるための誘い文句だとしか思えなくなっていた。
「……お前」
やがて、レントが口を開く。
「エルマに、裏切られたってことにしたがってねえか?」
「──っ」
心臓を掴まれたような感覚がした。
「な、何言って──」
「お前、本当にあいつが裏切ったと思ってんのか?」
「……」
言葉が出てこない。
「それとも、そう思った方が楽なのか?」
「……違う」
反射的に否定する。
「違う。俺は、ただ──」
けれど、その先が続かなかった。
……レントは、それ以上追求しなかった。
「……まあいい」
小さく息を吐く。
「ただ、ひとつだけ覚えとけ」
その声は、妙に静かだった。
「エルマは、仲間を金で売るような奴じゃねえ」
「……」
「俺は、それだけは断言できる」
レントは碧い瞳で、真っ直ぐに俺を捉えていた。
「だから──」
僅かに間をおいて。
「あいつは、絶対にまたここへ来ようとする」
「……ここへ?」
「ああ」
レントは頷いた。
「俺たちを助けるためにな」
「……」
「そのうちわかるさ」
その言葉に、俺は何も言い返せなかった。
ただ──胸の奥に、ほんの僅かな迷いが生まれていた。




