第十一話「不安の中で芽生えた友情」
______眩しい。
閉じた瞼の向こうから差し込む光に、俺はゆっくりと意識を引き戻された。
「......ん」
重たい瞼を持ち上げる。
見慣れない天井。
粗末な木造の部屋。
そして、隣には──。
「......メルトナ?」
彼女は、すでに起きていた。
ベッドの脇に立ち、長い髪を整えながら身支度をしている。
「あ、おはようございます。チハルくん」
「おはよう」
俺は寝ぼけたまま、窓へ視線を向ける。
差し込む陽光は、朝とは思えないほど高い位置にあり、その輝きを増していた。
「......今、何時だ?」
ボソッと、そう呟く。
部屋に時計なんてものはない。
それでも、あの天高く上る光を見れば、今が朝ではないことくらいは分かった。
______どうやら、相当深く眠っていたらしい。
昨日は一日中歩き回ったうえ、襲撃に巻き込まれ、街へ逃げ込んでからも衛兵に追われ続けた。
それだけの疲労が、長い眠りでようやく身体から抜けていったのだろう。
メルトナは髪を整え終えると、傍らに置いていた外套へ手を伸ばした。
と、そのとき。
「──おーい。起きてるか?」
扉の向こうから、聞き覚えのある声が響いた。
「......エルマさんでしょうか」
「ああ、たぶ──」
俺が答えようとするよりも前に。
メルトナが反射的に外套を掴み、頭からすっぽりとフードを被った。
「おーい」
コンコンと、今度は扉を叩く音も加わった。
「......」
メルトナはフードの縁をそっと引き下げ、角と耳、そして目元が隠れていることを確かめるように整えた。
「メルトナ、大丈夫か?」
「──はい。大丈夫ですよ」
だが、そう答える声はいつもより少しだけ硬かった。
俺はそんな彼女を気にかけながらも、ドアノブに触れた。
「ったく、さっさと起きろ──って、なんだ。もう起きてんじゃん」
扉を開くなり、エルマが呆れたような声を上げた。
「おはようございます。エルマさん」
「おう、おはよ。よく寝てたみてえだな」
「ああ。おかげでかなり楽になったよ」
俺がそう答えると、エルマは満足げに頷いた。
「そりゃよかった」
そう言いながら、彼女の視線はメルトナの方へ向いた。
______より正確には、深く被られたフードの奥へ。
「──昨日からずっとそれ被ってたのは、そういうことだったんだな」
「なっ......」
メルトナの身体が、僅かに強張った。
俺も思わず息を呑む。
______どうして、分かった?
昨日からメルトナがフードを被っていたのは確かだ。
だが、それだけで彼女が何かを隠していると察するのは難しいだろう。
そもそも、俺たちはその理由をエルマに話してなんかいない。
メルトナも同じ疑問を抱いているのか、フードの奥から警戒の視線をエルマへ向けていた。
「......どうして、それを」
「まあ、ちょっと事情があってな」
エルマは軽く肩を竦める。
「事情......?」
その瞬間だった。
メルトナの手が、僅かに動いた。
外套の下へ差し込まれた手。
その動きには、明らかな警戒が滲んでいる。
「メルトナ──?」
俺が声をかけるより早く、エルマが両手をひらひらと振った。
「ま、待て待て! 別にあんたらをどうこうしようって話じゃねえよ!」
「......」
「むしろ、こっちも色々と面倒なことになってんだ」
メルトナは手を下ろさない。
その瞳には、未だに鋭い光が宿っている。
「......ならば、なぜ」
「だから、事情があるんだって」
エルマは困ったように頭を掻いた。
「今朝、街で妙な騒ぎがあってな」
「騒ぎ?」
「ああ。そんで今、衛兵が街中を見回ってんだよ」
エルマの表情から、いつもの軽薄な笑みが消える。
「どうやら昨日の夜、街へ侵入した二人組について、衛兵から報告が上がったらしい」
俺の胸が、嫌な予感にざわついた。
「二人組って......俺たちのことか?」
「そういうこと」
「......」
「まあ、ただの侵入者なら、衛兵どもがこんなにウジャウジャ湧くことはねえんだよ。
だが──」
エルマは再び、メルトナの方へ視線を向ける。
「とある男が、その侵入者をエルド山脈から逃げてきた‘’竜族‘’じゃねえか、って考えてるらしいんだ」
______竜族。
昨日から何度か耳にした言葉だ。
だが、エルマの口から出たその一言には、妙な重みがあった。
まるで、ただの種族名を口にしただけではないような──そんな感覚。
______しかしそれ以上に俺が気になるのは、エルマのいうとある男という人物。
一体、誰のことだ?
真っ先に浮かんでくるのは、昨日襲ってきた連中だ。
あの剣を持った細身の男──ロッゾか。
それとも、あの大男だろうか。
──あるいは、俺たちの知らない別の誰かがいるのか。
「その、とある男って?」
「......」
エルマは少し言い淀んだあと、意を決したかのように口を開く。
「──ツェルニア最強の英雄、ヴェノッサだ」
その名が紡がれた瞬間。
「──っ」
隣から、小さく息を呑む音が聞こえた。
「......メルトナ?」
振り向く。
そこには、先ほどまでとは明らかに違うメルトナの姿があった。
顔から血の気が引いている。
フードの奥から覗く瞳は大きく見開かれ、その身体は微かに震えていた。
「どうしたんだ?」
「......」
彼女は何も答えなかった。
ただ、何か恐ろしいものの名を聞かされたかのように、怯えた表情で俯いている。
「なんでか分かんねえが、そいつは今この街にいる」
──ヴェノッサ。
俺にとっては聞いたこともない名前だった。
だが、最強の英雄という称号に、二人のこの反応──只者ではないことは確かだ。
「──てなわけで、まあ......大体察しはついたんだよ」
メルトナは変わらず何も答えなかった。
彼女はただ、フードの奥からエルマを見つめている。
その瞳には、恐怖や警戒、そして僅かな戸惑いの色が入り混じっていた。
竜族であることを知られた。
それが、彼女にとってどれほどの意味をもつのか──俺にはまだわからない。
「特に姉ちゃんに関しては、街に手配書が出回ってる。
──多額の懸賞金までかけられてるらしいぜ」
「懸賞金......」
思わず呟く。
強行突破ではあったものの、衛兵を殺したわけでもなく、ただ街へ入っただけだというのに。
それが、竜族だというだけでここまでの騒ぎになるのか。
俺が言葉を失っていると、エルマはメルトナへ向き直った。
「──けどな」
その声色は、昨日と変わりないものだった。
「だからって、あたしらが姉ちゃんを捕まえて引き渡す理由にはならねえんだよ」
「え......?」
「昨日も言っただろ」
エルマはニっと笑う。
「『仲間は金じゃ買えねえ』ってさ」
「......」
メルトナは口を開こうとする素振りを見せなかった。
彼女はただ、信じられないものを見るように、エルマを見つめている。
しかし、警戒が薄れたのは確かなようで、硬い姿勢が少しだけ緩む。
「安心しろ、誰にも言わねえ」
メルトナはしばらく俯いたままだった。
だが、やがて肩の力を抜き、ほっと一息つく。
「......ありがとうございます」
「ああ。気にすんな」
エルマはそう言うと、ふと思い出したようにメルトナを眺めた。
「......なぁ」
「はい?」
「そのフード、取ってくれねえか?」
「え──?」
「いや、ほら。昨日からずっと顔を隠してんだろ?
一応、ちゃんと顔くらい見ておきてえんだよ」
「......」
メルトナは戸惑いながらも、フードの縁へ手をかけ、恐る恐る後ろへ下ろした。
隠されていた金色の長髪が、肩へさらりと落ちる。
頭から伸びる二本の角。
細長く尖った耳。
そして、縦に裂けた瞳孔を持つ紅い瞳。
そのすべてが、露わになった。
「──お、おぉ......」
エルマの口から、間の抜けた声が漏れた。
次の瞬間。
「ひぃっ......」
彼女は後ずさり、そのまま尻餅をついた。
______こいつですら、この反応か。
それだけ竜族という存在は人間に恐れられているのか。
「──エルマさん?」
「す、すまん。大丈夫だ」
慌てて立ち上がる。
そして、再びメルトナをじっと見つめる。
「......まあ」
少しだけ引きつった笑みを浮かべた。
「まだちょっとおっかねえけどよ」
そう言って、エルマは右手を差し出す。
「そのうち慣れるだろ」
「......」
メルトナは差し出された手をじっと見つめる。
「ほら」
彼女は促されるまま、恐る恐るその手を握った。
「これからよろしくな」
「......はい」
メルトナの表情が、ほんの僅かに和らいだ。
そんな二人の様子を眺めながら、俺は何とも言えない気持ちになっていた。
「──そういやさ」
エルマがふと、俺たちを交互に見る。
「まだ、名前聞いてなかったな」
「......あ」
そういえば、昨日は聞くだけ聞いて、こちらは名乗っていなかった。
「俺は、チハル・スズミヤ。チハルでいいよ」
「私はメルトナと申します」
「チハルにメルトナ、か」
エルマは俺たち二人の名前を口の中で転がすように呟く。
「よし──改めてよろしくな。歓迎するぜ、チハル、メルトナ」
「ああ」
「はい」
ひと悶着あったが、こうして俺たちはその仲を深めることができた──と、次の瞬間。
「ぐぅぅぅ......」
「──え?」
妙に大きな音が、部屋の中に響き渡った。
「「............」」
俺とエルマの視線が、同時にメルトナへと向く。
彼女は赤面しながら、気まずそうに俯いていた。
「す、すみません......」
「わはははっ! なんだよ、竜族だってのに可愛い反応すんじゃねえか!」
「わ、我々は、人間やエルフと比べて代謝が高いんです......」
エルマは腹を抱えて豪快に笑った。
恥じらうメルトナは俺も初めて見たよ。可愛い。
「まあまあ、しばらくまともに食ってねえんだろ? そりゃ腹も減るさ」
「......はい」
あれだけ動き回っていたのだから、腹が減るのも当然だ。
気づけば俺も、胃の奥が締め付けられるような空腹を覚えていた。
「よっしゃ、決まりだ!」
エルマはパンと手を叩いた。
「歓迎会も兼ねて、昼飯にするぞ!」
「歓迎会って......俺たちは別に、盗賊になるわけじゃないぞ」
「細けえことは気にすんなって。仲間には変わりないだろ?」
まあ、成り行きとはいえ一応、協力関係ではある。
それに、こいつが仲間と呼んでくれるのも、悪い気はしない。
「飯くらい、腹いっぱい食わせてやるよ」
「......ありがとうございます」
メルトナが小さく頭を下げる。
エルマに急かされるまま、俺たちは部屋を出た。
廊下の先からは、すぐに何人かの話し声が聞こえてくる。
______こうして俺たちは、エルマたち盗賊団の仲間たちと、初めて食卓を囲むことになった。
※ ※ ※ ※ ※
昼食の用意が済むと、俺たちはエルマ盗賊団の面々と共に食卓を囲んでいた。
大きな机を囲むのは、俺を含めて、全部で六人。
「改めて紹介するぜ。こいつがアッシュだ」
「おう!よろしくな!」
アッシュというその男は、日光をたっぷり浴びた褐色肌で、俺より一回り以上大きかった。
太い腕に盛り上がった肩。服の上からでも分かるほど、全身が鍛え上げられている。
あと、ハゲてた。
「こっちはヘンデル」
「よろしくね」
赤い髪をした細身の男が、軽く手を上げる。
細身とはいえ、その身体には無駄のない筋肉がついていた。
腰には一本の剣が差してある。
「で、こいつがグレーゼル。ヘンデルの弟な」
「──よろしく、お願いします」
兄と同じく剣を携えた、青髪の男。
兄弟というだけあって見た目こそ似ているが、兄よりもどこか奥手な雰囲気がある。
......しかし、ヘンデルとグレーゼルか。
二人揃うと、ややもどかしさの残る名前だな。
童話兄弟とでも呼んでやろう。
「......で、そっちの姉ちゃんが、例の?」
はじめに、筋肉ダルマのアッシュが興味深そうに身を乗り出す。
「ああ、メルトナだ。──いい奴だぜ」
「へえ......」
アッシュはしばらくメルトナの顔を眺めると、やがて豪快に笑った。
「はは!! 随分なべっぴんさんだな!!」
そう言ってから、ちらりとエルマへ視線を向ける。
「エルマが認めたんなら、俺も文句はねえよ。
──お前たち、歓迎するぜ」
「ああ」
「ふふ......ありがとうございます」
メルトナが少し照れたように微笑む。
「正直、俺も竜族ってのはもっと恐ろしい奴らだと思ってたんだがな。
実際に喋ってみりゃあ、案外普通の人間と変わらねえじゃねえか」
アッシュの言葉に、メルトナの表情が僅かに和らぐ。
「まあ、僕たちだって同じようなものだろう」
隣で赤髪の男──ヘンデルが苦笑した。
「見た目だけで判断するなって、エルマに散々怒られてきたからね」
「おいヘンデル! 余計なこと言うんじゃねえぞ!」
エルマが眉をひそめ、プンプンと怒った。
相変わらず見た目のせいで迫力に欠ける。
「はは、ごめんごめん」
ヘンデルは笑いながらメルトナへと向き直った。
「改めて、僕はヘンデル。二人とも、よろしくね」
「ああ、よろしく」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
俺たちは互いに軽く頭を下げ合った。
アッシュにヘンデル。エルマの采配のおかげか、二人ともメルトナとの感触は悪くない。
そう考えると、あいつが頭というのも納得が──いくような、いかないような。
______その一方で、青髪の男──グレーゼルは、どこか釈然としない様子で黙り込んでいた。
「......」
「グレーゼル?」
エルマに呼ばれ、彼はようやく顔を上げる。
「はは、わりぃな二人とも。グレーゼルはちっと臆病なんだよ」
「ああ......うん」
エルマの言葉を気にも留めない様子で、グレーゼルはしばらくメルトナをじっと見つめていた。
彼の表情には、ヘンデルやアッシュほどの気安さはなかった。
「......竜族が、街にいるなんてね」
「まあまあ、グレーゼルの気持ちもわかるよ。
──でも、彼女はこうして丁寧に接してくれている」
見かねたヘンデルが、兄らしくグレーゼルをなだめた。
「ならば、こちらも相応の態度を示そうじゃないか」
「兄さんが、そういうなら......」
そうは言いつつも、グレーゼルは少しだけ目を伏せ、それ以上は何も言わなかった。
「よし、話はまとまったな!」
再びエルマがパンと手を叩き、しんみりとしていた雰囲気を仕切り直した。
──こいつのカリスマ性だけは認めざるを得ない。
「せっかくの飯が冷めちまうだろ、食うぞ!」
「そうだな!」
アッシュが豪快に笑い、机の中央に置かれた豪勢な料理へ手を伸ばした。
俺たちもそれに続き、しばらくは他愛もない話をしながら食事を続けるのだった。
______ひと通り腹が満たされたところで、エルマがふと真剣な顔を見せた。
「──さて」
彼女は机の上へ肘をつく。
「そろそろ本題に入るぞ」
その言葉に、アッシュたちの表情も引き締まった。
「レントの救出作戦だ」
「……今夜、やるのか?」
俺が尋ねる。
「ああ」
エルマは迷いなく頷いた。
「むしろ、今夜しかねえ」
「でも、昨日より衛兵の見回りが増えてるんだろ?」
「だからこそだ」
エルマは街の外へ通じる方角を見やるように、視線を上げた。
「今朝の騒ぎで、衛兵どもは間違いなく警戒を強めてる。
時間が経てば経つほど、見回りは厳しくなるだろうな」
「……なるほど」
「今夜を逃せば、次に隙ができる保証はねえ。
それに、レントがいつまで無事でいるかも分からねえしな」
エルマはそう言うと、全員を見渡した。
「だから──予定通り、今夜決行する」
その言葉に、食卓の空気が僅かに変わった。
つい先ほどまでの和やかな歓迎会が、終わりを告げたような気がした。
童話兄弟の名前、ヘンゼルorグレーテルって間違えてたら指摘お願いします。
自分で名付けておいてアレなんですが、すっごいややこしい。




