第十話「ありがとう」
交渉に成功し、エルマはご機嫌な様子である。
「んじゃ、詳しい話をしようじゃねえか」
彼女は近くにあった椅子へ腰を下ろすと、懐から古い巻紙を取り出し、それを机の上にバっと広げた。
「こいつはここ、『ロミエットの街』の概略図だ」
広げられた古紙には、街の大まかな区画と主要な道が簡素な線で描かれている。
「まず、仲間が捕まってんのは街の東側にある地下牢獄だ。見張りは昼より夜の方が少ねえ」
「......で、どうやって侵入するんだ?」
「へへ、よくぞ聞いてくれた」
エルマはニヤリと笑った。
よほど策に自信があるのだろうか。聞かせてもらおう。
「裏手にある古い排水路を使う。
昔は街の外まで繋がってたらしいんだが、今は途中で塞がってる。
けど、牢獄までは通じてるんだ」
「なるほど......」
排水路か。
前の世界でも、脱獄といえばそういった地下道や下水道を利用するイメージがある。
うん、だんだんと様になってきたな。
「侵入後は、あたしらが見張りを引きつける。
その隙にあんたらが牢屋に入って、仲間を連れだす」
「俺たちが?」
「おう。あたしらだけじゃ、見張りの注意を引くだけで精一杯なんだ。
そこで、あんたらの出番ってわけ」
「──ちょっと待て」
俺は思わず口をはさんだ。
エルマのいう役割分担なら、俺たちが見張りを相手にする必要もない。
彼女らが注意を引き寄せてくれる分、俺たちの負担も少なく済む。
作戦としては十分理にかなってると思うし、そのくらいの手助けなら俺にもできるだろう。
だが──肝心なところで、問題が一つある。
「仲間を連れ出すってのはいいけど、俺たちはそいつの顔も名前も知らないぞ」
「ああ、そりゃそうか」
エルマは一瞬だけ目を丸くすると、すぐに思い出したように口を開く。
「そいつの名前はレント。
──銀髪で、碧い目をしてる。背丈は兄ちゃんと同じくらいだ」
「......それだけ?」
「それだけありゃ、十分だろ」
エルマはケラケラと笑った。
まあ確かに。よくよく考えてみると、その特徴はかなり目立つ。
「それにあいつなら、あたしの名前を出せば察してくれる。
兄ちゃんが声をかけりゃ、間違いなくついてくるさ」
そこまで聞いて、俺はようやく具体的なイメージが湧いてきた。
レントという男を牢獄の中から探し出し、連れ出す。
言葉にすれば、それだけの仕事だ。
だが──。
「なあ、エルマ」
「あん? まだなんかあんのか?」
「そこまでして、そのレントって奴を助けたいのか?」
エルマが首を傾げる。
「──そりゃ、どういう意味だ?」
「いや......」
俺は少しだけ言葉に詰まった。
「俺たちを匿うだけでも、お前らには十分なリスクがあるだろ。
それに、牢獄から仲間を逃がすとなれば、失敗したときはただじゃ済まない」
最悪、エルマたちまで捕まる。
そんなことくらい、こいつだって分かっているはずだ。
「なのに、そこまでして助けたい理由が俺には分からない」
盗賊団なのだから、もっと自分たちの利益を優先するものだと思っていた。
それなのに、こいつらは妙に仲間思いだ。
盗賊という肩書きと、目の前のこいつらの姿が、どうにも噛み合わない。
「──金になるわけでもないだろ?」
エルマは、しばらく黙っていた。
だが、やがて──。
「へっ」
小さく鼻で笑う。
「そりゃあ、金より大事なモンがあるからに決まってんだろ」
「──金より、大事なもの?」
「ああ」
エルマは椅子の背もたれに身を預け、ニッっと笑った。
「仲間ってのは金じゃ買えねえんだよ」
「......」
「一緒に飯食って、一緒に笑って、時には馬鹿やってよ。
そうやって背中預けてきた奴を、捕まったからって見捨てられんのか?」
その言葉には、先ほどまでの軽薄さとは違う、妙な重みがあった。
「──あたしは、そんな薄情な真似はしねえ」
エルマは、そう言い切った。
「無論、お前らに対しても、だ。
協力してくれる以上、あたしらはもう仲間同士なんだからな」
「......そうか」
俺は、それ以上何も言えなかった。
仲間。
その言葉が、妙に胸に引っかかった。
俺には、そんなふうに迷いなく言い切れる相手がいただろうか。
前の世界でも、そしてこの世界に来てからも、そんな存在は──
「......」
隣にいるメルトナへ、ちらりと視線を向ける。
彼女は何も言わず、ただ静かにエルマを見つめていた。
______それからしばらく、誰も口を開かなかった。
蝋燭の小さな炎が、静かな室内でゆらゆらと揺れている。
先ほどまでの騒がしさが嘘のように、部屋には妙な静けさが漂っていた。
そんな空気を見かねたのか、エルマが小さく息を吐く。
「......まあ」
そして、ぱんと手を叩いた。
「続きは明日だ」
「明日?」
「おう。こんな時間まで話し込んでても仕方ねえだろ。
──それに」
エルマは立ち上がると、ぐっと背筋を伸ばした。
「今のお前ら、見るからにクタクタじゃねえか。今日はもう休め」
その言葉に呼応するように、忘れていた身体中の重さが蘇る。
「──あぁ......」
ただでさえ久方ぶりの運動だったというのに、体力を限界まで使い込んだのだ。
もう、立っていることすら億劫に思えてくる。
「ほら、ついてこい。寝床くらい用意してやるよ」
「......ありがとうございます」
メルトナが頭を下げる。
俺もそのあとに続いた。
「ここ使いな」
______案内されたのは、毛皮のベッドが一つだけ置かれた、粗末な部屋だった。
「......ベッド、一つしかないけど?」
「あん? 男女二人組なんざ、一人も同然だろうが」
「──なんだその遠回しな下ネタは!!」
「痛ってえ!! なにすんだ!!」
ろくでもないボケに思わず頭へチョップ。
このガキはやはりどこまでもノンデリなようである。
「ガキが──舐めてると潰すぞ」
「んだよ、その決め台詞は......。
あと、あたしは見た目はこんなんだけどな、中身は結構イってんだぞ!」
「......あ?」
意味が分からず、俺は眉をひそめる。
「エルフってのはな、人間よりずっと長生きなんだよ。
あたしだって、こう見えても二十二なんだぜ!」
得意げに胸を張るエルマ。
「なっ──同い年......? 俺と、お前が......?」
思わず声が漏れた。
──いや、そういえばこいつの見た目、エルフっぽいなとは思っていたんだ。
でも、言動があまりにも無邪気な子供そのものだったから、つい忘れていた。
頭では分かっていても、いざそれが現実となると、どうにも納得しづらいな......。
「フフッ......」
そんなとき、隣から堪えきれないような小さな笑い声が聞こえてきた。
「んだよ、姉ちゃん。何がおかしいってんだよ!」
「フフッ......失礼しました。
先ほどから、お二人の会話が面白くって......」
口元を抑えながら、メルトナがくすくすと笑っている。
「ははっ......」
思わず俺まで笑ってしまう。
「てめぇまで笑いやがって......。あたしは真剣に話してるってのに!」
くだらないやり取りだったが、張り詰めていた空気が和らいだのは確かだった。
エルマのおかげで、俺たちはようやく肩の力を抜くことができたのだった。
※ ※ ※ ※ ※
談笑も落ち着いたころには、今度こそ身体の限界がやってきた。
「じゃあな。ゆっくり休めよ」
そう言い残して、エルマは部屋を出て行った。
扉が閉まる。
途端に、部屋の中が静まり返った。
______俺は改めて、辺りを見渡す。
粗末な部屋だ。
置かれている家具も最低限で、簡素なベッドが一つだけ。
「その──嫌でしたら、私は床でも構いませんよ」
メルトナはフードを脱ぎ、そう呟いた。
その声色には、安堵と哀愁が混じっているようだった。
「えっ、いや、嫌ってわけじゃ──」
「でしたら──エルマさんの言う通り、一緒に寝ませんか?」
「......」
改めて意識すると、少し気まずい。
とはいえ、今更別々に寝るほどの余裕があるわけでもない。
「──じゃあ、お言葉に甘えて」
「はい」
俺たちは並んで背を向け合いながら、同じベッドに身を任せた。
毛皮の敷かれた粗末な寝床。
決して寝心地がよさそうとはいえない。
それでも──今の俺には、これ以上ないほどありがたかった。
「──今日は、大変な一日でしたね」
「ああ」
目を閉じる。
今日一日の出来事が、次々と脳裏に浮かんできた。
目覚めるとなぜか異世界にいて、メルトナと出会った。
山を歩き、魔獣に遭遇し、小屋を襲撃され。
そして、初めて人の暮らす街へ足を踏み入れた。
なのに、そこでも待っていたのは衛兵からの逃走だった。
「......私たち、これからどうなるのでしょうか」
「......さぁ」
正直、俺にも分からない。
エルマたちに匿ってもらったとはいえ、状況が好転したわけではない。
むしろ、これから牢獄へ侵入して、見知らぬ男を助け出すことになる。
______不安がないといえば、噓になる。
「何度も言うけど、俺がメルトナのいう『降臨者』だっていう確証はない。
だから、この先のことは何もわからないし、この選択が正しいのかもわからない」
ふと、ここへ来るまでにメルトナと交わした言葉を思い出す。
大丈夫だ。俺がなんとかする。導いてみせる。
そんなことを、何度口にしただろう。
けれど、実際の俺はどうだ。
異世界に来てからというもの、メルトナに助けられてばっかりで、自分一人では何もできていない。
そんな俺が、先のこともわからないまま、無責任な言葉だけを並べていた。
──我ながら、情けない。
「でも──」
そんな俺の悩みを、メルトナの言葉がそっと拭い去った。
「私は、街まで来られてよかったと思ってます。こうして、寝床を見つけられたんですから」
「......そうだな」
俺も、小さく笑った。
少なくとも、一人ではなくなった。
それだけで、ほんの少しだけ心が軽くなる。
「おやすみなさい、チハルくん」
「ああ。おやすみ、メルトナ」
目を閉じる。
疲労で重くなった身体が、意識を夢の底へと引きずり込んでいく。
ほんの数秒前まで明日のことを考えていたはずなのに、もう何も考えられない。
「──ありがとう」
やがて意識が完全に闇へと沈む直前。
そんな声が、聞こえた気がした。




