第九話「思わぬ歓迎」
夜の街は静まり返っていた。
石畳の道が暗闇の中へ伸び、その両脇には石や木で造られた建物が立ち並んでいる。
所々、窓から漏れる僅かな灯り。
壁に掲げられた、見たことのない文字で書かれた看板。
______日本では絶対に拝めない光景だった。
「やっぱ、本当に異世界なんだ……」
思わず、そんな言葉が口からこぼれる。
山の中でも、見たことのない植物や魔獣、魔術を目にしてきた。
頭では分かっていたつもりだが、こうして人が暮らす生活空間に入り込んだことで、改めて自分が別の世界に放り出されたのだと実感する。
しかし、残念ながら感動している暇はない。
「──チハルくん」
「ああ」
夜の通りに人の気配はない。
だからこそ、異質な服装の俺たちがいつまでもこんな開けた場所に突っ立っているわけにはいかなかった。
門番の衛兵が眠らされているのも、じきに発覚するだろう。
……早く、身を隠せる場所を探すべきだ。
このまま、路地裏あたりへ回ってみるか──。
と、そのときだった。
「おい!何があった!?」
______背後から、慌ただしい怒号が響いた。
「──っ!」
恐る恐る、振り返る。
街の入り口。
先ほど俺たちが通り抜けた門の方へ、二人の衛兵が駆け寄っているのが見えた。
……門番の衛兵も、二人だった。
交代の時間か、あるいは巡回か。
「誰かに襲われたのか!?」
「街の中を探すぞ!まだ遠くへは行ってないはずだ!」
噂をすれば、とはこのことか。
勘の良すぎる天の意地悪に苛立ちすら覚える。
「クソッ──早えよ……!」
「──逃げましょう!」
俺たちは同時に駆け出した。
「待て!」
「そこの二人、止まれ!」
容赦のない怒号がこちらへ飛んでくる。
完全に気づかれてしまった。
「メルトナ、こっちだ!」
俺は咄嗟に彼女の細い腕を掴み、引き寄せる。
向かう先は、大通りから外れた、建物と建物の隙間。
人ひとりがようやく通れるほどの細い路地だ。
「──はい!」
迷いなく、俺たちは狭い路地の入口へと駆け込んだ。
「そっちへ入ったぞ!」
「追え!」
路地裏へ入ってもなお、猛烈な足音が背後から迫ってくる。
まったく勤勉なことに、諦める気はないらしい。
______振り返らず、ただひたすら暗い路地の奥を目指して、がむしゃらに走り続ける。
建物に挟まれた狭い通り道は、まるで迷路のように入り組んでいた。
どこへ続いているのかもわからないまま、右へ、左へ。
「右へ行ったぞ!」
だというのに、奴らはなおも正確に俺たちの跡を辿ってくる。
「くそっ……!」
肺が焼けるように痛い。
脚が鉛のように重い。
山を駆け回ったあとだ。
そのうえ、街へ入ってからも休む暇なく走り続けている。
もう、とっくに限界だった。
「はぁっ、はぁ……!」
それは、メルトナも同じ様子だった。
かつてなく息を荒くし、辛そうに胸を押さえている。
だが、それでも足を止めることだけはできない。
止まれば、捕まる。
分かっている。
分かっているのに──。
______とうとう足が思うように動かなくなってきた、そのときだった。
「──こっちだ!」
突然、暗闇の中に声が響いた。
甲高い──恐らくは、少女の声だった。
「え?」
動揺も束の間、横手の路地からひとつの手が伸びてきた。
それはこちらへ来いと言わんばかりに、何度も手招きをしている。
「早く!こっち!」
______誰なのか。なぜ俺たちを助けようとしているのか。
そんな疑問が、一瞬だけ頭をよぎる。
だが──今はそんなことを考えている暇も余裕もない。
俺たちは伸ばされた手に導かれるまま、横手の路地へと飛び込んだ。
______次の瞬間、背後で静かに扉が閉まる音がした。
※ ※ ※ ※ ※
外から聞こえていた衛兵たちの足音が、次第に遠のいていく。
「はぁ……はぁ……」
九死に一生を得た俺は壁に背を預け、荒い息を整えた。
隣では、メルトナも肩を上下させている。
「助かった、のか?」
「……そのようですね」
ようやく息が落ち着くと、俺は周囲を見渡した。
______薄暗い室内。
照明は中央の長机に置かれた蝋燭一つだけ。
粗末な家具がいくつか置かれているだけで、決して裕福な場所には見えない。
そして──。
「へへ、なかなかガッツあんじゃねえか、あんたら」
そこには、俺たちを招き入れた張本人である一人の少女がいた。
茶色の髪に、紫を基調としたフード付きのマント。
小柄な身体に幼さの残る顔立ちで、一見すればどこにでもいそうな中学生くらいの子供に見える。
だが──。
何よりも目を引いたのは、その肌の色と耳の形状。
血の気が失せているのではないかと思うくらい、不健康なほどに白い肌。
そして、少女の両脇から伸びる、人間のものとは明らかに違う細く長い耳。
メルトナも長く尖った耳をしているが、彼女はまるで──
「──んだお前、あたしの顔ジロジロ見やがって。少女趣味か?」
あまりに唐突な発言。
……思わず、思考がストップした。
「は……?」
「んだよ、その表情は」
「いや、なんだと言われても……。
俺は背の高いお姉さんが好みであって、お前みたいなちんちくりんには──」
「あぁん!? 聞き捨てならねえこというじゃねえか。誰がちんちくりんだ!」
「何が聞き捨てならないだ。俺は事実を言っているだけだ!
──なあ、メルトナさん?」
味方を増やそうと隣を振り返る。
だが、そこにいたメルトナは俺たちなど見ていなかった。
なぜかものすごく真剣な顔で自分の頭上に手を乗せ、手尺で背丈を測っている。
「背の、高い……?」
ぼそりと呟きながら、俺と自分の身長を見比べる彼女。
ま、まさか俺の言葉を気にして、自分の身長を確認しているのか。
……大人びた美貌に反して、随分とまあ可憐な反応を──。
「てめー、色ボケしてんじゃねえよ!」
「ヴッ──!」
痛ってえ!
こ、このクソガキ、容赦なく脛を蹴り飛ばしてきやがった!
「お、おま、初対面の大人に対する礼儀ってもんを知らんのか!!」
「ハッ、知るかよそんなもん!」
俺と少女が、バチバチと火花を散らしていると──。
「っハハ! 兄ちゃん、おっかねえこと言うなあ!」
突然、暗がりの中から豪快な笑い声が響いた。
「──っ!?」
振り返る。
そこには、いつの間にか数人の男たちが立っていた。
いずれも体格がよく、腰には剣やらなにやら物騒な武器をぶら下げている。
どう見ても、堅気の人間には見えない。
「誰だこいつら……」
「こいつら? あたしの仲間だよ」
少女は何でもないことのように答えた。
この荒くれ共が、こんなクソガキの仲間だと?
そんな馬鹿な……。
「お頭。彼ら、なかなか面白い人たちだね」
「だろ?」
少女は楽しそうに笑った。
「こいつら、あのムカつく衛兵の野郎共に一発カマしてたんだぜ。
いいもん見せてもらったよ」
「ハハハッ! やっぱガッツあんな、あんたら!」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
______見られていた。
門で衛兵を眠らせたところまで、全部。
てっきり、俺たちが追われているところだけを見て助けてくれたのだと思っていた。
だが、違った。
この少女は、俺たちが何をしたのかを知った上で、ここへ招き入れたのだ。
というか、『お頭』だと?
この少女は、見た目だけならどう考えても俺より幼い。
それなのに、この男たちは誰一人として彼女を子供扱いしていない。
むしろ、その言葉遣いや態度からは、彼女に対する明確な敬意すら感じられる。
この連中は、一体──。
「──失礼ですが、あなた方は何者なのですか?」
俺が口を開くより先に。
険しい表情のメルトナが、男たちを牽制しながら問いかけた。
「あぁ、そういやまだ名乗ってなかったな」
そう言うと、少女は腰に手を当て、堂々と胸を張る。
「あたしはエルマ」
そして、周囲の男たちを顎で示した。
「こいつらをまとめてる、エルマ盗賊団の頭だ」
「……」
盗賊団。
その言葉に、俺は思わず固まった。
助けてくれた恩人が、よりによってアウトローの筆頭のような連中だったとは。
「おう。そう身構えんなって」
エルマは悪びれる様子もなく、二ッっと笑った。
……無邪気さは見た目相応といったところか。
「それより──」
その笑顔が、僅かに真剣なものへと変わった。
「変な服着た兄ちゃんも、フード被った姉ちゃんも……」
エルマの視線が、俺とメルトナを交互にとらえる。
「随分と、訳ありなんだろ?」
______俺は、答えに詰まった。
メルトナの表情をちらりと覗いても、同じ様子である。
「あぁっと、別に深く聞く気はねぇよ」
エルマはひらひらと手を振った。
「ただ──いつまでもタダで置いてやるほど、あたしらもお人よしじゃねえってわけよ」
「……やっぱり、何かあるのか」
まあ、当然か。
何の見返りもなく盗賊団が訳アリ二人を匿う。
そんな都合のいい話があるなんで、最初から思っていなかった。
「まあな──そこで、だ」
エルマは腰に手を当てると、俺たちを交互に見つめた。
何を頼まれるんだ……?
俺は思わず身構える。
盗みの手伝いでもして欲しいんだろうか。
「実はよ、あたしらの仲間が一人、この街の牢獄にぶち込まれてんだ」
「牢獄……?」
「ああ。ちょいとヘマやらかしてな」
エルマは頭を掻きながら、ばつが悪そうに笑った。
「そいつを助け出したい」
「……俺たちに、それを手伝えってことか?」
「話が早ぇじゃねえか」
______なるほど。
対価の内容は捕まった仲間を助ける手助け、か。
盗賊というわりには人情のある奴らだな。
「とはいえ、あんたらに無理をさせるつもりはねぇよ。
──ただ、あたしらだけじゃ手が足りねぇんだ」
そう言って、エルマは俺たちを真っ直ぐに見据えた。
「あんたらのガッツを見込んでの頼みだ。
──どうだ? あたしらに手ぇ貸してくれねえか?」
「……」
俺はメルトナをちらりと見る。
彼女もまた、俺の方へ視線を向けていた。
(私は、構いませんよ)
まあ、そうだよな。
正直、断る理由はない。
というか、引き受けざるを得ない。
______俺たちには、この街で頼れる場所なんて他にないのだから。
「……わかった。そいつを助けるの、手伝うよ」
「──へへっ!」
エルマが邪気のない笑みを浮かべ、荒くれ達からも歓声が湧き上がる。
「そうこなくっちゃな!」
こうして俺たちは、異世界の街で初めての隠れ家を得た。
そして同時に──一つの仕事を引き受けることになった。




