バフッバフッ
「ぶさ」
「わおーん」
「……ぶさー」
「へっへっへっへっへっ」
ぶさの様子にアキは溜息をつく。少し離れた場所にいる『犬人間』は呆れたような疲れたような顔のアキを心配してオロオロしている。そんな彼女に大丈夫だと手を上げて示す。
ここはサンノメ、愛の巣側の平原地帯だ。今彼女たちは氷の上にいる。当初は円形の一つだけがポツンと作られていたらしいが、アキがスケートをする頃には流水プールのような立派なコースが作られていた。
観客のような感じで所々にユキダルマが立っている。
ユキダルマは魔王城側の平原地帯で作られるのだが、どうやらそれらはサンノメのどこにでも出現可能らしい。意思を飛ばしてそこで形を形成する。たんぽぽの綿毛みたいなものだ。魔物に意思があるのかは甚だ疑問ではあるが。
そして今アキはスケートしている。後ろ手にそりのロープを持って、コースを滑走している。そりに乗っているのはもちろんぶさだ。逆犬ぞりである。滑る様子にご満悦のぶさはアキを休ませない。
「王様、大丈夫ですか?」
スーッと滑り近づいてアキを気遣う。最初は苦労していた『犬人間』も少しの練習で滑ることは出来るようになった。さすがにジャンプだとか後ろ向きに滑るとかは出来ないが、移動はスムーズだ。それだけで十分すごい。
ただ比較対象のアキが規格外につき、『犬人間』は自分はまだまだだと感じている。相手が悪かった。
「疲れちゃいないんだけど……なんか飽きてきた」
そう、ただひたすら滑っていた。コースを何周もすれば飽きてくる。けれどぶさはずっと新鮮のような反応をする。頭悪いから多分分かっていない。散歩でもそうだし。
「うーん…………あっ! それなら、ユキダルマに雪玉を投げてもらいますか? 飛んでくる雪玉を躱しながら滑るのはどうでしょう?」
「いいな、それ」
だんだんアキのことを分かってきた『犬人間』はアキ好みの案を思案する。雪玉なら当たっても痛くないし、危なくはないだろうと思い、提案する。案の定、アキは目を輝かせて賛成する。
しかし、『犬人間』を仰ぎ見たアキは表情を曇らせる。その変わりように目をパチクリさせて不安が押し寄せる。
「どうされま……んっ」
アキを心配して顔をよく見ようと少し屈む。その時、急にアキの手が伸びてきた。ピトッと肌に触れた感触に声を漏らす。眉間を寄せて目を瞑り、艶かしい声が口から零れる。けれどここにはその色っぽい仕草に顔を赤らめる者はいない。居るのは眉尻を下げて気遣うような表情のアキだけだ。ぶさは変わらず煩いので除外する。
「悪い。寒いよな」
「はえっ」
申し訳なさそうに声をかける。アキが人の心配をしている。それに自ら他人の肌に触れている。
平素の彼女では考えられない行動だが、今の彼女は変わってしまった。あの事件以来……。その変化が嬉しくもあるがやるせない。アキが変わったとしても幻滅していないし、憧れや好きという気持ちは変わらない。それは断言する。けれど、やはり、要因を思えば心苦しい。
胸に小さなトゲが刺さるような痛みを感じる。けれど思考に耽れていたのはそれまでだった。
「冷たい。……ほら、これで暖かい?」
アキは『犬人間』に触れてる手とは反対の手で彼女の手を掴み、自分の頬に当てる。アキは少し動けば体がポカポカ熱を帯びる子供体温だ。『犬人間』の手を自分の手と頬で挟み、首を傾げる。身長差から自然と上目遣いになる。
「はわっ、あ、あっ、あつい……です」
ぷしゅーっと茹で上がったタコのように顔が上気する。全身が熱を持ち、暖かいを通り越して熱いぐらいだった。頭はクラクラ、目はグルグル。胸はドキドキ、体はフラフラ。
「っ、おい、大丈夫か!?」
実際にふらっと傾いた『犬人間』の体をアキは慌てて支える。
「だ、だいじょ……っ?!?!」
「熱は……ない? うーん?」
大丈夫と言って、アキから離れて一旦落ち着こうとした。けれどその前にアキが動いた。
ピタリと額同士が合わさる。
昔この熱の計り方をされたことがあるからの対応だった。しかし、実際にやっても熱の有無が分からない問題に陥った。額を合わせたまま小首を傾げる。
アキが首を傾けたことにより、二人の距離はさらに縮まった。けれども両目ともに閉じているアキはそのことに気づかない。
目と鼻の先にアキの顔がある。目を瞑り、考えるように唸っている。何か言わなければと思うのに、頭の中に浮かび上がるのはまつ毛が長いとかいい匂いがするとか、そんな事ばかり。
「わん!(早く!)」
アキが片目を開いて『犬人間』の様子を確認しようとした瞬間、空気の読めないぶさが鳴く。思考回路が単純なアキは『犬人間』からぶさに意識が逸れる。
「ぶさ、静かに……って、おいっ!?」
「きゅ〜」
支える『犬人間』の体が重くなる。不思議に思って正面に向き直ると彼女は目を回していた。
「しっかりしろ。おい……おいっ!」
許容範囲を凌駕したため『犬人間』はそのまま、愛する王様の腕の中で眠ったのだった。