ペロペロペロペロ
「それじゃあ行くか」
アキは席を立ち『犬人間』の手を引くとそのまま家の外に出た。
「い、行くって、どこに……ですか?」
「魔王城のヤツらに会いに」
「え、えええぇぇっ!?!? ま、待ってくださいぃー!!」
手を引かれるがままに足を動かしていた『犬人間』がブレーキを掛ける。けれどもアキはそんな可愛らしい抵抗を気にすることなく強引に前へと進む。体重をかけて引き止めてもそれ以上の力でズルズルと前に引き摺られる。
「ま、まだっ! 心の準備がっ〜〜…………ッ、きゃあああ!?」
頑張って頑張って耐えていたところに突然、前に進む力がなくなった。支えがなくなった『犬人間』は体を傾けていた後ろにそのまま倒れる。けれど尻もちをつく前にアキに抱えられて事なきを得た。原因も彼女だけど。
「あ、ありがとうございます……じゃなくて! ほ、本当に今から行くのですか?」
「こういうのは早い方が良いだろ。思い立ったが吉日ってな」
「で、でも……」
「変わりたいんだろ?」
図星を突かれて面を下げる。変わりたい。だけど……怖い。変だって、気味が悪いって、嫌悪を向けられるのがどうしようもなく怖い。
「魔王城のヤツらがお前を笑ったりすると思うか?」
アキの言葉に『犬人間』は首を横に振る。魔王城に来てまだ日は浅い。けれどもそれでも、八人の性格を知るには十分の時間があった。魔王様も、世話担当の二人も、それ以外の人だって、一言も喋らない人間を受け入れてくれた。理由を聞かずに、これが当たり前かのように受け入れてくれた。それがとてもとても嬉しかった。だからこそ変わりたいと思った。本当の自分も受け入れてくれるかもしれないと期待してしまった。
魔王城のみんななら大丈夫だと思っている。でも、それでも……心のどこかで信じきれていない自分がいる。今でも過去の光景は鮮明に思い出す。声を聞いた瞬間の厭忌な表情を。逃げるように離れていく足音を。近付けない深い溝を。離れた距離から向けられる言葉と視線を。楽しい時間が夢から覚めたように儚く消える。殻に篭ればまだ夢を見ていられる。
魔王城は天国だ。優しいみんなが居て、大好きな犬が居て、偉大な救世主様が居る。ずっとここに居たい。もしこれが覚めてしまう夢ならば、ずっとこのままでいい。
再び暗い雰囲気を纏う『犬人間』にアキは溜息をつく。それが落胆されたと感じて肩を震わせる。呆れられた。期待に応えれなかった。こんなに親切にしてくれてるのに、勇気をもらったのに……情けない。情けなくて涙が出そう。これじゃあ、王様に申し訳ない。
アキは『犬人間』の頭頂部を見ながら頭を搔く。性急過ぎたかと反省する。アキは『犬人間』の志を称えて手伝おうとしたのだ。しかし、その結果がこれだ。逆に傷つけてしまった。
考えてみれば『犬人間』にとっての避けたい存在だ。そう易々と克服できるのならこんなに苦労はしていない。アキに置き換えてみれば今から『バラ女』に会いに行くのと同義ということになる。それは嫌だ。是が非でも拒否する。
「その、すまねぇ」
アキは謝った。謝り慣れていないからたどたどしくだが謝罪の言葉を口にした。
しかし、その言葉を皮切りに『犬人間』が泣き出してしまった。ギョッとしてあたふたと手を彷徨わせる。けれどもアキは慰めるという行為をした事がない。つまり、泣いている人間に対してどうすればいいのか分からず途方に暮れてしまう。
気まずい空気が延々と続くかと思われたその時――
「どぅわぁあああああ!! 待って待ってぇっ!? そっちはダメ……ッ、止まってぇぇえええええ!!!」
遠くから叫び声が聞こえてきた。その声はどんどん大きくなって、二人の方に近づいてきているようだった。
「なんで言うこと聞いてくれないのぉおーー?!?! あーもぉーっ、愛の巣には近づけないよう魔王様に言われてるのにぃぃいいい!」
悲鳴のような叫び声と一緒に砂埃が巻き上がる。目をこらせばその方向から大量の犬と犬に引っ張られている『三下野郎』の姿が見えた。
「とーぉーまーぁーれーぇ〜…………って嘘ぉっ!? 誰か居るぅ?! 危ないから逃げてくださーい!! 離れ、て……っいやぁぁぁああああああ!!!!!!」
注意喚起しようと手を上げて大きく振ったら犬たちがさらに加速した。獲物を狙い定めたかのように真っ直ぐ一直線にアキと『犬人間』に向かって走る。スピードについて行けなくなった『三下野郎』はとうとう犬たちとを繋ぐリードを離してしまった。本気の悲鳴を上げて遠くなる犬の尻に向かって手を伸ばし、倒れた。
「すみませーん、大丈夫ですかー……ってうわぁ?!」
ふらふらになりながら駆けつけてきた『三下野郎』は目の前の光景を見て思わず声を上げた。押し倒されためっちゃ美人な女性に犬たちが群がっていた。
「いち、に、さん……良かったぁああ全員いる……! あっ王様こんにちは。すみません、お怪我はありませんでした?」
まず犬数確認をしてからアキに挨拶した。被害にあっているのはアキではなく『犬人間』だと一目瞭然で、確認する相手が間違っていると思うのだがそんなことはお構い無しだ。ちゃんと現実を見えてるのだろうか。現実逃避はしてないよな。
「ところで、こちらの方はどなたですか? 王様のお知り合いの方ですか? 随分と犬に好かれていらっしゃいますね」
見えていた。見えていてかつ自発的に無視しているようだった。魔王城で会った中で一番常識的な感性をしていると思ったが『三下野郎』もやはり魔王城の人間だった。傍から見れば初対面時の『首輪野郎』と同じ状況である。そういやあの時も見ているだけだったことを思い出す。
「んっ、ふふ……くすぐったい」
顔をペロペロ体をスリスリ胸をフミフミ。『犬人間』は全方位を犬に包囲されている。犬に埋もれて姿が見えない。これでは着ぐるみを着ている時とあまり変わらない。毛の色が増えてカラフルになったぐらいか。
「わーもぉー急にどうしたんだよ。今まではこんなこと一度もなかったのにぃぃ。ほら、離れて! 散歩に戻るよ。本当にすみません。すぐに退かしますの、で!」
リードを持ち直して体重をかけて力いっぱいに引っ張るが離れる素振りが一切ない。何度繰り返しても微動だにしなかった。疲れたのかただリードをプラプラ動かすだけになっている。
今いる場所は愛の巣と魔王城の間、中間地点より少し魔王城よりの場所だった。犬たちの散歩コースとはかけ離れた場所で通ることも近づくこともない場所だった。それが一斉に同じ方向に走り出したらしい。止めようとしたが聞く耳持たず今に至る。
その様子を一歩離れた場所で見ているアキ。手伝う気は皆無だ。そして、見ていて一つ気になったことがあった。
「お前ら仲悪いのか?」
「へっ? いやいや仲が良いも悪いも今初めて会ったばかりで…………エッ、エェッ!?!?」
ようやく犬の戯れが収まったので『犬人間』は立ち上がる。アキと会話しながらも立ち上がった彼女に注意が向いて、驚愕に目を見開く。見本のような二度見をした。
「え、な、も……ももももももしかして」
恐る恐る指を差して尋ねる。指先がプルプルと震えているのが見える。いつもと格好が違うので本当に気付いていなかったようだ。身長で感づくのもどうかと思うが『犬人間』に関して言えば二度見してしまうのも仕方がない。だって、明らかに違うのだ。胸の大きさとか。
アキは神妙な顔してはっきりしっかりと頷いた。『三下野郎』はまるで死刑宣告を受けた囚人のような面持ちで固まる。そして――
「申し訳ないっすー!!!」
深々と頭を下げた。土下座とまではいっていないが、下げた状態で静止している。
「あ、頭を上げてくださいっ」
それに慌てだしたのは『犬人間』だ。堪らず声を上げて頭を上げさせようとするが、固辞するように一向に頭を上げない。あわあわと焦った挙句に何を思ったのか強硬手段に出た。物理的に頭を上げさせようとしてる。『三下野郎』の頭を持ち上げているが彼もまた対抗するように力を入れて耐えているのか均衡状態になっている。なにこのやり取り。
「今まで大変申し訳なかったです。あなたが女性とは露知らず、散々力仕事をお願いしてしまいました。加えて許可もなく手や肩に触れてしまいました。お怒りはごもっともです。何卒気が済むまで叩いて頂いて構いません」
「い、いえ……そんなっ!」
「体触ったって変態かよ」
「謝って許されるとは思いません。あなたが声を出せないのを知っていて仕事を次々と任せていましたし、もう一人の尻拭いのようなことまでさせていたのも事実です。俺は魔王様のようにあなたの気持ちを察することはできないのであなたに苦労をさせてしまっていたのにも気づけませんでした。不当な負担を背負わせてしまったこと……」
「ああああのっ!!」
制止の声も茶々入れも聞こえてないのか止まることなく言い連ねる長文謝罪を遮るように『犬人間』が大声を出す。驚いて思わず口を噤み、辺りはしんと静まり返った。
犬たちも静かに成り行きを見守っているようだ。どこかのぶさとは全く違って空気の読める優秀な犬たちだった。そう思えば今この場に居なく良かったと思う。いや他犬が居るから怯えて静かになるかとアキの思考は明後日の方向にいく。決してこの状況がつまらないとかではない。
ようやく頭を上げた『三下野郎』は真正面から『犬人間』を捉える。その視線に少し恐れを抱いたようだが胸元の前で両手を握って勇気を振り絞る。
「っぁ、謝る、のは……私の方、です。今まで騙して、っ、ごめんなさい」
「騙す?」
「ずっと避けられるのが怖くて、こんなっ声で、出せなくて……姿も、隠して。悪いのは私の方で、先輩は何も、何も悪くありません!」
「お、おぉ……」
勇気を振り絞って自分の声で話した『犬人間』に返ってきたのはなんとも言えないような音の響きだった。ギュッと目を瞑った『犬人間』は祈るように手に力を込める。目を開けるのが怖かった。どんな眼で自分を見ているのか知るのが怖かった。ここでも嫌悪の眼差しを向けられたら魔王城での居場所がなくなってしまう。そしたらきっと、もう一生殻に籠ったまま生きていくしかなくなる。それが嫌で堪らなく怖い。
「お、おお、おおぉ……ぉお俺が、先輩……! ねぇもう一回、もう一回言って! お願いします。もう一回『先輩』って言ってください」
「ふえっ? せ、せんぱい……?」
「ふわぁああーーいぃ幸せ! 先輩って響きヤバい。え、なにこれヤバい。もう……もう! あはー顔がにやけるー。俺が先輩、先輩……ふへぇ」
顔面崩壊『三下野郎』。だらしなく口角を上げて変な笑い声を漏らしている。普通に気持ち悪い。予想外の反応に『犬人間』もポカンとしている。
「あ、あのぅ……先輩?」
「あひゅーぃ! ……っはい、はい何でしょう!」
「私の声、気持ち悪くないですか?」
「えへっ、なんで?」
調子の良い笑顔のままの『三下野郎』がそのまま率直な疑問を問い掛ける。笑った判定に入るのか不明瞭だが一先ずアキは拳を握る。
「なんでって、こんな……男、みたいな声ですし……」
「えぇ? 何がおかしいの?」
「見た目と声が合っていないって」
「そうかぁ? そんなことないと思うけどな……うぇあ!? な、え、ちょお! なな、なんで泣いてるのっ?!」
アキとの対話で既に涙腺崩壊していた『犬人間』の目からはポロポロと涙が落ちる。急に泣き出した彼女に『三下野郎』は手をあたふたとさせる。そんな二人の元にアキが静かに近寄る。
「え……あれ? なんで……涙がっ。ごめんなさい、ごんなさっ、あぅ、止まらない」
慌てだした『三下野郎』に『犬人間』は自分が涙を流していることに気がつく。泣いてる自覚がなかったらしい。涙はさっきので出尽くしたと思ったのに拭っても拭っても溢れ出る。
「わわっ擦っちゃダメですよ! 涙は呑んで明日の糧にするんです。だから手で拭わないで、顔をちょっと前に傾けて……そうそうそれで濡れた唇を舐めて口の内に含んで、はい飲み込む」
一体全体何を見せられているのだろうか。本当になんだこれ。取り敢えず『三下野郎』には一発拳を入れたアキだった。
その後、三人と犬たちは一緒に魔王城に戻った。それから『犬人間』は挨拶回りをして本当の意味で受け入れられたのだった。
彼女の想像したような嘲りを受けることは一切なく、『三下野郎』と同じように快く受け入れられた。
ただ一人、『首輪野郎』だけは自前のテンションの高さと性格の軽さからアキに殴られたのだった。特に理由は無いが何となく気に触ったというだけで。




