ペロペロペロ
外の水遊び場『イチノメ』に続き、内の水遊び場『ニノメ』が完成した翌日のことだ。
アキは『犬人間』から話がしたいと呼ばれた。
伝令役は当然『襟巻小僧』だ。その話を聞いたアキが首を傾げたのは仕方のないことだ。なんせ相手があの『犬人間』だ。一言も喋らないヤツに話がしたいと言われてもどうやって? と疑問に思うのは至極当然のことだろう。
「話ぃ?」
「ボクも詳しいことは知らないけど感じからして個人的なことだと思うんだ。ボクじゃなくてあなたに相談したいんだって。ね、お願い」
「ってもな〜」
アキの会話手段に筆談の項目はない。そして身振り手振りで伝えようにも察し能力はよろしくないのでこれも除外だ。これまでの『右腕』理解力は0%だ。というよりはその後に『襟巻小僧』が翻訳するので考えることすらしなくなった。そういうわけでアキと話したいのなら本人が喋るか『襟巻小僧』の通訳付きになるかの二つに一つだろう。しかし個人的な話がしたいと言うのなら自ずと前者に絞られるが。
「まあ、いいけど……」
「ホント!? ……ありがとう」
快い返事に安堵の表情を浮かべる。元は王国城の人間とはいえ今はれっきとした魔王城の使用人だ。魔王にとっては大事な部下である。不安があるなら取り除いてあげたいし望みがあるなら叶えてあげたい。
「それじゃあすぐに呼んでくるね。……あ、それとも魔王城がいい?」
「ここでいい」
アキは人間不信ではあるのだが家に他人を招く行為が絶対に受け入れられないというわけではない。いや見ず知らずの人は無理なのだが。知った仲でかつ相手が避けたい存在は言わずもがな困ったヤツらでなければ『襟巻小僧』のように家の中に入れる分には平気だ。簡単に言えば嫌いではない友達ならOKということだ。ただまあ、性別に関わらず寝室などの生活スペースに入られるとか一晩を共にするとかはまた別の話である。それは無理だ。自分の家でも他人の家でも。同じ空間で無防備な姿を晒す事が無理なのだ。他人が居る場所では寝れないという繊細な面がある。
呼びに出ていった『襟巻小僧』だがものの数秒で戻ってきた。後ろにはしっかり『犬人間』がいる。この速さ、玄関先で待機してたんじゃないかと疑うレベルだ。
「それで? 何が聞きたいんだ?」
開口一番、早速本題に切り込む。挨拶も前置きもない。単刀直入が過ぎる。これでは心の準備もできないだろう。が、そんなことはアキには関係ない。
相手から話がしたいと言ってきているのだ。その時点である程度心の準備ないし気持ちの整理は出来てるはずだ。そうでなければこうしてアキと対面する運びにはならないのだから。ここまでの事をアキが考えているなどは当然の如くあり得ない。
『犬人間』が『襟巻小僧』に視線を向ける。
「分かった、ボクは席を外すね。イッヌ様を連れて行ってもいいかな? 終わったらこの鈴で呼んでくれれば戻るからね」
ぶさを連れて家を出ていった。飯をくれるからかぶさは『襟巻小僧』に結構懐いている。今のようにアキを置いて家を出ても大丈夫になっている。最初の頃のアキが家にいるなら出ていかない、からは随分な成長だと思う。アキは苦労が減る、ぶさは遊んでくれる、『襟巻小僧』は犬の王の相手が出来るとまさに一石三鳥だ。
玄関のドアが完全に閉じたのを確認した後、ようやく『犬人間』が動き出した。両手で頭部分を挟み、上にスコンと取り外した。さらに次々と着ぐるみを脱いでいく。脱皮が終わると俯きがちに目を彷徨わせ、アキに頭を下げた。
『犬人間』の中身は中年オヤジ……ではなく女性だった。長髪巨乳長身細身な女。
小さな顔に存在感のある大きな丸い瞳。伏せると長い睫毛が影を作り、より存在感を際立たせる。頬をほんのり赤く染め、引き結んだ口の斜め下にある黒子が艶っぽさを晒し出す。緊張からか体の前で手を合わせてモジモジしているが腕に挟まれた胸をさらに強調させる姿勢になってしまっている。身長の半分以上は下半身と言うほど足が長い。色んな意味で街中を歩けば二度見間違いなしの美女だ。アキは待ち合わせの目印に便利そうという感想しか抱かなかったが。
アキの視線は『犬人間』の胸に釘付けだ。頭の中には鉄と毛のガワが思い浮かんでいる。どちらも体の線がくっきり出ていてスレンダーな体格だった。その中に巨乳が収まっていたのか。……どうやって?
押し潰して無理矢理詰めるにしてもこの大きさでは無理があるだろう。
「あ、あのぅ……」
聞き馴染みのある、しかし近頃全く聞かなくなった声音にアキは顔を上げる。辺りを見渡して音の発生源を探る。
「わたし、です。これが、わたしの声、なんです……」
涙を浮かべ耐えるような表情の『犬人間』がアキの前に跪く。アキの手を取って両手で握る。その姿はまるで神に祈りを捧げるような信仰者のそれだった。懺悔するような悲痛な表情でアキを見つめる。繋がれた手は傍目で見ても分かるほどに震えていた。
「ずっと、ずっと自分の声が嫌いでした。馬鹿にされて、気味悪がれて、おかしいって言われ続けてきました」
その声は女の見た目には不釣合いなほど重低音だった。もし先にガワを脱いでいなかったのならば間違いなく男だと判別していたことだろう。けれども口を開いているのは『犬人間』で、この場にはアキと『犬人間』の二人しかいない。アキでないのなら声の主は一人しかいない。
「だから声を出さないように口を噤んでいました。だけど大きくなるにつれて話し掛けてくる人が増えて、そしたら今度はどうして喋らないのかって怒って、でも声を出したらまた嫌悪されて……。わたし、怖くて、どうすればいいのか分からなくなって」
ポロポロと涙が溢れる。拭うこともせずに縋るようにアキの手を握る。唯一分かることは自分がおかしいと言う事だった。だから自分を隠した。口を閉ざすだけではダメだったから全身を覆った。自分で自分を否定していく内に暗澹とした気持ちが心の奥底に根付いてしまった。
「王様は、御身に恥じる様子もなく振舞っておられて、わたしにはそれがとても輝いて見えました。どうすれば王様みたいに自分を曝け出すことができますか?」
これはアキがプールで泳いでいた時の話だ。この世界に水着はない。水泳という概念がないので当然のことではあるのだが。つまりアキは今も下着姿で泳いでいるということだ。下着に撥水性はない。べたりと肌に張り付き濡れて透けている。そうでなくとも胸と股間しか隠れていない格好は目に毒だった。
そもそもの話だが、この世界では他人に肌を見せるのを良しとしていない。男も女も長袖長ズボンまたはロングスカートと、露出は最低限である。着替えは貴人であろうと一人で行うし、大浴場等の他人がいる場で衣服を脱ぐ必要のある施設は存在しない。例えば男騎士が訓練中に暑いからとその場で上衣を脱いだらソイツは破廉恥な人認定される。親しき者、それも婚姻相手以外に素肌を晒すことは常識問題でありえないのだ。
「――その声なら出せるぞ」
「…………え?」
アキは『犬人間』の相談には答えず喉の調子を確認する。最終調整のように咳払いをすると雰囲気が変わる。冷たく鋭く威圧するような重々しい様子。
「テメェの**もぎ取ってやろうかア゛ァン!?」
殺気を帯びた刺すような恐ろしさに『犬人間』は無意識に仰け反った。アキが息を吐くと雰囲気は元に戻った。
「なっ、同じ声だろう?」
「っは、はい……?」
爽やかに満足そうに笑うアキに呆然とする。アキは重低音の声を出した。久しぶりに出したがまだまだいけるもんだなと内心ホクホク顔だ。これはやんちゃ期に良く発していた声、ただの脅し文句である。
「どう思った?」
「こ、怖かった、です」
「他には?」
「え? えっと……」
「変だって思わなかったか?」
「っ、い、いえっ王様を変だなんて思いません! とてもカッコイイですっ!」
身を乗り出してまで力強く否定する。その勢いに押されるようにアキは数度瞬いて、ふっと笑みを零す。不意に優しく微笑まれてドキリと胸が高鳴る。
「それならお前も、自分はカッコイイって思えばいいんじゃないか」
「い、え……わたし、なんて……」
けれどすぐに俯く。どんより雲が頭上に浮かんでいるようだ。ウジウジと鬱陶しいと思ったアキは強行手段に出た。掴まれていない方の手で『犬人間』の頬をワシ掴み、強引に顔を上げさせて目を合わせる。距離間が目と鼻の先だ。驚いて目を瞠る。
「グダグダグダグダめんどくせぇ。お前一人が気にしてるだけだ。万人に好かれたいのか?」
万人と聞いて首を横に振る。掴まれているので動かなかったが振動で伝わったはずだ。誰からも好かれたいだなんて思っていない。ただ、普通に過ごしたかった。気兼ねなく喋って笑い合って、そんな普通の日常を望んでいた。
「いいか、お前の声はなんもおかしくねぇ。他人の目は気にすんな。何か言われてもほっとけ。それは上辺だけの感想でお前自身を見ていないヤツの戯言だ。それでも不安ってんなら一緒にいてやる。んでもしおかしく言うヤツが居んならぶん殴ってやるよ。テメェの頭が変だってな」
目の前にある『犬人間』の目がさらに大きく見開かれていく。大きな瞳がこぼれ落ちてしまいそうだ。
「つーか気にしすぎなんだよ。声も姿も変わらねーんだから。んなこと気にする暇があんならもっと別の、なんでもいいから楽しいことでも考えてろ。その方が幸せになるだろ?」
歯を見せて笑うアキに『犬人間』の瞳がキラリと輝く。暗闇の中に光が差したようだ。滝のような涙にアキは頬を掴んでいた手を離す。逡巡したのちに頭の上に乗せる。ポンポンとぎこちなく頭を撫でるとさらに涙の勢いは増した。
涙が落ち着いた頃、『犬人間』が顔を上げる。目元は赤く鼻はぐずっている。それでも心の整理がついたのか雰囲気は最初より明るくなっていた。椅子に座って用意された飲み物を飲んで一息ついた彼女は少し恥ずかしそうに眉尻を下げている。子供のように泣いてしまった自分が恥ずかしいと心中は穏やかと真逆な様子だった。
「王様は、嫌だなって思ったことはありますか?」
「ある」
困ったヤツらが脳裏を過ぎってしまいげんなりする。アキの反応を意外に感じた『犬人間』は少しだけ親近感が湧いた。王様にも人間らしい所があるんだな、と。
これまで『犬人間』はアキを神聖視していた。異なる世界の麗人。何事にも動じず真っ直ぐな御方。気安く触れることの出来ない壁があり、侮ってはいけない力を有する。
その固定観念のまま今に至る。これは魔王城に暮らしてからも同じだ。一度そうだと認識してしまえばなかなか考えを変えることは難しい。接点の少なさも拍車を掛けていた。
「その場合はどうされたのですか?」
「殴った。殴って叩きのめした。力がある方が強い。強いヤツには逆らえない。だから力でねじ伏せて自我を通す」
「でも、そんなことしたら……」
孤立するのではないか。報復されるのではないか。虚しくはないのか。言葉の数々が浮かんでも、口に出すのは躊躇われた。だって、目の前の王様のご尊顔がとても誇らしそうだったから。後悔してないって表情から伝わってくる。だから、これらの疑問を尋ねたって、きっと返ってくるのは否定の言葉だろう。
全然違う。自分と王様とでは根底から違う。自分の悩みは王様にとっては気にもならないことで、仮に気に触られてもその場で解決なさる行動力がある。だからきっと独りで不安を抱え続けることも無いのだろう。
「王様はお強いですね。羨ましいです。私も、王様のように強くなりたいです。何事にも恐れずに自分らしくいられるように。そのためには、この声を克服しないとですよね」
「すげぇな」
肩を落として呟いた言葉に思いがけない言葉が返された。思わず顔を上げれば感心したようにこちらを見る尊敬する人の瞳とかち合う。
「すごい、ですか?」
「ああ。自分を変えようってすんのはすげぇよ。それも苦手だと思ってるヤツを」
アキは我が強い反面、忍耐弱い。良くも悪くも自分に正直だ。その性格から同類からは羨望の眼差しを向けられ、社会からは忌避された。アキはどちらかと言うと諦めてしまう方だ。自分を曲げないといえば聞こえはいいが結局のところ仕方がないことだと消極的なのだ。自己分析して改善点を理解しても直そうとしない。だってそれは自分にとって苦になる道だ。そこまでして社会に溶け込みたいかと言われれば否だ。だから努力すらしない。嫌なら近づかなければいい。そうやって嫌なものは避けてきた。人間不信になってからは人との関わりを仕事する上で必要最低限に留めたのだ。
「あの女に関わるとか無理」
アキは『バラ女』を思い出しては顰めっ面をする。最新の避けたい存在だ。
「姫様、ですか……」
「姫ぇ?」
実を言うと同行者四人のうち二人は王族だった。『クソ野郎』と『バラ女』は姉弟だ。性格は異なっても血は争えないようだ。
『犬人間』は件の人物を思い浮かべる。国王城ではなく魔王城での様子だ。確かにあの様子では王様が何をしても彼女にとっては褒美でしかないだろう。
「もし姫様が現れたら私が対処致します」
「助かる」
渡りに船の提案に一も二もなく乗った。それはもう切実に。命綱を手繰り寄せるような決死の思いで手を握る。縋るような力の入り様に『犬人間』は繋がれた手を見つめる。
「はい……はい! この命尽きるまで貴方様の平穏をお守り致します」
「いやそれは重い……。でもまあ、そうやって笑ってた方が可愛いぜ」
心身の鎧を脱ぎ捨てた『犬人間』が初めて見せた笑みにアキは微笑み返す。憧れの王様の優しい笑みを真正面から受けた『犬人間』はポンっと音が聞こえるほど一瞬で顔が真っ赤になった。頭防具のなくなった彼女の表情は丸見えだ。仮面の下はコロコロと表情が変わって大変分かりやすい。
これが俗に言うギャップ萌えと言うヤツか、とアキは思った。




