ガウガウガウガウ
「いやー食われるかと思ったぜー」
重たい空気を払拭するような能天気な声が聞こえてきた。『首輪野郎』だ。注意が『はね女』に向かったのと同時に魔法が切れたので集中攻撃は終わった。しかし彼の全身はボロボロのベトベトである。揉みに揉まれた割に元気そうだ。
「俺ちょっくら医務室に行ってくるわ」
「おまっ、チョットは空気読めよ……ハァ。寄り道せずにまっすぐ行ってまっすぐ帰ってこいよ」
「あいよー兄者」
「お前が弟とか最悪なんだけど。やめてくれ。ヤダ」
「ははっ、ひで〜」
「あ、魔王様。少しいいですか? 新人さんのことで……」
ちっとも傷ついた様子のない『首輪野郎』は無視して辺りを見渡してから声を落として話しかける。『首輪野郎』が参入してからアキは『犬人間』に手を引かれてハウス内を見回っている。それに気づいた『和女郎』も二人についていってる。自分が作った物を話したくて仕方ないのだ。あわよくば改良点とか意見を言ってくれれば嬉しいなとも思っている。
ちなみに『はね女』はもうハウスから退散している。注目が逸れたらすぐに逃げ出した。今頃は衣装部屋に戻って泣きながら犬の服を作っていることだろう。
「うん? 何か問題でもあったの?」
「あの人喋らないじゃないですか」
「そうだね」
「だから、どうしたら何を伝えたいのか分かるようになるかを教えてください」
真剣な声で尋ねられて『襟巻小僧』は小首を傾げる。何も言わずにいると『三下野郎』は慌てて言葉を付け加える。
「いや、えっと、不満はないんですよ? 物覚えはいいですし真面目で熱心でめっちゃくちゃ頼りになってて、マジで来てくれてありがとうなんですけど、はいいいえなぜ以外が分からないんです。何を思っているのか知りたいですけど、オレ魔王様みたいに身振り手振りで察することできませんし、もう一人はアレですし……」
「もう一人って俺のこと? え、なになにアレって俺のことどう思ってんのー?」
「気になったことや改善点とかあったら教えて欲しいですし、不満とか抱えたままにして欲しくないんです。だから魔王様! どうすれば会話がなくても理解出来るようになれるのか教えてください!」
「えっ、えーっと……見たら分かるって言っても困るよね? う〜んと」
「あれぇ俺無視されてるぅ? おーい俺の声聞こえてるー? うぇーいフォー!」
こればかりは直感としか言い様がないが真摯な想いを無下にするのは申し訳がない。『襟巻小僧』が頭を捻ってると『右腕』が動き出す。人差し指が光り、手の動きに合わせて光が伸び、消えずに宙に留まる。そこには「ひつだん」の文字が書かれた。
それは『三下野郎』にとって目から鱗が落ちるような方法だった。どうして今まで思いつかなかったんだと本気で悔やむほどだった。
「まあでも、あの人が文字書けなきゃ意味ないけどねー」
「「あっ」」
無視されても変わらず騒いでいた『首輪野郎』がポロッと呟いた一言に喜びが一転、固まる。盲点だ。自分ができるからと自己基準で考えていたが相手は他人だ。それも最近入ってきた新人でかつ素性を何一つ知らない人物だ。
読み書きは三段階に分けられる。どちらも出来る者、読みが出来ても書きが出来ない者、どちらも出来ない者。王国城の識字率がどうなってるのか分からないし、『犬人間』がどれに当てはまるのかも分からない。一つ目なら良し、二つ目はまあ工夫すれば良かろうなので良しとして、問題は三つ目だ。これはもう三つ目であってくれるなと願うしかない。
タイミング良く三人が戻ってきた。『三下野郎』は緊張した面持ちで『犬人間』の前に出る。一つ目か二つ目、一つ目か二つ目であってくれと心の中で祈る。
「文字って書けたりする?」
急な問い掛けに『犬人間』が首を傾げる。直球過ぎて伝わってない。彼が分からないと言ったのには表情が見えないことも大きかった。感情が読めないからこそ余計に判断しにくいのだ。
「不平不満があったら教えて欲しくてさ。声が出せないなら文字で教えてくれる? ってコト。実際どーお? コイツのこういうところが嫌だーとか、止めて欲しいなーって思ったことない? そういうの全部遠慮なく教えて欲しいーって優しいから悩んでんの」
気の利かせた『首輪野郎』が補足する。納得がいったように頷いた『犬人間』が首を回すと『襟巻小僧』が素早く紙とペンを手渡す。受け取ると迷いなく何やら書いて『首輪野郎』に渡した。その紙を見た彼が吹き出して笑い転げる。不審に思った『三下野郎』が紙を奪い取って内容を確認する。紙を持つ手が震え出す。
「仕事してください、ってお前なぁ! 言われてどうすんだよ! ふざけんなよマジでー!!」
「ワハハハ! いてっ、痛いって、いっ、ちょっ、おまっ、力……ねぇ地味に痛いの止めん?」
怒りや悲しみ、恥呆れ諸々が混ざり合わさったようななんとも言えない表情で『首輪野郎』に八つ当たりをする。苦労人は大変だな。笑い上戸の人生ハッピーとお喋り厳禁の人間性不明に挟まれてるってむちゃくちゃだ。南無三。
「ここが医務室だよ。医療担当はまだ酔って……て居る」
「ねぇー見てみて! 体ボロボロでチョー痛いの。だからぁ、癒して欲しぃーな」
「んー、そんなん酒かけとけば治る。ほらそこ立って。はねるから動くなよ」
仏頂面の『クズ男女』が部屋の空いた場所を指差す。素直に指図に従って移動した『首輪野郎』の頭上には樽があった。紐を引っ張るとクズ玉のように底が開いて大量の水が降り落ちる。病院のような鼻にツンと刺激する臭いが充満する。消毒液臭い。
「いだだだだだっ?! 滲みる! 滲みてる! ねぇこれ大丈夫!? 大丈夫なヤツだよね?!」
「騒ぐな喧しい」
「いやホンット痛いんだってぇ!」
「ああ、眼は開けるなよ。失明したら嫌だろ?」
「え、それ先言って? てか失明するの?」
「間違っても飲み込んだりするなよ。最悪死ぬかもしれないからな」
「ングッ?!」
「ハッハッハッ冗談だってー(棒読み)」
「どこが!? どっから!? どこまで!?!?」
なにこの茶番劇。というか『クズ男女』キッチンと全然違う。口調とか口調とか口調とか。キモオカマと思ったら冷酷無情だった。本当に同一人物なのか疑うレベルだ。酔うと人が変わるっていうけどコイツは変わり過ぎだろ。
次いで水風船のような物を取り出して『首輪野郎』に向かって投げた。当たると同時に爆発したみたいな突風が発生した。生温い風で気持ち良くはない。
「はい、終わり。ほら、さっさと帰れ」
「おほぉぉおおお治ってるー! ありがとぉまた来るねー」
本当になにこの茶番劇。呆れて何も言えないけど、『首輪野郎』の言う通り傷は治っていた。風が過ぎ去ってから文字通りきれいさっぱり元通りになっていた。傷しかりアルコールしかり。どんな魔法だよ。
「そっちは?」
嵐のような『首輪野郎』が出て行った後、アキと『襟巻小僧』を顎で指す。気まずそうな雰囲気はない。呑むと記憶が無くなる性質か。
「ワンダ=ランドの案内だよ。君の仕事が無いのは喜ばしいことだし、暇になってしまうのは分かるけど、ハメを外しすぎないようにしてね」
「……悪い。一本だけのつもりが止まらなかった」
「うん、キッチンに居た時点で結果は分かってるよ。それじゃあ、担当を増やそうか」
「あーそういや薬減ってたな。調合してこよう!」
前言撤回、記憶が残る性質だった。つまり自分の痴態を覚えてるってことだ。それでよく懲りずに呑めるものだ。
そそくさと奥にはけていく『クズ男女』。魔王には保守的な様だ。というか単純に仕事を増やしたくないだけな気がする。やり手魔王は部下の扱いに慣れていた。
気づけば終わりが近づいてきた。ここが最後の場所だ。
「ここがボクの執務室だよ。と言っても、特に何も無いけどね」
部屋に入ると正面に大きなテーブルと椅子が四脚ある。その奥、誕生日席みたいな場所に質の良さそうなテーブルと座り心地が良さそうな大きめの椅子があった。社長室みたいな部屋だ。魔王の執務室なので社長室みたいな、ではなくそのまま社長室であるが。
そんなことはどうでもいい。今重要なのは部屋の内装でも作りではなく飾りの部分だ。
「あぁそれ? えへへ、可愛いでしょ?」
厳かな雰囲気を全く感じさせない等身大サイズの犬のぬいぐるみが椅子に座らされていた。四脚全てにだ。こちらの方が『犬人間』よりゆるキャラ感が強い。
テーブルの上にはティーカップやらお菓子やらが並べられてお茶会が開かれているみたいだ。椅子の正面にはそれぞれ三段皿が置いてあり、全てに違う種類の一口サイズのケーキが乗せられている。そしてテーブルの中央にドドンと大きな三段のケーキがあった。リアル真似遊びかよ。どう見ても特に何もない様には見えない。……このケーキって本物じゃないよな?
「料理は精巧に作った偽物だよ。ここにあるのは食べれないけど、要望があれば作るよ。食べたいのある?」
「いい」
即答した。アキは甘い物が好きではない。特に砂糖やクリームをたっぷり使った物だと甘過ぎて食べれない。甘党じゃないなら辛党かと言われたらそうでも無い。何事もほどほどが一番いいだろ。
部屋の左右にはそれぞれドアが一つあった。通りがかりに開けると中には椅子に座らされてるのと同じような犬のぬいぐるみがいくつも並んでいた。着せ替え用らしき服まで大量に掛けられている。見てはいけない趣味だ。何の反応も示さずに無言でドアを閉めた。多分もう一つも似たような部屋なのだろう。開ける気はない。
ちなみに執務机の上はちゃんと? していて書類が置かれていた。
改めて部屋の中を見渡しても当然内装が変化する、なんてことにはならない。特別な日限定とかならまだ良かったけど、多分日常的にこの光景があるのだろう。残念だ。いろいろと。
「こんなんで仕事やれんの?」
「よーし頑張るぞーってならない?」
「ない」
彼にとっては目の保養になっているらしい。さすが夢を実現させただけはある。
それらから視線を外し、何気なく机上にある紙に視線を向けると目を見開いた。
よ、読めねえ。
そこに書かれているのはかな文字カナ文字漢字アルファベットでなければ知らない文字の羅列だった。『襟巻小僧』の自然言語理解は文字には作用されてなかった。
これはこの魔法の欠点……ではなく、発端を考えれば至極当然の問題だった。
先ず、この魔法を作るに至った背景は犬だ。犬に何不自由なく過ごしてもらいたい。けれど言葉が通じないから不満要求があっても聞くことができない。違う生物だから察するにも限界があるし、解釈違いを起こしてしまう可能性も考えられる。
繊細な部分は本人に聞くのが一番だ。ならば会話……とまではいかなくても何を話しているのかが理解出来るようになればいい。
そういうわけで作ったのが自然言語理解。犬が文字を扱いますか? 答えは「いいえ」だ。
つまり欠点以前に必要性がないのだ。そもそもの前提から違うのだから問題にすらならなかった。用途が異なれば対象も違う。
そしてそしてアキは文字が読めないことに対しては特に何も思っていない。会話は出来ないと不便だ。しかし文字はその限りではない。だって今まで必要なかったから。じゃあいっかと前向きに受け入れた。しかし人はこれを諦めと言う。
「……ん?」
執務机の上に薄い本が立てかけられていた。表紙には題名らしき文字と人間と犬の絵が描かれていた。アキの視線の先にある物に気づいた『襟巻小僧』が目を輝かせる。それこそが諸悪の根源……『ワンダ=ランド』の本だった。




